1952年(昭和27年)前後の立身流を含む日本古武道振興会会員写真等

立身流第22代宗家 加藤 紘
[令和2年(2020年)2月23日掲載/令和4年11月28日改訂(禁転載)]

⑴ プログラム
1951年(昭和26年)9月8日サンフランシスコ講和条約が調印され、翌1952年(昭和27年)4月28日に発効した。
この年、10月30日に日本古武道振興会主催の「明治天皇御生誕百年大祭奉祝全国古武道各流大會」が明治神宮外苑相撲場で開催された。
この大会のプログラム、及び松本学日本古武道振興会代表者より加藤高立身流第21代宗家への参加礼状を次に掲載する。

⑵ 写真
そのころの日本古武道振興会の会合写真を次に掲載する。

日本古武道振興会の会合写真 [立身流所蔵]

この写真は前記⑴記載の大会の際のものである可能性もあるが、プログラムに載ってない先生も写っている。
その当時前後から東京日比谷公園内にある野外大音楽堂で日本古武道振興会主催の古武道大会が何回か開催され、私も何度か父の高に連れられて見学した。その関係のものだとすると、会場は焼失再建前の日比谷松本楼2階の可能性もある。
写っている先生方につき、私に判別できる範囲で流名と氏名(敬称略)を記した。
24番の三田村武子先生は推測である。
新たな情報や誤りの訂正の情報を頂ければ幸いである。

日本古武道振興会の会合写真(人物説明番号付記)[立身流所蔵]

①松本学 ②不明 ③小野派一刀流 笹森順造 ④日置流 浦上栄 ⑤香取神道流 杉野嘉男 ⑥不明 ⑦双水執流 杉山正太郎 ⑧不明 ⑨天神真揚流 宮本半蔵 ⑩双水執流 佐藤昇一郎 ⑪天神真揚流 相宮和三郎 ⑫不明 ⑬根岸流 齊藤聡 ⑭神道夢想流 清水隆次 ⑮念流 川内鐡三郎 ⑯不明 ⑰不明 ⑱香取神道流 鳥飼よし ⑲神道夢想流 西岡常夫 ⑳不明 ㉑鹿島神流 国井道之 ㉒不明 ㉓不明 ㉔天道流 三田村武子? ㉕不明 ㉖小野派一刀流 小野十生 ㉗立身流 加藤貞雄 ㉘立身流 加藤高 ㉙鞍馬流 柴田鐡雄

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令和4(2022)年11月28日追記(元 ⑲不明)
2022年(令和4年)11月にスペイン在住オスカー・イバネス氏より⑲の方は西岡常夫先生ではないかとの指摘を受けました。神道夢想流杖術の江角和敏先生にお尋ねし、確認することができました。ありがとうございました。

立身流剣術表之形破と「手本柔」 (立身流變働之巻)

 立身流第22代宗家 加藤 紘
平成27年度立身流秋合宿資料
平成27年10月17日(土)-18日(日)
[平成27年8月25日掲載/平成27年11月23日改訂(禁転載)]

第一、立身流剣術表之形破の体系

一、形の名称と傳書の記載
立身流では一つ一つの形の名称が傳書に網羅されているわけではありません。
傳書では形についてその体系等の根元的意味合や応用の方向性が簡単に述べられているだけのものが多く、形の種類本数や順序名称、変化などは、基本的に実技の習得と口伝(くでん)によって伝承されます。
立身流剣術表之形(序破急)も同様です。

二、立身流に於る剣術表之形の位置
立身流の中核である刀術の、更にその中枢に位置します。
立身流での基本的な技、動き、身体の習得の為の課程であり、剣術表之形の習得なしに他の形には進みえず、進んでも正確な他の形の習得は不可能です。
剣術表之形の技術的な体得の方向や理合を理解せずに他の形、他の種目に入っても、ただ、身振りが似ているにすぎない外形を真似するだけで、技になっておらず、してはならない動きの数を重ねることになります。

三、表之形破の本数と名称は次のとおりです。
一本目 向(むこう) 二本目 圓(まるい) 三本目 前斜(まえじゃ) 四本目 張(はり) 五本目 巻落(まきおとし) 六本目 大(体)斜(たいしゃ) 七本目 提刀向(ていとう むこう) 八本目 提刀圓(ていとう まるい)
七本目と八本目は併せて提刀です。

四、表之形破での提刀
表之形での提刀とは、受方仕方双方とも納刀した状態から始まる剣術の形を意味します。
組居合とは異なります。立身流での組居合とは、2人以上の人数で他の人の呼吸を探り、主に多数人相手の技を練磨する稽古法を意味します。
また、刀を右手(あるいは左手)に提げた状態からの技を意味する場合の提刀と、語は同じですが内容は異なります。この意味での提刀の技は半棒の応用に近いものです(半棒とは反(そり)の利用等による相違がでます)。

五、最初と最後が向圓
(1)体系として向圓から始まり向圓で終わっています。
その間に三本目から六本目がはさまれ、くるまれた形容です。
(2)剣術表之形破の一、二本目と七、八本目との相違
①一本目と七本目は向です。
一本目は、受方の左上段からの面撃に対し、仕方は平正眼から向受で請流し受方の面を斬ります。
七本目は、受方の抜刀での正面撃に対し、仕方はこれも抜刀での向受で請流し、受方の面を斬ります。
②二本目と八本目は圓です。
二本目は相中段に構え、まず、受方でなく仕方からの右小手撃に対し、受方は左後方に左足から小さく一歩退きつつこれを抜き、右足から一歩蹈込んで仕方の面を撃ちます。仕方は右に体を捌くと同時に圓受で請流し、受方を(左)袈裟に斬落とします。
八本目は、仕方からの抜刀での小手撃に対し、受方は右足のみを小さく退くと共に擁刀してこれを抜き、右足を蹈出しつつ抜刀して仕方の面を撃ちます。仕方は右に体を捌くと同時に圓受で請流し、受方を(左)袈裟に斬落とします。

六、立身流剣術表破の向圓(仕方)と立身流居合の立合表破の向圓との相違
(1)
剣術一本目向の仕方と居合向との相違は、平正眼からうけるか抜刀して受けるかにあります。
剣術七本目提刀向の仕方の動きと、居合向の動きは同一です。

(2)
剣術二本目圓の仕方と居合圓との相違は、①中段か抜刀か、②初太刀につき、仕方が右足から一歩蹈出しつつ打つか、歩みの右足だけを蹈出しつつ斬るか、③二之太刀につき、受方の反撃を請流しつつ袈裟に斬るか、敵がのけぞったところを(その反撃のないまま)正面から斬り下げるか、④二の太刀につき、仕方が右足から右に体を捌(さば)きつつ斬るか、左足を蹈出しつつ斬るか、⑤斬撃箇所が左袈裟か、正面か、です。
剣術八本目提刀圓の仕方と居合圓との相違は、上記中の③から⑤です。
剣術と居合の大きな相違は敵の反撃があるかないかです。

七、三本目から五本目は、それぞれが技としては二本でひとつの形となっています。
仕方の激突が一旦決まり、間合がとられた瞬間に受方から更に攻撃されます。残心をとる前の段階での敵の攻撃に対処するわけです。残心はこの際の体勢、心持などの延長でなければいけません。
基本的な技の多様さを求める意味合もあります。

第二、立身流剣術表之形破の意義

一、立身流の技法全体及び立身流刀術の礎をなす形であることは前述しました。
即ち、立身流の視点からの武道全体の基本と極意が凝縮されています。
それは、他の形や武器との関係でもそうなのですが、重要なのは、形以前の身体や動作の習得が表之形でなされることです。全てに通ずる武道としての動き方の練磨ということです。武道としての修練で鍛えられた身体の体幹、丹田から発して指先にまで連動した武道としての動きによって、初めて技が生まれます(拙稿『 立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録) 』参照)。

二、向圓の重要性や、居合を含め全てが向圓の延長上にある様子も前述のとおりです。

三、刀術は微妙精密です。
向圓から派生した精密な技の習得が、前斜、張、巻落、大斜の四本に任されます。それらは全て、長年の練磨によってやっと獲得できる刀術の極意の技です。
それらは向圓から発するのですが、向圓に戻っていきます。刀を、ただ、抜き、振り、切り、あるいはわが身を囲う道具だと思っていたのでは刀術は身に付きません。
敵に攻撃され反撃され、それへの対処の中に勝を探ります。
それは一瞬の差、剣先の刃の厚みの差、鎬の僅かな角度の差などを使いこなせるかで決まります。
この微妙さを理解しようとせず、体得しようとしない人はいつまでも未熟なままです。

四、刀の構造性質の習熟
表之形の特質に、刀の形態構造性質に習熟するための形である面もあります。
刀を使っての精密な技、微妙な動き、そしてそれによって生死が分かれる感覚を理解するには、刀を理解し自分の身体の一部としなければいけません。
そこで初めて「刀の技」が生まれ、「我体自由自在」(立身流秘伝之書)になるのと同様に「心のままに太刀や振られん」(立身流理談之巻)の状況(以上、拙稿『 立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻) 』参照)に至るのです。

五、刀操作の技術の例
(1)剣先の厳しさ
剣先が常に厳しくなくてはいけません。剣先が効いてなければいけません。構えているときも、技をかけている最中も、打突の時も、防ぐときも、それらの後も、です。表之形破の八本は、剣先が常に生きてなければ使える技ではありません。刃先を意のままに操る精妙さが必要です。
前掲拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』の「第九、道歌」、及び後記 参考4 を参照してください。

(2)
敵の刀などの武器との接触は、ほとんど我が刀の鎬でします。攻めるときも守るときもです。敵の武器をたたくときも請流すときもです。
鎬を使える刀の角度は微小です。その僅かな角度を使いこなさなければなりません。

(3)反(そり)
我が刀の力や速さを敵の刀に及ぼしてこれを制し、あるいは敵刀での攻撃の力や速さを殺(そ)いでこれを制するためには、刀の反を利用します。反りを利用しなければ掛けにくい技もあります。巻落の序之形の巻上などがそれです(敵の刀にも反りがあるのでなおさらです)。
前突、表突、裏突の違い(合車の陰にはその全てが含まれます)も反の利用の仕方によっての相違ともいえます(後記 参考1 参照)。

(4)両手の役割
特に刀術では右手と左手の役割分担が顕著です。
右手は、例えば剣先の精密な動きなどに働くことも多いのに対し、左手は刀の大まかな動きの方向を決め力や速度を増す働きに使われることが多いと言えます。これには両手のそれぞれ握る柄の位置の相違による影響もあります。
手之内にも右手と左手での相違が出てきます。

(5)柄を握る両手の距離
ですから、両手を接して柄を握りません。接して握っては、上記(4)の働きができません。一本目の向の請流しもできません。両手を接して柄を握っていたのでは立身流剣術はできません。
前記のとおり、刀は、ただ、抜き、振り、切り、あるいはわが身を囲う為だけの道具ではありません。刀は刃筋を立てて力強く速く振ればいいだけのものではありません。
「我体自由自在」(立身流秘伝之書)になるのと同じように刀を自由自在に操るためには、そして「心のままに太刀や振られん」(立身流理談之巻)という状況になるためには両手が離れてなければいけません。

(6)柄の握様
柄の握り様については、前掲拙稿の第十一、「立身流聞書」(第21代宗家加藤高筆)をご覧ください。
柄を握る手や指、特に右手の人差指のありようも「食指は軽く屈め」と当該箇所にある通りです。人差指は柄にからみつくように接します。
但し、初心者や手之内が崩れて固い人などに対しては、左右の人差指を柄にまとわりつかせないで真直ぐ伸ばすように指導することがあります。手之内を心得やすいからです。熟練者も確認や自らの錬度をあげる稽古として有効です。
立身流では親指でなく人差指を鍔にかけます。これは手之内を整えるのに効果的で、次の柄を握る手之内の予習をしているようなものです。そのまま刀を半棒代わりに使う技にも移行できます。

六、「手本柔」特に手之内の有り様
以上はすべて、立身流変働之巻に示される、身のこなれ、柔(しな)やかさ、手之内の現れです。前掲拙稿を参照してください。
向圓で要求される身のこなれ、手之内が、前斜、張、巻落、大斜での具体的な技の稽古のなかで更にみがかれていきます。
形はすべて、大きく、伸びやかに、柔(しな)やかに、なされなければいけませんが、その前提として、表之形の八本は、全て、身のこなれ、手之内ができてないと打てない形ばかりです。
その意味で、表之形は向圓で要求される手之内を検証する形といえます。
手之内ができてないのに使えば、失敗して敵に敗れ負ける技の稽古を通じて、手之内などを体得していくのです。

第三、立身流刀術稽古での用具につきまとめてみます。

立身流全体の用具についてはいずれ別稿でまとめます。

一、袋撓(竹刀)
袋撓については、拙稿『立身流に於る 桁打、旋打、廻打』を参照してください。
手之内の稽古との関係では、竹の弾(はじ)く力の吸収の工夫がされています。革でくるんだり、割竹と丸竹を使い分けます。
独特な鍔をつけます。鍔をつけない立身流の袋撓はありません。刀術、特に向や剣術表之形は、鍔がなくては打てません。

二、木刀
立身流に鍔のない木刀はないのは袋撓と同様です。木刀には必ず鍔をつけます。鍔のない木刀は危険で、形を打つことは不可能です。
後記 参考2 の道歌を参照してください。
鍔のない状態での修錬は、棒、半棒などでなされます。

三、振棒
いわゆる鍛錬棒ですが、立身流の振棒は、木刀をより太く長く重くしたような形状です。
振棒は旋打の左圓と右圓を併せ行う法を行うのが基本です。
鍔はありません。立身流外の人で立身流振棒を立身流木刀と誤解する人がいますが、鍔のない立身流木刀はありませんし、立身流振棒は鍛錬のための特殊な目的でつくられた特殊な用具であって木刀の代わりになるものではありません。

四、居合刀
居合の稽古用の真刀です。現在、初心者には危険防止上いわゆる模擬刀の使用を許していますが、本来なら居合刀で稽古するところです。

第四、立身流剣術表之形破の内容

一、立身流剣術表之形一本目向、二本目圓、七本目提刀向、八本目提刀圓の動きについては既に記したとおりです。
向受と圓受の鎬活用法については拙稿『立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味』記載のとおり、「向受は右鎬で剣先側より鍔元方向へ敵刀をすべらし、圓受(剣術)は左鎬で鍔元側より剣先方向へ敵刀をすべらす。」ようにします。

二、三本目「前斜」、四本目「張」、五本目「巻落」、六本目「大斜」については
拙著「立身流之形 第一巻」を参照してください。以下はそこでの記載に付加されるものです。

三、立身流剣術表之形破三本目「前斜」(まえじゃ)
受方の左上段からの面撃に対し、仕方は平正眼から一歩退きつつ左鎬で摺(すり)上げ、一歩出つつ面を斬ります。更に、受方の中段からの右横面撃に対し仕方は中段から左斜め後方へ退きつつ右鎬で応じて弾(はじ)き返し一歩出つつ面を斬ります。

(1)左摺上
①内容
我が刀の切っ先を、自由自在に柔(しな)やかに弾力性を持って操作し、双方の刀の刃の厚さの微妙さを制し、撃ち来る敵の動きの起りをとらえ、その鍔元に我が剣先を利かして接しつけ、敵刀を我刀の表(刀の表は左側)に誘導し、我が刀の剣先近くの鎬で敵刀の鍔元寄りを抑え上げるように絡(から)め捕り、斬り下げる敵剣先が我鍔元寄りに来るように我刀の鎬で敵刀を滑らせながら我が刀を振り上げて摺上げます。
敵刀はその勢いのまま、その刃が我刀の左鎬を削るようになり、その剣先は我体や刀から外れて下に落ちます。
始まりは敵刀の鍔元寄りの刃の左側に我刀の剣先近くの左鎬が接触し、終りは敵刀の剣先近くの刃の左側が我が刀の鍔元寄りの左鎬から離れます。最初から我刀の鍔元寄りに敵刀が接してしまってはこの技をかけることは困難です。
我刀の剣先近く物打付近から鍔元寄りまでのほとんど全ての左鎬が、敵刀の鍔元寄りから剣先近くのほとんど全て(の刃)に接触します。
摺り「上がる」のは我刀であり、敵刀は撃ち込んだ勢いでそのまま落ちます。
この技は精妙な感覚を理解しなければできない技です。
後記 参考3 に挙げた「剣法至極詳伝」の記述を参照してください。
武道では余計で派手な動きはいけません(後記 参考4 参照)。
立身流の「匂いの先」を感得し、体幹から発する手之内を会得してなければできない技です(「匂いの先」については立身流剣術五合之形三之太刀参照)。

