五輪書「足づかひの事」記載の解釈 ~立身流と照らし合せて

立身流第22代宗家 加藤 紘
令和2年(2020年)6月7日掲載/令和4年10月27日改訂(禁転載)

第一、はじめに

一、宮本武蔵(以下、武蔵という)の「五輪書」(以下、岩波文庫版「五輪書」校注者 渡辺一郎 1985年2月18日岩波書店発行を本書といい、引用頁数を示します)48頁に、

「一 足づかひの事
足のはこびやうのこと、つまさきを少しうけて、きびすをつよく踏むべし。足づかひは、ことによりて大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。…」

(以下、設文という)とあります。

設文については拙稿「立身流に於る足蹈(あしぶみ)と刀の指様(さしよう)」(立身流之形 第二巻104頁以下。以下「前掲論考」という)で触れました。

二、ところが、その前掲論考と異なり、「設文では、歩きながら斬るときも構えた時も、前足だけでなく後ろ足も、爪先は浮かせて地から離し、踵は地に着け強く踏みしめてなければならない、と述べられている」と解釈する方がいらっしゃる、とのことで質問を受けました。
私は武蔵の流門系の者ではないのですが、敢えて結論を述べさせていただくと、そのような解釈は誤りであって、武蔵はそのようには述べていません。そもそも、そのように「歩む」ことができるのでしょうか(前掲論考参照)。

第二、本稿の位置付け

先ずは前掲論考をご覧ください。立身流の見地から設文にふれていますが、これをお読みいただいただけでも前記結論が導き出されます。
本稿は、設文の解釈に関係する範囲のみに限定して考察し、前掲論考を補完するものです。柳生新陰流の史料をも参照いたします。

第三、出発点…足蹈と刀の指様の関係 (前掲論考の表題参照)

一、前掲論考では、立身流序之巻の記載の引用に次いで、このように記しました。
「屋外では常に大刀を帯刀し、歩くとき走るときも腰にあります。脇差を腰にし、時には短刀をも腰にします。」
太刀については腰に差しても、佩(は)いても同じです。
帯刀者である武道者の代表例は武士です。

二、武蔵も本書で同じことを述べています。
 26頁「武士は…二刀を腰に付くる役也。」
 11頁「夫兵法といふ事、武家の法なり。」
 12頁「武士たるものは…兵の法をばつとむべき事なり。」
そして
 46頁 「惣而(そうじて)兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事肝要也。」

三、兵法者すなわち武道者の足蹈は、最低限、帯刀に適合した歩み方でなければなりません。
いいかえれば、武道者の歩みは最低限、帯刀して歩みやすい歩みであり、帯刀して歩みやすい歩みは、武道者としての歩みの出発点だということです。
帯刀を想定しない歩みの研究は、武道者の歩みとは直接には関係のない研究だということになります。

四、帯刀しての歩みや走りを感得することが必要です。
「腰の刀から手を離し、長距離長時間を二キログラム弱の真刀を腰にして、できれば脇差、短刀も差して歩いてみてください。」(前掲論考)。これが武士の日常です。
刀の重さ、重心、上下前後左右への揺れ,歩みによる反動、長距離歩行による崩れなどが理解できるはずです。
その状況下で最も安定する「足蹈」を、「刀の指様」と共にまずは探らなければなりません。
現代の日常が刀具と無縁であることが、後記の「常の歩み」を理解しにくい、あるいは誤解される一因と思われます。

第四、設文理解の前提…「自由」「常」「歩み」

一、(身体の)「自由」「自由自在」
本書には随所に「自由」の語がでてきます(25頁、79頁など)。
37頁と74頁には「惣躰自由」とあり、これは立身流秘伝之書での「我體自由自在」(拙稿「立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)」参照)と同義とおもわれます。
ちなみに、柳生宗矩(以下、宗矩という)著「兵法家伝書」(岩波文庫版「兵法家伝書 付 新陰流兵法目録事」校注者 渡辺一郎。以下、家伝書という)にも「自由」の語がみられ(30頁、61頁、74頁、91頁、107頁、115頁、117頁)、106頁には「自由自在」とあり、ここにも上記の立身流と同じ語句が示されています。
武蔵は勿論、立身流を含む日本伝統武道では、身体そして心の自由を希求していることがよくわかります。
武蔵のいう「足づかひ」も、あるべき身体の「自由」の一環として解釈せねばなりません。例えば「いつくという事を嫌」(本書48頁)います。

二、常(の歩み)  
武蔵が「常」の字を随所にちりばめているのも前掲論考記載のとおりです。
本書では、「常の心…常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、」43頁、「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事」46頁、「常住」47頁の他、本稿に直接関係する足の動きについては、「常に歩むがごとし」48頁設文、「我兵法におゐて、足に替わる事なし、常の道をあゆむがごとし。」128頁、「一 足ぶみの事 足づかひ、時々により、大小遅速は有れ共、常にあゆむがごとし。…」143頁、「…常にあゆむ足也。能々吟味在るべし。」148頁とされています。

ちなみに家伝書でも、「…平常心…常の心…常の心…」55頁、「…常の心…常の心…」56頁、「…平常心…平常心…」57頁、「平常心」58頁、「常の心」59頁・73頁・115頁の他、本稿に直接関係する足の動きについては「一 歩みの事 歩みは、早きもあしく、遅きもあしし。常のごとくするすると何んとなき歩みよし。」72頁と記されます。

