立身流に於る 下緒の取扱

立身流第22代宗家 加藤紘
第80回立身流特別講習会資料
平成26年2月23日
於 佐倉市佐倉中央公民館大ホール
[平成26年2月10日掲載/平成26年6月16日改訂(禁転載)]

第一、下緒(さげお)の用途例

1、立身流立合目録之巻 外(そと)より

(1)門戸出入之事(もんこしゅつにゅうのこと)
門や戸口を出入する時、特に夜の心得である。門戸の上や脇からの攻撃に備える。
門前へ行って、静かにして、姿勢を低くして様子を探り、安全と思われるならば、直ちに刀を背負う。刀を襟元より首の後へ差入れ、着物の内に入れる場合もある。脇差を擁刀して通り抜ける。大刀を抜刀して鞘だけを背負い、あるいは襟元から差込む場合もある。
いずれも、下緒を口に咥え、刀や鞘の位置は下緒の長さで調節する。

(2)夜之捜様之事(よるのさがしようのこと)
闇夜で何も分からないので、刀で敵を探る。
刀身を鞘から完全には抜かないで、剣先近くに鞘を掛けて、敵に当たれば 鞘が落ちるようにし、我は両手又は片手で柄を持ち、静かに刀を左右に動かし、鞘が敵に触れて落ちたら直ちに蹈込んで斬る。間合は刀二振分の内側となり丁度良い。余裕あれば、一度刀を抜き放ち鞘の反りを逆にして差込んだ方が鞘が落ちやすい。我は屈(かが)んで歩くか、膝行(しっこう)する。
下緒の端を指に掛けるか、片手で握って操作する。

(3)戸陰為居者知様之事(とかげにいたるものしりようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

(4)仕込者捜様之事(しこみのものさがしようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

2、立身流立合目録之巻 陰 五个 有口伝(かげ・ごか・くでんあり)の中に「塀乗越」というものがあります(後記【参考】を参照)
塀や、城攻めの際の崖、石垣に、刀を立掛け、鍔に足をかけて乗り越えます。
下緒は口に咥えるか、腰に縛り付けます。

3、縄の代用
立身流には、早縄七筋(すじ) 本縄十四筋併せて二十一筋の捕縄があります。
戦国時代には敵を生捕ることも重要でした。その技が俰、特にその組合と連動した捕縄です。縄の片端には蛇口(じゃぐち)という輪があって、そこから固定して縛り始めます。
しかし下緒を代用する時はまず蛇口をその場で作らねばなりません。

4、襷(たすき)代わりに使われることはよくしられています。

第二、下緒の長さ

大刀の下緒の長さはその用法目的や時代によって異なります。
塀乗越などには短くては役に立ちません。短いものは本縄用としては勿論、早縄用としても掛様が限られ、不十分です。他の用途としても同じことがいえます。
剣道を含む日本武道の最盛時は幕末ですが、立身流も同様です。当時は実戦の必要にせまられて下緒は長いものが多くなりました。

第三、提刀時の下緒

立身流の提刀は、右手で栗形の辺りを掌と指でくるむようにして大刀を提げ、栗形(くりがた)に通されて二重になった下緒は、さらに三等分に三折りにして一緒に持ちます(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」参照)。
従って、長い下緒でも、その端が地面に着いたり、足の邪魔になったりはしません。

第四、帯刀時の下緒

1、大刀
立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書(ききがき)」記載(参考として後記)のとおり、古来から概ね三通りの方法があります。
帯刀して歩く、或いは走る場合につき、下緒の長さとの関係で言えば、次のような整理が一応できます。

①短い場合は鞘に巻きつける。
②地面に下緒の端が触れず、また、足の邪魔にならないならば、後ろへ垂らす。
③長い下緒で上記②のような支障があるときは、右前の袴紐に挟む。

幕末に長い下緒が使用されるようになってからは、③の右前に挟む方法が多くなりました。その前は②の後ろへ垂らすことが多かったようです。①の方法は、咄嗟(とっさ)の刀の操作に不都合な為あまり行われませんでした。
拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」で「下緒を刀の後に垂らすか、袴の右前の紐に挟みます。」と記したのは上記をふまえてのことです。この二法のどちらとるべきかを敢(あ)えていえば、右前に挟む法と考えます。

