立身流第19代宗家加藤久の成瀬関次根岸流第3代宗家への返信 下書

立身流第十九代宗家 加藤久 論稿
昭和15年 (転載不可)
[]内は加藤紘による加註


立身流第十九代宗家 加藤久

謹啓

春色日々かはりました。先生には愈愈御健勝にて大非常時下各方面に御盡瘁遊ばされ慶賀奉ります。すっかり御無沙汰に過ぎましたが、私は一昨年冬から健康を損じまして未引籠って居ります。相済まぬやうに存じますが致方ありません。次男が南支に御奉公を励み居ります事と長男が教務の餘暇は居合に出精しまして同志と稽古を致しますのをせめてもの心やりとも楽しみとも致して居ります。

扨、御高著「戦ふ日本刀」および「刀と剣道」誌上切れ味の神秘拝読仕り先生の古今に精通され、事実を極め盡され犀利なる御観察と明確なる御断定唯々敬服拝読仕りました。唯未熟の拙技御嘉褒に過ぎました丈は、恐縮慙愧に堪えません。厚く御礼申述べます。

御意見悉く思ひ当たる所がありまして御尤もと存じます。弊流の恩師より伺ひおきました点御参考に相なりますまいが記します。

佐倉藩には五流の剣道場がありましたが居合を剣道と併んで重視しましたのは立身流でありました。刀の様[ため]しは大体ここで行はれました。とりわけ藩士の刀工の細川 遠藤の両家が門下でありました関係上鍛刀は一々様[ため]されました。

一、棒様[ぼうだめし] 焼きを入れました黒打ちのままのを中心[なかご]に柔い布を巻きて前に立てて持ちこれを半棒を振って力一杯横から打ちます。 折れるか否かを第一とするのであります。 曲がるのを厭ひません(否、一振りでも曲がらぬものはありません)。 このために生ずるしなへも意としません。 先生の御意見と全く一致であります。
二、鍛冶とぎの上、切柄[きりづか]をかけ米俵の内俵に外俵と青竹を心として捲藁を作り切味を試みます。八分以上斬れば両側に下り口を開け良しとします。基本姿勢は真っ向から両足を八文字に踏み刀を冠って切下します。かくして始めて依頼者に渡されます。
三、外装を終わっての様しは佩用者の意に任せます。依頼に應じて各種の様しを致します。

先生の申されますやうに眞の刀の釣合柄の作り方等に依って利鈍の差も現はれますのでありませう。逸見宗助先生の父忠蔵先生は居合の名手でありまして脇差しの片手斬は右の大巻藁を両断されました。

物斬りは膽でと申されます先生の御説の通り力で腕で全身で眼で氣力で膽力でとも申しませうか何物にも支配されない境地に立ちますには膽が据わりませんでは叶ひません。ここに至りませんでは如何様なる妙技もまさかの時には役にたたなくなりませう。

物を斬るに見当を誤ると申されました事に就いて刃引きの居合刀で大豆斬り小豆斬り篠竹割と申す修行があります。これは切台に大豆を一粒載せて抜打に切割ます。一旦じっと見詰めますれば後はねらひも何にもありません。心の平静が肝要で動揺を起こしましては最早切れません。小豆に至っては一層困難が加はります。大筆程の篠竹を地に立て同じく抜打に割りますには眞に刃筋の正しさも加はらなくてはなりません。この修業は弓道も手裏剣も同じ事となりませうか。眼をたよるははじめの間の事で眼で見るは方便体にあり心にあると存じます。私はいら立った氣力に任せて刀を物打から前屈みに曲げてしまった事もあります。

刀の折れる箇所。私は現代刀では強い様を致しませんので一度も折った事はありません。本鍛えの刀でありますと一振りだけ堅物を斬って折りましたが刃まちからでありました。それも半だけで飛びませんでした。

2013年7月25日 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部