②摺上、張、巻落の異同
摺上は後述の張、巻落の基礎ともなる技です。摺技の基本ともいえます。
「摺る」というのは、我刀のほぼ全てを使って敵刀のほぼ全てを摺ることを意味します。
刀では刀同士の擦れ合う音が聞こえます。
摺上での摺り始めは、敵刀の鍔元寄りの刃の左側への我刀の剣先近くの左鎬の接触です。摺り終りは敵刀の剣先近くの刃の左側が我が刀の鍔元寄りの左鎬から離れます。
これに対し、張と巻落での技の摺り始めは、敵刀の剣先寄りに我刀の鍔元に左鎬が接触している所から始まります。摺り終りでは敵刀の鍔元近くが我が刀の剣先近くの位置から離れます。
張と巻落との技の相違は一直線か巻かで、その結果、摺り終りに違いがでます。
張の摺り終りが我刀の左鎬と敵刀の左鎬(ないし峯の左側)との接触なのに対し、巻落破の摺り終りは我刀の右鎬と敵刀の右鎬です。巻落の序での摺り終りは我刀の峯と敵刀の刃になります。
後述のとおり、張と巻落には共通する要素が多々あります。

(2)右応じ
①内容
我刀身の中程あるいは鍔元寄りの右鎬で応じて敵の刀を弾き返します。
我体幹から発する右手首の動きと手之内が肝要です。
我刀と敵刀はそれぞれの一点で触れ合うだけで、擦れ合いません。
刀では刀同士で一瞬弾かれる音がします。

②稽古方法
木刀(袋撓)の剣先を他の人に持ってもらって動かせないようにしたうえで、我鍔元寄りの鎬で受方の木刀の物打を右上に弾(はじ)く稽古が有効です。

四、立身流剣術表之形破四本目「張」(はり)
小走りで八相から中段に変化した受方が余勢で仕方の水月を突くのに対し、仕方も小走で脇構から下段(刀は水平)に変化したうえ一歩退きつつ(間合により、その場か退がるか、どちらでも良い。拙著「立身流之形 第一巻」参照)小さく摺上げる如くして受け、直ちに左下へ張り落として一歩出つつ水月を突き返す。更に、受方の中段からの我右小手撃を仕方は中段から左斜め後方へ少々退きつつ右鎬で小さく応じて弾き返し一歩出つつ敵右小手を斬ります。

(1)張落
①内容
敵の突を我剣先の効きで我左鎬に誘導し、我鍔元付近まで呼び寄せかつ敵の剣先を我体から外し、我鍔元付近の左鎬で敵刀の剣先寄り乃至物打(の刃)を抑え上げるように絡(から)め捕り、我両手を左にかえしつつ我刀の反を利用して敵刀を敵の右足元へ一直線に張り落します。
我刀の剣先は敵の体の右脇前近くを一直線に落ちて行き、最後は敵刀の鍔元近くで敵刀と離れます。
我刀の左鎬のほとんど全てを使って敵刀の剣先寄りから鍔元までを一直線に摺り落とすのです。
張る動作の始まりでは敵刀の剣先寄りの刃の左側に我刀の鍔元近くの左鎬が接触しており、終りは敵刀の鍔元寄りの峯(みね)の左側が我が刀の剣先近くの左鎬から離れます。最初に我刀の鍔元近くに敵刀の剣先寄りが接していなければこの技をかけることは困難です。この点、摺上とは逆になります。
我刀の剣先は敵刀の鍔元にくいこみ、敵の右手に逆が効き、敵刀は敵の手を離れてその右下に落ちたりします。
我刀が敵刀に接している間の敵刀の落下速度の加速が肝要です。
最後に、反りをも利用した我剣先のわずかな動きで敵の鍔元寄りを動かし敵刀の落下速度を最高にします。
我剣先が終始厳しく効いてないと張る力が抜け、威力が出ません。
摺らないで我刀と敵刀が一点で接触するだけではできない技です。

②張落と摺落
後記参考3をご覧ください。
そこに述べられている「摺落し」は、正に立身流の「張」そのものです。
「剣法至極詳伝」での「摺落し」の語は「張」と言い換えることができます。
「摺落す」のは我刀であり、「摺落される」のは敵刀です。
ただ、立身流の張は敵の突に対するものだけでなく、敵の上段からの撃にも対処します。立身流剣術表之形序での張がそれです。

(2)応じ小手
前斜での右応じとほぼ同じですが、より小さく、より精妙な動きになります。
受方の振りかぶり自体小さく、仕方の小手が受方の振り上げた自分の両手の下から視認できる程度ですが、仕方の応じもこれに対応して弾きはできるかぎりに小さくしかも有効になされ、斬るための振りかぶりは右上に弾く動作と連動してほとんどなくなります。体幹から発する手首と手之内の僅な動作で敵の右小手を斬ります。

五、立身流剣術表之形破五本目「巻落」(まきおとし)
受方の左上段からの面撃に対し、仕方は平正眼から一歩退きつつ左鎬で摺上(すりあげ)る如くして受け直ちに左、下、右と巻落し、一歩出つつ水月を 突く。
受方は右足から大きく一歩退いて肩上段に、仕方は受方の動きに合わせて右足から、これも大きく一歩退いて脇構にとる。
受方の右足、左足、右足と踏み込んでの正面撃に対し、仕方は左足、右足、左足と踏み込みつつほぼ水平に逆胴を斬り左膝を立てて折敷きます。

(1)巻落
敵の正面撃の刀を、我剣先を利かして我左鎬に誘導し摺り上げる如くして我鍔元近くまで敵刀を呼び寄せ、わが鍔元近くの左鎬で敵刀の剣先寄り乃至物打(の刃)を抑え上げるように絡(から)め捕り、我両手を左にかえしつつ、まず敵刀の剣先寄りを僅かに左に動かし、加速しながらほぼ真下へ、最後は我剣先近くの右鎬で敵刀の鍔元を右に払って巻落し、下段(立身流の下段は水平)ないし少々低い位置にある剣先で水月を突きます。
我刀の反をも利用して敵刀を敵の左足元へ巻落します。
我刀の剣先は敵の体の右脇前近くをその体形に沿って落ちて行き、最後は敵刀の鍔元で我刀の右鎬と敵刀の右鎬とが離れます。
始めは我刀の左鎬を使って敵刀の剣先寄りから巻落し始め、最後は我刀の剣先近くで敵刀の鍔元を右に払うことになります。
巻落す動作の最初に我刀の鍔元近くが敵刀の剣先寄りに接していなければこの技をかけることは困難です。
我刀の剣先は敵刀の鍔元にくいこみ、敵の左手に逆が効き、敵刀は敵の手を離れてその左下に落ちたりします。序之形では巻き上げられますから敵刀は敵の左上方へ飛ばされます。
我刀が敵刀に接している間の敵刀が巻かれて落下する速度の加速が肝要です。
最後に、我剣先のわずかな動きで敵の鍔元寄りを動かし敵刀の巻かれる速度を最高にします。
竜巻を思い浮かべてください。周辺の渦(うず)は中心に近づくにつれ速度を増し、物は吸い込まれて空中に飛ばされます。同じような威力が巻落に求められます。
摺らないで我刀と敵刀が一点で接触するだけではできない技です。
そして、我剣先が終始厳しくきいてないと巻く力が抜け、威力が出ません。

(2)逆胴
立身流の胴撃は逆胴が基本といえます。刃筋の通りを考慮するといわれます。半棒に敵の右胴を斬る形がありますが、これは逆袈裟斬りともいえるものです。
後に述べる体斜の二太刀目に仕方が折敷いて受方の右胴を斬る変化がありますが、これも胴への袈裟斬りといえます。

六、大(体)(たいしゃ)
受方の右上段からの面撃に対し、仕方は平正眼から身を左後方へ退きながら右鎬で摺上げ一歩出て面を斬る。更に、受方の中段からの右膝撃(折敷いてもよい)に対し、仕方は中段から刃を後向に剣先を下に柄を上にして右鎬で受け、同時に左足を左方に開き右足を左足の右後方へ引きながら(折敷いて胴へでもよい)面を斬る。

(1)右摺上
前斜の左摺上の左が右になったのとほぼ同一です。
双方の刀の刃の厚さの微妙さを制して我刀の右鎬で技をかけます。

(2)大斜受
右之圓の請流しの応用です。

第五、立身流剣術表之形破の要素

一、立身流剣術表之形破の体系をあらためてみてみます。
全体が向圓にくるまれている状況については初めにのべました。
立身流全体を見ても、向圓に始まり、かつ、終わります。
立身流極意之巻では、向は月之太刀として、圓は日之太刀として、前斜は星之太刀として回帰します。

(1)立身流表之形破の摺技をまとめると次のとおりです。ここでいう摺技とは、仕方(我)が積極的に仕掛けている摺技のことです。

三本目 前斜の左摺上面
四本目 張の張落突
五本目 巻落の巻落突
六本目 体斜の右摺上面

(2)これをみると、まず基本(秘伝ともいえます。後記 参考3 参照)としての左摺上、これを習得した上で張、更に巻落、そして基本である摺上に戻ります。戻った摺上は右摺上に変化しています。
これに応じ技二本と逆胴、大斜受が加っていて、その全てが向圓にくるまれているわけです。

二、敵の攻撃や反撃を考慮する刀術
(1)起り
以上、いずれの技も敵の動きの起こりを察知できなければいけません。
その上で、我はすぐ行動に出るか(圓、前斜および体斜の摺上)、敵刀を呼寄せたうえで技をかけるか(向、張、巻落)、敵の動きに合わせて同時に動くか(前斜および張の応じ技、巻落の逆胴、大斜受)です。

(2)剣先の厳しい効き
いずれの技も剣先の厳しさが重要です。これがないと技がかからないだけでなく、我からの攻撃に結びつきません。
また、剣先が締っておらず浮いていては効きが甘くなります。

(3)敵の刀を操るには鎬を使います。
それは必然的に反(そり)をも利用することになります。

(4)技とは
張や巻落を含む摺り技や応じ技あるいは、萎(なやし。萎技は鎗術や長刀で多く用いられます)等の技は、我が刀で、敵の刀を、ただ単にどかしたりたたいたりしているわけではありません。敵の刀の一点を我刀の一点で押して移動させているのではありません。
そして、ただ刀で我身を囲っているだけでもないのです。あるいは我刀のどこででもいいから、敵刀のどこでもいいから受けているだけではないのです。
未熟練者が立身流表之形の技を使うとどの技も皆全く同じ動作になってしまって差異がなくなってしまいます。大げさな身ぶりが違うだけで技になっていません。

「藝術ヲ習極」(ならいきわ)(立身流秘傳之書)める気持が必要です。
そして「極める」には、これらの技を可能にする「手之本柔」な武道の身体と動きにまで行きつくことが重要で、それこそが真の技だといえます。
どの段階の人にも目標とすべきものは必ずあります。常に自らの目標を捜し目指すべきです。慢心して偉くなってしまってはいけません(『立身流入堂訓』参照)。

(5)技は力まかせにするものではありません。
力まかせにしなければかからない技には無理があります。
張も巻落もその動きは自然の流れに従うもので力まかせの場面はありません。
私は張と巻落につき「最初に我刀の鍔元近くが敵刀の剣先寄りに接していなければこの技をかけることは困難です」と前記しました。
しかし困難ではあっても不可能ではなく、実戦でそうしなければならないときもあるでしょう。
ただ、技のかけ始めが我刀の剣先寄りと敵刀の鍔元よりの接触からですと、初めに力をかけないと敵の刀が動きません。
前記拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』に「身体がこなれないうちは、力の要る技(場合により、張、巻落など)の稽古をしてはならない、ということにもなります。」と記したのはこのことです。

(6)立身流修業上の注意
立身流の想定する敵、すなわち受方は名人です。素人ではありません。我(仕方)は素人をやり込める為の稽古をしているわけではありません。ただ手馴れるだけのような稽古をしてはいけません。名人を目指す稽古をしなければなりません。
また、仕方は敵が名人であるとして稽古しなければなりません。思いつきや思い込み、知識やフェイントで勝てる相手ではないのです。いろいろ工夫はしなければいけませんが、即効性がなく時間がかかっても常に基本を求め、基本にのっとる姿勢が必要です。
受方は自分が名人ならどうするか、との想定で動かなければなりません。

第六、立身流剣術表之形破と他の形との関係

一、立身流五合之形(詰合をふくむ)については別稿に記します。
五合之形二之太刀は、摺技としては前斜よりも張、巻落に似ます。
しかし表之形の摺技のように敵刀を制したうえで攻撃するのでなく、摺技と攻撃が一体となっています。
いくつかの他流にもみられる技です。
五合之形は五之太刀まであるのですが、その体系としては、敵に遅れて攻撃するか、敵と同時に攻撃するか、敵に先んじて攻撃するか、が重要です。
二之太刀は敵と同時に攻撃する技です。そして相八相からの技に続き、相中段からの技となります。

二、警視流木太刀之形での摺技と立身流表之形破との関係
これについても別稿に記します。
警視流木太刀之形で摺技と思われる技を含むものは次の5本です。巻落は本稿で説明した立身流の巻落です。

第一 八相
第二 變化
第四 巻落
第五 下段の突
第十 位詰


【参考】

1、木下壽徳著「剣法至極詳伝 全」(大正2年6月25日発行) 96ページより引用

「諸手にて突くべき場合起りなば
   手元うかべて突下すべし」

2、「鍔はただ 拳の舘と心得て 太くなきこそ 僻事と知れ」[立身流理談之巻]

ただ=ひたすら
舘(たて、たち)=やかた、

太し=しっかりして動じない

僻事(ひがごと)=道理にはずれている、正しくないこと

3、前記「剣法至極詳伝 全」122ページ以下より引用

「三七 摺上げ摺下し
すり上げて面を打つのは至極なり
   すり落しからつきも亦妙
摺上げ摺落しは・・・起りに依つて為さずんば巧みに成就し難かるべく若し技に現れたる後に之を為すは既に遅し摺上げ摺落しは斯くの如く六ヶ敷き技なるが故に一刀流にては免許の許に加へあり即ち免許の技倆なくんば為し能はざるものと推定せざるを得ずすり上げとは敵面を打って來るを受けながら敵の太刀を殺し我が太刀を生かして打つを謂ひ又すり落しとは敵の突き來る太刀を殺し我が太刀を生かして突くを謂ふ起りを知ることを得ずんば此拍子を會得すること難ければ・・・」

4、前記「剣法至極詳伝 全」88ページ以下より引用

「受けとむる太刀を我身に引きつけず
   構へたるまゝうけならふべし」
・・・敵の打ち込む太刀は構へたるまゝにて微かに動かせば受け止め得べきものなるを大きく受け止むるは心の迷ふが為めなり・・・」

以上

立身流に於る 足蹈と刀の指様

立身流第22代宗家 加藤紘
平成27年8月2日(日)
立身流特別講習会資料
[平成27年1月21日掲載/平成27年8月19日改訂(禁転載)]

第一、立身流序之巻より

一、立身流序之巻の中に次の記載があります。1590年代に分流した立身新流抜合(いあい)序之軸にも同一の文章が含まれています。

「夫 為武之備 有干戈 有戟杖 為其器也 転多 為其利也 又不少 雖然 何 有以帯腰之利剣者乎 為其干戈戟杖者 不軍卒闘戦之砌諸侯行路之次 則 其外 多 是 可用之歟 正 是 為此利刀具也 二六時中 不可離身之者也・・・」

