立身流第22代宗家 加藤 紘
2026年(令和8年)6月筆
[令和8年(2026年)6月15日掲載/6月29日改訂(禁転載)]
はじめに
立身流(たつみりゅう)は武術の流派である。津田仙(せん)は佐倉藩士として立身流を学び、福澤諭吉は中津藩士として分流の立身新流(たつみしんりゅう)を学んだ。初代・立身三京から数えると、仙は18代目、諭吉は12代目となる。
しかし、明治に入り、二人は武術とは無関係の方面で活躍した。
立身流はこの二人の活躍とは無関係なのか。
1、津田仙と福澤諭吉
慶応3年(1867年)、仙と諭吉は共に幕府使節団の一員としてコロラド号に乗船しアメリカへ赴き半年後帰国した。
立身流を学んだ仙と立身新流を学んだ諭吉は、奇しくも、これほど密接に時間を共有していた。
二人の間で立身流の話が出たのかどうかなどの記録について私は知らないが、眼を閉じると大好きな立身流について語り合っている二人の姿が浮かんでくる。
2、立身流の技法
立身流の実技では、まず、礼法や俰(やわら)での姿勢(すなわち構(かまえ))などを学び、更に立合目録に含まれる刀術の基礎の桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)を学んで基礎を形作る。
次に形(かた)に入る。形とは技(わざ)毎に類型化された動作の決め事である。形を打つ際の受方(打太刀)は教える師匠であり、仕方(仕太刀)は教わる弟子である。仙の師匠は逸見忠蔵であり、諭吉の師匠は中村庄兵衛である。
立身流は武術の教育体系でもあるし、形はその履修課程でもある。
実際の戦では何が起きるかわからない。形の錬磨はその起こり得る全てに対応できる身体と技を創(つく)りあげるための手段である。そして最終的には「我体自由自在(わがたいじゆうじざい)」(立身流秘伝之書)の域に達しなければならない。自由自在に動けなければ、無限にある敵の攻撃手段方法を制することはできない。
立身流の技法修得の最終目標は、自由自在な体と技を創り上げることにある。
3、立身流の心法
ところで、いかに技を取得しても、いざという時にすくんでしまって動けないのでは意味ない。そこで心の持ち方、心法が必要となる。立身流で「心の術」といわれるものである(後記道歌参照)。
立身流では、身体が動けなくなってしまう原因の心として七つを挙げる。驚(きょう)(おどろく)・懼(く)(おそれる)・疑(ぎ)(うたがう)・惑(わく)(まどう)・緩(かん)(ゆるむ)・怒(ぬ)(いかる)・焦(しょう)(あせる)である。
これらに支配されずにどのような事態にも対応できる自由自在な心、すなわち無念無想の心は「空(くう)」とも表現される(後記参考1参照)。
立身流理談之巻には次の道歌が記載されている。
「人も空 打たるる我も空なれば 打つ手も空よ 打つ太刀も空」
自由自在な心と自由自在な体とは表裏一体である。技法と心法は表裏一体である。
その様を示した形が立身流の「一心円光剣」であり、立身新流では「一心円明剣」という。
どのような環境にでも適応し、克服し、前進できる人間になろう、これが立身流修行の目的である。
4、日本武術の特性
精神の自由、身体の自由という目的意識を持っていたのは立身流だけではない。
例えば、二天一流(にてんいちりゅう)の宮本武蔵(むさし)は「自由」の語を使い、五輪書の最終章は「空之巻」である。
新陰流(しんかげりゅう)の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)も「自由自在」「空の心持」という。
日本武術は、精神の自由と身体の自由を普遍的に求めた。ただ、その具体的な道筋が流派毎に異なっているだけである。
行動の一場面としてそれがあらわれるのが「死を恐れない」ということ(後記参考2参照)である。
これが武士の武術教育である。
正(ただ)しく人間形成の道であり、人間形成の術である。
5、自由で自在な自分の発露の人生
仙も諭吉も、立身流修行のめざす理想、目的を叩き込まれ、理解していたはずである。
仙が許された立身流居合目録之巻には次の道歌が記載されている。
「いか程に 道具や業(わざ)や ありとても 心の術に 勝るべきかは」
仙も諭吉も、立身流の教えと修行に基づいた自由闊達な精神と身体の下、のびのびした心と体で実践を尽くし、各方面に活躍したのである。
参考1 立身流眼光利之巻より
「…無極而太極妄意謂無極而太極者非老子之出無入有與佛之所謂空也(むきょくにして たいきょくは いを むなしゅうするを いう。むきょくにして たいきょくは ろうしの むをいでて ゆうにいる にあらず。ほとけの あたえる ところの くうをいうなり)…」
参考2 立身流眼光利之巻より
「…義者示其處死(ぎは その しすところを しめす)…」
「…則士不顧其死(すなわち しは そのしを かえりみず)…」
参考文献
加藤高 加藤紘共著『立身流之形 第一巻』掲載の各宗家論考
加藤紘『立身流之形 第二巻』掲載の各宗家論考
立身流HP掲載の各宗家論考
特に 「津田梅子の父・津田仙と立身流」
「明治期の立身新流と立身当流~福澤諭吉の述懐との関連で~」
「福澤先生と立身新流居合」
「五輪書「足づかひの事」記載の解釈~立身流と照らし合せて」
以上