武蔵は勿論、立身流(前掲論考及び拙稿「立身流傳書と允許」の注2・第三参照)を含む日本伝統武道では、いかに「常」「平常」が重視されているかがわかります。
これは、上記一、に述べた自由が通常の日常生活中でも発現すべきことを意味します。

三、歩み 
前記のとおり、歩み(走りを含む)は武道の礎であり、出発点です(後記参考(1)参照)。戦場でも日常でも、原則、歩かねばなりません。それらの動きの上に武道があります。
武道者の日常生活での歩みは武道での歩みと同じであるのが理想で、それは必然的に身体の自由を希求するものでなければなりません。
常態としてあるべき歩き方ですから、武道者として修練を積むべき武道としての礼法でもあります。立身流礼法(特に後記の「足蹈」)については拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」を参照してください。この稿と前掲論考に「常の歩み」の内容も説明しました。走りについては、拙稿「立身流剣術表(之形)に於る足どり」を参照してください。
なお、後記「足づかひ」を参照してください。

四、「あしぶみ」の「ふむ」の用字…「踏」と「蹈」
(1)
五輪書には武蔵直筆の原文はないとも、原文は平仮名だけだったとも云われていますが、本書で「ふむ」は、平仮名(127頁・128頁・143頁)での記載の他は「踏」の字が使われています(48頁・128頁)。

(2) 私は武道での足使いについては、もちろん例外はありますが、原則として「踏」の字を充てるのは妥当でなく「蹈」の字を充てるべきと考えています。
前掲論考に『「蹈足」であって「踏足」ではないのです。』と記したように立身流の用字がそうです(後記参考(1)及び前掲拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」参照)。
家伝書79頁では「足ぶみ」となっていますが、柳生延春先生(以下、延春先生という)著「柳生心陰流道眼」(平成8年6月1日 株式会社島津書房発行。以下、道眼という)頁前の巻頭の「始終不捨書」(柳生兵庫助利厳(以下、兵庫助という)著)原文の十三には「・・・足ヲ無ニ蹈出シ・・・」、十六には「一足ヲ蹈習之事」となっていて「踏」の字は使われていません。

(3) 大漢和辞典(以下、大漢和辞典という)巻十(著者 諸橋轍次 昭和61年9月1日修訂版第七刷発行 株式会社大修館書店)を抜粋します。

 926頁
  踏 ふむ。㋑足をあげ、又、地に著ける。㋺ふみつける。ふみおさえる。
 943頁以下 
  蹈 ふむ。㋑足を地につける。㋺ゆく。行くさま。あるく。
    うごく

「踏」は歩きと関係なく、足をあげ、又、地に著ける動作、典型的にはふみつける動作です。
「蹈」は、あるきうごく足を地につける動作です。

これら漢字本来の意味からも武道での「あしぶみ」は原則「足蹈」とすべきです。

(4) 「蹈」ではなく「踏」の字を使用することで、本来は「ふむ」「蹈む」にはないはずの「踏みつける」という感覚が無意識的に働き、武道での足使いの解釈に影響を及ぼしている面があるように思われます。
他方、例えば本書148頁「剣を踏む」は「踏」で妥当だということになるでしょう(本書89頁以下参照)。
本書での、例えば設文での「ふむ」は、「あるきうごく足を地につける動作、すなわち、蹈」を意味すると理解すべきです。
但し、本稿で文献引用の場合はすべて原文の用字に從っています。

第五、設文での「足づかひ」・「足のはこびやう」・「つまさきを少しうけて」・「きびすをつよく踏むべし」

一、「足のはこびやう」
(1)
「はこび」というのは「はこぶ」動作を意味します。運び終わった後の状態を意味しません。人間には両足あります。前へ歩いているときの両足をみると、前足が右足の場合を例にとれば、動いて蹈出して動作しているのは右足です。運ばれているのは右足であって、残っている後ろ足(この場合は左足)ではありません。地につく動作をする、すなわち蹈んでいるのは前足(右足)であって、後ろ足(左足)ではありません。
つまり、ここで武蔵がのべているのは前足(右足)についてのみであって、後ろ足(左足)ついては述べていません。

(2) 兵庫助は前出「始終不捨書」で(道眼記載原文の九)、「一 足ハ懸ル時モ退ク時モ跬タ浮キタル心持之事」と述べています。「跬」とは大漢和辞典によれば「ひとあし。一足を挙げる。」意です。新修漢和大辞典(小柳司気太著 株式会社博友社 昭和36年12月10日増補第17版発行)には「カタアシ 一足をあげること」とあります。「浮キタル心持」なのは片足すなわち前例での前足(右足)であって両足ではありません。なお、「跬タ」の読みは、片足を意味するものとしての「カタ」でよいと思いますが、延春先生は「カタカタ」と読んでおられます(道眼187頁)。