理由は、

  1. 武道、剣道は発達してきたのでして(後記「剣道の発達」参照)、それぞれの時代の最先端を行く流派は、その流儀の根幹を崩さずに保持したうえで、時代に合わせて進化し、深化してきました(後記 立身流歌 参照)。立身流の500年もそうです(拙稿「立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)」「立身流に於る「心の術」」参照)。
    その最盛時は実戦との関係でも幕末と言え、流派武道の古流としての形態の踏襲は幕末が基準になります。立身流草創の戦国時代以来の形態は幕末時の形態にすべて包摂(ほうせつ)されています(後記「入堂訓」第一条参照)。時代を遡(さかのぼ)らせた形態を基本とすることはこの発達の歴史を無視することに外ならず一般的に無益有害です。
  2. 少なくも幕末以降、右前に挟む法が主流で現在にいたっている歴史的継続性があります。私は父から「どちらでも良い。」と言葉では聞いていましたが、実際に父が下緒を後へ垂らした姿は、演武中に解けた時以外にみたことはありません。
  3. 現今の下緒は長めで、垂らすと地についてしまうものもある状況です。
  4. 居合の居組の場合に下緒が最も邪魔にならない法です。
  5. 提刀時に三等分して持った下緒をそのまま右腰前にもっていけばいいので、動作に無駄がありません。

なお、原則として「挟む」のでして結いません。結ってしまって自然に解けないのでは掛けにくい技があるからです。緊急時に脱刀もできません(刀を半棒代りに使う場合など)。勿論、状況次第で結うこともあります。

2、脇差
後記 立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書」記載のとおりです。何もせず、そのまま垂らす法もあります。

3、短刀
短刀を差す場合は、括(くく)り付けるのが原則です。短刀の利用は俰での場面が多く、左手で敵を制して右手のみで、それも逆手で、抜くことが多い為です。ほぼ真横にして差します。


【参考】

1、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家 逸見柳芳筆)中、「立身流傳受 立合目録之分」中、「●五个 有口傳 陰五个口傳之分」より
「塀ヲ越ユル時手掛無之節刀鍔下緒ヲ用可心得是則城乗リ也」
(へいをこゆるとき、てがかりこれなきせつ、とうがくさげおをもちゆ。こころうべし。これすなわち、しろのりなり。)

2、「立身流聞書」(第21代宗家 加藤高筆)より引用
「一、・・・帯刀と下緒について
・・・武士は概ね角帯をなし、その上に袴を着用するを習ひとせしを以て、大小の帯刀は、先ず小刀を着物と帯の間に鍔が体の中央にある程に差し(前半に)、大刀は小刀の接触す帯の一重を隔てて小刀の上より柄頭が体の中央にある程に差すを通例とし、刀の下緒は、小刀はその端を固く結びて鞘(栗形の上)の下より刀裏の方へ一重廻して栗形の處にて下緒の基部に引き通して下に垂らし、大刀は帯刀して帯を隔てて鞘の上より後にかけて垂らすか、又は必要に応じ解き良き様に栗形を中心として鞘に巻きつけるか、或は下緒を前より廻はし腰部の袴紐にはさむ(結ぶ場合もあり)。戦陣などにて鞘の抜け落ちざる用意のため、小刀下緒の下方に垂らしたる下緒の端へ、大刀の下緒を通して腰部の後に廻し、前にとりて、前に結ぶ場合もあり。」

3、「剣道の発達」  故文学士 下川潮 大正14年

4、立身流歌
「我が術を多くの人のそしるなら 鼻に聞かせてそしられてゐよ」 [立身流 理談之巻]
「世は広し折によりても替わるべし 我知るばかりよしと思ふな」 [立身流 理談之巻]

5、「立身流入堂訓」(昭和62年1月27日 第21代宗家加藤高 全十ヶ条)より1ヶ条引用
第一条 立身流を学ぶ者は、流租神伝以来、歴代先師が、尊き実地試練の苦業を経て完成されし形、その他、古来より伝承されし当流の内容に聊かも私見を加え、私意を挟み、之を改変すべからず。