立身流傳書と允許

立身流第22代宗家 加藤 紘
[平成29年4月29日掲載]

第一、傳書の公開

一、問題の所在
本稿は立身流傳書十五巻およびその允許(いんきょ)に関するものである。
その傳書は過去の遺産遺物ではない。
500年の昔から受け継がれ、現に修業され行われている立身流での、伝承通りに私が允許され、伝承通りに私が允許している傳書類である。
従って、傳書の取扱、特に記載や内容を本稿のような場で公開するについても、本来ならば、伝承された通りに取り扱うべきことになる。

二、本来の取扱
後記第三、三、「傳書允許の階梯(かいてい)」に説明するとおり、傳書は、立身流の修行が進み、その内容を知る能力資格を宗家より認められた者のみに授けられる。従って、原則、内容については他に教えてはならず、記載については他見無用である。いわんや公表など許されるものでない。
立身流俰目録之巻に後記するとおり、目録でさえそのような扱いであった。
しかしながら、例えば流儀間の交流研究など、「みだりに」(立身流俰目録之巻。後述)といえない場合としての例外もあった。

三、現時点での公表の弊害
私の知る終戦後の例に則してみると、次の二つが主であろう。
(1)傳書の記載について、立身流の実技実態に基づかない誤った解釈やその流布。一例を註2第一に記述した。
(2)立身流傳書の記載の転用や模倣による悪用。はなはだしい場合は流名を僭称されかねない事態もあった。

四、現今の取扱
このような弊害を避けるには、傳系の記載を含め、最新の、現に生きている傳書、すなわち私が允許され、私(又は父)が允許した傳書自体の公開をしないことから始めるのが有効と思われる。伝承通りということである。
そこで立身流では現在でも「傳書他見無用」が傳書を授与される者の心得の一である。
但し、展示その他などで、宗家が許す場合は別論である。ただ、公開される場合も、原則、目録までである。
昭和53年2月19日に日本武道館で開催された第1回全日本古武道演武大会の際は、日本武道館の要請により、目録を含む立身流の伝書類などがブースに展示された。

五、本稿での取扱
しかし、前記弊害が生ずる可能性が少ない状況でならば、ある面では傳書の公表は非常に有益である。
そこで私は先達にならい、宗家論考の記述等では傳書そのものの全体を表示することはせず、立身流傳書の内容を示したうえで、その根拠となる傳書や古文書の該当箇所の表示のみを引用する方法をとってきた。
本論考も同様である。

第二、傳書

一、傳書
立身流には歴代の研究書や下書、メモ、備忘録、先人が受領した傳書やこれへの書込など古文書(こもんじょ)が多いが、これらは私が允許された「傳書」ではない。私にとって一番大切なのは、流祖神妻山大明神(つまやまだいみょうじん)・流祖立身三京(たつみさんきょう)以下歴代名の後に先代から私宛の旨が記され、その名の全てが朱線で繋(つな)がれた(後述第二、二参照)うえ、師である先代から手渡しで授けられて允許された「傳書」十五巻である。それが傳授を示し、生きた伝承を示すものである。

二、相傳古文書、取得古文書
しかし、立身流傳書の記載が立身流の全てではなく、そこには歴史的に蓄積された最重要事項の要点の一部が示されているにすぎない。代々受け継がれてきた他の古文書類に各種形をはじめ立身流の内容(註1参照)や研究成果の欠くべからざる記載が多く、それらが貴重であることは傳書と変わらない。傳書の記載の理解にも不可欠である。これに口傳(くでん)が加わってはじめて理解が可能となる。口伝を記載した口伝書もある(註2参照)。
また、伝承されたものでなく他から得た史料(分流派のそれを含む)も参考資料として重要である。