二、「足づかひ」
これに対し、表題としての「一、足づかひの事」の「足づかひ」は、足の使い方を総体的に示していますから、ここでの「足」とは右足左足の両足ないしその関係を、つまりは「歩み」を意味するものでしょう。
設文でも、「常にあゆむがごとし」であるのは「足づかひ」なのですから、武蔵は「足づかひ」を両足での「あゆみ」を念頭に置いた語としてとらえていることになります。
そして武蔵は、「足のはこびやうの事」の説明を記載した後、わざわざ文章を分けて、「足づかひは、・・・常にあゆむがごとし。」と更に記しています。その意図は、両足の「足づかひ」の両足のうち、特に「はこぶ足」(前足)についてはこの通りだが、そもそも常の歩みの両足での前足がそのようなものなのですよ、と説明していると理解できます。

三、「つまさきを少しうけて」
(1)
ここの「うけて」は、「浮けて」と「浮」を充てるのが一般のようです。
私は、あるいは他の漢字を充ててもよいのではないかと考えています(例えば「請」)が、いずれにしても「うけて」の意味は、「常の歩み」「惣躰自由」の下の動作ないし状態として解釈しなければなりません。
居着いたりしてはいけません。本書48頁に「いつくは、しぬる手」とありますが、「いつく」は「居着く」と書かれるのが普通で、その語感からむしろ足に関していわれることが多い言葉です。
ところが、「うけて」を「浮かして」と解し、さらにそれを「床に触れないように(少し)上にあげて」と解して足指先を持ち上げる意味とするのでは、足をことさらに力ませることになり、ひいては足を居着かせることになってしまいます。

(2) 椅子に坐って右足を左膝の上に乗せてみてください。右足指に力を入れなければ自然に右足指は右足裏の平面より上がっている(浮いている)筈です。その状況は力まない限り「足のはこび」すなわち歩みで蹈出すときも全く同様です。
武蔵はこのことを言っているのだと私は解釈しています。
足裏が地に着いた後はどうなるかですが、地に着いた後も足指に力をいれず力まないのですから、指は軽く地に接することになります。
前掲論考に「地面に平行に着地し、かつ力みの入っていない足の爪先裏は自然に浮き加減となります。」と記したとおりです。

(3) 道眼187頁に『兵法歌に、…「懸ル時も退ク時モ足ハタダヰツカヌヤウニ使ウべキナリ」とある。』とあり、又、188頁に「うくるとは自然の勢位をもって爪先を浮ける--爪先をわずかに軽く上向し--はねるようにするのを好習とし、そのつくりつけを戒めて平常歩を提示したものである。」とされるのは、上記(2)と同旨と理解します。 

四、「きびすをつよく踏むべし」
ここはこの言葉どおりです。
注意すべきは、この言葉を極端にとらえ、踵(かかと)だけが(まず)地に着く、と解釈しないことです。「地面に接触する瞬間に踵を主とする足裏全体で、力むことなく強く蹈みます。」と前掲論考に記したとおりです。
この足蹈を身につけるための稽古方法が、立身流居合の立合序之形の「蹈足」といわれるものであることも前掲論考のとおりです。蹈足では「足の裏全体で蹈みますが、特に踵を床が抜けるほどに強く打ちつけます。」(前掲論考)。

第六、後ろ足

一、「足づかひ」の意味および、前足については述べました。
それでは後ろ足(前例での左足)のつま先と踵はどうなるのか。この点について武蔵は設文で「足づかひは、ことによりて大小・遅速はありとも、常に歩むがごとし。」として「常に歩むがごとし」とのみ示し、これに加えて、悪い例を示しています。
要は自由な身体の自由な足による常の歩みの後ろ足でしょう。

二、後ろ足のつま先は、そのまま地に接しているでしょう。力まないで後ろ足のつま先を上げて地から離し続けることは不可能です。
踵は、前掲論考に「後ろの足の踵は歩むとき軽く浮きます。」「棒立ちになったり、後ろ足の踵が極端に上がったりしません。」「後ろ足の踵が全く浮かない歩みはありません。」と述べたとおりです。
家伝書37頁には「一 あとの足をひらく心持の事」とあります。「心持」とあることに要注意です。

第七、構での両足

五輪書では、構の場合の足についての特別の記述はありません。構について述べている本書49頁以下、51頁乃至57頁・73頁・123頁以下・154頁のいずれにも足についてはふれられていません。
要は構えを取った時点での歩みの足であればよいのです。
ちなみに、家伝書にも構の足についての特別記述はありません(家伝書38頁「一 かまへは…」参照)。

第八、甲冑着用時

一、設文に関し、甲冑着用時の足と着用していない時の足は全く異なる、ひいては武術内容も異なるので、形も異なるし、稽古内容も異なる、と述べる方がいらっしゃるそうです。
これも誤りと言わざるをえません。
設文自体、甲冑着用の有無で分けることなく、全て「常にあゆむがごとし。」です。
甲冑着用時でもそうでなくても、原理原則は全く同一なのです。

二、本書等の記載
設文については上記一、のとおりです。
本書32頁では合戦に関し諸武具について述べられていますが、足づかひにはふれられていません。
本書127頁以下では「浮足」を嫌う「其故」として合戦にふれています。しかしこの「其故」は理由というよりも、本来いけない浮足だが「たゝかいになりては、必ず足のうきたがるものなれば」注意しなさい、といっているのです。合戦時で甲冑を着用していても、着用していない時と同様「我兵法におゐて、足に替る事なし、常の道をあゆむがごとし。」(本書128頁)なのです。
家伝書にも甲冑着用の有無で足につき区別する旨の記載は一切ありません。前出の「常(の歩み)」に関する72頁、「足ぶみ」に関する79頁を参照してください。
道眼での明確な記述については後記六(2)を参照してください。甲冑着用時の剣術が甲冑不着用の剣術に「止揚」されたのです。

