日本伝統武道の流名・呼称・用字 ~立身流を例として

立身流第22代宗家 加藤 紘
令和元年(2019年)12月1日 掲載(禁転載)

第一、立身流の流名は「立身流(たつみりゅう)」です。

立身流傳書十五巻の各巻物のそれぞれの名称は、拙稿「立身流傳書と允許」に示したとおりです。
そこでの例えば「立身流序之巻」、「立身流立合(たちあい)目録之巻」、「立身流居合(いあい)目録之巻」、「立身流俰(やわら)目録之巻」、「立身流直(ちょく)之巻」、「立身流俰極意之巻」、「立身流極意之巻」などの名称を通覧してください。
すぐお分かりでしょうが、立身流の流名は、巻名のすべてに共通して示されている「立身流(たつみりゅう)」です。
「立身流立合(術)」という流名はありません。「立身流居合(術)」という流名や「立身流俰(術)」という流名でもありません。
「立合」とか、「居合(術)」とか、「俰」という語は、立身流という流派の中での特定の一分野、特に形(「型」の字は用いません。拙稿「日本伝統武道に於る形と型~立身流を例として」を参照して下さい。)の上での術技の一分野を指し示すものです。
「立身流秘伝之書」、「立身流之秘」その他、立身流関係古文書でも「立身流」と記載されます。

第二、立身流(たつみりゅう)に付加される各種名称

流名の「立身流」に「藝術」「兵法」「居合」「剣術」「俰」その他の語が付加される場合があります。以下、それらの語およびその意味するところを探ってみます。

一、立身流の一分野を示す場合。

①「立身流居合(術)」
 立身流の居合には、立合(立った姿勢から始まる居合)と居組(正座から始まる居合)があります。組居合などの外は原則として独演形でありかつ敵の反撃を想定しません。「立身流居合目録之巻」での「居合」はこのような意味です。

②「立身流剣術」
 立身流での「剣術」の語は、後述する「刀術」から、上記①の居合部門を除いたものを指し示します。太刀(大刀)と小太刀があります。立身流では、太刀対太刀の形を剣術表(之)形 (おもてのかた) といい、太刀対小太刀の形を剣術陰(之)形 (かげのかた) といいます。五合之形(ごごうのかた)は双方を含みます。
なお、短刀、鉄扇、四寸鉄刀(しゅりけん)などはこれらを手に持った時の間合いの関係から俰に含まれます。
「立身流立合目録之巻」での「立合」は上記の「剣術」の意味です。
ところが、そもそも立身流の剣術の形には居合対居合や剣術対居合(これらでの「居合」は抜刀を意味します)の形も組み込まれています。独演系ではない居合が含まれているわけです。立身流の伝書に「立身流剣術目録之巻」というものがなく、「立身流立合目録之巻」及び「立身流居合目録之巻」であるのはこのような意味合いでしょう。
他方、歴史的には「剣術」の語で立身流全体の術技や、立身流だけでなく他流をも含めた武術全般を示すこともあります。
立身流での「立合(たちあい)」の語は、最広義では、立った姿勢での刀術(後述)と俰の立合を意味します。つまるところは立った姿勢での武技全般を示すともいえます。
その内の「刀術」は刀を使う武術、すなわち剣術と居合を意味しますから、刀術での「立合」は、一般に使われる意味での剣術(小太刀を含む)と、立った姿勢で敵が受方または仕方として存在する形である抜刀(小太刀を含む)と、立った姿勢から始まる独演系の居合とを示すことになります。

③「立身流小太刀(こだち)
 立身流剣術および居合のうちの小太刀です。小太刀対太刀の形が立身流剣術陰(之)形にまとめられています。他に鎗術(そうじゅつ)の小太刀合(こだちあわせ)その他があります。五合之形詰合や傳技の中などには小太刀の居合があります。

④「立身流俰」
 技の大要は立身流俰目録之巻にまとめられています。「居組」と「立合」に大きく分類される体系は居合と同じです。これに甲冑着用の技(素肌にも応用)である「組合」と口伝二ヶ条、更に心得を記した漢文とで立身流俰目録之巻が成立っています。
短刀、鉄扇、四寸鉄刀などが含まれることは前述しました。

