古武道に学ぶ心身の自由(三)

日本古武道振興会会長 立身流第21代宗家 加藤 高
初出 月刊柏樹1995年4月号(No.145) 平成7年4月10日株式会社柏樹社発行
令和2年(2020年)5月24日 掲載(禁転載)

もう、六十年ほども前のことである。俰の形(やわらのかた)を見た某婦人団体から「立身流俰(たつみりゅうやわら)は、婦人護身術として最も適切である。近く講習会を開催するから、是非、立身流俰の御指導をお願いしたい」との依頼を受けたが、元来、立身流は太刀の業が一通りできてから、俰(やわら)に入ることになっているので、私としては、古来からの修行順序をくずすわけにはいかないので、お断わりしたことがあった。

その頃私は、講道館柔道の達人、山本昇先生の切なる勧誘で、講道館柔道を稽古するようになった。山本先生の専門は柔道であるが、剣道も武徳会教士で、先生の御尊父は揚心流柔術範士で、幕末から明治にかけての、有名な大家であった。山本昇先生は立身流宗家、亡父、加藤久とは頗る昵懇の間柄であったので、私に対しては、特別目をかけて稽古をつけて下さった。

講道館柔道は投げわざが発達しているが、私の場合、立身流俰の素養が大いにプラスとなり、三箇月ばかり稽古したら、あまり投げられなくなった。そのうちに柔道大会があって出場した際、相手は大体学生、警察官であったが、当時私は二十歳台の血気時代で、溢れるばかりの体力気力にものをいわせ、組むや否や鎧袖一触、遮二無二投げとばして、とうとう優勝してしまった。

その時、山本先生が手招きされたので、片手間にやった柔道で優勝したのだから、多分先生は褒めて下さるのだろうと、内心期待しながらお伺いすると、先生曰く、「君の柔道は強さはあるがうまさがない。試合だからあれでも一本になったが、あんな無理な力業の柔道をやっていると、四十歳を超えると、めっきり弱くなってしまう。先ず相手の体の重心を外し、相手の崩れたところを風の如くに業をかけて投げたのが、本当の一本である。併し筋がいいから、今後心を入れかえて稽古に励みなさい」と、案に相違して、大変厳しいお叱りを受けてしまったのである。

その後先生から稽古をつけていただく際には、無理に業をかけると、絶対に受けつけてくれないが、先生が動こうとするところ、動きつつあるところ、動いてとまろうとする刹那にこれを察知して業をかけると、投げさせてくれることがわかった。

つまり、立身流の必勝の原理(月刊「柏樹」一九九五年二月号参照)でいう(一)、即ち心身の自由を得た「匂の先 (においのせん)」と全くその軌を一にしていることがわかったのである。

その後の柔道大会で、私よりはるかに軀幹長大で剛強な相手と組合せになったが、最初は組まずに小手先を争っているうちに、やがて相手が不用意に手をのばして、袖をつかもうとした時、電光石火、巧みに相手を引張り込んで肘関節の逆をきめ、数十秒で勝ったのである。これなども「匂の先」の活用に過ぎない。先生からも「相手の起りをとらえ、悍烈俊敏な逆業できめたのはよかった」と、はじめて褒められたのである。

立身流では心身の自由をなるべく迅速に体得させるための方策として、一定の練度に達すると居合では「数抜き (かずぬき)」、剣術では「立ちきり稽古」という、言語に絶した強行手段で、猛稽古を古来から実施してきた。

先ず「数抜き」であるが、これは相対峙した二人が、一定の間合(敵との距離)をとって、相互に「イヤー」、「エィー」の発声と共に、互いに前進、後退を繰り返しつつ、向(むこう)(敵が切りつけてきたのを、受け流して切りさげる業)、円(まるい)(敵が切りつけようとした時、腕を切り、面を切る業)を抜くのである。

主審一人、副審二人の立合(たちあい)で、形(かた)がくずれた場合には本数には入れない。主審は五十本ごとに本数を発表する。演武は夕刻より開催し、翌朝の夜明けまで連続三千本抜くのである。三千本通した者は更に数年稽古をつみ、次に「数抜き」一万本に取り組むのである。古武道立身流第二十代宗家・加藤久は、青年時代、「数抜き」三万本を通したがこれは創流以来、空前絶後といわれている。