三、時代性
武蔵も宗矩も戦場では甲冑着用の時代でした。しかし常日頃の日常が戦場にあるわけではありません。日常生活は甲冑を着用していません。その二人が「常にあゆむがごとし」(武蔵)、「常のごとくするすると何んとなき歩みよし」(宗矩)と述べています。その「常」とは、強いて言葉として言うならば甲冑を着用していない場面でしょう。
太平の世を経て、幕末から再び戦乱が続き、甲冑着用の機会が増えました。しかしだからと言って、その頃、甲冑を着用しない武術から全く異なる甲冑武術に変わり、形も変わったわけではありません。
その明治初期までの合戦での武術が、明治中葉の警視庁流、明治後期の大日本武徳会、その他、学生・学校・道場などでの武術武道に繋がっていきます。

四、「武道、剣道は発達してきたのでして、それぞれの時代の最先端を行く流派は、その根幹を崩さずに保持したうえで、時代に合わせて進化し、深化してきました。…時代を遡らせた形態を基本とすることはこの発達の歴史を無視することに外ならず一般的に無益有害です。」(拙稿「立身流に於る下緒の取扱」。なお後記参考(2)参照)
武道は時代による変化を吸収してきたのです。そして、いわゆる素肌剣法で鍛え上げられた武芸は、即、合戦でのいわゆる甲冑剣法になり得るのです。
ただ、重く、身体の動きの制約となる甲冑着用時にはそれに適合した動きをする必要があります。しかし、それをのみ特別に稽古する必要はなく、心得として承知しており、甲冑に慣れていればよい程度、と立身流ではとらえています。
武術錬磨の稽古は甲冑の着用なしで行われ、これにより甲冑着用の場合をも含めた武術が習得されていきます。

五、立身流での実例を拙稿からひいてみます。
(1)
「その(武道の)最盛時は実戦との関係でも幕末と言え、流派武道の古流としての形態の踏襲は幕末が基準になります。立身流草創の戦国時代以来の形態は幕末時の形態にすべて包摂されています」(前掲「立身流に於る下緒の取扱」)

(2) 「第五 足蹈(実演)…両足は成る可く平行となります(甲冑を着用しているときはやや異なる)。」(前掲「立身流に学ぶ~礼法から術技へ」)

(3) 「立身流着具之次第」(前掲論考)

(4) 「刀長短ハソノ人具足ヲ着テ能振ル程ヲ吉ト言 平日ト違 小手ヲ差テ抜兼ルモノナリ」⦅拙稿『立身流に於る「圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理…」(立身流変働之巻) 第十二』

六、立身流の「竪Ⅰ横一」との関係
(1)
本書45頁の「一 兵法の身なりのこと」では、「鼻すじ直にして」「くびはうしろのすじを直に」「背すじをろくに」(「ろく」とは、広辞苑によれば、まっすぐなこと。)などとされ、「常の身を兵法の身とし、兵法の身をつねの身とする事肝要也。」として、甲冑着用の有無による区別をしていません。143頁でも同様です。

(2) 兵庫助も武蔵や宗矩とほぼ同時代の人です。その兵庫助は始終不捨書で「一 直立タル身之位事」(道眼記載原文の九)と示し、道眼180頁には『兵庫助利厳の兵法歌に、「直立ツタ身トハ自由ノスガタニテ位トイフニナホ心アリ」「位トハ行住坐臥ニ直立ツモノゾ位ナリケリ」とある。』と紹介され、同181頁で延春先生はこれを『「真の自然体」といってもよい。』と述べておられます。」
兵庫助はさらに、始終不捨書(道眼記載原文の十)で「一 身ノ持様高上ニテ下ルハ好シ低シテ高上難成シ重ヽ口傳」とし、道眼200頁で延春先生はこれを「高上なる身の位から低く下げる働きをするのは好ましが、いつも低い身で懸かって、高上なわざはなかなかできがたいことを重々口伝して低く沈んだ身の位を禁習とした」と述べられています。
これは、「大きな動き方が身につけば、同じ動き方を小さくすることもできますが、小さい動き方ができたからといって大きい動き方までできるものではありません。」(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」参照)という立身流の教えと同趣旨と理解できます。前記四で述べたことの一つの現れです。
さらに延春先生は、『利厳の兵法書、「始終不捨書」には「沈なる身」の介者剣術を止揚して、「直立つる身」の兵法を創り出した術理」』(道眼17頁)と記され、明確に「止揚」とされています。「止揚」したのですから、以降「沈なる身」と「直立つる身」が併存したわけではありません。

(3) 立身流では、姿勢につき「竪Ⅰ横一(たていちよこいち)」という言葉があります(後記参考(3))。「竪Ⅰ横一」については前掲拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」及び拙稿『立身流に於る、師、弟子、行儀、と剣道の「一本」』を参照してください。
上記(1)及び(2)で述べられている内容の姿勢は、立身流の「竪Ⅰ横一」とその内容に相通ずるものです。
なお、「身構」での「横一竪Ⅰ」(後記参考(4))についても上記二編で述べました。これは兵庫助が始終不捨書で「一 高キ構ニ弥高ク展ヒアカリテ仕懸ル位之事」(道眼記載原文の九)と述べる内容と相通じます。