第三、傳書允許の課程と傳書の内容形式

一、傳書と形(かた)
傳書允許前に、既に各種形のほとんどの修業がなされつつあり、相当程度に達した者だけが目録以降の傳書を允許される。刀術関係でみると最初の数年の桁打旋打廻打の稽古を当然経ていて、五合之形(ごごうのかた)までも一応は履修済である。
傳書には形の意味本質を示す記載はあっても形名や形の内容の記載は少ない。他方、傳書各巻に説かれる内容を体現する形が允許時に伝授される場合がある。
既に履修した内容の一部が示されている場合があるという点では傳書は各段階の終了証書でもあり、以後の修業の方向を示すものでもある。

二、傳書の内容と形状
立身流の傳書十五巻は単なる修了証書や資格授与証でなく、長文の内容が含まれている。印可状などに現今よく見受られる「多年の刻苦精進を尽くしたから、ここに免許を授ける」というような意味の短文を簡単に記すだけのものではない。
また、立身流の十五巻の巻物は、すべて、先代から次の代へ、新たに作成(允許者自身が受領した傳書に允許者名と花押(かおう)・押印・日付・允許される者の名などを付加して記す場合、或いはそれらを授ける旨の証書を作成する場合を含む)した傳書が与えられる。巻末には妻山大明神と初代以降22代の私までの歴代名がすべて記され、そこには朱墨(しゅぼく)による朱線で歴代伝授の過程が示される(前述第一、一参照)。朱線の引かれていない傳書は未完成の傳書である(註3参照)。
従って、その形状も、紙片いわゆる切紙(きりがみ)ではない。長い巻物である。軸(じく)には水晶や象牙の使われたものも多い。他の古文書と異なり、綴本(とじほん)や折本(おりほん)の形をとらない。
私が目録などを受領する際、父が受けた巻物と同じ紙を求めたが、その生産地はダムで水没したとのことで、既に入手不可能となっていた。

三、傳書允許の階梯(かいてい)
傳書允許は允許を受ける者の程度状況に応じ、同一人に対しては、永年の修業期間の間に、全十五巻を2回ないし5回に分けて与えられるのが旧藩時代からの例であった。階梯に拘らずに、一巻ごとにそのものに最適な巻をその都度与える場合もある。
一の軸に二巻以上の内容が記される合巻(ごうかん)の形をとる場合もある。その際も傳系の記載をも複数回するなど、内容の省略をすることは一切ない。
全巻を授けられて立身流の皆済(かいさい)(皆伝を意味する)となる。
かつての修業の密度の濃さは今と比較にならない。
幕末には佐倉藩の「一術免許ノ制」(註4参照)の関係上、門人藩士に公の資格を与えるため、早い段階で目録のみを允許することも多くなったと伝えられている。
他方、明治になり、目録を多数のものに与えた半澤成恒(はんざわ なりつね)先生は、その多くを破門することにもなった。
立身流傳書允許之儀は立身流の重要行事の一として今も執り行われている。現在は五段受領(入門より最短10年)者の修業の進んだ者から目録を与える。最初の目録の受領は早くて入門15年後位となろうか。

第四、立身流傳書十五巻の名称と内容

以下に各傳書の名称と記載事項の主項目や要約、および傳書には記載されないが傳書を与えられる際に同時に伝授される事項等につきふれる。

一、目録(もくろく) 五巻 主に技や心法の基本(すなわち極意である)につき述べている。

(1)立身流序之巻(たつみりゅうじょのまき)
武道修行者の心構や各種武術、剣の効用を論じ、立身流の優越性を説き記す。
立身流序之巻は立身流立合目録之巻との合巻(この合巻のみ傳系の記載は1回)とされるのが通常であった。

(2)立身流立合目録之巻(たつみりゅうたちあいもくろくのまき)
主に剣術を例とし、剣術につき表(おもて)の技の五个(か)、陰(かげ)五个、外(そと)二十五个併せて参拾五个條を中心に、道歌(どうか・みちうた)二十五首その他を記す。別傳之分として口傳がある。
形試合(かたしあい・形に則った試合。提刀(ていとう・納刀した刀を鞘ごと使う)を含む)十五本などを許される。

