日本伝統武道に於る形と型 ~立身流を例として

立身流第22代宗家 加藤 紘
[令和2年(2020年)1月5日 掲載/同4月14日改訂(禁転載)]

第一、はじめに

本論考は立身流に於る「かた」の語並びにこれを表す「形」及び「型」の両字の意義、ひいては日本の古流武術武道でのそれらを探るものです。
とはいっても、そもそも、立身流で使われる字は「形」のみで、古文書を含め「型」の字の使用例は皆無です。
立身流では型の字は一切用いません。
私の知る限り他流を含め武道関係の古文書の手書で「形」の字はよくみますが「型」と記されたものをみたことはなく、その使用例はありません。
ところが現今、古武道関係者の間でも「形」でなく「型」を使う例が多くなっています。
なお、古武道流派によっては形と同じ意味読み方で他の漢字(勿論、「型」でなく)を充てる場合や、形の意味で他の語を使用する場合もあります。

第二、形の意義および立身流での用字例

一、まず、立身流ひいては日本武道での形の意義につき述べます。
拙稿「立身流について」(初出 平成17年9月1日千葉県芸術文化団体協議会会報)で次の様に記したとおりです。
「…形は、動作の決め事で、闘いの経過を技毎に類型化したものである。師が撃ちかかり、門人がこれを対処する形式をとる場合が多い。一般的に、流儀の違いは形の違いに基づく面が大きい。
闘いでは、あらゆる事態に対応し、敵のどのような動きも制しなければならない。その種々雑多な動きから、すべての動きの素となる基本の動きが抽出され、純化される。これが形である。形は単純の中に千変万化を含んでいる。簡素の中に絢爛を包含している。そして、その洗練された動きが様式美を生み出す。…」「形には教育課程としての意義もある。…」

形は「…敵ニ因リ轉化ス…」(立身流第11代宗家・逸見柳芳「劍術抜合理談」)る源です。
なお拙稿「立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味」(平成26年8月3日)を参照して下さい。

二、立身流での用字例
立身流傳書15巻(いわゆる正傳書)に「形」の字そのものは出てきません。勿論「型」の字もありません。
しかし「立身流刀術極意集」などの古文書には随所に「形」の字が使われています。単語としても例えば「表形」(おもてのかた)、「五合之形」(ごごうのかた)、「形試合」(かたしあい)、「柔術表形居組」、「柔術表形立合」等の記載があります。
他方「型」の字の記載例は一切ありません。

第三、指定無形文化財の指定対象としての立身流の記載

一、千葉県及び佐倉市による指定無形文化財の保持者は個人ですが、無形である指定対象の名称についての表記は次のように変遷しています。

①1966年(昭和41年)9月26日 千葉県佐倉市指定 
 保持者  加藤貞雄  加藤 高
 名称   佐倉藩伝承武術立身流居合

②1978年(昭和53年)2月28日 千葉県指定
 保持者  加藤貞雄  加藤 高
 名称   立身流の形

③1985年(昭和60年)11月29日 
 保持者追加認定  加藤 紘
 名称   立身流の形 を 立身流の型 に改める

④2009年(平成21年)3月17日
 名称  「立身流の型」 を 「武術 立身流」 に改める 
 
二、千葉県教育委員会による文化財調査報告書
1、上記第三、一、③記載の名称の変更は、両保持者等立身流関係者と全く関係のない場所で行われ、その了解は勿論事前連絡もないまま、唐突に告示されたものでした。当時の保持者加藤高及び加藤紘は資料添付のうえ、「型」の文字を「形」に戻されるべく直ちに申入れ、その後も申入れを続けました。その結果④の変更に至るのですが、その経緯については平成19年10月30日行われた私への聴取などの調査をふまえた文化財調査報告書が千葉県教育委員会から公表されています。そこに示された(経緯)と(検討結果)を次の2、に転記します。
ただ、名称が「立身流の型」とされていた間も、立身流に関しては千葉県関係を含め、全ての場面で「形」の字を使用する事実上の取扱がなされていました。千葉県の指定名称表記はそれとして、立身流としては歴史的真実に沿った表記をし続け、県もこれを認めていたということです。

2、文化財調査報告書(調査日:平成20年1月、調査:事務局)
〈経緯〉
「天真正伝香取神道流の型」が昭和35年6月3日に、「立身流の形」が昭和53年2月28日に指定される。昭和60年10月16日の千葉県文化財保護審議会において、「立身流の形」および「天真正伝香取神道流の型」の保持者追加認定について諮問・審議がされ、その際に「型」「形」を「型」に統一した方がよいという意見が出された。審議の結果、学問的な立場からは「型」が妥当であるとの考えから「型」に統一されることとなり、昭和60年11月29日付けで「立身流の形」を「立身流の型」へ指定名称を変更した。その際にそれぞれの武道の歴史的な経緯や保持者の意向等が確認されなかったことから、その後、立身流の伝承者から「型」は間違いであり、「形」に戻してほしいとの要望が、再三出される結果となった。平成19年10月30日に審議会委員による調査を行ったところ、「形」は実戦の千差万別の動きをすべて象徴的に内包しているもので、立身流のみならず武道では、伝統的に「形」の字を用いてきたものであるとの説明があり、「形」という字にこだわりを持って使用しているので戻してほしいとの意向が、改めて示された。11月12日第二回審議会で両流派の「型」を「形」に変更する案を提出し、審議の結果、さらなる経緯の確認や他の指定文化財との整合性を図る必要性が指摘され、さらに事務局で調査を重ねることとなった。