「それ ぶのそなえたるや、かんかあり げきじょうあり。そのきたるや、うたた おおし。その りたるや、また すくなからず。しかりといえども、 なんぞ たいようのりけんにしくものあらんか。そのかんかげきじょうたるは、 ぐんそつとうせんのみぎりしょこうこうろのじならざれば、すなわち そのほか おおく これ これをもちうべきか。まさに これ このりをなすや とうぐなり。にろくじちゅう みをはなすべからざるのものなり。・・・」

二、帯腰の利剣は、社会生活日常生活で身から離しません。

屋外では常に大刀を帯刀し、歩くとき走るときも腰にあります。脇差を腰にし、時には短刀をも腰にします。
刀術、特に居合は、戦場だけでなく日常生活での歩みや走りを前提にしています(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」第五、足蹈(実演)参照)。
戦場でも歩くか騎馬です。
居合は、普通に歩きながら抜いて請流します。あるいは普通に走ってきて抜いて斬ります。
事前に刀を抜く余裕がある場合は、刀を抜いておいて剣術に入ればいいのでして、それが原則です(後記参考1、参照)。

第二、足蹈 (あしぶみ)

一、立身流に於る歩み(足蹈)の重要性
立身流では、歩み方(走り方を含む)が一番むつかしいといわれてきました。
武道での歩みには厳しい稽古と鍛錬による技術の習得が必要です。
前掲拙稿にも示した立身流道歌を記します。

  • 足蹈は大方物の始めにて いえの土台の曲尺と知るへし [立身流俰極意之巻]
  • 行水の淀まぬ程をみても猶 わが足蹈をおもいあはせよ [立身流立合目録之巻]
  • 敵は波 我は浮きたる水鳥の 馴れてなれぬる足蹈をしれ [立身流立合目録之巻]
  • 足蹈は常の歩みの如くして おくれし足はかかと浮へよ [立身流歌]

常の歩みといっても、個人の癖や身体状況精神状況を含んだ、その個人個人のあるがままの歩きがそのまま良いものなのではありません。その個人にとって一番楽な歩き方が武道においての常の歩みではありません。
「常の歩みの如くして」なのです。

二、宮本武蔵の足蹈
加藤髙先代宗家は宮本武蔵を尊敬していました。
平常の動作を追及するなど、立身流の認識や感覚と共通するところが多く、説く内容に似るところが多い故かと思われます。
その宮本武蔵が足蹈についても立身流と同様の表現をしています。

「一 足つかひの事
足の はこひやうの事 つまさきを少うけて きひすをつよくふむへし 足つかいは ことによりて大小遅速はありとも 常にあゆむかことし」

「一 他流に足つかひ有事
我兵法におゐて 足に替わる事なし 常の道をあゆむかことし」
(以上、五輪書)

「一 足ふみの事
足つかい時々により 大小遅速は有れ共 常にあゆむかことし」
(兵法三十五箇条)

武蔵は五輪書に「常にも 兵法の時にも 少も かはらすして」と述べ、同趣旨の言葉を随所にちりばめています。そして例えば「常の心」が単にその人の平常の気持を意味するのではないのと同じく、「常にあゆむがことし」というのは、その人の普段の歩き方そのものが良いのだ、と述べているわけではありません。

三、常の歩みの内容
武道としての常の歩みはただ歩けばいいというものではありません。
前掲拙稿から引用します。

「立姿から、眼に見えない程少々重心が前に移り、足がこれについてきて、歩み始めます。両足はなるべく平行となります(甲冑を着用しているときはやや異なる)。また、無理に足を上げません。後の足の踵は歩むとき軽く浮きます。」
「身体の上下動、左右動、前後の揺れ、身体の捻じれ等がない自然の歩み、常の歩みをします。竪Ⅰ横一を歩みや走りでも維持するのです。左への転回、右への転回、左回り後への転回、右回り後への転回、四方への転回等でも同様です。更に後進、左への後進、右への後進、左回り後進、右回り後進等でも同様です。」

腰と肩、頭がよどみなく一定速度で前進します。

そのためには、膝が曲らず、突っ張らない程度に軽く緩み、しかも弾力性をもっていることが必要です。
両足裏は地面からなるべく離れず、又、なるべく地面と平行して動きます。後足の踵は、足が地面を離れる前に軽く浮きますが、その浮く程度を大きくしません。
なるべく大地と足裏との距離をとらず、大地を介しての我身の自由な動きの可能性を保持します。
後足は腰の下から振られていくような感覚で前へ移動します。そして地面に接触する瞬間に踵(かかと)を主とする足裏全体で、力むことなく強く蹈みます。
地面に平行に着地し、かつ力みの入っていない足の爪先裏は自然に浮き加減となります。
泥土など滑るところでは逆に足指で地を摑むようにします。

これは、刀を腰に帯びて歩くのに適した歩き方でもあります。

道を普通に歩くとき、腰を大きく落としたり、膝を曲げたり、常に踵を地に着けていたりしません。
一歩ずつ右半身と左半身を繰返すものでもありません。
強い蟹股足をとるわけでもありません。
足裏を地面につけたままでの摺り足で道をあるくことは普通ありません。
棒立ちになったり、後ろ足の踵が極端に上がったりしません。
居着きません。

四、常の歩みと刀術特に居合との関係
居合は歩きます。歩きに歩いて、その歩きの中の一瞬に抜刀します。
その武道的な常の歩みにも、後足の踵が全く浮かない歩みはありません。武道としての走りにも、後足の踵が浮かない走りはありません。
このような歩み、走りにのるのですから、刀術とくに居合は、後足の踵が軽く浮いたまま請流し、後足の踵が軽く浮いたまま斬りつけ、斬るのが原則です。そして打突の後も常の歩み、常の走りです。
勿論、重い甲冑着用の場合には様相が異なることは前掲拙稿記載のとおりです(後記参考2参照)。
ただ、甲冑着用の場合の足蹈の為に、特別の厳しい稽古を必要とするわけではありません。着用そのものに慣れれば、着用した状況に適合した歩みになります。

武道としての歩みと日常生活社会生活での歩みは一致するのが理想です。しかし、屋内では可能としても、履物なども異なる現代にこれを完全に求めるのは無理があるでしょう。

五、「蹈足 (ふみあし)
立身流居合の立合表序には、(足蹈でなく)「蹈足(ふみあし)」と称される独特の動作があります。
これは、前述した「常の歩み」を身につけるための基本的稽古方法です。
特に、常の歩みの延長上にある斬撃突での、前に進む足の足蹈の強さと速さの習得を目的とします。
右足を蹈みますが、右足の蹈足ができれば左足の蹈足もできるようになります。

竪Ⅰ横一を崩さずに、常の歩みの歩幅で、進める足を上げずに重心移動をし、力むことなく、大地を踏み抜くような強さ、早さ、確実さのある足蹈を得る稽古です。
足の裏全体で蹈みますが、特に踵を床が抜けるほどに強く打ちつけます。
木の床の上では、大きな、澄んで張りのある、心地よい音が響きわたります。
蹈む足をもち上げ、わざと大きな音をたてては絶対にいけません。
踏みつけてはいけません。
「蹈足」であって「踏足」ではないのです。

蹈足ができれば、無音の足蹈でも、歩幅の広い足蹈でも、強く、速く、確実に足を蹈み、安定した姿勢のまま重心移動することができるようになります。ひいては、姿勢を崩さずして敵の太刀筋を避けつつ斬撃突を強く速く確実にすることが可能になります。
たとえば、蹈足に正確な手の伸びが加わるだけで、本当の突ができるようになります。

この点については、別稿の「立身流に於る「躰用者則刀抜出体」と「蹈足」」で触れる予定です。

六、参考に、立身流刀術での走る形をあげてみます。
(1)居合の立合での前後。
(2)剣術表之形の破の張。
走りつつ八相から中段に変化します。
(3)剣術表之形の急。
勿論、受方仕方ともに居合である7本目の提刀向、8本目の提刀圓を含みます。提刀では擁刀して走ります。
提刀以外では構えたまま走り、あるいは走りつつ構が変化します。

七、ちなみに、立身流で敵の足を斬る形をあげてみます。
(1)剣術表之形の大(体)斜
刀の長さに応じて腰を落とし敵の右膝を斬ります。
状況により折敷くこともあります。
(2)長刀
半円を描くごとくして、敵の右足脛(すね)を、その外側あるいは内側から斬ります。

第三、刀の指様

一、概要
1、帯腰の位置など刀の指様(さしよう。立身流では「差」でなく「指」の字を通常用います。)は日常生活での歩きや走りに沿ったものでなければなりません。

2、大刀、脇差、短刀の帯への指方(さしかた)は、拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録) 第三、礼 7、提刀、帯刀(実演)」で触れたとおりです。刀をどこに指すかについては拙稿「立身流に於る 下緒の取扱」の「参考2、「立身流聞書」(第21代宗家 加藤高筆)より引用」を参照してください。
そして、大刀は傾斜を持って帯刀し、脇差は水平に近く指します。したがって大刀の柄頭の高さは脇差の柄頭より高くなります。大刀の柄頭が身体のほぼ正中線上、脇差は鍔が身体のほぼ正中線上です。

二、大刀の指様
指様で重要なのは、大刀についてです。

1、大刀は左腰骨に乗せます。左腰骨には大刀の重心付近が乗るようにします。刀が一番安定し、長距離の歩き、長時間の走りに耐えられる指方です。
体格や大刀あるいは帯などにもよりますが、結果的に、柄頭が体の正中線上付近にくるのが、一番大刀が安定する状態といえます。
大刀と地面との角度は自然に定まりますが、これも体格や大刀、鞘、帯、脇差その他の着装、その場の状況あるいはその人の好みにもより様々です。
後述する落指のように極端でそのために特殊な抜き方が必要、というようなことがなければいいのです。

2、大刀を腰骨に乗せない指様はいけません。
ところが大刀を腰骨に乗せず、腰骨下の左腰部あるいは左脇腹部に大刀を当て、帯だけで大刀を支えている人がいます。軽い鞘付木刀や模擬刀を使用する初心者に多いのですが、相当の経験者にもみられます。
刀は、現今のように、稽古で刀を抜く時だけに刀を腰にするのではありません。逆に刀を腰にしても抜かないのが当り前なのです。
腰の刀から手を離し、長距離長時間を二キログラム弱の真刀を腰にして、できれば脇差、短刀も差して歩いてみてください。腰骨に乗せるのと乗せないのとの違いがよくわかります。

3、この通常の指様について立身流では特に名称はありません。当り前の、当然の指様で、言うならば単なる「刀指様」「太刀指様」です。

三、落指 (おとしざし)
これに対し、通常は行わない異形(いぎょう)の指(し)方があります。
その一つが落指(おとしざし)です。特異の状況下でその時だけなされる普通ではない指方なので、その特徴を示す名称がついています。

1、落指とは、文字通り大刀をほぼ垂直に、刀を鐺から下に落すような指し方です。
大刀は腰骨上でなく左脇腹部に帯だけで支えられるのが通常です。あるいは腰骨の脇か後で鐺から落す形になります。
栗形を帯にかけて刀が落ちないように支えます。
鍔が邪魔になりがちで、普通には用いない指様です。
下緒は、右前の袴紐に挟んだりしない場合は、栗形からそのまま下がることになります。

2、落指の目的には二つあります。
一つは人混みを歩くとき他の人の邪魔にならないように、他の人と接触しないようにするためです。
もう一つは指している大刀を目立たないようにするためです。
ですから、大刀は、前から見ても横から見ても身幅からなるべくはみ出ないようにします。
公用外の日常は羽織を着て大刀は羽織に覆われることになります。
そして、歩いたり立ったりしているとき、左掌は鞘のあたりにあることになります。

四、落指の抜刀 (後記参考3、参照)
落指のままでの抜き方は、落指に適応した抜き方をします。
落指での抜刀につき、立身流立合目録之巻 外(そと)より二ヶ条をあげたうえ、「立身流刀術極意集」の「立身流傳授」中「立合目録之分」の「巻物固條之分」から一部引用します。

落指抜様之事 (おとしざし ぬきようのこと)
是ハ人込(ひとごみ)又ハ平日共ニ人ノ目ニツカザルヨウニコジリノ方ヲ以(もっ)テ抜キ出シテ抜也

同(落指)鞘共氣不付様抜出様之事 (どう さやとも きづかざるよう ぬきだしようのこと)
是ハ羽織之上亦ハ帯ノ上ヨリ鞘ヲヲサエテ抜也

五、閂差 (かんぬきざし)
異形の指方の一つに閂差といわれるものがあります。

1、閂とは「門戸をさしかためるための横木。門扉の左右にある金具に差し通してもちいる。」(広辞苑)
刀を水平にし、刀の中央部を腰骨に乗せ、柄頭と鐺を前後に真直ぐにする差し方です。刀の重心を腰骨の帯部より前にして刀を水平にするバランスをとります。
落指も閂差も極端で通常はしない指方です。
落指では刀が地面に垂直になるのに対し、閂差は刀が地面に水平に、かつ刀の中央が腰にあたる恰好が、閂の中央が門の中央になるのに似たための名称といえます。

2、立身流には閂指という名称の指方はありませんし、そのような指方をする場合も想定しません。勿論、太刀を佩(は)くのは別論です。
閂差は見栄えを目的とした指方で、立身流ではその実用性や必要性はないとみています。したがって、落指と異なり、「閂指抜様之事」というようなものもありませんし、必要もありません。閂指をしていても通常の抜刀に支障はありません。

第四、参考

1、立身流變働之巻より
先圓 (せんのまるい)

立身流刀術極意集より

先圓  是ハ敵打タサル前ニヌキ放シ敵打掛(うちかかり)候ハゝ
ハリニテ敵太刀ニノリ行突ク也又圓ニテ打突クモアリ

立身流第19代宗家加藤久ノートより

先圓  先ニヌキ ツキ 又 ウツ

2、立身流着具之次第 (立身流秘傳之書)

3、立身流立合目録之巻 外
には、他に

  • 急被掛勝様之事 (きゅうにかかられ かちようのこと)
  • 同闇夜之事 (どう やみよのこと)
  • 人込刀抜様之事 (ひとごみ かたな ぬきようのこと)
  • 介錯仕様之事 (かいしゃく しようのこと)
    (切腹の作法については「立見流切腹之式法」 (嘉永6年7月 牧野貞光 京都大学法学部図書室 小早川文庫)参照)
  • 細道抜様之事 (ほそみち ぬきようのこと)

などもあります。

以上

立身流居合に於る 鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~

立身流第22代宗家 加藤紘
平成26年度立身流秋合宿資料
平成26年10月18日-19日
[平成26年9月2日掲載/平成26年12月11日改訂(禁転載)]

第一、鞘引と鞘の戻し

1、抜掛と抜放
(1) 抜掛(ぬきがかり)
立身流直之巻第四条には「抜掛」とあり、その第一段は「上」、第二段は「中」、第三段は「下」となっています。
「抜掛」とは、抜刀で刀身が敵を撃突する瞬間とその個所を意味します。
(2) 抜放(ぬきはなし)
立身流直之巻第五条には「抜放」とあり、その第一段は「左」、第二段は「諸」、第三段は「右」となっています。
「抜放」とは、抜刀で刀身と鞘が離れる瞬間(いわゆる鞘離れ)とその方向を意味します。
(3) 立身流では擁刀してから抜放を経て抜掛までを一歩一拍子で行います。向系では左足を進めつつ(間合によっては右足を退きつつ)、圓系では右足を進めつつ(間合によっては左足を退きつつ)です。

2、鞘引

(1) 鞘引(さやびき)は、擁刀のうえ鯉口を切って刀を抜き始めてから抜放までの間に行われます。
立身流の鞘引はいわゆる鞘離れの後にはありません。
立身流では鯉口を切る際、両手を胸腹部にし、刀の反りを返し刃を斜め下方向にして右手で柄を握ります(擁刀)。鯉口を切り、そこから右手は上方または前方へ移動し、左手は鞘を握ったまま下方や後方へ移動し、同時に体を開いて半身になりつつ抜放します。
この左手で鞘を十分に下方や後方へ引くことを「鞘引」といいます。
(2) 鞘引は、鞘を鯉口方向から鐺方向へ押し沈めつつ下方後方へ引く動作です。鯉口を帯と並行方向に後ろへ単に動かす動作ではありません。