第九、総括~形との関係

一、本稿で考察した「足づかひ」の内容全ては、古流各流派の形に凝縮されて存在するはずです。
「足づかひ」は、その流派の基本稽古から形稽古や地稽古(立身流での乱打や乱合)等の稽古の途上で練り上げられ、鍛え上げられ、修得されていきます。
設文の解読理解は、本来ならば、形を中心とする稽古の中で、時間をかけて身につけながらその都度吟味されていくものです(後記参考(5)参照)。武蔵のいう「能々(よくよく)吟味すべし」「能々工夫(くふう)あるべし」です。

二、形は、その流儀の歴史を背景として、実践と思索により醸成されてきました。
その意義は実用性だけはありません。歴史的に醸成された形が鍛えられた演武で表現され、そこに込められる技法と心法を直視すれば、芸術性を含めて、叡智と実践の結晶としての文化的価値を感受できるのではないかと思います(拙稿「立身流居合に於る鞘引と鞘(の)戻(し)~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~」第十 竪Ⅰ横一 参照)。
「足づかひ」にもそのような視点からの理解が必要なのではないかと考えます。


参考
(1)「足蹈は大方(おおかた)物の始めにて いえの土台の曲尺(かね)としるへし」
  [立身流俰極意之巻] (拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」参照)
(2)「世盤(よは)広し折によりても替わるへし 我知る計りよしとおもふな」
  [立身流理談之巻]  
(3)「十の字を我身の曲尺(かね)と心得て 竪もⅠなり横も一なり」
  [立身流立合目録之巻](拙稿『立身流に於る、師、弟子、行儀、と剣道の「一本」』参照)
(4)「身構は横も一なり竪もⅠ 十の文字こそ曲尺合としれ」
  [立身流俰極意之巻](拙稿 同 参照)
(5)「立身流古文書類ノ研究解明ハ必ズ実技修得後ニ於イテ実技ニ照ラシテナス事 実技ト理合ノ対応九ナキ研究解明ハ判断ヲ誤ル場合少ナカラズ 注意スべシ」
  [立身流入堂訓第九条]

以上

立身流剣術表(之形)に於る足どり

立身流第22代宗家 加藤 紘
[平成27年11月1日掲載(禁転載)]

第一、立身流剣術表(之形)での足どりの態様

1、はじめに
ここで言う「足どり」とは、立身流剣術表(之形)に於て、斬撃突などの前及び後の足蹈のことで、主にその速さの面での態様の種類を意味します。
この足どりが、剣術表(之形)以外の形や他の武技の足蹈に応用されます。
武道の技は斬撃突極(きめ)中(あて)投(なげ)等の行為のみで成立するのではありません。その前後の行為と一体をなし、一連となって初めて意味を持ちます。ひいては戦場ばかりでなく、日常の行為と関連し、礼法(立身流礼法)へと連なることにもなります。

2、立身流剣術表(之形)での足どりの態様の種類
足どりは次の5種類に分類されます。

① 静歩(せいほ)
 通常よりもゆっくりした歩みです。可能な限りゆっくりした動きもここに含まれます。
② 常歩(じょうほ)
 通常の速さの歩みです。
③ 速歩(そくほ)
 通常より速く、しかし走るには至らない歩みです。
小走り
 いわゆる小走りと同じで、帯刀しての通常の走り方です。
走り
 できる限り速い走りを含む走りです。この走りは帯刀の取扱いに難があり、しかも武道での走りはスピードを競うわけでなく、速ければいいというものではないので、通常は行われません。

3、足どりの種類間の相違点は速度(及びこれに関連する体勢)だけです。
したがって、足どりの種類にかかわらず、常に足蹈の原則をみたしてなければいけません。
その内容は、拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」及び「立身流に於る足蹈と刀の指様」に述べたとおりです。

4、立身流剣術表之形の修行や演武の場合、足どりの種類を明確に判別して動かなければなりません。実戦や応用でこれが崩れるときもありますが、基本となる形のうえではその違いを崩してはいけません。
小さい差異でもその差異をはっきり認識でき動きをすることで初めて稽古と言えます。違いをはっきりさせない稽古は、はっきりさせるだけの力量のない者がごまかして曖昧にしているだけで、稽古とは言えません。そしてその違いが全体としての動きに冴えを生じ、かつ美を生ずることになります。

第二、立身流剣術表(之形)での足どりの方法

1、立身流剣術表(之形)序(之形)(6本。陰を含めて8本)での足どり
受方仕方ともに(以下、指定のない場合は同じ)、常に静歩を原則とする。仕方の位詰により受方が後退するときは常歩でもよい。

2、立身流剣術表(之形)破(之形)(提刀の向と圓を含む8本)での足どり
張以外は打間に入るまでは常歩。張で打間に入るまでは小走り。
打突の後、位詰する仕方は静歩、後退する受方は急歩。
中央に戻るのは小走り。
開始の位置に戻るのは常歩(又は静歩)。提刀の二本は納刀してから開始の位置へ戻り始める。