「数抜き」開始後、千本ぐらいまでは普段の稽古と同じような、安易な気持で抜き、呼吸も静かであるが、千五百本位の頃になると、厳寒の夜中といえども、熱汗、瀧と流れ、そろそろ呼吸も乱れはじめ、やがて二千本を越えると、最早体力気力の限界に達し、それ以後は誰しも否応無しに、思わず我を忘れて至誠一途の心魂に徹するに至り、自ら心身共に自由自在なる、所謂、立身流奥義の、「深夜聞霜 (深夜霜を聞く)」、「満月之事」(前述、月刊「柏樹」一九九五年二月号参照。無念無想)の心境に到達できるのであるが、これは自然の機能の然らしむるところである。

古武道立身流の道歌に、

  敵もなく我もなきこそ此の勝身
    とる敵もなく捕る人もなし

剣術の「立ちきり稽古」は十数名で円陣をつくり、本立(もとだち)を中央にしてこれを囲み、礼は最初と最終だけでその他は省略し、抜刀して構えたままで本立と対峙し、立会人三人のうちの主審の号令により、入れ代り立ち代り、猛烈果敢に本立に懸っていって、息つくいとまもないぐらいに、撃突を加え、体当り(体で相手にぶつかって、はねとばす)、足搦み(相手と接近した場合、柔道の応用で投げとばす)、果ては組討等で、本立を半殺しの状態に痛めつけてしまうのである。

これまた剣術「立ちきり稽古」三千本を通すのは、尋常一様の仕業ではなく、無理矢理にも、真に死生の間をくぐらせられるのであるから、最後には必然的に、居合「数抜き」同様に心身自由自在なる無我の心境に到達せざるを得ないのである。

居合「数抜き」も、剣術「立ちきり稽古」も、勿論、単なる体育というような枠をはるかに越えた徹底した類例のない特殊猛鍛錬である。

古武道立身流の伝書に「心目体用一致」「口伝」とあるが、これも要するに心目(敵の意志を察知する心のはたらきと、肉眼で知る敵の動静)と己れの体と、使用操作する武器とが、渾然一体をなし、瞬間的に最大限にその機能を十分に果す活動をいうのである。別伝にある「気剣体の一致」とほぼ同一内容のことをいうのであるが、これなども、いうなれば心身の自由自在なる活動が基をなしているので、そのために古武道立身流では、初心のうちは先ず平常心を乱さないように心がけ、心と体と剣の動きが、無理なく正しく自然にできるようにするために先ず桁打ち(足捌きと共に相手の打ち込みを受けて打ち返す動作)、廻し打ち(同様の動作を右廻り、左廻りに繰り返す動作)という、比較的簡素な基本業を袋竹刀で稽古するのである。いわば立身流独得の、切り返しのようなものである。

立身流伝書の道歌に、

  足踏みは大方物の初めにて
    家の土台の曲尺と知るべし
  身構は横も一なり竪も一
    十の文字こそ曲尺合としれ

私は往年学生時代に、澤木興道老師について禅を学んだことがあるが、禅も剣も不動心をつちかい、心にこだわりなく、心身自由自在なる無我の心境に悟入するための修行であることにはかわりないが、強いて言うならば、剣は動より、禅は静より入定する場合が多いように思われる。

古武道立身流奥義の「深夜聞レ霜 (しんやしもをきく)」という純粋経験の窮極の心境は、主格も対立もなく、さながら引きしぼって、満を持した弓勢のようなものである。そこには無限の力と、充満した緊張がみなぎっている。

老子の説く「抱」も、禅家(ぜんけ)の唱える「無」も、これは幾度となく前に述べた通り、古武道立身流の「満月之事」と、全く同一の妙理を説いているのである。

古武道立身流を評して、「動く禅」といわれているが、誠に適切な評言だと思う。

道歌に云う。

  立ち向ふ時の心は明月の
    くまなく照らす姿なりけり

古武道は勿論単に剣を弄する術ではない。又、決して自己を守り、敵を制するための手段だけのものではない。

相対の我を絶対の無我たらしめ、心身を自由自在、金剛不壊の大自在にいたらしめ、より高大なる自己を創造するため、全身全霊を提げての、苦心惨澹たる修行にほかならないのである。(完)