(3)立身流居合目録之巻(たつみりゅういあいもくろくのまき)
主に居合を例とし、技、心法、陰五个、外十三个、道歌二十三首その他を記す。
別傳之分として口傳があり、その中に杖(じょう・「半棒」と記される場合が多い)が含まれる。
形試合(提刀を含む)その他併せて二十二个条などを許される。
「居合」は「抜刀」と記される場合がある。

(4)立身流俰目録之巻(たつみりゅうやわらもくろくのまき)
主に俰を例とし、俰の居組(いぐみ)立合(たちあい)組合(くみあい)併せて四十五个條に、陰、及び口伝の二个條を加えて技につき記したうえ、「縦雖親子兄弟乱不可教之(たとい おやこきょうだいといえども みだりに これをおしうるべからず)」とする。更に「此術之心持」(このじゅつのこころもち)などにつきふれる。
允許時に「俰目録陰五个(か)口伝之分」を許される。四寸鉄刀(よんすんてっとう、しゅりけん)はその一である(但し、四寸鉄刀を用いた稽古は、第二十六條小具足之事などで既になされている)。
立身流俰目録之巻を允許されて初めて、活の入れ方が秘密裏に伝授される。他見を避け、濫用を許さない為といわれる。
「俰(やわら)」は、傳書外では「柔」「柔術」とも記される。

(5)立身流九字十字之巻(たつみりゅうくじじゅうじのまき)(「兵法九字之大事(へいほうくじのたいじ)」と記す巻物もある)
真言密教(しんごんみっきょう)系の九字十字につき記す。
未熟の段階での無益な闘争を諌めるなどのためか、免許(免之巻允許)の前に与えられる例もあったと伝えられる。現在の傳書允許においてはその例に従っている。

二、上傳(じょうでん) 四巻
次の奥傳(おうでん)と併せて秘伝免許とされる場合がある。
武道全般を対象として技法心法を考究する内容である。

(6)立身流直之巻(たつみりゅうちょくのまき)
十一條三十三段の記載に道歌二首、口傳が付加され、各目録の記載内容や口傳などを総括して記される。

(7)立身流變働之巻(たつみりゅうへんどうのまき)
立身流秘伝の業(わざ)を中心に変働無常(へんどう むじょう・へんどうして つねなし)因敵転化(いんてき てんげ・てきにより てんげす)を説き、各種武器武術やその協働、技の変化を記す。
二刀その他にもふれて記す。

(8)立身流理談之巻(たつみりゅうりだんのまき)
「寛延己巳(1749年)暮春下旬序」(かんえん きみ ぼしゅんげじゅん じょす)と付記された漢文と、三十六歌仙になぞらえた三十六首の道歌により、立身流の秘術を全体的に評論して記す。
立身流第11代宗家逸見柳芳(へんみ りゅうほう)が加えた巻と伝えられる。

(9)立身流別傳之巻(たつみりゅうべつでんのまき)
鎗(鑓・槍とも記される)、長刀(なぎなた)、棒(半棒を含む)などの各種武術や変化応用進展を示す。
妙剣(みょうけん)、短刀、一圓相(いちえんそう。立身流曲尺之巻でもふれられる)などを記す。

三、奥傳(おうでん) 三巻
武道全般の心法を述べ、更にその礎である人間、生死、世界、宇宙を考察する。
前述のとおり、本来は目録段階である立身流九字十字之巻を、この段階として授与することがあり、現在も奥傳として授与している。

(10)立身流眼光利之巻(たつみりゅうがんこうりのまき)
「無極而太極(むきょくにしてたいきょく)・・・」など無のはたらきについて記す。
斬切(ざんせつ)、合車(がっしゃ)、水月(すいげつ)の秘太刀を許される。

(11)立身流誠心之巻(たつみりゅうせいしんのまき)
人間の天禀(てんびん)を四つに分けて説き、「根元之気(こんげんのき)」「其象圓(そのかたちはえん)」「清中清(せいちゅうせい)」「修学之功(しゅうがくのこう)」等につき記す。