3、鞘(の)(し)

鞘の戻しは、立身流では抜放から抜掛までの間に行われます。
(1) 意味
立身流では、刀身が鞘から抜放たれるほぼその瞬間に、後足(右足でも左足でも)を前に進めます(立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の次期宗家加藤敦の写真参照。右足が進んだ瞬間です)。同時に、半身の姿勢が正対の姿勢に戻りつつ後方へ引かれた左手が前に出はじめ、表之形では抜掛るまでには左手が柄を握っています。体を一歩前に出しながら敵を真向うにして両手で斬りつけ(陰は片手斬)、あるいは受ける(向の表)わけです。圓は右足を進めつつ向は左足を進めつつ、です。
左手が前に出るとき、引いた鞘の刃の方向を下から上へ角度を直し、また、鞘を帯刀時の位置近くに戻します。
これが「鞘(の)戻し」です。
(2) 直接の目的
鞘を安定させ、鞘での自傷を避け、居合に続く剣術で動きやすく、戦いやすくするためです。
鞘の位置によっては、鯉口で左腕を傷つけたり、鐺が足に絡まったり、万一倒れた場合に自分の鞘の鯉口で自分の体、特に左脇腹を痛めたりしかねません。納刀の準備でもあります。
(3) 態様
どこまでどのように戻すかは上記の趣旨を全うすればよいので、通常の帯刀歩行時の鞘の位置まで正確に戻そうとしてはいけません。立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤貞雄第20代宗家の写真を参照してください。
大切なのは鞘の角度や位置をいつ戻すかです。
(4) 鞘戻の要領
鞘を戻すには、左手が前に出はじめようとする瞬間に、左小指をほんの少々締めればいいのです。
問題は、小指を一瞬締めるだけで鞘を戻せるような握り方、手の内ができているかどうかです。

第二、立身流居合表之形(単に表ともいう)での鞘引と鞘の戻し

1、向
立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤髙先代宗家の写真を参照してください。
この写真は、居合の表及び剣術の表之形(勿論、提刀を含みます)それぞれの序ないし破における向受の手本です。

(1) 右足を進めつつ擁刀し、鯉口を切って半身となりながら左手で鞘引き、右手で抜放し、半身の姿勢が正対の姿勢に戻りつつ後方へ引かれた左手が前に出て鞘を戻し、同時に左足を進めて体を出しながら両手での向受に至ります。写真はこの瞬間です。

身体の全体及び身体の各部の前進するエネルギーが全て刀に集中し、そのスピードと強さと体勢で敵の刀などに応じます。
(2) 左足を前にしてその爪先を敵に向け、敵に正対して敵の攻撃を真向に鎬ぐ、正に鉄壁の受です。次いで、この姿勢を崩すことなく真正面から斬り下ろします。
(3) 向受には、左手が前に出る鞘の戻しに伴う右回りの円運動の勢いをも利用します。左足を進める勢いにこれが加わります。
それが後述するように陰之形において、「めり込むような」と表現される威力を発揮することになります。

2、圓

立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤敦次期宗家の写真を参照してください。
この写真は、居合表之形の立合前後における抜放の手本です。

(1) 前の敵に向かって走っている際、左足を進めつつ擁刀し、鯉口を切り、正対の姿勢から体を開いて半身になりつつ左手で鞘引き、右足を進めつつ右手で抜放します。写真はこの瞬間です。そして半身から正対の姿勢に戻りつつ左手で鞘を戻し、進めた右足を強く蹈んで、体を出しながら、柄に掛けられた敵の右腕(面または左右の袈裟の場合もある)を真上から我両手で切り落とします。写真は鞘引いて鞘の戻しに入る瞬間ともいえます。

(2) 写真で、右足の爪先が前の敵に向かずに左向きになっているのは、左回りに後へ振り向く準備です。前後では二の太刀で後から追ってくる敵を斬ります。
(3) 写真は半身になっていますが、左手が出て両手で斬る瞬間には正対(真向)となります。
(4) 立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤久第19代宗家の写真を参照してください。
圓の袈裟斬りですが、前足は正確に敵に向き、体は敵に正対しています。
後足は軽く浮いています。刀術特に居合は、常の歩み、社会生活上の歩みや走りの上に乗っています(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」第五、足蹈(実演)参照)。そして、居着いたり、体の姿勢を崩したりしてはいけません。

なお、加藤久の両手および両手首に注目してください。これが武道の手です。刀に限らず武器を持つ両手および両手首は、このようでなければいけません。斬った瞬間もこの通りです。拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』に掲載した持田盛二先生および加藤髙先代宗家の写真と併せ手本にしてください。
又、加藤久第19代宗家の写真で左手の握りの位置及び柄頭の方向を確認してください。体幹からはずれていません。
(5) 敵の状況によっては小さい動きで敵の小手を斬るときもあります。日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある加藤髙先代宗家「居合 立合 表 前後」の写真をごらん下さい。その手本です。
大きく斬る稽古を積めば小さく斬ることも容易ですが、小さく斬る稽古ばかりをしていても大きく斬ることはできません。
鞘の戻しについては、小さい斬も大きい斬も同じです。

第三、立身流居合陰之形(単に「陰」ともいう)

1、陰は破
陰には初伝、本伝、別伝があり、又それぞれに立合と居組がありますが、全て表でいう破之形(破)にあたります。ですから納刀は逆手でします。全て実戦の形ということです。本数はそれぞれ表と同じ名称の八本です。

2、
陰の向は、表の向と同じく下から抜放して、柄にかけた敵の右腕(ないし耳)に我が右手で抜掛ります。敵の右下から左上に、いわゆる逆袈裟に斬上げることになります。

陰の圓は、表の圓が真上から抜放つのに対し、ほぼ真横に抜放し、基本としては敵右手の肩下臂上(こめかみから足までよい)に我が右手で抜掛ります。ほぼ横に薙ぐことになります。

3、
したがって陰之形の抜掛は、両手でなく右手だけで斬りつけることになります。


4、
初伝では、前後と四方のほかは、抜掛の後、一旦、中段にとってから二之太刀に入ります。二之太刀は表と同じです。

前後および四方では、抜掛のあと後や左の敵の左袈裟を斬り、あとは表と同じです。

5、
本伝では、中段にとることなく、前後と四方のほかは、抜掛った刀がそのまま左旋回して正面斬にはいります。

前後および四方では、後や左の敵への二之太刀が右旋回となります。

6、
別伝では、前後と四方のほかは、抜掛った刀は旋回することなく直ちに上段となり、あとは同じです。

前後および四方でも、後や左の敵の左袈裟を斬りますが、同じ敵に対する二之太刀は旋回することなく直ちに上段となり、あとは同じです。

第四、陰之形(陰)での鞘引と鞘の戻し

1、圓
まず圓をみてみます。
立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の私の写真を参照してください。
この写真は合車の表の前後の一太刀目ですが、居合陰之形の前後の一太刀目と同じですから、圓の陰の手本としてください。

(1) 前の敵に向かって走っている際、左足を進めつつ擁刀し、鯉口を切り、正対の姿勢から体を開いて半身になりつつ左手で鞘引き、右足を進めつつ右手で横に抜放します。そして正対の姿勢に戻りつつ左手で鞘を戻し、進めた右足を強く蹈んで、体を出しながら、敵の上腕部に横から右手で抜掛ります。写真はこの寸前の瞬間です。左手は鯉口にあります。

(2) 表と異なり、左手を鯉口に置いたまま鞘を戻します。
写真では既に、鞘の角度(刃の方向)が下から上へ帯刀時のそれに戻っています。また、鞘の位置が帯刀時近くまで戻っています。
(3) そして写真は、鞘の戻しに伴う体の右回りの円運動の最中です。右足を蹈込む勢いに加え、この円運動が「刀が敵の身体にめり込むのが見えるような」と表現される(剣道日本2013年4月号 鈴木智也氏)威力を発揮しているのです。
(4) 写真で、右足の爪先が前の敵に向かずに左向きになっているのは、左回りに後へ振り向く準備です。前述のとおり前後では二の太刀で後から追ってくる敵を斬ります。
(5) 写真ではまだ軽い半身になっていますが、斬る瞬間には正対(真向)となっています。

2、向
陰の向は既に説明したとおりの動きです。
鞘引、鞘の戻しについては陰の圓に準じます。違いは、下から小手を斬り上げること、及び、右足を進めつつ擁刀、鯉口を切り、左足を進めつつ抜掛ることです(表の向を参照)。

第五、立身流に於る鞘引と鞘(の)(し)の意義

1、鞘引は刀の円運動の基で、抜放の内容を決めるものです。
(1)一拍子の斬(両手斬を例にして)
圓の表をみてみます。
圓の表には
 ①右手で刀を抜く
 ②左手を柄にかけて振りかぶる
 ③正面から真直ぐに斬りおろす
の三つの要素があります。

抜刀で正面を両手で切る場合普通考えられるのは

 ①右足を出しつつ刀を抜き(鞘引)
 ②左足を出しつつ鞘を戻し左手を柄にかけて振りかぶり
 ③右足を出しつつ正面から真直ぐに斬りおろす
という三段階三歩の動作でしょう。
或いは、これを一歩で行うとしても
 ①右足を出しつつ刀を抜き(鞘引)
 ②右足を出したまま鞘を戻し左手を柄にかけて振りかぶり
 ③さらに右足を出したまま正面から真直ぐに斬りおろす
という三段階一歩でしょう。

しかし、立身流ではその全てを、右足を進める一歩で、段階なしに行います。

立身流の動作には区切りがありません。一歩一拍子で全てがなされます。
仮に一歩でなされていても動作が三つに区分されているのは立身流ではありません。

(2)一歩一拍子で全てをなし、区切りなしに抜払い抜掛るには、刀の動きを円運動とする必要があります。そのためには、真上から斬り下ろす圓の表の抜放はほぼ真上方向にしなければなりません。鞘引は逆に下方にすることになります(敦の写真参照)。鞘引は刀の反りに合わせて抜放し刀を円運動に乗せる基となる動きです。

2、鞘の戻しは刀の円運動を強化し、抜掛の威力を増します。抜放で予定された刀の円運動を抜掛にむけて完結します。
(1)圓の表で左手が柄に行くこと自体刀の威力を増すためです。柄を両手でとった時点で剣術に移行した、ともいえます。剣居はまさに一体です。両手で柄をとってから以降の動きは剣術そのものでして、上段からの斬や中段から振りかぶっての斬と区別がつきません。

(2)圓の陰をみますと、右足を進める勢いに加え、半身から正対姿勢への体幹の円運動が片手斬の威力を増すことになります。向の陰は左足を進めますが、半身から正対姿勢への体幹の円運動が片手斬の威力を更に増すことになる点は同じです。

第六、「為使打處強之義」

立身流変働之巻には次のようにあります。

「刀抜時有両个之秘事一圓抜二躰用也圓抜若則自之手本柔他之打處強之理躰用者則刀抜出躰抜後鞘柄共有心用是又為使打處強之義也・・・」

「かたなぬくときに、りょうかのひじあり。いつにまるいぬき、ふたつにたいようなり。まるいぬきはすなわち、みずからのてのもとしなやかに、たのうつところつよきのことわりなり。たいようはすなわち、かたなぬくときは、たいをいだしてぬくなり。あと、さやつかともにしんようあり。これまた、うつところ、これをつよからしむるためのぎなり」

本論考に述べたところはその一部、特に「鞘柄共有心用」に関係してです。
「手本柔」については、『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』に述べました。
「刀抜出躰抜」については、いずれ別の論考にまとめる予定です。

第七、稽古上の注意

立身流居合では、鞘の戻しの際に左手を切ることのないよう気をつけねばなりません。特に刀身を追いかけるように左手が前方へ出る表では十全の注意が必要です(日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある加藤髙先代宗家「居合 立合 表 前後」の写真参照)。

第八、納刀の鞘引と鞘(の)(し)

納刀では、鞘引いて剣先を鞘に入れ、鞘を戻しつつ納刀するわけですが、進行としては抜刀の時のほぼ逆の動きです。
重要なのは、刀は刀自身の意思で自然に鞘に納まってもらわなければいけないことです。人が無理に押し込んではいけません。
これは抜刀の際も全く同じです。
本論考はそのための条件整備の仕方を述べたものであるといっても過言ではありません。

第九、他の宗家写真について

1、日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある父加藤髙と私の五合之形詰合三之太刀の写真をご覧ください。
我(父。仕方)が敵(私。受方)の攻撃の匂いを感じ、「匂いの先」(先先の先)をとって振りかぶり一歩蹈込み小手を斬った後、即、裏突きした瞬間です。
父の体の姿勢、重心、腰、足の蹈様、手の伸び、手の内など、全てが突の手本です。
受方は、仕方のこのような突を導き出すように動かなければなりません。

2、同じ欄にある父と私の一心圓光剣の写真をご覧ください。
一心圓光剣の最後の場面です。
我(父。仕方)は敵(私。受方)の右手を極めて、敵を固め又は地に落すことになります。これは俰の姿勢ですので、我は腰を落とし、足は鼎(かなえ)の如くなります。

(参考)「立身流秘傳之書」中、「心持修業之傳」より
「・・・手足如舟・・・眼手足如鼎・・・」

第十、竪Ⅰ横一 (拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」参照)

以上に挙げた歴代宗家写真の全てに共通しているのは、姿勢が崩れていないことです。
斬る前も、斬っている最中も、斬った後も、竪Ⅰ横一の姿勢を維持します。
これは残心の前提でもあります。

崩れた姿勢で構えてはいけません。
そうせざるを得ない場合を除き、斬っている最中も竪Ⅰ横一を崩してはいけません。
斬った後も意図的に崩れた格好をしたりしてはいけません。

武道は物が切れればいいのではありません。武道は対人関係から始まります。
また、武道は結果的に美しさが表現され、人に感動を与える芸ですが、表現の為の芸ではありません。
武道は人に感動を与えるための表現の芸術ではありません。

以上

立身流に於る 一重身

立身流第22代宗家 加藤紘
平成27年2月15日
立身流第82回特別講習会資料
[平成26年6月21日公開/平成26年7月1日改訂]

第一、「一重身」(ひとえのみ、ひとえみ、いちじゅうしん)の意味

1、「一重身」とは、一般的に、壁などに正対しながらも左右の敵に対応せざるをえない場合などの体の状況を示し、現象としては、(強い)半身をとること等を意味します。敵を真向(まむこう)にとることができない、あるいは、しない状況です。

2、立身流の「一重身」の語は、このような場合の体のありようを示す言葉であって、このような場合にも姿勢を崩すことなく、安定した体勢にあるべきことを意味します。

3、拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ」で私は、姿勢から武道(俰 やわら)の構、更に刀術中段の構えへの移行につき記しました。立身流での構の基本についての記載は次のとおりです。

第二、構

1、構について
立身流では、正しい姿勢をとることがすなわち、基本の構です。

•身構は横も一なり竪もⅠ 十の文字こそ曲尺合としれ [立身流俰極意之巻]

2、構の動作
立身流俰(やわら)目録第四十二条の「身構之事」では次のように説かれます(実演)。

前:
左足を約半歩(概ね肩巾)側方に開き、足先の方向を自然に保つ。
膝を軽く伸ばし、上体は垂直にして腰の上に落着け、下腹部に力を溜め精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

このように、敵と正対するのが出発点でそれが様々に変化していきます。構えの基本は正対です。
そして左(表、陰)、右(表、陰)と続き、刀術の中段の構に至るのでした。

第三、一重身の語の意図するところ

肩越しに敵を把握するような場合、竪Ⅰ横一が崩れ、重心、中心がぶれやすいものです。立身流ではこれを良しとしません。このような場合でも、竪Ⅰ横一に姿勢をとり、その姿勢を崩さず、重心、中心がぶれないようにしなければなりません。

  • 「体ハ真向二シテ鉄壁ノ如ク少シモ寄ルコトナシ」 「形容ヲ拵フルニ及ハスシテ体ヲ成スナリ」 (後記「立身流秘伝之書」)

