立身流と剣道・居合道・杖道

立身流第22代宗家 加藤 紘
初出「東京剣連だより 道」第81号
「古武道に学ぶ」第1回

発行者 一般財団法人 東京都剣道連盟
発行日 平成28年7月1日
[平成29年2月4日掲載/平成29年2月19日改訂(禁転載)]

一 立身流略史

立身流は戦国時代真只中の永正年間(1504-1521)に、妻山大明神の啓示を受けた立身三京により創流された総合武術である。三京は塚原卜傳とほぼ同時代の出生で、林崎甚助重信や夢想権之助より昔の人である。
第6代桑島太左衛門(将監)の弟子木村権右衛門が1590年代に分流して立身新流を名乗り奥平家に仕えたことが中津藩関係資料からわかる。幕末明治に福澤諭吉が修業した立身新流である。
立身本流は1714年に第10代糟谷団九郎が山形藩主堀田正虎に召抱えられ、堀田家と共に下総佐倉藩の流儀として明治に至る。佐倉藩の記録等には「捕手指南(ほしゅしなん)」「居合柔術縄甲冑勝之業(いあいじゅうじゅつじょうかっちゅうかちのわざ)」「芸術」「刀術」「兵法」等の語で示されている。立身流俰目録之巻等は柔術に関しての傳書である。
明治に入り逸見宗助等により立身流から警視流に剣術、居合、柔術、捕縄それぞれに各一本ずつが採用された。
佐倉に残った第18代半澤成恒から宗家を継いだ第19代加藤久は、大日本武徳会剣道教士・居合術教士であった。
第20代加藤貞雄を経て加藤高が第21代を継いだ。
第21代加藤高は昭和12年3月に国士舘専門学校剣道科を卒業し、同年5月に大日本武徳会剣道錬士(同年までは剣道の最高段位は5段で、その上に錬士・教士・範士が置かれていた)・居合術錬士(当時は居合道の名称でなく、又、居合術に段位はなかった)の、昭和20年3月に居合道達士(たっし)(教士の名称が一時期、達士に変更されていた)の称号を得た。第二次大戦後は全日本剣道連盟で剣道7段教士居合道無段範士であった。古武道界においては日本古武道振興会会長、日本古武道協会常任理事の各職をその死去まで長年つとめた。
昭和50年の千葉県剣道連盟居合道部発足に際しては、加藤高が副部長に、第20代加藤貞雄が常任理事に就任し、更に加藤高自らを長として佐倉支部(現支部長師範江尻裕介居合道錬士6段)が設立された。以降、毎年一回「古流立身流講習会」が県居合道部主催で行われて現在に至っている。
又、千葉県剣道演武大会、千葉県居合道大会でも毎年演武させて頂いている。
東京都内では昭和52年の立身流組織化に伴い、立身流東京矢口支部が大木邦明師範の下に設立され、現在の支部長は師範吉田龍三郎(剣道錬士7段)である。

二 立身流と剣道

立身流傳書の中に「立身流立合目録之巻」がある。ここでの「立合」とは、剣術即ち剣道の意味である。
立身流剣術の形には二刀之形その他もあるが、表之形、陰之形、五合之形を基軸とする。
表之形序は、太刀操作習熟をも目指す表之形破の基本を習得する為の形である。陰之形は小太刀の形であり、五合之形では自らの体全体を変化させることが重要である。
表之形は、摺技(我刀の鎬の相当部分を使って敵刀の相当部分に摺りあわせる)、応じ技(我刀の鎬の一点で敵刀を撥ね付ける。鍔元での場合は手之内、手首を特に効かせる)、張(我刀の一点で敵刀の一点を押したり叩いたりするのは張ではない)、巻落(我刀の一点で敵刀の一点を押し回すのは巻落ではない)等、刀の構造性質を十二分に使いこなす術技を身につける。我刀の刃や峯が敵刀等と接触することは原則としてない。表之形急は走る。
それに対し五合之形には彼我の刀の接触しない術技も多い。敵の打に対し体捌きで我体を変えつつ敵を斬り、敵と同時に斬りかかって敵の刀を落しつつ敵を斬り、敵の色をみて敵の起りを斬る。
現今の剣道で推奨される技は五合之形に多く含まれる。他方、表之形の摺り上げや応じ等は竹刀だけの稽古ではなかなか理解しにくいことになろう。
表之形序の初めの二本は剣術対居合である。表之形破の最後の二本は居合対居合である。五合之形には五合之形詰合という派生の形があるが、これはすべて居合対居合から始まり剣術対剣術に移行する。剣居一体が理念的な意味だけでなく、形の上で現実化している。立身流では剣術と居合を合わせて刀術として括られている所以である。
そしてこれは動きの質に於いても剣術と居合で異なるところはないということでもある。現今の剣道と居合道の動きの質の解離は、立身流の立場からは不自然に感じられる。
なお立身流剣術陰之形三本目右転左転(うてんさてん)は、これを分けると、右転は日本剣道形の小太刀の形の一本目に、左転は二本目になる。