⑤「立身流柔(やわら)」、「立身流柔術(じゅうじゅつ)
 第12代宗家逸見宗八(満信)などについての佐倉藩保受録等での記載に示される用語です。 
立身流術技の一分野の「俰」を意味します。

⑥「立身流鎗(術)(やり・そうじゅつ)
 鑓、槍、などと記される場合もあります。
⑦「立身流長刀(なぎなた)
⑧「立身流棒」
⑨「立身流半棒
(はんぼう)
 半棒は杖(じょう)とも記されます。
⑩「立身流四寸鉄刀(しゅりけん)
その他、例えば甲冑についての「立身流着具之次第(ちゃくぐのしだい)」など、立身流の名を冠した流内での種々の分野を示すその他名称があります。

二、立身流全体を、又は立身流のうち限定した複数の分野を意味する語。

これらは付加語としてだけでなく、立身流そのものを示す独立した語としても使われる場合があります。
①「兵法(へいほう、ひょうほう)
 立身流秘伝之書など古文書の随所にあらわれる語です。
この語のみで立身流を意味する場合と、他流を含めた武術全般を意味する場合があります。後記「藝(術)」とほぼ同じ使われ方です。
「立身流兵法」という語で立身流を意味する用法もあります。
「兵法」の読み方としては両方ありますが、「へいほう」が古くから本来の呼称です。
②「抜刀捕手(ばっとうほしゅ)
 第10代宗家糟谷団九郎についての保受録での記載に記されます。
③「居合柔術縄甲冑勝之業(じょうかっちゅうかちわざ)」  
 第13代宗家半澤喜兵衛や第16代宗家逸見宗八(満明)、第17代宗家逸見忠蔵の項の保受録などの記載に出てきます。
④「藝」「藝術」  
 立身流秘伝之書のほか、第14代宗家逸見新九郎(宗八満直)や第17代宗家逸見忠蔵の項の保受録などの記載にあります。前記「兵法」とほぼ同じ使われ方です。
⑤「刀術」 
 刀(太刀と小太刀)を使う武術、すなわち剣術と居合を意味します  
第11代宗家逸見柳芳筆の「立身流刀術極意集」が残されており、第17代宗家逸見忠蔵や半澤駒太郎(第18第宗家半澤成恒の幼名)の項の保受録や分限帳などの記載にも出てきます。
天保10年には、佐倉藩校成徳書院外附属演武場の取建により藩の刀術所が設置され、逸見忠蔵らが師範(刀術師範)となっています(分限帳、佐倉市史 巻二969ページ)。
⑥「剣術」
 前述しました。

第三、立身流名の変化した俗称など

一、誤った俗称

①立身流(りっしんりゅう)
 「増補大改訂 武芸流派大事典」(編者 綿谷雪 山田忠史、昭和53年12月10日発行。以下、大事典という)に「タツミと読む。」とあるとおりです。
国語(日本語)では、漢字が同じなら読みが変化し、逆に、読みが同じなら漢字が変化してしまうことがよくあります。「りっしんりゅう」は、この前の例です。後の例としては、立身新流 福澤諭吉の師が中村庄米とも中村庄兵衛とも記されたりします。

②立目流(たつめりゅう)
 佐倉藩保受録の第10代宗家粕谷段九郎の項に「立目流」の語が記されています。
立身流の「身」の発音が「み」から東北弁の「め」にかわり、「め」が「目」と記されたもので、誤記です。
拙稿「立身流古文書等での東北弁表記」を参照して下さい。

③立心流 (りっしんりゅう)
 「剣術教範詳解」(陸軍戸山学校剣術科著 昭和十年十二月二十日発行 昭和十四年二月十五日四版発行)に記された誤記です。立身流を「りっしんりゅう」と読み間違えた上での当字(あてじ)でしょう。
大事典では「立身流(たつみりゅう)の俗用」とされています。