つまり、一重身というカタチを殊更に作ろうとしてはいけない。体は、敵を正面にした場合の真向の姿勢、姿勢の基本、構えの基本に沿ってなければなりません。その基本がその状況に応じてその状況下での形容・かたちに現れるだけです。世に言われる一重身も、その現れの一場合にすぎない、と立身流では理解します。

基本は「真向」すなわち正対です。
半身をとる理由がなく、半身をとることが不自然な場合には半身をとってはいけません。
逆に、半身をとるべき場合に不自然に半身にとらず、わざわざ姿勢や動きをぎごちなくする人がいます。「真直ぐに」という言葉にとらわれ、頭だけで考えて整合性を求めるからです。具体的にいえば、体幹で武具を持たず、体幹で打突せず、手先の掌だけでこれらを行うからです。構でいうと、左上段、八相、肩上段、脇構、小太刀などに目立ちます。

立身流での一重身の語についての視点は、一重身というカタチにでなく、武道の体はどうあるべきか、にあります。あくまでも基本の具体化の一場合であって、これを特別視して独特の意味を付与したり重要視することはありません。

第四、一重身の現れ方

立身流傳書及び古文書の記載を引用します。

1、弓、鑓、長刀、太刀などはその武具や武具の持ち方に応じた姿勢で武具を手にします。

立身流秘傳之書中の「当流秘傳書」(安政三丙辰四月吉辰 立身流第17代宗家 逸見忠蔵筆)より抜粋。

「・・・太刀使 射弓 撚鎗者 体以 習初 教之 体 雖有様々形 体 真向而如鉄壁 少莫寄 是則常也 一重身云 用之体根元也 故此体以 弓鎗長刀何之物取 体別直非構 以其体取其物 不有其体云事無 射弓時 左手弓弣 右手弦矢ツカエテ 左方首回 的見込左右和合 彎之矢放寸 則矢己見込タル的ノ方エ行中也 形容拵不及成体也 鎗遣 則左手鑓柄中程握 右手鐏上握 両手一致 左敵斜眼見 則此鎗体 又太刀取握 上頭上被 左手臂下ヨリ敵見込 是則 一重身也 諸流共傳云 四寸之體ト云所ナルヘシ・・・」

「・・・たちをつかい ゆみをい やりをひねるもの たいをもって ならいのはじめとす。 これをおしうるに たい さまざまかたちありといえども たいは まむこうにして てっぺきのごとし。 すこしもよることなかれ。 これすなわちつねのことなり。 ひとえのみ(ひとえみ、いちじゅうしん)というも これをもちうるはたいのこんげんなり。 ゆえにこのたいをもって ゆみやりなぎなたいずれのものをとるとも たいをべつになおしてかまゆるにあらず。 そのたいをもってそのものをとり そのたいにあらずということなし。 ゆみをいるときに ひだりて ゆみをゆずかけ みぎて つるにやをつがえて ひだりのかたへくびをまわし まとをみこんでさゆうわごう これをひきてやをはなつとき すなわちやはおのれのみこみたるまとのほうへゆきてあたるなり。 かたちをこしらうるにおよばずして たいをなすなり。 やりをつかう すなわちひだりてやりづかのなかほどをにぎり みぎていしづきのうえをにぎり りょうていっちし ひだりのてきをしゃがんにみる すなわちこれやりのたいなり。  またたちをとりてにぎり あげてあたまのうえにかむり ひだりてのひじしたよりてきをみこむは これすなわち ひとえのみなり。 しょりゅうともにつたえいう よんすんのたいというところなるべし・・・」

2、鎧勝身(よろいかちみ) 立身流變働之巻
「鎧勝身 左右  是ハ太刀中段ニ致シ 敵打時 身ヲ 一トエ(一重)ニカエテ 敵ノ ノド 又 脇ノ下 ヲ突也」 (立身流第11代宗家 逸見柳芳筆「立身流刀術極意集 完」より)

3、壁添勝様之事 (立身流立合目録 外 より)
是ハ後ヨリ壁ヘツキツケラルル時 柄頭ニテトメオキテ 我ハ壁ヘスリヨリナカラ ヒトエ身ニ成リナカラ 直チニ サカテニ 抜突ク也」 (立身流刀術極意集より)

4、壁添勝様之事 (立身流居合目録 外 より)
状況設定は立身流立合目録とほぼ同じですが、川端の状況が加わります。
鐺で撥ねつけ、順手に抜き、斬または突きます。

第五、立身流に於る袈裟斬との関係

一重身とは異なります。
立身流公式ホームページ(立身流の歴史)掲載の、立身流第19代宗家加藤久の試斬の写真をご覧ください。

以上

立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味

立身流第22代宗家 加藤紘
平成26年8月3日
立身流第81回特別講習会資料
[平成26年6月19日掲載/平成27年8月31日改訂(禁転載)]

1、形

「闘いでは、あらゆる事態に対応し、敵のどのような動きも制しなければならない。その種々雑多な動きから、すべての動きの素となる基本の動きが抽出され、純化される。これが形である。」 (拙稿「立身流について」)
そして「形は、動作の決め事で、闘いの経過を技毎に類型化したものである。」 (同) のですが、その内には基本の動きと理合が凝縮しています。
闘いの経過の類型化自体が、個々の技の動きをより基本的により高次に凝縮し、原理化することにほかなりません。同時に動きの手順と理合も高次化されています。

2、向と圓

(1) 向と圓の意味
立身流でいうと、心法(無念無想)を含め最高次元まで行きつき、公理化した形が向と圓です。
逆にいうと、向、圓から全てが導きだされます。向、圓が基本であり、かつ秘剣であるゆえんです。そして、向と圓という対極にある二つの形があってこそ「形の上では、向、圓がそれぞれ独自に変化するばかりでなく、向と圓あるいは向の変化と圓の変化が無限に組み合わされていきます。」 (拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』)

(2) 向と圓を対比すると大要次のようになります。
①向は後の先(又は先先の先)の技であり、圓は先(又は先先の先)の技である。

②向は抜放し敵刀を請流してから斬り(表)、圓は抜付けて斬り二の太刀で更に斬る。
③向受は右鎬で剣先側より鍔元方向へ敵刀をすべらし、圓受(剣術)は左鎬で鍔元側より剣先方向へ敵刀をすべらす。
④向は左足を出しつつ(間合によっては右足を退きつつ)抜き、圓は右足を出しつつ(間合によっては左足を退きつつ)抜く。
⑤向では終結が予想されていますが、圓では継続が予想されています。

(3) 向と圓という対極に位置する二つの原理があるからこそ、そこから全てが導きだされます。
向と圓は一対一組です。ですから稽古の場では、向があるときは必ず圓もあり、圓があるときは必ず向もあります。
居合でも剣術表之形でも鎗合(やりあわせ)でも一本目二本目は向圓です。剣術表之形の破と急の七本目と八本目には提刀(居合)の向圓として再現します。数抜は、向、圓、向、圓、・・・と抜き続けます。

  • 日々夜々に向圓を抜くならば 心のままに太刀や振られん [立身流理談之巻]

 3、形の本数と各種形の関係

(1) 形の本数
一般的に、それぞれの流儀が創流された当初の形の本数は少なかったといわれています。特に神伝の古い流儀に顕著です。それぞれの流祖は、それだけ厳しく突き詰めて考究していたのです。
形の数が増えたのには様々な原因が考えられます。形に教育体系としての意味が加わったり、町道場など門弟の数が増えて免許の段階を増やしその段階毎に異種の形を配置したり、中間手代養成の速成予備校化しカリキュラムが細分化して対応する形が増えたり、教授料を教授する形と対応させたり、等です。応用形や、本来は形として扱われるべきでないもの(後記6、参照)が形としての地位を獲得していったわけです。

(2) 立身流刀術に於る各種形の関係
①修行課程(カリキュラム)
<1>表之形(剣術、居合)の、序から破へ、破から急へ。

<2>剣術の表之形及び陰之形から五合之形(及び詰合)へ。

②応用の原理の表現
<1>破から急へ。
<2>居合陰の、初伝から本伝へ、本伝から別伝へ。
  居合の陰は全て、表の破に対応します。ですから、例えば納刀は破の納刀です。
  初伝の前後と本伝の前後の相違は、初伝は左旋回、本伝は右旋回であることです。
<3>二刀之形の右上段から左上段へ。

③立身流居合の体系
立身流居合目録之巻には
    向
    前 
    後 
    左
    右
    圓
とあります。
これは、向と圓を前後左右に抜く、という意味です。向と圓の技を前後左右に体をさばき、前後左右の敵に対処するわけです。形の変化、特に居合の変化の基本をなすもので、①②に前述した形の数が増える場合の前の段階にある要素です。
居合において立合だけでなく居組の形が組まれているのも同様に考えられます。
古流の居合には、一つの技を前後左右に抜くという形の体系をもつ流派が多くみられます。これに敵の数が増えていった場合の対処が加って形の数が増えていくことになります。

④警視(庁)流居合の体系
ちなみに、立身流第19代宗家加藤久の自筆ノートに「警視流居合」の項があります。
そこに記載された警視流居合の形によれば、警視(庁)流居合の形全5本の体系はこのような古流の形式を忠実に踏襲しており、体系の基本としては立身流と同じです。
まず4流儀から、ほぼ同一内容で抜く方向の異なる4本の形を採用します。この4本を一本目から前後左右に抜くように順序立てます。最後に前後左右を囲む敵への対処として立身流の四方で締めくくります。
立身流の見地からすれば、一本目から四本目は立身流居合の立合陰之形(本伝)を応用して簡略化したものであり、五本目は立身流居合の立合表之形(破)八本目四方を応用して簡略化したものです。

⑤立身流剣術の体系と警視(庁)流木太刀之形の体系については後日別に記します。

(3) 形の応用原理の延長
①形試合
袋撓で行う刀術の約束稽古。現代合気道に似た稽古方法である。
<1>立身流立合目録之巻の分 15本

<2>立身流居合目録之巻の分 15本

②乱(みだれ)
自由に技を掛けあう。名称のない変化技は全てここに含まれる。

<1>乱合(みだれあい・みだれあわせ)
・立身流俰(やわら)目録之巻第41条乱合之事

・俰(やわら)での地稽古(じげいこ)
・短刀を腰にする
<2>乱打(みだれうち)
・刀術、特に剣術での地稽古
・袋撓を使用する
・頭には笊(ざる)のような防具を被(かむ)っていた、との伝承がある

③私が柳生延春先生にお尋ねしたところ、「柳生新陰流にも袋撓で自由に打合う地稽古が昔からあるのだけれど、それは最終段階での稽古方法だから、中々そこまで行きつかず、結局あまり行われなくなってしまった。」とのことでした。
先日、柳生耕一先生も同じことを述べられており、柳生新陰流におかれては未だその辺の改善まで行き着いてない、「形が身についていないのに地稽古をしては、ただのチャンバラになってしまう。」とのことでした。
立身流も同様です。
いずれにしても、袋撓(ふくろじない)は、旧くからあったものです。

4、傳技(でんぎ)

傳書の技、すなわち各傳書などに単独に示される技、形です。その傳書毎の理念を表現します。
その内のいくつかをあげてみます。

「立身流變働之巻」
・鎧抜
・勢眼詰
・二刀詰 など

「立身流別傳之巻」
・長短口
・妙剣
・一圓相
・鎗脇
・鎗下
・鎗脇詰 など

「立身流眼光利之巻」
・斬切
・合車
・水月 など

「立身流極意之巻」
・半月
・満月
・三光之勝 (月之太刀、日之太刀、星之太刀) など

5、一心圓光剣

「向と圓が統合され、昇華したのが「一心圓光剣」(立身流免之巻。立身新流免之巻には「一心圓明剣」と表記される)です。」(拙稿、同)
一心圓光剣は象徴的に最高極意を表した形といえます。立身流免之巻の傳技です。立身流極意之巻と立身流俰(やわら)極意之巻の二巻は立身流の奥秘伝免許で免之巻の補巻に位置し、これらが授けられて皆済となります。

6、立身流に於る「外」(そと) (所謂「外のもの」・「とのもの」)

特殊状況を設定し、その特殊状況下でなされるべき動きをまとめたものは形ではありません。そのような事態に遭遇しても慌てないための、単なる心得にすぎません。いわゆる「外のもの」(とのもの)です。
立身流でいうと、立身流立合目録之巻の「外」(そと)二十五ヶ条(他に四ヶ条)、立身流居合目録之巻の「外」(そと)十三ヶ条などがそれです。いうならば、普通の動きの外側にある稀な動きで、形のように基本として集約されたものとは異なるものです。
特殊状況の設定とその場合の特殊な動きを研究することは、普遍的な基本原理を探る方向とは反対の逆方向です。ですから、特殊状況下での動きの稽古を重視してはいけません。却って乱れた稽古になり、悪癖が身につきます。
これを避けるためには、常に形との関連性を意識した稽古をすることです。闘いではあらゆることが起こりうるのでして、そのすべての状況設定をしようとしても際限ありません。

7、上記のすべてをふまえ、最終的には、立身流そのものにとらわれない動きができるように努力しなければいけません。それが立身流です。

  • 戦は 物になす(ず)ます(ず)(泥む=拘泥)師の伝ふ 術(すべ)をわすれて用(つかい)こそすれ [立身流歌]
  • 世盤(は)廣し 折によりても替(る)べし ワ連(れ)しる斗(ばかり)よしとおもふな [立身流理談之巻]

以上

立身流に於る 下緒の取扱

立身流第22代宗家 加藤紘
第80回立身流特別講習会資料
平成26年2月23日
於 佐倉市佐倉中央公民館大ホール
[平成26年2月10日掲載/平成26年6月16日改訂(禁転載)]

第一、下緒(さげお)の用途例

1、立身流立合目録之巻 外(そと)より

(1)門戸出入之事(もんこしゅつにゅうのこと)
門や戸口を出入する時、特に夜の心得である。門戸の上や脇からの攻撃に備える。
門前へ行って、静かにして、姿勢を低くして様子を探り、安全と思われるならば、直ちに刀を背負う。刀を襟元より首の後へ差入れ、着物の内に入れる場合もある。脇差を擁刀して通り抜ける。大刀を抜刀して鞘だけを背負い、あるいは襟元から差込む場合もある。
いずれも、下緒を口に咥え、刀や鞘の位置は下緒の長さで調節する。

(2)夜之捜様之事(よるのさがしようのこと)
闇夜で何も分からないので、刀で敵を探る。
刀身を鞘から完全には抜かないで、剣先近くに鞘を掛けて、敵に当たれば 鞘が落ちるようにし、我は両手又は片手で柄を持ち、静かに刀を左右に動かし、鞘が敵に触れて落ちたら直ちに蹈込んで斬る。間合は刀二振分の内側となり丁度良い。余裕あれば、一度刀を抜き放ち鞘の反りを逆にして差込んだ方が鞘が落ちやすい。我は屈(かが)んで歩くか、膝行(しっこう)する。
下緒の端を指に掛けるか、片手で握って操作する。

(3)戸陰為居者知様之事(とかげにいたるものしりようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

(4)仕込者捜様之事(しこみのものさがしようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

2、立身流立合目録之巻 陰 五个 有口伝(かげ・ごか・くでんあり)の中に「塀乗越」というものがあります(後記【参考】を参照)
塀や、城攻めの際の崖、石垣に、刀を立掛け、鍔に足をかけて乗り越えます。
下緒は口に咥えるか、腰に縛り付けます。

3、縄の代用
立身流には、早縄七筋(すじ) 本縄十四筋併せて二十一筋の捕縄があります。
戦国時代には敵を生捕ることも重要でした。その技が俰、特にその組合と連動した捕縄です。縄の片端には蛇口(じゃぐち)という輪があって、そこから固定して縛り始めます。
しかし下緒を代用する時はまず蛇口をその場で作らねばなりません。

4、襷(たすき)代わりに使われることはよくしられています。

第二、下緒の長さ

大刀の下緒の長さはその用法目的や時代によって異なります。
塀乗越などには短くては役に立ちません。短いものは本縄用としては勿論、早縄用としても掛様が限られ、不十分です。他の用途としても同じことがいえます。
剣道を含む日本武道の最盛時は幕末ですが、立身流も同様です。当時は実戦の必要にせまられて下緒は長いものが多くなりました。