三 立身流と居合道

立身流居合の基軸は、歩きながら、或いは走りながら抜いて斬る「立合」と、正座から始まり正座に終わる「居組」である。「立合」の語にはこの意味と前述した剣術の意味があり、要は一体であることが示されている。
「立身流居合目録之巻」での形についての記載内容は絞れば二つである。一つは向(むこう)という技と圓(まるい)という技を、前後左右に抜くということである。もう一つは向圓には序破急があるということである。向圓は前述の剣術表之形破(全八本。技としては全十二本)の最初の二本であり、最後の二本(技としても併せて四本)でもある。
向は後の先または先々の先の技である。
居合での向は、敵からの我正面への撃(居合でも剣術でもよい)に対し、我は抜刀して向という独特の太刀筋で受流し、敵の正面から斬り下げる。
【写真①】は向で、右側の師範齊藤勝の抜打を、左側の私が抜刀して向で受流す瞬間である。

【写真①】立身流 向(むこう)

【写真①】立身流 向(むこう)

圓は先または先々の先の技である。
居合での圓は、抜刀して我に斬りかかろうと柄に掛けた敵の右手を、我は機先を制して先に抜刀して諸手で斬り落とし、更に敵を正面から斬り下げる。
【写真②】は圓の系統の「前後(ぜんご)」の形で、前の敵が抜刀しようとして柄に掛けた右手を斬り落とすべく、加藤敦宗家補佐が走り寄って抜刀する瞬間である。前の敵の小手を斬り落とし、直ちにふり返って後を追ってくる敵に対処する。

【写真②】立身流 前後(ぜんご)

【写真②】立身流 前後(ぜんご)

向圓を歩きながら、走りながら、正座から抜く。向圓を前後左右への体捌を加えて抜く。敵の数が増える。技の内容も、居合に於る表之形の向圓から居合に於る陰之形の向圓へと変化していく。
立身流居合でいう「形」の内容は、このように足捌き体捌き等の身のこなしを含めた「技」そのもののみである。加えて心法の裏付が要求される。
他方、居合目録之巻に一三ヶ条、立合目録之巻に二五ヶ条の「外(そと)」と称される項目の記載がある。これらは主に特殊な状況下におかれた場合の対処の仕方を示していて、いわば慌てないで済むようにという心得である。立身流に於てこれらは「形」には含まれず、「外(と)のもの」とされる。「門戸出入之事(もんこしゅつにゅうのこと)」「壁添勝様之事(かべぞいかちようのこと)」「介錯仕様之事(かいしゃくしようのこと)」「人込刀抜様之事(ひとごみかたなぬきようのこと)」「乍走抜様之事(はしりながらぬきようのこと)」「同追様之事(どうおいようのこと)」「抜所被留(ぬくところとめられ)勝様之事」「細道(ほそみち)抜様之事」「柄被留(つかとめられ)勝様之事」「二之腕被組(にのうでくまれ)勝様之事」「胸紐被取(むなひもとられ)勝様之事」「袖口被留(そでくちとめられ)勝様之事」「落指(おとしざし)抜様之事」等である。

