立身流第19代宗家 加藤久 論稿
昭和11年2月25日
(転載不可)
剣道教士、居合術教士 加藤久
招魂祭や人出の場所に口上も面白く小手先鮮やかな小刀の扱ひからするりと抜き放つ野太刀の冴えで蟇の油を売る居合抜の面白さも今は思出の種とはなつた。居合とはかうしたものかと好奇心をそそつたがこれは単なる曲芸に止まるものであつたのだ。後に大家の技を拝見して其の真剣味と崇厳さと端麗なのに感嘆した。
余が立身流の居合術を半澤成恒先生に学んだのは12歳の時である。厳格な儀礼の下に刀を扱ひ毫末も敵に乗ずるの機会を与えず鞘離れの一瞬に斬倒すものであるが兜も割るの刀法は剣道にも必要である。何につけ未熟な自分は唯希望に燃え真心こめて正しく、遠く、強くと朝夕に稽古をつんだ。勤めて止まずんば奥妙に達せられないこともあるまい。
- 深山にも開くや花の頃あらん 春のこころのよし遅くとも
畳は幾度となく擦り切った柄巻さへ何回か巻き換へた。元結止めの鯉口もふつと切り、抜打に大豆も二つに割るといふ様な事も試みた。寒夜を徹しての数抜きは昔語りの記録も凌ぐに至つた。
- 鬼にても負けじと思ふ心にて 我が身の術をひとりみがかん
抜く手も見せずという早業も大事だが早いばかりが能ではない。静中に動あるべきを忘れてはならない。
- 遅くなく疾くはあらじ重くなく 軽きことをばあしきとぞ知れ
技術は心のわざを待つて始めて精妙を発揮する。行住坐臥にも油断なく、七戒を去つて無意無我に入り暗夜に霜を聞くという心境にも達したいと精進をつづけた。
- 不器用も器用も鈍も発明も 修行の末のみちは一すじ
業の進むにつれて幾分か心のゆとりもついた。求めて危地に入る憑河の勇も消えて平常心を保ち得るに至れるかしら。斬る事のみが目的でない事も分かつて来た。
- 敵うたばただ受留めて平らかに 人をも斬らず勝つは抜合
武は戈を止むるにある。修練を積み実力を蓄え戦うの要なきに至るべきだ。
- こひ口のはなぎわこそ大事なれ 抜かずにきれよ抜いてきるまじ
歳月は流れて不惑を過ぎた。進むにつれて彼岸は遠い。されど今ははや問ふべき恩師亡く学ぶべき先人もない。伝書を繙くも至らねば解し難い。流儀は異なるも心術に変りはない。
中山博道先生に随身した。
- わけ登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ
斯術の真髄は卑近にして高遠である。終生志すも到達し難い。他なしわざを通して人格を陶冶し、人倫の大道をふむにあるのだ。克己礼譲仁愛和順を旨としつとめて心中の敵を去って外敵を作らず、大道を全うせんことを希ふべきである。
- 居合とは人に斬られず人きらず おのれをせめてたひらかの道
(立身流歌等を借る)
※原文の旧字体を新字体に修正した。加藤久は、半澤成恒の勧めにより師事した高野佐三郎豊正より、大正4年1月吉辰付で一刀流兵法十二箇条目録を相伝されている。持田盛二、斎藤五郎等とも親交があった。数抜きは3万本を通している。