第三、提刀時の下緒

立身流の提刀は、右手で栗形の辺りを掌と指でくるむようにして大刀を提げ、栗形(くりがた)に通されて二重になった下緒は、さらに三等分に三折りにして一緒に持ちます(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」参照)。
従って、長い下緒でも、その端が地面に着いたり、足の邪魔になったりはしません。

第四、帯刀時の下緒

1、大刀
立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書(ききがき)」記載(参考として後記)のとおり、古来から概ね三通りの方法があります。
帯刀して歩く、或いは走る場合につき、下緒の長さとの関係で言えば、次のような整理が一応できます。

①短い場合は鞘に巻きつける。
②地面に下緒の端が触れず、また、足の邪魔にならないならば、後ろへ垂らす。
③長い下緒で上記②のような支障があるときは、右前の袴紐に挟む。

幕末に長い下緒が使用されるようになってからは、③の右前に挟む方法が多くなりました。その前は②の後ろへ垂らすことが多かったようです。①の方法は、咄嗟(とっさ)の刀の操作に不都合な為あまり行われませんでした。
拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」で「下緒を刀の後に垂らすか、袴の右前の紐に挟みます。」と記したのは上記をふまえてのことです。この二法のどちらとるべきかを敢(あ)えていえば、右前に挟む法と考えます。

理由は、

  1. 武道、剣道は発達してきたのでして(後記「剣道の発達」参照)、それぞれの時代の最先端を行く流派は、その流儀の根幹を崩さずに保持したうえで、時代に合わせて進化し、深化してきました(後記 立身流歌 参照)。立身流の500年もそうです(拙稿「立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)」「立身流に於る「心の術」」参照)。
    その最盛時は実戦との関係でも幕末と言え、流派武道の古流としての形態の踏襲は幕末が基準になります。立身流草創の戦国時代以来の形態は幕末時の形態にすべて包摂(ほうせつ)されています(後記「入堂訓」第一条参照)。時代を遡(さかのぼ)らせた形態を基本とすることはこの発達の歴史を無視することに外ならず一般的に無益有害です。
  2. 少なくも幕末以降、右前に挟む法が主流で現在にいたっている歴史的継続性があります。私は父から「どちらでも良い。」と言葉では聞いていましたが、実際に父が下緒を後へ垂らした姿は、演武中に解けた時以外にみたことはありません。
  3. 現今の下緒は長めで、垂らすと地についてしまうものもある状況です。
  4. 居合の居組の場合に下緒が最も邪魔にならない法です。
  5. 提刀時に三等分して持った下緒をそのまま右腰前にもっていけばいいので、動作に無駄がありません。

なお、原則として「挟む」のでして結いません。結ってしまって自然に解けないのでは掛けにくい技があるからです。緊急時に脱刀もできません(刀を半棒代りに使う場合など)。勿論、状況次第で結うこともあります。

2、脇差
後記 立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書」記載のとおりです。何もせず、そのまま垂らす法もあります。

3、短刀
短刀を差す場合は、括(くく)り付けるのが原則です。短刀の利用は俰での場面が多く、左手で敵を制して右手のみで、それも逆手で、抜くことが多い為です。ほぼ真横にして差します。


【参考】

1、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家 逸見柳芳筆)中、「立身流傳受 立合目録之分」中、「●五个 有口傳 陰五个口傳之分」より
「塀ヲ越ユル時手掛無之節刀鍔下緒ヲ用可心得是則城乗リ也」
(へいをこゆるとき、てがかりこれなきせつ、とうがくさげおをもちゆ。こころうべし。これすなわち、しろのりなり。)

2、「立身流聞書」(第21代宗家 加藤高筆)より引用
「一、・・・帯刀と下緒について
・・・武士は概ね角帯をなし、その上に袴を着用するを習ひとせしを以て、大小の帯刀は、先ず小刀を着物と帯の間に鍔が体の中央にある程に差し(前半に)、大刀は小刀の接触す帯の一重を隔てて小刀の上より柄頭が体の中央にある程に差すを通例とし、刀の下緒は、小刀はその端を固く結びて鞘(栗形の上)の下より刀裏の方へ一重廻して栗形の處にて下緒の基部に引き通して下に垂らし、大刀は帯刀して帯を隔てて鞘の上より後にかけて垂らすか、又は必要に応じ解き良き様に栗形を中心として鞘に巻きつけるか、或は下緒を前より廻はし腰部の袴紐にはさむ(結ぶ場合もあり)。戦陣などにて鞘の抜け落ちざる用意のため、小刀下緒の下方に垂らしたる下緒の端へ、大刀の下緒を通して腰部の後に廻し、前にとりて、前に結ぶ場合もあり。」

3、「剣道の発達」  故文学士 下川潮 大正14年

4、立身流歌
「我が術を多くの人のそしるなら 鼻に聞かせてそしられてゐよ」 [立身流 理談之巻]
「世は広し折によりても替わるべし 我知るばかりよしと思ふな」 [立身流 理談之巻]

5、「立身流入堂訓」(昭和62年1月27日 第21代宗家加藤高 全十ヶ条)より1ヶ条引用
第一条 立身流を学ぶ者は、流租神伝以来、歴代先師が、尊き実地試練の苦業を経て完成されし形、その他、古来より伝承されし当流の内容に聊かも私見を加え、私意を挟み、之を改変すべからず。

立身流に於る 桁打、旋打、廻打

立身流第22代宗家 加藤紘
平成25年度立身流秋合宿資料
平成25年10月19日-20日
[平成25年10月9日掲載/平成27年8月31日改訂(禁転載)]

第一、意義

一、古来、立身流修業に入った者は当初の3年間、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)のみの稽古を許された。上達してもこれを繰返した。
武道の基礎となる身体を錬成する為の立身流独自の基礎的稽古方法である。
戦前の剣道に於る切り返しに対応する。

二、用具には袋竹刀を使う。立身流袋竹刀には鹿革あるいは牛革を使い、これで丸竹をくるんだものと、これに割竹を詰めてあるものと二種類ある。
丸竹をくるんだ袋竹刀は軽く、また、撓(たわ)みが少ないので技をかけやすく、仕方用(弟子用)とされる。物打部分が割れても厭(いと)わない。
割竹をくるんだ袋竹刀は重く、撓みが強いが、弾(はじ)く力が弱いので相手の手の内などの習得に適しており、受方用(師匠用)とされる。仕方に重量、撓みへの対応を心得させ、かつ、仕方に当たってしまっても被害が少ない。
双方が丸竹の袋竹刀を使用してもよい。

三、桁打等は師と弟子が一組となって行うのが原則である。師と弟子が同じ動作を繰り返し、師の技を弟子に写し込んでいく。

四、桁打等は、休みなく長時間継続し、疲れ果て、足が動かず、手が上がらないようになってからが本当の稽古である。その状態になる迄は準備段階にすぎない。

第二、通則

一、常に姿勢を崩さない。身体の重心は常に両足の間の中央付近にある。

二、全身(特に右手)の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理なく動く。

三、
(1)「常の歩み」の足である。
(2)前足は敵に真直ぐ向け、踵を地につける。
(3)後足は自然の方向を向き、踵は浮く。後足膝は突っ張らない程度に伸びる。
(4)受(うけ)、撃(うち)それぞれに右足前の場合と左足前の場合の双方があるのが原則である。

四、体幹はなるべく敵に正対する。

五、撃つ部位は敵の正面。左右の袈裟もあるが、刃筋を通す稽古としては、正面撃が最も良いとされており、正面撃を基本とする。

六、
(1)打った瞬間、右手はのびやかに、右肘を突っ張らない程度に前方ほぼ水平に伸ばす。
(2)袋竹刀は全て旋回させる(強打、豪撃・こわうち)。桁打は左旋回。旋打は左旋回(左圓・ひだりのまるい)と右旋回(右圓・みぎのまるい)の双方がある。

七、向受(むこううけ)と圓受(まるいうけ)は、ただ受けるだけではない。鎬を使って敵の刀を請け流す。

八、受と体さばき
(1)桁打及び次の(2)以外の旋打(いずれも廻打を含む)では、しっかりと請流して撃つ。
(2)旋打の其3と廻打の旋打は
<1>初心者段階ではしっかり請流して撃つ。
<2>熟練者は、敵の太刀筋に応じ、運足により敵の刀をかわす。圓受は補助的になる。

九、運足の足の横幅
廻打及び旋打の其3での体の横へかわす幅は、自分の身幅の半分の距離を原則とする。
正面からまっすぐに撃つ敵の刀を足さばきでかわすにはこれで十分であり、それ以上は不要かつ有害である。
足幅が広すぎると、自らの姿勢が崩れ、隙ができ、その瞬間に撃たれる。居付くことにもなり、動作に時間もかかる。他方、自分からは攻撃できず、受と攻撃を一拍子でできない。

十、呼吸
無声である。
気管、喉、口を限界まで広げ、体内の空気の全てを一瞬に爆発させるように吐き出すと共に撃つ。
その際、「ハッ」という音が出るが、これは声帯を震わせる発声ではなく、空気が爆発的に体外に出る爆発音である。

十一、吐く呼吸に合わせ、受から撃までの一連を、一つの動作で行う。

十二、始める前に必ず間合を確認して双方の足位置を定める。間合は稽古を受ける側の間合とする。

第三、種類

一、桁打  向である。基本方法は、後記の其2、1、(2)。

其1、片足位置を固定する法
1、左足位置を固定させる法
(1)左足前の位置で向受、右足を出して右足前で面撃、右足を退いて向受。
(2)左足後の位置で向受、右足を退いて右足後で面撃、右足を出して向受。

2、右足位置を固定する法
(1)右足前の位置で向受、左足を出して左足前で面撃、左足を退いて向受。
(2)右足後の位置で向受、左足を退いて左足後で面撃、左足をだして向受。

其2、両足で一歩前進と一歩後退を繰り返す法
1、左足前

(1)左足前で向受、右足より一歩退いて面撃、左足より一歩出て向受。
(2)左足前で向受、左足より一歩出て面撃、右足より一歩退いて向受。
これが桁打の基本方法である。

2、右足前
(1)右足前で向受、左足より一歩退いて面撃、右足より一歩出て向受。
(2)右足前で向受、右足より一歩出て面撃、左足より一歩退いて向受。

二、旋打  圓である。基本方法は、後記の其2、2、(2)。

其1、片足位置を固定する法(全てに左旋回と右旋回双方がある)
1、左足位置を固定する法
(1)左足前の位置で圓受、右足を出して右足前で面撃、右足を退いて圓受。

(2)左足後ろの位置で圓受、右足を退いて右足後で面撃、右足を出して圓受。

2、右足位置を固定する法
(1)右足前の位置で圓受、左足を出して左足前で面撃、左足を退いて圓受。
(2)右足後の位置で圓受、左足を退いて左足後で面撃、左足を出して圓受。

其2、両足で一歩前進と一歩後退を繰り返す法(全てに左旋回と右旋回双方がある)
1、左足前
(1)左足前で圓受、右足より一歩退いて面撃、左足より一歩出て圓受。
(2)左足前で圓受、左足より一歩出て面撃、右足より一歩退いて圓受。

2、右足前
(1)右足前で圓受、左足より一歩退いて面撃、右足より一歩出て圓受。
(2)右足前で圓受、右足より一歩出て面撃、左足より一歩退いて圓受。
これが旋打の基本方法である。

其3、左圓と右圓を併せ行う法
1、右前、左前、右後、左後と移動する法
(1)左足前で剣先を左にして圓受
(2)右足を右前方に送り、左足を継いで面撃
(3)足はそのまま剣先を右にして圓受
(4)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃
(5)足はそのまま、剣先を左にして圓受
(6)右足を右に開き、左足を右足の左後に継いで面撃
(7)足はそのまま、剣先を右にして圓受
(8)左足を左に開き、右足を左足の右後に継いで面撃

2、左前、右前、左後、右後と移動する法(具体的な動きは1、に準ずる)

三、廻打  向と圓である。双方が地上に円を描く如く動く。

桁打(左廻り)
(1)左足前で向受

(2)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃

旋打(其2が基本方法である)
其1、左廻
(1)左足前で剣先を右にして圓受
(2)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃

其2、右廻 これが「廻打の旋打」の基本方法である
(1)右足前で剣先を左にして圓受
(2)右足を右前方に送り、左足を継いで面撃


【参考】

一、第22代宗家 加藤紘 論稿 参照
1、「立身流について」
2、「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」
3、「立身流に於る『・・・圓抜者則自之手本柔ニ他之打處強之理・・・』」

一、五之間之事(立身流秘傳之言 安政5年9月 逸見忠蔵筆)
進因間(すすみよるま)
退反間(ひきかえるま)
死間(しのま)
生間(せいのま)
變間(へんのま)
(は赤丸)

立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)

立身流第22代宗家 加藤紘
平成24年度立身流秋合宿資料
平成24年10月20-21日
[平成24年9月10日掲載/平成26年6月16日改訂(禁転載)]

第一、はじめに

古人はあらゆることを考究実践のうえ体系を打ち立てています。背景もない現代人の軽薄な思いつきや思い込みとは次元が違います。立身流について言えば、武士への武道指導者、専門家、実務家、研究者として500年来の思索と実践の蓄積があります。この500年の間に全てがなしつくされています。

例えば、立身流には次のような道歌があります。

  • 先々の先こそ阿連ば後の先も 後の先としてせんせんの勝 [立身流立合目録之巻]

逸見宗助源信髙が本人の字で、本人の制作で「以先戒為寶」(せんのいましめをもってたからとなす)と扁額に記した、その戒の歌です(加藤高論稿「以先戒為寶」参照)。

武道における「先」は勿論「後の先」とか「先先の先」という語句も古くからあり、代々、研究に研究を重ねられて現在にいたっているのです。決して、現代武道に始まるものではありません。又、これらの語は一部の武技だけでの用語ではなく、武道全般に関わる言葉です。

「手(之)内」(てのうち)という言葉もそのひとつです。

第二、「手(之)内」(てのうち)

1、堅(ひきしまってつよい)と緩(ひきしまってない)

立身流直(ちょく)之巻は、「十一ヶ条三十三段之分」を中心に構成されていますが、その第八条は次のようになっています。

   手     内

堅     諸     緩

この条を含む直之巻の内容は、立身新流 序之軸にも記されています。新流は1590年代に分流し、江戸時代以降本流との交流はありませんでしたから、これだけでもその以前から「手内」という語があったことがわかります。

手之内には、堅い(ひきしまってつよい)のと、緩い(ひきしまってない)のと、堅くも緩くもないのとがある。どれが良くてどれが悪いというものではありません。しかし、堅いだけではいけない、緩いだけでもいけない。堅くなければいけない場合もあり、緩くなければいけないときもある。しかも手指は常に柔らかくしなやかでなくてはいけません。

特に難しいのは、緩でも堅でもない手之内から緩や堅へ、緩から堅へ、堅から緩へ、そして緩でも堅でもない手之内へ、と、一挙動のうちに、場合によっては何回も、瞬時に、なだらかに、変化しなければならないことです。「諸」とは、この自由自在な、しかも微妙な、変化を意味します。

手之内については、刀術、特に剣術で主に研究されてきました。剣術では敵の刀等を我刀で制御しつつ斬撃打突する場合等が多く、そのためには、左手と右手の手之内の相違などを含め、剣先や鎬の活用法をはじめとする精妙さが特に必要とされるからです。刀術の手之内が他の武技に応用されます。

2、身のこなれ

この動きを可能にするものは何か。

それが立身流にいう「身のこなれ」です。

手之内は、体全体の「こなれ」を前提としたうえで、手、指で握る際のこなれの現れ方です。手で武器を持つ、手を武器とする、手を守る、等、種々の場合における特殊情況に応じられるのは、「こなれ」た身体全体のおかげです。

「身のこなれ」は、立身流變働之巻では、「手本柔」と表現されています。

第三、「・・・まるいぬきは すなわち みずからの てのもと しなやかに たのうつところ つよきの ことわり なり。・・・」(たつみりゅう へんどうのまき)