(12)立身流三四五曲尺合之巻(たつみりゅうさんしごかねあいのまき)
立身流曲尺之巻(たつみりゅうかねのまき)とも記される。
三四五の数尺になぞらえて、天地人、身・体・太刀などの調和を説き記し、無意無心無固無我などにふれて「天理之本然(てんりのほんねん)」を考察する。
立身流第11代宗家逸見柳芳が加えた巻と伝えられる。

四、免許 一巻

(13)立身流免之巻(たつみりゅうめんのまき)
抜刀(ばっとう・いあい)を例として立身流全体につき「・・・不残相傳畢(のこらず あいつたえおわんぬ)・・・」と証し、「・・・立師以教之亦何有恥之乎(しにたち もってこれをおしうるも また なんぞ これをはじることあらんや)・・・」と記して人の師となることを許す。道歌五首および一心圓光剣を記す。
允許された者は、現代でいう師範として人の師となる資格を与えられることになる。

五、皆済(かいさい) 二巻
立身流免之巻の補巻であって、奥(おく・おう)秘伝免許である。
形式の上でも、この二巻の授与により皆伝となる。

(14)立身流俰極意之巻(たつみりゅうやわらごくいのまき)
無手無刀(むしゅむとう・てなく かたななし)、「手舞足蹈處皆一物(てのまい あしの ふむところ みな いちぶつ)・・・」(「手舞」は「手前」とも記される)、心目體用一致(しんもくたいよういっち)などについて説き、天地の勝にふれ、陰之俰(いんのやわら)、陽之俰(ようのやわら)を示し、道歌八首を記す。

(15)立身流極意之巻(たつみりゅうごくいのまき)
半月之事、満月之事など、また三光之勝として月之太刀(形としては向)、日之太刀(形としては圓)、星之太刀(形としては前斜)を示し、道歌六首を記す。
立身流第7代宗家大石千助より安倍彦四郎尉(あべ ひこしろうのじょう)あて寛文(かんぶん)十一年(1671年)辛亥(しんがい)三月十七日付の、美しく彩色された背景画に達筆で記された一巻が現存する。

第五、宗家、師範、允許者、受領者

一、立身流免之巻を受領して人の師となる資格を得、更に傳書を皆済されて皆伝となったからといって、宗家(旧藩時代は藩の刀術師範となった)を継ぐわけではないし、宗家から独立するわけでもない。
例えば、第16代宗家の逸見宗八が病により隠居し嫡男逸見忠蔵が家督を継いだ際、隠居願による藩命で、根本官七が門弟への「指南免許(ここでの免許は目録を意味する)」を行うこととなった。忠蔵は官七より目録を受けた後、更に官七の教えを受け続け、天保四年(1833年)三月一日に免之巻を、天保六年(1835年)二月十六日に皆済を、それぞれ父宗八から允許された形をとり、立身流第17代宗家となっている(佐倉藩「保受録」)。

二、各種目録を許されただけでは宗家ではないことは勿論、人の師となる能力も資格も認められていない。立身流免之巻の項に前述したとおり、人の師として立つことができるのは免之巻を許された者(現代の師範)のみである。
勿論、現代でも、上級者が後輩を指導する場合があるが、それは師匠としての指導ではない。
そして、「立身新流」や「立身当流」の流名をみても、「趣他郡(たぐんにおもむき)」(立身流免之巻)、特に独立を許された際には、分派である旨を示す流名を名乗るのが通常だったといえよう。

三、傳書を允許できるのは宗家のみである。但し前記のように、必要に迫られ、宗家の意思による藩命で、特に流儀の「世話取立」(保受録)を任された者がないわけではない。

四、このように立身流では権威ある統率者の下、その権威の承継という裏付により流儀の中枢の継承がなされてきた。
その状況は、幕藩体制下での専門家として、流儀武術教授およびその継承を図る場面では、他の流儀でも同様で通常の態様であったと思われる。
尾張柳生新陰流が藩主と流儀の当主とが交代で道統をつないだのはその好例であろう。
佐倉藩の棒・捕手の流派の一に竹内流があったが、教えや形の崩れを防ぐため、時に岡山の宗家のもとに指導を受けに行くことがあった、と伝えられている。