④立見流(たつみりゅう)
 佐倉藩保受録の第13代宗家半澤喜兵衛の項に「立見流居合柔術」の記載がみえますが誤記です。
但し、現実に存在した「立見流」もあります。忍(おし)藩の立見流についての後記を参照して下さい。

二、必ずしも誤りとは言いきれない呼称

①立身三京流(たつみさんきょうりゅう)
 大事典では「立身流のこと。」とされています。使用例としては、立身流第19代宗家加藤久の弟子の塚本清著「あヽ皇軍最期の日―陸軍大将田中静壱伝」(日本出版協同1953年12月20日発行)の奥書の著者略歴にみられます。
②立見流 (たつみりゅう)
 忍藩では「立身流」の表記が「立見流」に変化してしまいました。忍藩での立身流は「立見流」です。拙稿「立身流の分流」を参照してください。

第四、他組織での立身流の呼称

一、日本古武道協会(以下、協会という)での呼称

1978年(昭和53年)2月19日に日本武道館内に発足した協会では、流名呼称に「〇〇流△△術」というような表記方法がとられ、この表記方法が日本古武道振興会でも採用され、現在は一般社会的に日本武道の流名の正式な呼称はこのようなものであると認識されるようになっています。しかし例外はあるにしても、この認識は誤りです。「立身流は「立身流兵法」が正式呼称であって「兵法」だから総合武道なのだ」と言う方がいますがこれも誤りです。立身流は立身流です。
手元にある日本武道館(及び協会)主催の日本古武道演武大会のプログラムでも第4回1981年(昭和56年)の頃までは「立身流(剣術)」となっていて流名とその大会での演武内容を併記している様が明確です。第7回1984年(昭和59年)には「立身流 居合術」となっています。
ところがその第7回大会頃から、目次や伝承地を日本地図に示す際に「立身流居合術」等と記載されるようになったことから混同が始まったようです。
特に協会事務局長を永年勤められた花輪六太郎先生が1989年(平成元年)8月1日に発行した「日本古武道総覧」(島津書房。各流派が提出した内容をまとめたもの)が古武道流派を「柔術・体術」「剣術」「居合術・抜刀術」等々に振り分けた体裁をとったのが一つの契機と思われます。この本で立身流は居合術に分類されました。本文では「立身流(居合・剣術・俰・鎗術・棒術・半棒・長刀・捕縄・四寸鉄刀)」となっています。
そしてその頃以降、一般にわかりやすいように分類区分けした表示を流名に付加する様求められることとなりました。
立身流は総合武道のまま維持されていますからその一部のみを特記した流名を付するわけにいかず、苦慮した結果、一般への説明を念頭においた「武術」との表記を一時したのですが、さらに歴史的事実に即して「兵法」として現在に至っています。

二、日本古武道振興会(以下、振興会という)での呼称

1、「日本古武道振興会概要(自昭和十年二月 至昭和十四年十二月)」(平成二年七月一日発行 日本古武道振興会創立五十五年記念誌156頁以下に立身流第21代宗家加藤高の提供による資料2として転載)は振興会の発会から1939年(昭和14年)迄の事跡が詳細に記されています。そこでの記載は全て「○○流」のみであって例外はありません。立身流も「立身流」との記載です。

2、立身流の現在の表記は、振興会でも一時期使われた「立身流兵法」ではなく「立身流」とされています。その件についての申請書に経緯を述べましたので、その全文を転記します。

申 請 書

平成29年4月5日

日本古武道振興会御中

立身流第22代宗家 加藤 紘

第1 申請の趣旨
   日本古武道振興会に於る立身流についての表記を
   「立身流兵法」
   から
   「立身流」
   へ訂正なさるべく申請いたします。
第2 申請の理由
 当流の名称は本来「立身流」のみであったところ、昭和54年2月17日設立の日本古武道協会に於て、当時の花輪六太郎事務局長が一般の方々にわかりやすくするため、各流儀名の下に種目を表示した上で流儀名を示す方法をとりました。例えば〇〇流剣術とか××流柔術とかという具合です。
 立身流は総合武道のため上記の例のような表記はし難く、古来使われた表記方法の一つの「兵法」を加える形とし、立身流兵法としました。
 平成2年7月の日本古武道振興会創立55周年記念日本古武道大会の際に作成された記念誌に於いて、編集を担当された齋藤聰先生が、流儀の表記方法を古武道協会と同一にする方向をとり、以降立身流は「立身流兵法」と日本古武道振興会に於いても表記されております。
 以上の次第で、この度当流儀の表記方法を歴史的に真正なものに回復致したく申請するものであります。