1、柔(しなやか)と固(まわりがかたい)

手本(手之本)とは、手元からはじまる身体全体のことです。自分の手、手元は勿論、身体まで柔(やわ)らかくしなやかにすれば、斬撃打突等を強くできる。自分の手之本が柔(しな)やかでなければ、強く冴えのある斬撃打突等はできない。常に凝り固まらず、力まずに柔やかで、手之本が柔らかい。こなれた身、それが武道の身体です。

「柔(しなやかなこと)」の対語は「固(まわりがかたいこと)」です。

「緩(ひきしまらないこと)」の対語は「堅(ひきしまってつよいこと)」です。

「柔」と「緩」は異なります。「固」と「堅」は異なります。

手之内に関していえば、手をふくむ身体全体が常に固まらず、柔(しなや)かな状態を獲得できて初めて「堅」も「緩」も自在となります。

固いのはいけません。ところが、ほとんど全ての人が、特に右手が、程度の差こそあれ、固いのです。柄を握った右手の凝り固まっているのが、見ただけでわかる方がよくいます。特に、古武道修行者や居合を稽古する人に右手のゴチゴチの人がめだちます。立身流門も例外ではありません。これでは刀の操作もままなりません。

右手を含む「こなれた身」ができて、はじめて「我体自由自在」(立身流秘伝之書)が可能になります。

2、身のこなれと向(むこう)、圓(まるい)

そのような身体が武道の必須要件として要求されるのですが、特に立身流の圓抜で顕著に必要とされるのです。見た目、格好だけできても圓ではありません。

他方、向は手本(身体全体)の勁(つよ)さ、明確さを志向しているといえます。

圓、そして向の正しい修練を重ねるのが身体のこなれの質を高めていく近道です。

  • 日々夜々に向圓を抜ならば 心のままに太刀やふられん [立身流理談之巻]

向圓は立身流の基本中の基本であり、かつ秘事です。

3、身のこなれの質と程度

「身のこなれ」の質と程度は一見してわかるものです。流派の異同、武道種目の異同を問いません。静止していてもですが、動作に顕著です。例えば、立身流での歩みや走りの一歩目は、左足からが原則ですが、その一歩にすべてが示されます(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」の第五参照)。

4、身のこなれの現れ

「身のこなれ」は気品、品格にも通じます。

「形は人によって良くなる。良い形も人によって悪くなる。要は人だ。流儀の良し悪しも人によって決まってくる。」とは、先代宗家父加藤高の言です。一見難しいことを見事にこなしていたり、社会的評価が高く著名な先生方について、先代宗家加藤高は、間合などの問題点のほか「身体が、本当でない。まだ本物でない」と内々評することがよくありました。「実戦だったら・・・」の例え話つきです。

他方、中山博道先生の杖(立身流の半棒に対応する)での一突につき「その、真直ぐにすっと伸びるすばらしさ、美しさは表現し難いものだった」と、しばしば口にしていました。

逸見宗助は萬延2年(1861年)正月18日に、まず千葉栄次郎の下での稽古に入りましたが(後、桃井春蔵門)、坂本龍馬と接触があり、「龍馬の剣は、大きく、のびのびした、立派な稽古であった。」と語っていました。

俰の、電返(いなずまがえし)之事の稽古で父は、「電の如く、電光石火、敵の懐にとびこむのが要諦。国士舘の柔道の同僚で巴投の見事な者がいた」とのことでした。電返は柔道の巴投に対応します。ただ、初めから組んではいないことや、キンを中(あ)てたり、受身をとれないよう頭から敵を落とすなどの違いがあります(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」の第四、構の1、及び2、参照)。

戦後剣道が解禁された頃、父が持田盛二先生と日本剣道形を撃った際、質問する父に対し、持田先生は「あなたぐらいになれば、自分の解釈にしたがうのが一番良く、それで十分です。」と述べられました(写真)。

持田盛二と加藤高の演武 /於 佐倉第二高等学校講堂(右が加藤高)

持田盛二と加藤高の演武 /於 佐倉第二高等学校講堂(右が加藤高) [立身流所有]

国士舘での父の後輩、二天一流今井正之先生については「今井は良いから真似するといい」と教えられました。

一突、一振、一足の中に全てがあり、全てが示されます。

第四、「手之本柔(しなやか)ニ」なるための稽古

1、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)と切返し

かつて立身流では、初心者には、三年間は、桁打(すなわち、向)、旋打(すなわち、圓)、廻打(すなわち、向と圓)しか許されませんでした。袋撓(ふくろじない)を用います。

戦前、先代宗家加藤高が在学した国士舘専門学校や、武道専門学校でも、新入生は一年間、稽古は切返しだけでした。今の高校三年生くらいの、それまで鍛えに鍛えられてきた猛者たちが、です。切返しは、立身流の桁打、旋打、廻打に対応します。

「みんな、死ぬ思いの稽古を繰り返したからな」との父の述懐でした。在学中の四年間のほとんどは基本稽古に費やされたのです。

これはすべて、「手之本柔(しなやか)二」し、こなれた身体を創り、同時に、技の基本を身につけさせるためでした。

武道の習得には、このようにした方が結局ははやいのです。というよりも、こうしなければ武道を本当には習得できません。基本が習得され、その結果どのような場面にも対応できる応用力が備わっている、それが専門家です。

但し、正しい桁打、旋打、廻打、切り返しでなければ、取り返しのつかないことになります。

2、稽古方法

「手本柔(しなやか)」になるには、疲れに疲れ、力を入れようとしても入れられない状況まで廻打等を稽古し、その情況下で更に、師匠の指導の下、正しい廻打等を繰り返すのが一番です。

当初は、ゆっくり、右手は勿論全身の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理のない、動きでです。

これを何年かかけて、速く、右手は勿論全身の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理のない動きにしてゆき、さらにこれらを繰り返します。上達しても、稽古の最初と最後に行います。可能な限りゆっくりした動きから、可能な限り速い動きを繰り返します。

数を重ねていくと、次の歌が肌でわかるようになります。

  • 遅くなく疾(はや)くはあらじ重くなく かるきことをばあしきとぞしれ [立身流理談之巻]

このようにして、どのような事態にも対応し得る、こなれた身がつくられてゆきます。

本当の速度や冴えや鋭さや強さや美しさや品格はこうして身につきます。立身流や、戦前の武道家養成校はこれを実践したのです。

疲れ果てるまでの時間と機会がないばあいは、疲れ果てたとの想定の下で稽古します。

数をかけないで先へ進もうとする(速くしようとする、強くしようとする、冴えを出そうとする、等)と、崩れ、拗(こじ)れます。

3、子供の稽古と大人の稽古

子供時代からの稽古が有益なのは、単に稽古期間を長くとれるからではありません。子供の柔らかい身体と素直な心の下、身体の柔やかさとその感覚を維持しつつ、筋力をつけ、正しい技と力を身につけながら、大人になる迄たっぷり数と時間をかけて熟成し、柔やかにこなれた身体を創りあげる稽古ができるからです。子供にだけ可能な、大人には不可能な、質の高い稽古ができるのです。

その子供には無理な重い武器(刀等)を持たせたり、速く振らせようとしたり、強く打たせようとしたり、意図的にメリハリをつけさせたりしてはいけません。折角の子供の資質をそぎ取り、悪癖をつけさせるだけです。

大人はまず身体をほぐして柔らかくすることから始めなければなりません(その意味では女性の方が武道に入りやすい、と言えるでしょう)。そのうえで、自分の筋力を生かしながらも柔やかさを得る方法を探り、正しい技を身につけ、なおも筋力等の強さを身につけ、身のこなれをもとめていかねばなりません。

4、初心者の稽古

初心者は、武器を手にする場合は成るべく軽いものにする。軽いものを重く正しくのびやかに振ります。それを続けていけば重いものをも軽く正しくのびやかに振れるようになります。身体がこなれないうちは重い武器を手に稽古しないことです。袋撓(割竹の受方用でなく丸竹の仕方用を選ぶこと)が有効です。

立身流刀術の動きは、重く、長い刀にも適しています。抜打に斬る瞬間には既に両手で柄を握っているのが原則ですし、勿論、刀の重さ、長さ、反り、刃筋、鎬の存在等を生かし、これらに逆らわない自然な動きだからです。ちなみに、私の居合刀(真刀)は刃渡り2尺6寸3分、鞘を払った重量1.4キロです。息子の敦のそれは、2尺5寸5分、1.6キロです。敦の刀は、台湾に持参した全ての刀剣を残して戦後引き揚げて以降の、先代宗家加藤高の愛刀でした。

しかし、身のこなれと技が相当程度達成され、かつ、正しい稽古を続けるならば悪影響はない、と判断されるまでは、重い刀、長い刀は避けねばなりません。手之内等には思いもいたらず、刀を反りのある鉄棒と同視するような、抜いて振り回すだけの、不器用なだけの稽古になってしまいます。器用なだけというのはいけませんし、不器用なだけというのもいけません。

  • 不器用も器用も鈍も発明も 終りの末ハみちハ一寿(す)じ [立身流立合目録之巻]

身体がこなれないうちは、力の要る技(場合により、張、巻落など)の稽古をしてはならない、ということにもなります。

5、数抜(かずぬき)

立身流の数抜(拙稿「福澤先生と立身新流居合」参照)の数の多いものは、原則、相当に身のこなれた者がすべきです。その主眼は、身のこなれを向上させると共に、向圓の居合の表(おもて)の立合を、刀を用いて正しく身にしみ込ませ、矯正し、向上させ続けることにあります。しかし、個癖(こへき)を身につけてしまうことにもなりかねません。特に見てくれる人のいない一人抜は要注意です。

  • 不器用も器用もいらず数抜を 年を積りてする人ぞよき [立身流歌]
  • 怠らず数を抜いても工夫をも せずば稽古のいかで上がらむ [立身流歌]

福澤諭吉はこれらの歌に従い、数抜を続けていました。(拙稿「福澤先生と立身新流居合」参照)

6、個癖と個人的特性

  • あまり身に過ぎたる技を好まずに 進み退くことを覚えよ [立身流立合目録之巻]

色々な形の所作を覚えて、いくら数を重ねても、格好だけで、あるべき形から離れるだけ、理想の方向へ向かわず、究極の目標とは方角違い、ということがよくあります。ただ手なれていて小さく迅いだけでは、また、ただ力まかせに強いだけでは大成しません。そのような稽古を続けていても固癖に陥るだけです。武道は対人関係から始まるのでして、只物理的に速かったり強かったりすればいいものではありません。

そして、修復しがたい個癖におちいらないためには、よい師匠が必要です(拙稿『立身流に於る、師、弟子、行儀と剣道の「一本」』参照)。個性(個人的特性)と個癖は異なります。自分では個性だと思っていても、そのほとんどは個癖にすぎません。一人稽古だけを続ける場合は特に要注意です。

すべきでない稽古や運動を重ねて個癖が身についてしまった時は最初に戻らなければなりません。ところが、それが困難なのです。拗らせてしまった時はなおさらです。

矯正には、素直さを取り戻した上で、尋常でない覚悟と努力が必要です。しかし、個癖を正しいものだと、個癖をすばらしい個性だと、身体と意識下に刷り込まれてしまっています。そのため、説明を受けて仮に頭では一応理解でき、その場では一旦矯正されたとしても、身体が納得しません。潜在意識も変化せず、従って、正しいものを見ても、それを正しいものと真に認識できないのです。

武道では、自分の体得した質、量の範囲でしか理解できず、正しい目標も設定できません。

7、最高のほめ言葉

「そのまま数を重ねればいい」という言葉は、先代宗家加藤高の、その時点毎の最高のほめ言葉でした。

第五、「心目體用一致」(立身流俰極意之巻)における「體用(たいよう)

「用」は「はたらき」を意味します。すなわち、心用、目用、体用はすべて一致しなければならないという意味です。

「心」は、七戒の下、空の状態の心です。その「用(はたらき)」は、意識作用のない無念無想の下で環境への最適な対応の仕方を判断します。(拙稿「立身流について」及び「立身流に於る『心の術』」参照)

「目」は、間合など直接認識できるもののほか、その背後にあるものに感応します。その「用(はたらき)」は、他の感覚器官と併せて環境を的確に把握します。

「體」は、こなれています。その「用(はたらき、すなわち技)」は、環境変化への対応を実現します。

「一致」は「一体」と同義です。

心を軸として、環境とその変化の把握からこれへの対応行動が一瞬でなしうる、その要件のひとつが、身のこなれです。

  • 心こそ両輪軸とおなじなれ とまるものなら廻るまじきぞ [立身流理談之巻]

武道では、武道の心、目、體を練りあげ、その各々のはたらきが理(曲尺: かね)にかない、しかもその全ての一致(曲尺合: かねあい)が求められます。

立身流三四五曲尺合之巻(たつみりゅう さんしご かねあいのまき 立身流曲尺之巻とも標される)はここから始まり、ピタゴラスの定理なども考察しつつ、天、地,人、自然、生死へと思索を深めてゆきます。

立身流は「動く禅」とも称されます。

第六、身のこなれ、手之内、の形への現れ方

これについては別稿の「『手本柔』」(立身流變働之巻)の立身流刀術形への現れ」に記します。

個々の刀術の形(表之形<居合・剣術>、陰之形、五合之形、五合之形詰合等)への現れとともに、刀術全体を通じての注意点例(桁打・旋打・廻打の種類・内容、一刀・二刀・抜刀での手之内、剣先の厳しさ、刃筋の正しさ、擁刀、鎬の用法、抜刀の際の鞘の戻し、残心等)につき述べ、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家逸見柳芳筆)や「立身流之秘」(立身流第17代宗家逸見忠蔵筆 安政5年戌午(1858年)10月)の一部にもふれます。

第七、武道に於る「必勝の原理」

流祖立身三京が濃州妻山大明神に参籠し、37日目の暁、夢のうちに開眼して会得した武道全体に通ずる必勝の原理は、向、圓の形を介して授けられました。

本稿で述べたところはこの原理の表れのほんの一端です。

形の上では、向、圓がそれぞれ独自に変化するばかりでなく、向と圓あるいは向の変化と圓の変化が無限に組み合わされていきます。

俰でいうと、向、圓の体系が俰の居組、特にその初の3本の右位、首位、胸位(胸痛)となり(なかでも、1本目の右位の重要性がきわだちます)、中(あて)、逆(ぎゃく)、絞(しめ)、解(ほどき)等が加わり、立合及び組合(甲冑技)を含む全45カ条と、受身や活法を含む多数の口伝(くでん)につらなっていくことになります。

他方、向と圓が統合され、昇華したのが「一心圓光剣」(立身流免之巻。立身新流免之巻には「一心圓明剣」と表記される)です。

第八、術と道

今までの記述で私は「武道」の語を使ってきました。

私は、武術すなわち武道、武道すなわち武術、と認識しています。古武術すなわち古武道、古武道すなわち古武術です。

術すなわち道、道すなわち術です。

立身流は、世間的には古武術、ないし古武道だとされるかもしれませんが、その内容は、単に武道という語を使ってもいいものです。

【参考】諸橋轍次 大漢和辞典(修訂版) 巻十 153頁

術・・・㊀みち。㋑とほりみち。邑中の通路。・・・㋺心のよるところ。心術。・・・㋩のり。おきて。法則。・・・㋥てだて。手段。・・・㊁わざ。㋑学問技芸。・・・

第九、道歌

< >内は、関係する特に重要な事項を示します。

  • いかほどに太刀はするどに振るとても 手の内さとり備へく寿す奈 [立身流立合目録之巻]

<剣先の厳しさ>

  • 我身なる手元の非をば知らずして 敵を切らんとするぞはかなき [立身流立合目録之巻]

<手之内の基本稽古>

  • 敵の打太刀の切先引しめて たぐり行くなる心なれかし [立身流立合目録之巻]

<剣術・表之形 陰之形>

  • 本の身は行くも留るも飛(ひく、退く)は猶 心にまかせ叶ふ身と知れ [立身流直之巻]