3、立身流剣術表(之形)急(之形)(提刀の向と圓を含む8本)での足どり
打間に入るまで、全て小走り。張は破の場合と同じになる。
その他は全て破と同様。

以上

立身流に於る 足蹈と刀の指様

立身流第22代宗家 加藤紘
平成27年8月2日(日)
立身流特別講習会資料
[平成27年1月21日掲載/平成27年8月19日改訂(禁転載)]

第一、立身流序之巻より

一、立身流序之巻の中に次の記載があります。1590年代に分流した立身新流抜合(いあい)序之軸にも同一の文章が含まれています。

「夫 為武之備 有干戈 有戟杖 為其器也 転多 為其利也 又不少 雖然 何 有以帯腰之利剣者乎 為其干戈戟杖者 不軍卒闘戦之砌諸侯行路之次 則 其外 多 是 可用之歟 正 是 為此利刀具也 二六時中 不可離身之者也・・・」

「それ ぶのそなえたるや、かんかあり げきじょうあり。そのきたるや、うたた おおし。その りたるや、また すくなからず。しかりといえども、 なんぞ たいようのりけんにしくものあらんか。そのかんかげきじょうたるは、 ぐんそつとうせんのみぎりしょこうこうろのじならざれば、すなわち そのほか おおく これ これをもちうべきか。まさに これ このりをなすや とうぐなり。にろくじちゅう みをはなすべからざるのものなり。・・・」

二、帯腰の利剣は、社会生活日常生活で身から離しません。

屋外では常に大刀を帯刀し、歩くとき走るときも腰にあります。脇差を腰にし、時には短刀をも腰にします。
刀術、特に居合は、戦場だけでなく日常生活での歩みや走りを前提にしています(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」第五、足蹈(実演)参照)。
戦場でも歩くか騎馬です。
居合は、普通に歩きながら抜いて請流します。あるいは普通に走ってきて抜いて斬ります。
事前に刀を抜く余裕がある場合は、刀を抜いておいて剣術に入ればいいのでして、それが原則です(後記参考1、参照)。

第二、足蹈 (あしぶみ)

一、立身流に於る歩み(足蹈)の重要性
立身流では、歩み方(走り方を含む)が一番むつかしいといわれてきました。
武道での歩みには厳しい稽古と鍛錬による技術の習得が必要です。
前掲拙稿にも示した立身流道歌を記します。

  • 足蹈は大方物の始めにて いえの土台の曲尺と知るへし [立身流俰極意之巻]
  • 行水の淀まぬ程をみても猶 わが足蹈をおもいあはせよ [立身流立合目録之巻]
  • 敵は波 我は浮きたる水鳥の 馴れてなれぬる足蹈をしれ [立身流立合目録之巻]
  • 足蹈は常の歩みの如くして おくれし足はかかと浮へよ [立身流歌]

常の歩みといっても、個人の癖や身体状況精神状況を含んだ、その個人個人のあるがままの歩きがそのまま良いものなのではありません。その個人にとって一番楽な歩き方が武道においての常の歩みではありません。
「常の歩みの如くして」なのです。

二、宮本武蔵の足蹈
加藤髙先代宗家は宮本武蔵を尊敬していました。
平常の動作を追及するなど、立身流の認識や感覚と共通するところが多く、説く内容に似るところが多い故かと思われます。
その宮本武蔵が足蹈についても立身流と同様の表現をしています。

「一 足つかひの事
足の はこひやうの事 つまさきを少うけて きひすをつよくふむへし 足つかいは ことによりて大小遅速はありとも 常にあゆむかことし」

「一 他流に足つかひ有事
我兵法におゐて 足に替わる事なし 常の道をあゆむかことし」
(以上、五輪書)

「一 足ふみの事
足つかい時々により 大小遅速は有れ共 常にあゆむかことし」
(兵法三十五箇条)

武蔵は五輪書に「常にも 兵法の時にも 少も かはらすして」と述べ、同趣旨の言葉を随所にちりばめています。そして例えば「常の心」が単にその人の平常の気持を意味するのではないのと同じく、「常にあゆむがことし」というのは、その人の普段の歩き方そのものが良いのだ、と述べているわけではありません。

三、常の歩みの内容
武道としての常の歩みはただ歩けばいいというものではありません。
前掲拙稿から引用します。

「立姿から、眼に見えない程少々重心が前に移り、足がこれについてきて、歩み始めます。両足はなるべく平行となります(甲冑を着用しているときはやや異なる)。また、無理に足を上げません。後の足の踵は歩むとき軽く浮きます。」
「身体の上下動、左右動、前後の揺れ、身体の捻じれ等がない自然の歩み、常の歩みをします。竪Ⅰ横一を歩みや走りでも維持するのです。左への転回、右への転回、左回り後への転回、右回り後への転回、四方への転回等でも同様です。更に後進、左への後進、右への後進、左回り後進、右回り後進等でも同様です。」