以上

3、なお、振興会設立の経緯および時につきふれます。全て松本学先生の主導の下に行われています。
「松本学日記」(編者―伊藤 隆・広瀬順晧 1995年2月20日山川出版社発行)及び前出「日本古武道振興会概要」によると、1935年(昭和10年)1月21日に会設立の話が始まり、2月3日の第一回発起人会で会設立が決し、2月22日の相談、3月3日の第二回の発起人会を経て、3月16日の委員会で4月1日の発会と日比谷公会堂での諸流流祖祭および奉納形大会の催行が決定、昭和10年4月1日に予定通り日本古武道振興会が発会しました。

三、千葉県及び佐倉市による指定無形文化財での名称流儀名は「立身流」です。

前出拙稿「日本伝統武道に於る形と型~立身流を例として」を参照して下さい。

第五、例外

一、日本武道の中でも、空手などの沖縄武術(琉球武術)は独自の発展を遂げており、本来流名はありません。
「空手道一路」(松濤 船越義珍著 昭和31年10月1日産業経済新聞社発行)61頁には次のようにあります。
「…空手には、改まった流儀というようなものはあるべき筈がない。…この際は全てを「空手道」と呼称した方が、将来の発展のために適切…。よく私達の同門のことを、「松濤館流」などという文字を使って呼んでいるのを聞くが、…私としてはどうも頷けないのである。」

二、日本武道の傳書古文書に「〇〇流兵法」というような形式の表題がつけられたものが存在します。その呼称の意義についてはそれぞれの流派内の研究によるものでしょう。

第六、1930年(昭和5年)当時の流名表記

ここに1930年(昭和5年)11月3日及び4日にかけて行われた「明治神宮鎮座10年祭奉納武道形大会順序」の写しがあるので掲載します。
ここでの記載は、演武順序、武道名、流派名、演武者氏名、府縣名ですが、流派名は例外なくすべて〇〇流の形式です。
立身流は勿論「立身流」です。
義珍先生に関しては、第一會場第一日之部で演武順序が「17」、武道名が「唐手術」、流派名が「昭霊流少林流」、演武者氏名が「富名越義珍」、府縣名が「東京府」となっています。
なお、第一會場第二日之部の演武順序「17」で武道名が同じ「唐手術」となっている演武者氏名「新里仁安」の府縣名は「沖繩縣」ですが、流派名は空欄となっています。

第七、提言

戦後の古武道の復旧回復成長期に、一般向けの説明広報を意識し、わかりやすく流儀名と演武内容を一体表記した流名呼称を画一的に使用したことはそれなりに意義あるものでした。
しかし、古流流儀名はその内容技とともにその古流流儀の存立自体を意味する重要なものです。その流名自体が歴史的文化的意義を持ちます。現代になって変えるべきものではなく、本来的に変えてはならないものです。
今は既に流名とその実技内容との対応関係はある程度浸透したものと感じられます。インタ―ネットが普及しその確認作業も簡単にできます。
今後は歴史的に真正な名称に回帰すべきです。たかだかこの40年来の間に、○○流△△術というような呼称が正しいと古武道関係者の間にさえ認識されるようになってきました。このような誤解が定着することは避けなければならないと考えます。少なくも明治時代初期の呼称に戻すべきです。
そもそも○○流は〇〇流であって〇〇△△術流ではないのですから用語上も当然でしょう。
必要ならばその都度、その演武会での演武の種目内容を流名とは別に示せばいいのです。
ただここで一つ注意すべきは、ある流儀の歴史的名称は必ずしも単一ではなく、時代により、或いは人により、様々に変化している場合があることです。
現代でも変化させざるを得ない場合があるでしょう。

以上