〈検討結果〉
改めて「香取神道流の型」保持者の意向を確認したところ、香取神道流でも元は「形」であったが、近年では一般的な書物で「型」が使われる場合が増えたため、指定名称にも異議を唱えてこなかったとのことであった。武道家の著述においては、「形」を「カタ」と読み、すべての動きの源、実戦の千差万別の動きをすべて象徴的に内包しているものとして、固定的な鋳型としての「型」と区別することにこだわる記述を、数多く確認することができる。ただし一方で、文化人類学で「文化の型」というとき、「型」は観念的、精神的なものまでも含めた様式・類型という意味を持っている。「形」が外面的な形象をあらわし、「型」が象徴的・規律的なものも含むと考える学問的な立場もある。国の無形文化財指定では「特定の型や技術」を対象とするのだと説明されており(昭和29年通達)、この「型」は精神的な営為を内包するものという。立場によって用法の異なる言葉を指定名称の中に含む以上、衆人の納得いく名称とはなり得ない。
また、「型」を「形」に置き換えたとしても、「形」はある流派の武術全般をさす言葉にはならないと考えられる。伝統武術では「形」を学ぶことが修業のほとんどすべてであり、「形」には精神的・象徴的にその流派のすべてが示され、そしてその流派を流派たらしめるものが「形」なのだとのことであるが、それでもあくまでも「形」は「形」であり、武術全般イコールの言葉ではない。県が指定対象とするものは、ひとつひとつの「形」「型」として示されるもの総体である以上に、その流派の歴史・精神・技すべてを包含する武術総体であり、「型」「形」を指定名称から削除するほうが、より誤解のない表現になる。
とはいえ「天神正伝香取神道流」「立身流」とすると、各流派の団体組織のあり方が指定対象だととらえられる心配が生じ、また何の流派なのかがわかりにくくなる。そこで、「古武道」「武道」「武術」等の分野を示す言葉をつけることが必要となる。ただし「古武道」「武道」は、大正期以降に政治的な意図をもって導入され普及した言葉であることから、立場によってとらえ方に相違が生じ、新たな問題を生じかねない難しさを持つ。そこで、明治以前に一般的名称であった「武術」を採用したいと考える。流派の前に、分野を示す言葉として添付することとし、「武術 天神正伝香取神道流」「武術 立身流」とするとともに、「式正織部流茶道」は、「茶道式正織部流」として、名称に統一をはかることとする。

第四、「形」「型」について論述した他の文献

一、「形」及び「型」の双方に触れた手元にある文献をみてみます。

「剣道「形」の眞髄」東京高等師範学校助教授 佐藤卯吉(昭和9年(1934年)11月25日発行「武道宝鑑」 編輯兼発行者 野間清治 大日本雄辨会講談社 91頁以下所収)
「眞の意味の『形』は單に枯死せる型に終る可きでない。」
「又折角、今日『形』を遣ふ人はあっても、所謂『型』になって定められた約束に從って太刀を打つ眞以をするといふに止まって、内に活動する生氣に乏しく、形式的技術は如何にも巧妙であるけれ共、之れに伴う氣分の發辣壮大なるものなく、何となく小さい感じのするものがすくなくない。」

「日本伝統武術真諦」(小佐野 淳 平成元年(1989年)11月25日 株式会社 愛隆堂)253頁以下
「伝統武術の形は、現在の空手道のいう型とは異質である。伝統武術の形は、流祖及び各先達が生と死の境地をさまよい、真剣に行じてきた永年の「業の集積、心の集積」としての形である。それに対して、「型」は「いがた」と解し、規格にはまった、個性のない、変化に乏しい同一のものを型と称する。従って古流においては型という文字は用いない。…」

「鹿島神伝直心影流極意伝開」(石垣安造 1992年5月25日 株式会社新樹社)267頁以下
「「形」の字を用い、カタと云う。形は動を伴うものであるから「型」の字を用いたり、カタチと云ってはいけない。これは口伝である。」
「然るに形というものの真意を解せないでいる人が相当に多く、それ等の人々は形を単に型(カタチ)と解釈したり、形の一手々々が何の為に使われているか、その理由さえ辨えずに執行している。」
「…御両者共に「型」の字を用いているが、正しい法定は「形」の字を用い、「型」の字は絶対に用いてはならないと云う口伝がある。」

「日本剣道形の理論と実際」(井上正孝 平成11年(1999年)11月1日(株)体育とスポーツ出版社)24頁
「形は雛形(ひながた)であり、実物より小さい見本で、これには伸縮自在の生命力がある。
型は鋳型(いがた)でありこれは固定的で融通性がなく、その生命がない。したがって日本剣道形は型ではなくて、形と書くのが正しいとされている。