  四 立身流と杖道

杖は立身流での半棒(はんぼう)にあたる。「半」棒といっても六尺棒の半分の三尺ではなく、ほぼ四尺強である。
一般に杖など刀以外の武器を使用する場合の形は刀に勝つように組まれている。
ところが立身流は逆で、最終的には刀で半棒を制する形である。立身流半棒之形は基本として三本、変化を含めて十本であるが、一つの動きは右左にできなければならないのが原則なので本数は更に増える。
立身流にはいわゆる長物(ながもの)として棒(ほぼ六尺)、長刀(ほぼ六尺柄)、鎗(柄は、ほぼ九尺を基準として二間まで)等もある。間合の違い等は別として、半棒を含むこれらの武器の業には流用性がある為、他種目の形を取入れた稽古もなされる。ちなみに鎗は、歩立(かちだち)の場合(騎馬でない場合)は「トカク胸板(むないた)刀諸臑(もろづね)ヲナグル」ものとされる。
刀を鞘ごと使用する提刀(ていとう)というものがある。鍔や反を利用する技は別として、提刀の技を半棒で使い、或いはその逆にも使う。ここで刀術と杖術はあらためて繋がることになる。
杖道はその主目的が刀を制するものである点でも、又、杖は鞘におさめられた刀に代わりうる点でも、刀との関係を前提とし、刀の存在の下に成り立つ武道であって、その意味では剣道や居合道と異るところはない。

五 提言

このように剣道居合道は勿論、杖道も日本刀を基軸とし、日本刀との関係の下に存在する武道である。
ところが、その共通の要素である、刀の構造機能の理解及びその刀を用いた動きや技術の性質の理解が共有されていない。それが、現今の各道の動きの質の解離につながっていると思えてならない。
例えば、剣道居合道杖道それぞれの場において、真正面からの大きくゆっくりした面撃に対し、木刀できれば模擬刀の表の鎬で摺上げて面に斬り返す稽古をする。その際は正確さを旨とし、ゆっくりした大きい動作で、剣先を効かし、反を活用し、我剣先近くの鎬で相手の手元近くをとらえ、我鍔元寄りの鎬までを使い切って摺りあげる。摺りあげる我刀は鎬以外の箇所で相手の武具と接触しない。斬る際は刃筋が立つ。
このように正確な摺上技を経験するだけでも、各道を総合した武道の意味の理解とその共通の動きの理解とに有益と思われる。鎬のみを使うという微妙な操作が、手之内、手首、肘、肩,体、足を含む身体全体の動きの精妙さを感じさせ、それを知る手掛かりになるのではなかろうか。又、この精妙さに興味をかきたてられる効果もあるのではなかろうか。
そして、応用すれば、例えば剣道の竹刀ででも、摺上面は有効に使える技のはずである。
明治以降、特に第二次大戦後に顕著だが、武道が用具や技により種別化され、分化されている。これを専門化と言う人もいるが、あるいは単に視野が狭くなっただけではなかろうか。極論すれば、武術武道は武術武道でなくなってしまい、それが閉塞感を生じさせていると感じられる。今、あらためて分化したものの総合化を図り、失われた価値の回復を目指せないだろうか。そこから又、新たなものも生まれると思う。

六 立身流の体系と三道

立身流は素手短刀等の俰をはじめ数多の武器を使いこなす総合武術であるが、その基本にして極意である形は向と圓である。二種の遺伝配列が全ての源であるように向と圓が全ての起源である。またこれが思索の基本構造ともなっている。
立身流目録での向圓は、身之曲尺、太刀之曲尺、心之曲尺そして無意無心無固無我の曲尺合 [立身流三四五曲尺合之巻]や心目體用一致 [立身流俰極意之巻]などを求める練磨を経て、立身流極意之巻の月之太刀(向)、日之太刀(圓)として完成されていく。向と圓に全てが含まれ、凝縮していく。
立身流には正傳書が十五巻あり、この全てを皆済されて皆伝となる。そのうち形そのものについて記されるのは各目録之巻が主で、他のほとんどの巻は、心法を含む武道全体に通ずる内容、ひいては生死、人間への思索、世界、自然、宇宙観にも及ぶ内容である。また、それらと形との関連の内容である。
いわゆる心法は武道全体に共通していて、剣道居合道杖道において異なるところはない。すなわち、三道の目指すところは立身流の目指すところと同一である。

七 結語

立身流は、用兵術や戦での作法等それぞれの時代を背景にした広さと、歴史により熟成された完成度と、技の質の高さと思索の深さを備えている。
立身流をもって幕末の実戦を経験した半澤成恒先生は立身流を信奉し、「立身流以外は剣に非ず」と豪語して憚らなかった。

(本稿は、頭書の初出後に頂いた質問等を加味し、平成29年1月に補筆したものである。)

加藤 紘
立身流第22代宗家
千葉県指定無形文化財保持者
日本古武道協会(日本武道館)常任理事
日本古武道振興会評議員
弁護士