註1 立身流古文書での記載の例
一例をあげる。
立身流には、甲冑やその「着具之次第」(ちゃくぐのしだい)、出陣の心得、用意すべき用具や武具の選び方、平日との武技の相違や注意点、騎士勝負、歩立(かちだち)、「首取様之事」(くびとりようのこと)、「功名後ノ心得之事」(こうみょうごの こころえのこと)、「首見参之事」(くびけんざんのこと)、などなども含まれている。
これらは傳書での記載はなく、「立身流戦場動幷着具之心得」(たつみりゅう せんじょうばたらき ならびに ちゃくぐのこころえ)として、傳書外の別冊に記されている。

註2 立身流傳書と立身流口傳(くでん)
「口傳」とは、傳書に「口傳」と記載されているものをいう。それ以外のものは師匠と弟子の間での事実上の口伝えにすぎない。
口傳の意味内容にも種々ある。

第一には、師匠との一対一での実技の稽古における、言語での、補助的あるいは本質的な説明を意味する。
例えば立身流居合目録に「向前後左右圓 口傳」とある場合である。
この場合、「口傳」は言葉だけで独立した意味を持たない。「口傳」と、口傳の言葉だけを記した「口傳書」は異なるものとなる。
稽古では師匠の動きを自分に映り込ませねばならない。文字化された言葉(写真や映像も同じだが)だけで師匠の動きは再現できない。その意味で、業も心法同様「不立文字」(ふりゅうもんじ)である。
従って、文字だけで研究すると、個々の微細な点でも、とんでもない見当違いの誤りに陥ることが多い。本例で言うと、例えば、「向前後左右圓」の記載は、「向と前と後と左と右と圓の都合六本」を意味すると解するのは誤りである。他方、立身流修行者ならば、意味を感覚的にも非常によく理解できる表現方法である。
体系化された古流武術ともなれば、文字だけから全体あるいはその重要部分を復元するのは不可能である。すなわち、一度失われた流儀の再生は不可能である。
立身流入堂訓第九条に「立身流古文書類の研究解明は必ず実技修得後に於いて、実技に照らしてなすこと。実技と理合の対応なき研究解讀は、判断を誤る場合少なからず。注意すべし。」とあるとおりである。

第二に、武術上の、或いは戦場での心得を記した口傳がある。例えば拙稿「立身流に於る 下緒の取扱」の参考1に示したような場合である。戦場では勿論、甲冑着用である。

第三に、「戦場平日トモ」の心得を示す場合である。例えば拙稿「立身流立合目録之巻陰五个口伝より(その1)」に示したような場合である。勿論、平日は甲冑を着用していない。

第二第三の場合は、特に練磨の必要があるとは言えない内容で、ある程度、言葉或いは口伝書だけでも理解と把握および実現が可能であるといえよう。

註3 立身流傳書に示される歴代名と、これを繋ぐ朱線
半澤成恒先生は、ある流儀のある人が受けた傳書を拝見した時、その傳書には傳系人名が列記されているのみで朱線で繋がれていないのをみて、「何も知らない流儀の何も知らない人だ」として、立身流はそれではいけない、と諭(さと)された。

註4 立身流傳書の允許と佐倉藩の「一術免許ノ制」
天保四年(1833年)十一月十六日、佐倉藩主堀田正睦(ほったまさよし)は「文武芸術ノ制」「一術免許ノ制」を宣言した。
文政四年(1821年)以降、佐倉藩では、これまで家禄を受けている藩士が死去した場合、家督をうけた者の家禄は何割か差引かれる家禄歩引(かろくぶびき)が行われていた。
文武芸術ノ制では家禄歩引のほかに更に支給額を減らす「増引(ましびき)」を加えたが、一術の免許を得た者はこの増引を免除された(以上、昭和48年3月25日佐倉市発行「佐倉市史」巻二 862ページ参照)。
立身流の立合目録・居合目録・俰目録のいずれかを得たものは、この「免許」を得たものとされたとのことである。

以上

2017年4月29日 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部