腰と肩、頭がよどみなく一定速度で前進します。

そのためには、膝が曲らず、突っ張らない程度に軽く緩み、しかも弾力性をもっていることが必要です。
両足裏は地面からなるべく離れず、又、なるべく地面と平行して動きます。後足の踵は、足が地面を離れる前に軽く浮きますが、その浮く程度を大きくしません。
なるべく大地と足裏との距離をとらず、大地を介しての我身の自由な動きの可能性を保持します。
後足は腰の下から振られていくような感覚で前へ移動します。そして地面に接触する瞬間に踵(かかと)を主とする足裏全体で、力むことなく強く蹈みます。
地面に平行に着地し、かつ力みの入っていない足の爪先裏は自然に浮き加減となります。
泥土など滑るところでは逆に足指で地を摑むようにします。

これは、刀を腰に帯びて歩くのに適した歩き方でもあります。

道を普通に歩くとき、腰を大きく落としたり、膝を曲げたり、常に踵を地に着けていたりしません。
一歩ずつ右半身と左半身を繰返すものでもありません。
強い蟹股足をとるわけでもありません。
足裏を地面につけたままでの摺り足で道をあるくことは普通ありません。
棒立ちになったり、後ろ足の踵が極端に上がったりしません。
居着きません。

四、常の歩みと刀術特に居合との関係
居合は歩きます。歩きに歩いて、その歩きの中の一瞬に抜刀します。
その武道的な常の歩みにも、後足の踵が全く浮かない歩みはありません。武道としての走りにも、後足の踵が浮かない走りはありません。
このような歩み、走りにのるのですから、刀術とくに居合は、後足の踵が軽く浮いたまま請流し、後足の踵が軽く浮いたまま斬りつけ、斬るのが原則です。そして打突の後も常の歩み、常の走りです。
勿論、重い甲冑着用の場合には様相が異なることは前掲拙稿記載のとおりです(後記参考2参照)。
ただ、甲冑着用の場合の足蹈の為に、特別の厳しい稽古を必要とするわけではありません。着用そのものに慣れれば、着用した状況に適合した歩みになります。

武道としての歩みと日常生活社会生活での歩みは一致するのが理想です。しかし、屋内では可能としても、履物なども異なる現代にこれを完全に求めるのは無理があるでしょう。

五、「蹈足 (ふみあし)
立身流居合の立合表序には、(足蹈でなく)「蹈足(ふみあし)」と称される独特の動作があります。
これは、前述した「常の歩み」を身につけるための基本的稽古方法です。
特に、常の歩みの延長上にある斬撃突での、前に進む足の足蹈の強さと速さの習得を目的とします。
右足を蹈みますが、右足の蹈足ができれば左足の蹈足もできるようになります。

竪Ⅰ横一を崩さずに、常の歩みの歩幅で、進める足を上げずに重心移動をし、力むことなく、大地を踏み抜くような強さ、早さ、確実さのある足蹈を得る稽古です。
足の裏全体で蹈みますが、特に踵を床が抜けるほどに強く打ちつけます。
木の床の上では、大きな、澄んで張りのある、心地よい音が響きわたります。
蹈む足をもち上げ、わざと大きな音をたてては絶対にいけません。
踏みつけてはいけません。
「蹈足」であって「踏足」ではないのです。

蹈足ができれば、無音の足蹈でも、歩幅の広い足蹈でも、強く、速く、確実に足を蹈み、安定した姿勢のまま重心移動することができるようになります。ひいては、姿勢を崩さずして敵の太刀筋を避けつつ斬撃突を強く速く確実にすることが可能になります。
たとえば、蹈足に正確な手の伸びが加わるだけで、本当の突ができるようになります。

この点については、別稿の「立身流に於る「躰用者則刀抜出体」と「蹈足」」で触れる予定です。

六、参考に、立身流刀術での走る形をあげてみます。
(1)居合の立合での前後。
(2)剣術表之形の破の張。
走りつつ八相から中段に変化します。
(3)剣術表之形の急。
勿論、受方仕方ともに居合である7本目の提刀向、8本目の提刀圓を含みます。提刀では擁刀して走ります。
提刀以外では構えたまま走り、あるいは走りつつ構が変化します。

七、ちなみに、立身流で敵の足を斬る形をあげてみます。
(1)剣術表之形の大(体)斜
刀の長さに応じて腰を落とし敵の右膝を斬ります。
状況により折敷くこともあります。
(2)長刀
半円を描くごとくして、敵の右足脛(すね)を、その外側あるいは内側から斬ります。

第三、刀の指様

一、概要
1、帯腰の位置など刀の指様(さしよう。立身流では「差」でなく「指」の字を通常用います。)は日常生活での歩きや走りに沿ったものでなければなりません。

2、大刀、脇差、短刀の帯への指方(さしかた)は、拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録) 第三、礼 7、提刀、帯刀(実演)」で触れたとおりです。刀をどこに指すかについては拙稿「立身流に於る 下緒の取扱」の「参考2、「立身流聞書」(第21代宗家 加藤高筆)より引用」を参照してください。
そして、大刀は傾斜を持って帯刀し、脇差は水平に近く指します。したがって大刀の柄頭の高さは脇差の柄頭より高くなります。大刀の柄頭が身体のほぼ正中線上、脇差は鍔が身体のほぼ正中線上です。