「武道の礼法」(小笠原 清忠 平成22年(2010年)2月10日 財団法人日本武道館)62頁
「「形は生きており、心が通っていることが大切です。「型」は心のない状態であり「形」ではありません。鋳型のように型にあてはまるということは、あくまでも手段にしか過ぎません。」

「武道とは何か――その歴史と思想を探る」【第9回】伝統文化の伝承と「かた」について 天理大学体育学部教授 湯浅 晃(月刊「武道」2016年9月号53頁以下所収 日本武道館)
「そもそも、鋳型の「型」という漢字が日本に入ってきて、それを「かた」と訓読され、それが一般化されたのであるが、文化の領域で「型」という語が使われたのは明治以降であるという。」
「武芸の伝書等においては、「形」「各」「組」「太刀」「組太刀」などの用例がみられるが、現代武道においても、「剣道形」「柔道形」など「形」という漢字が使用されており、「~型」と称した「かた」を筆者は知らない。」

二、上記の各論述はその表現に相違はありますが、ほぼ同一の趣旨を示しています。
これに対し、日本伝統武道に於て、歴史的に「型」の字が使われていたとする論証を私は知りません。

三、ちなみに、他の文化の領域で「形」という字が使われる例を探してみますと、世阿弥著「風姿花伝」があります。
岩波文庫版での同書(株式会社岩波書店1958年10月25日発行 校訂者 野上豊一郎・西尾実)では、「形木(かたぎ)」の語が8ケ所(36頁に1回、52頁に1回、71頁に1回、72頁に1回、74頁に3回、98頁に1回)に示されています。
52頁には「稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。」とあり、まさに武術武道での「形」の意義と重なり合います。
この「形木」は、同書81頁から83頁及び87頁にわたり4カ所に示されている「本木」と対になる意味合とも解釈できます。同書には他に「翁形」(26頁)「形」(86頁)の語がみられます。
しかし、同書の本文に「型」の字は全く使われていません(72頁の校訂者による脚注には「型」の字がみられます)。

第五、空手等の沖縄古武術(琉球古武術)についてみてみます。

一、「形」と「型」の捉え方 
この分野では「かた」の字に「型」が充てられる場合が圧倒的です。
「形」の字も使われていますが、この両文字の相違への意識は薄く、当然のごとく「型=形」とされています。例えば「武道とは何か」(南郷継正 1977年12月31日 株式会社三一書房)133頁での表題は「第一章 武道と型=形 ――型=形の本質は何か――」とされています。
他方、「本土では、組手だけでなく、型の「競技化」も進み、型という字も「形」に変更される、…」(「型(形)を考察する」小山正辰 月刊「武道」2019年1月号106頁以下所収)、「型をもつ武道には、主に、剣道、柔道、合気道薙刀などがある。いずれも空手の型とは概念も扱われ方も違う。そのせいか、現代武道では″型″ではなく″形″の字が用いられている」(同論文内での新里勝彦「沖縄の空手と『型』について」と題する論考からの引用)というような言い方もされています。

二、考察
1、沖縄古武術の特徴
沖縄古武術は歴史的に独自の発展を遂げており、本州の武道と系統が異なります。
その特徴の中から次の二点をとりあげてみます。

①「手」
 「…もともと沖縄には「手」という呼び方しかなかった…」(「空手道一路」松濤 船越義珍 昭和31年(1956年)10月1日 産業経済新聞社55頁)

そして
「空手の場合、伝統的な理解は《手》=″武術″である」
「《手》は武術であると同時に型でもある」(以上、前掲小山正辰「型(形)を考察する」文内での新里勝彦論考からの引用)

すなわち、空手において現在「型」と表現される語の本来の語は「手」であって、歴史的に「型」(「形」)の字は使わなかったわけです。

②空手には本来流名がなかったことは拙稿「日本伝統武道の流名・呼称・用字 ~立身流を例として」に述べたとおりです。
形はその流儀の存在と流儀間の相違の大きなメルクマールとしての機能もありますから、流儀概念のない場面すなわち沖縄の空手には形の概念もなかったと推認できます。

2、沖縄古武術に関する結論
結局、空手にはもともと、「かた」という語や「型」や「形」の字の使用はなく、おそらく本州での「形」に該当する概念もなかったのではないかと思われます。

第六、総括

以上、日本の本州の古流武術武道には「形」がありますが「型」はありません。
それにもかかわらず、現在、古武道関係者においてさえ「型」の字が多用されるのは次の理由によるものと考えられます。

①明治に入っての活版による印刷での誤植による流布が始まった。
②大正期に本州に紹介され昭和に入って大きく飛躍した空手の関係者が「型」の字を多用したため混同に拍車をかけた。
③第二次大戦およびその後の武道空白が、原史料と伝承者の減少を来し、後継者の記憶や感覚を薄れさせた。

その結果が現在の状況を来しているのではないでしょうか。
「慣行知識の習得と伝承」の重要性があらためて認識されるべきです。

(参考)
立身流入堂訓 第二条 
常に向上の念を失わず先達者に就いて絶えず個癖の矯正に心がけ正しき立身流の形及び理合並びに慣行知識の習得と伝承に心がけよ

以上