二、大刀の指様
指様で重要なのは、大刀についてです。

1、大刀は左腰骨に乗せます。左腰骨には大刀の重心付近が乗るようにします。刀が一番安定し、長距離の歩き、長時間の走りに耐えられる指方です。
体格や大刀あるいは帯などにもよりますが、結果的に、柄頭が体の正中線上付近にくるのが、一番大刀が安定する状態といえます。
大刀と地面との角度は自然に定まりますが、これも体格や大刀、鞘、帯、脇差その他の着装、その場の状況あるいはその人の好みにもより様々です。
後述する落指のように極端でそのために特殊な抜き方が必要、というようなことがなければいいのです。

2、大刀を腰骨に乗せない指様はいけません。
ところが大刀を腰骨に乗せず、腰骨下の左腰部あるいは左脇腹部に大刀を当て、帯だけで大刀を支えている人がいます。軽い鞘付木刀や模擬刀を使用する初心者に多いのですが、相当の経験者にもみられます。
刀は、現今のように、稽古で刀を抜く時だけに刀を腰にするのではありません。逆に刀を腰にしても抜かないのが当り前なのです。
腰の刀から手を離し、長距離長時間を二キログラム弱の真刀を腰にして、できれば脇差、短刀も差して歩いてみてください。腰骨に乗せるのと乗せないのとの違いがよくわかります。

3、この通常の指様について立身流では特に名称はありません。当り前の、当然の指様で、言うならば単なる「刀指様」「太刀指様」です。

三、落指 (おとしざし)
これに対し、通常は行わない異形(いぎょう)の指(し)方があります。
その一つが落指(おとしざし)です。特異の状況下でその時だけなされる普通ではない指方なので、その特徴を示す名称がついています。

1、落指とは、文字通り大刀をほぼ垂直に、刀を鐺から下に落すような指し方です。
大刀は腰骨上でなく左脇腹部に帯だけで支えられるのが通常です。あるいは腰骨の脇か後で鐺から落す形になります。
栗形を帯にかけて刀が落ちないように支えます。
鍔が邪魔になりがちで、普通には用いない指様です。
下緒は、右前の袴紐に挟んだりしない場合は、栗形からそのまま下がることになります。

2、落指の目的には二つあります。
一つは人混みを歩くとき他の人の邪魔にならないように、他の人と接触しないようにするためです。
もう一つは指している大刀を目立たないようにするためです。
ですから、大刀は、前から見ても横から見ても身幅からなるべくはみ出ないようにします。
公用外の日常は羽織を着て大刀は羽織に覆われることになります。
そして、歩いたり立ったりしているとき、左掌は鞘のあたりにあることになります。

四、落指の抜刀 (後記参考3、参照)
落指のままでの抜き方は、落指に適応した抜き方をします。
落指での抜刀につき、立身流立合目録之巻 外(そと)より二ヶ条をあげたうえ、「立身流刀術極意集」の「立身流傳授」中「立合目録之分」の「巻物固條之分」から一部引用します。

落指抜様之事 (おとしざし ぬきようのこと)
是ハ人込(ひとごみ)又ハ平日共ニ人ノ目ニツカザルヨウニコジリノ方ヲ以(もっ)テ抜キ出シテ抜也

同(落指)鞘共氣不付様抜出様之事 (どう さやとも きづかざるよう ぬきだしようのこと)
是ハ羽織之上亦ハ帯ノ上ヨリ鞘ヲヲサエテ抜也

五、閂差 (かんぬきざし)
異形の指方の一つに閂差といわれるものがあります。

1、閂とは「門戸をさしかためるための横木。門扉の左右にある金具に差し通してもちいる。」(広辞苑)
刀を水平にし、刀の中央部を腰骨に乗せ、柄頭と鐺を前後に真直ぐにする差し方です。刀の重心を腰骨の帯部より前にして刀を水平にするバランスをとります。
落指も閂差も極端で通常はしない指方です。
落指では刀が地面に垂直になるのに対し、閂差は刀が地面に水平に、かつ刀の中央が腰にあたる恰好が、閂の中央が門の中央になるのに似たための名称といえます。

2、立身流には閂指という名称の指方はありませんし、そのような指方をする場合も想定しません。勿論、太刀を佩(は)くのは別論です。
閂差は見栄えを目的とした指方で、立身流ではその実用性や必要性はないとみています。したがって、落指と異なり、「閂指抜様之事」というようなものもありませんし、必要もありません。閂指をしていても通常の抜刀に支障はありません。

第四、参考

1、立身流變働之巻より
先圓 (せんのまるい)

立身流刀術極意集より

先圓  是ハ敵打タサル前ニヌキ放シ敵打掛(うちかかり)候ハゝ
ハリニテ敵太刀ニノリ行突ク也又圓ニテ打突クモアリ

立身流第19代宗家加藤久ノートより

先圓  先ニヌキ ツキ 又 ウツ

2、立身流着具之次第 (立身流秘傳之書)

3、立身流立合目録之巻 外
には、他に

  • 急被掛勝様之事 (きゅうにかかられ かちようのこと)
  • 同闇夜之事 (どう やみよのこと)
  • 人込刀抜様之事 (ひとごみ かたな ぬきようのこと)
  • 介錯仕様之事 (かいしゃく しようのこと)
    (切腹の作法については「立見流切腹之式法」 (嘉永6年7月 牧野貞光 京都大学法学部図書室 小早川文庫)参照)
  • 細道抜様之事 (ほそみち ぬきようのこと)

などもあります。

以上