<剣術・五合之形>

第十、「立身流秘伝之書」(第17代宗家逸見忠蔵編)中、「剣術抜合理談」(明和元年甲申(1764年)晩秋 一鏡堂源水跋(いっきょうどう みなもとの すいばつ・第11代宗家逸見柳芳)筆)より三か所引用(読下し)

一、「夫(そ)レ太刀ハ其ノ人ノ心ノ如ク動クト云(い)ヘリ。假初(かりそめ)ニモ敵ヲ欺クコト莫(ナカ)レト云フ。・・・柄(つか)鞘(さや)手付(てつけ)ニ習ヒ有リ。強ニ非ズ、弱ニ非ズ。是(こ)レ手之内ノ陰陽也。弱ノ中ニ強有リ、又、強ノ中ニ弱有リ。是ヲ第一ノ習ヒト為ス也。弓矢剣鎗、共ニ皆等シ。陰中陽、陽中陰也。諸流共ニ同ジク之ヲ秘ス。卵合セノ場也。卵ハ強ク握ル時ハ潰レテ失有リ。又、豫メ弱ク捉エテ打落サル時ハ破レテ失有リ。故ニ亡ビテ夫(そ)レ止ム事ヲ得ズ。然ラバ則チ柄ハ惟(これ)、卵ニ添テ握ルガ如シ。弓鎗ノ握モ同ジ。弣(ゆづか)ヲ強ク握レバ弓(ゆ)ガエリナシ。鎗モ左ノ手強雄ノ時ハ突ク事カタシ。是レ卵ヲ握ルガゴトシ。・・・」

二、「・・・右ノ手ノ力強ク左手ノ力弱キハ人ノ常也。力強クシテ手足堅ク氷ノゴトク成ルトキ用ヲ闕(か)ク也。身體ハ水ノ如ク水ハ方圓ノ器ニ随フ。抜ク者ハ敵ニ因リ轉化(てんげ)ス。・・・」

三、「ソレ兵ハ詐(いつわり)ヲ厭(いと)ワズト言ヘドモ、剣術ノ修業ヲ専ニスル者、之ヲ好ム所ニ非ズ。武ヲ用フル者ハ威ヲ先ンズ、威ハ変ラズ於(に)在リ。・・・兵法ハ偽ヲ嫌フ。偽ヲ以テ勝ツ事ハ勝ニ非ズト云リ。敵ヲ唆(さ、そそのかす)リ欺キ打ツ事莫(なか)レ。夫レ人ノ氣ニ虚実有リ。敵ニ向ヒテ打ヲ發シ欲スル時ニ吾(わ)ガ見込タル所ヲ打外サヌ様ニ打ツコト肝要也。打勝ト雖(いえど)モ猶(なお)、打チ始メノゴトシ。突キモ又同ジ。打ハ手ヲ以テ撃ッテ、手ニテ撃ツニ非ズ、躰(たい)ヲ以テ打ツ也。又躰ニテモ打ツニ非ズ、呼吸ヲ以テ打ツ也。是(こ)レ皆、体用一致ノ所也。突ク物モ等シ。弓射ル者モ此レニ同ジ。手ニテ彎(ひ)キテ射ルニアラズ躰ニテ張ッテ射ル也。躰ニテ張ッテ発スニアラズ呼吸ニテ射テ放ツ也。太刀突モ鎗ニテ突クモ同ジ事也。・・・太刀ニ打在リ,打ノ中ニ突有。鎗ニ突アリ、突ノ中ニ弾(はじき)アリ。・・・目付三段九ヶノ内、身体ヲ打ツ所ハ只一ヶ所ニ止マル。此ノ打ヲ打損ゼヌ様ニ相討(あいうち)ニ打ツ可(べ)シ。是、直(ちょく)ノ打也。唆シ打タント欲シ、打タ不(ず)シテ敵ノ氣ヲ欺ク、是、偽ノ打也。・・・心、凝(こ)リ固リ、則(すなわち)、業(わざ)モ固リ、手足共ニ岩木ノゴトクニ凝リテ身体自由ニ成ラ不(ず)、故ニ利ヲ得ル事甚(はなはだ)難(かた)シ。心ハ両輪軸ノ如シ。留ル時ハ旋(まわら)不。・・・」

第十一、「立身流聞書」(第21代宗家加藤高筆)より三か所引用

「一、・・・柄の握りは刀の死活に影響するところ極めて大なるを以て、手のかけ様は廣からず、狭からず、力を以て強く握らず、柔かく、肚(はら)にて握る心持ち肝要なり。

手の裡の心持は、両手首を軽く折り、左右の小指及び無名指を絞り込み、中指の基部を締め、食指は軽く屈め、拇指の基部にて柄の上より僅か押す心持にて柄を握ること(所謂、茶巾を絞る要領にてなす)。而して斬撃する時は、その斬りつけたる瞬間両手の力をひとしく十分握りしめておこなひ、斬撃の後、刀を復する時、又は刀を構えたる時は、手の裡やわらかに、力を入れる事なく、所謂左手は傘をさしたる心、右手は卵を握りたる心にて柄をとる事。

柄の握り様は鍔(つば)に拳の觸(ふ)れざる様、縁金(ふちがね)の部を避けてかけ、・・・左手は柄頭の金具を握りこまず(小指を金具にかけぬ)、即ち八寸くらいの柄に於いては小指の基部関節の外部が柄表の柄糸の巻き納めの結ひ節に小指先は柄裏の柄糸巻き留めの結び節にかけて握るを最も適当とす(彼の左小指の半ばを柄頭にかけて握る時は金具ゆるみて柄を損傷し、手の作用十分なり難し)。」

「一、居合は剣道に伴ひ之に並行して発達し来れる刀法にして、元より剣道を離れて居合なく、居合を離れて剣道なく、両者全く一体不離の関係たり。・・・」

第十二、「立身流秘伝之書」(第17代宗家逸見忠蔵編)中、「立身流戦場動幷着具之心得」(たつみりゅうせんじょうばたらき ならびに ちゃくぐのこころえ) (安政5年戊午(1858年)9月吉辰 逸見忠蔵筆)より三か所引用

「陣大小事・・・」

刀長短ハソノ人具足(ぐそく)ヲ着テ能(よく)振ル程ヲ吉(よし)ト言 平日ト違 小手ヲ差テ抜兼ルモノナリ・・・」

「持鎗之事・・・」

鎗ノ柄ハ二間程迠(まで)ハ好ミニ依ベキ也 長キハ余リ好マ不ル事也。柄ヲカンナ(鉋)目ニ削タルガ吉。塗柄アシ・・・」

鎗合之事

敵味方歩立(かちだち)ニテ鎗ヲ合スル時ハ・・・トカク胸板刀諸臑(すね)ヲナグル 則(のっとれ)バ必ス敵タヲルゝ物ナリ・・・」

第十三、「立身流入堂訓」(昭和62年1月27日 第21代宗家加藤高 全十ヶ条)より5ヶ条引用

第一条 立身流を学ぶ者は、流租神伝以来、歴代先師が、尊き実地試練の苦業を経て完成されし形、その他、古来より伝承されし当流の内容に聊かも私見を加え、私意を挟み、之を改変すべからず。

第二条 常に向上の念を失わず、先達者に就いて、絶えず個癖の矯正に心がけ、正しき立身流の形及び理合並びに慣行知識の修得と伝承に心がけよ。

第三条 個癖と個人的特性とを混同する勿れ。

第四条 立身流修業中、不知不識の間に、往々にして或る種の不正過誤に陷ること有り。拗れざるうちに宗家の指導を受けよ。

第九条 立身流古文書類の研究解明は必ず実技修得後に於いて、実技に照らしてなすこと。実技と理合の対応なき研究解讀は、判断を誤る場合少なからず。注意すべし。

以上

註 印は朱

立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)

第23回国際武道文化セミナー講義録(平成23年3月7日)

立身流第22代宗家 加藤紘
主催: 財団法人日本武道館
後援: 文部科学省 日本武道協議会
協力: 国際武道大学
通訳者: アレキサンダー・ベネット
[平成23年11月12日掲載/令和3年8月20日改訂(禁転載)]

第一、はじめに

立身流での演武や稽古は、流祖神妻山大明神や、稽古相手への礼から始まります。
神との一体化を目指し、稽古相手への敬意の念を表します。その為には、先ず、自分の心身を正しくしなければいけません。その正しい心身がそのまま、武術の基本です。

  • 己が身を正しくするは行儀也 人の正しきことにしたかへ [立身流立合目録之巻]

第二、姿勢

1、姿勢について
自らの身を正しくする第一歩は姿勢です。これが武術の出発点でもあります。

  • 我が体は曲がれるものと心得て 人の形に気をつけて志礼 [立身流俰極意之巻]
  • 十の字を我か身の曲尺と心得て竪も1なり横も一なり [立身流立合目録之巻]

曲尺(かね)とは法則の意味です。身体は、どこからみても、竪に真直、横に真直でなければいけません。竪1横一です。その姿は、杉の木が天に向かって伸びていく姿にも例えられています。

  • 思ひなく巧むことなくするすると身は若杉の立てる姿に [立身流歌]

2、立姿(実演)
力を抜き、身体の弾力性を保ち、足巾は狭くして何度か飛びはねた後の巾、足の重心は指の後ろ辺り、関節は突張らない程度に伸び、肱は体側に軽く接するか瞬時に接する事が出来るようにします(肱の逆をとられない)。手の指同士も同様です(同)。力を抜くのも、瞬時に変に応ずることができるようにするためです。

3、正座(実演)
力を抜き、両腿を拳一つ分位あけ、足の親指は重なるか接します。手は力を抜いたまま、股上に持ってきます。肩から下の腕の重心の影響で上腕部は垂直でなく、肘は少々後寄りの体側に位置し、手の平はほぼ大腿元にきて、両手首が両脇腹に軽く接するごとくになります。その他の肱、指は前同様です。肱を張ってはいけません。腕を組むのもいけません。立身流では腕を組むことを「腕あぐら」といいます。

第三、礼

1、礼について
礼は頭を下げるのではありません。腰を屈します。他は立った姿勢のままです。視線は顔の動きのままに動きます。

2、礼の動作
ここで初めて動作に入ることになります。もう、武術動作の段階に入っています。動作で重要なのは、呼吸との一致です。息を吐きながら屈体し、一呼吸置き、息を吸いながら上体を戻します。また、一拳動の中での序・破・急(冴え)が重要です。その為には力を抜いて弾力性を持った身体を作る必要があります。

3、立礼(実演)
力を入れない為、手が前方よりに下がりますので、そのまま軽く身体に寄せます。

4、坐り方(実演)
上半身直立したまま、両膝を同時につき、いつ停まったかわからない程静かに腰をおろします。

5、坐礼(実演)
腰が屈する時に身体につられて両手が前に出て床に着き、両手の人さし指先を接触させ、無理がなければ両手の親指先も接触させます。しかし、右手左手それぞれの人さし指と親指の間は開けません。両手の人さし指と親指先で小さく正三角形に近い形が描かれることになります。その位置は下げた顔のほぼ中央部にきます。上体は、ほぼ水平になるようにします。礼のとき、視線が顔と共に動くのは同様です。

6、立ち方(実演)
腰を上げ両膝をつくと同時に両足指を立てて活かし、上半身直立のまま立ち上ります。反動をつけてはいけません。膝が床につく時、足指が活きていることが、武術では必要です。

7、提刀、帯刀(実演)
立っているとき、刀は右手で、肱を張らず、指に力を入れずに栗形の辺りを掌、指でくるむように提げます。自然に刃が上になります。踵をやや開いた自然体です。下緒は三折りにして一緒に持ちます。

立礼の際、刀が上下に動いてはいけません。 刀が動くのは余計な力が入っているか、固まってしまっている為です。
坐礼の際、刀は右側に、刃を内側にして、鍔が膝頭に来るように静かに置きます。

立っての帯刀は、右足を少々前へ出すと同時に右人差指を鍔にかけながら右手も前に水平に出して半身となり、左手を補助として左腰の帯に鐺を差込み、滞らない動きで差し、刀身の三分の一位が後ろへ出たとき左手を鞘に添え、柄頭が身体の中央にくるようにします。大刀は左腰骨の上に乗せるようにして落着かせます。帯は大刀を腰骨上に乗せやすい位置に締めることになります。左手人差指を鍔にかけ、下緒を刀の後に垂らすか、袴の右前の紐に挟みます。右手を下げると同時に左足を右足に寄せ、最後に左手を下ろします。

冴えのある動きや、手の内、体勢など、武術の基本通りの動きになっている必要があります。動きは体幹側から始まり指先まで連動します。

第四、構

1、構について
立身流では、正しい姿勢をとることがすなわち、基本の構です。

  • 身構は横も一なり竪も1 十の文字こそ曲尺合としれ [立身流俰極意之巻]

2、構の動作
立身流俰目録第四十二条の「身構之事」では次のように説かれます(実演)。

前:
左足を約半歩(概ね肩巾)側方に開き、足先の方向を自然に保つ。膝を軽く伸ばし、上体は垂直にして腰の上に落着け、下腹部に力を溜め精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

左(表):
左足を半歩前方へ出し、その足尖を正面に向け、右足尖を自然の方向に向けて踵を僅かに上げ、上体は自然の方向を保ち腰の上に落着け、下腹部に力を溜め、精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

左(陰):
両肱を張ることなく、左拳を左肩の前方に出し、その肱を僅かに屈し、敵の顎に向く如くし、右拳は我みぞおちまたは顎の前方7~8寸に位置せしめ、両拳は軽く握り、掌を内側方に向かわしむ。

右(表・陰):
右(表・陰)も同様です。

3、刀術 中段の構(実演)
立身流刀術の構は中段が基本です。居合でも剣術でも必ず最後に中段に戻します。
上記身構之事をふまえ、その人の体格にもよりますが、左拳が身体の中央部に位置します。それに従い、身体全体も修正されます。

  • 居合とは俰の上に居合あり 居合のうちに俰あるなり [立身流居合目録之巻]

第五、足蹈(実演)

足の蹈み方には、大きくわけて、歩んだり走ったりする場合(方向転換を含む)と斬撃する場合とに分かれます。
立姿から、眼に見えない程少々重心が前に移り、足がこれについてきて、歩み始めます。両足は成可く平行となります(甲冑を着用しているときはやや異なる)。また、無理に足を上げません。後の足の踵は歩むとき軽く浮きます。

  • 足蹈は常の歩みの如くして おくれし足はかかと浮へよ [立身流歌]

身体の上下動、左右動、前後の揺れ、身体の捻じれ等がない自然の歩み、常の歩みをします。竪1横一を歩みや走りでも維持するのです。左への転回、右への転回、左回り後への転回、右回り後への転回、四方への転回等でも同様です。更に後進、左への後進、右への後進、左回り後進、右回り後進等でも同様です。

  • 行水の淀まぬ程をみても猶 わが足蹈をおもいあはせよ [立身流立合目録之巻]

居合や剣術は、この歩みあるいは走りの上に乗っています。

  • 敵は波 我は浮きたる水鳥の 馴れてなれぬる足蹈をしれ [立身流立合目録之巻]
  • 足蹈は大方物の始めにて いえの土台の曲尺と知るへし [立身流俰極意之巻]

第六、発声(実演)

通常の呼吸から始まり、次の段階を経ます。

1、桁打、旋打、廻打の発声(無声)

2.序之形の発声

(受方)イャイ~~~~~イャイー
(仕方)イェイ~~~~~イェイー

3、破之形の発声(居合の数抜も同様)

(受方)ヤーー
(仕方)エーイ

4、急之形の発声

(受方)イャイーー
(仕方)イェイーー

5、無声(居合)
「無声は有声に勝る」といわれます。有声を経た上での無声のことです。上記1、の無声とは異なる無声です。

第七、斬撃打突(実演、上段よりの斬、居合の円)

竪1横一を崩さず、斬撃打突します。斬撃の後も体を崩しません。
立身流では、身体の安定、大きく冴えのある動きを重視し、これが美しさを伴うことになります。大きな動き方が身につけば、同じ動き方を小さくすることもできますが、小さい動き方ができたからといって大きい動き方までできるものではありません。


【参考】 立身流歌

  • 息合を水入筒と打ちかへて 腰に附希へきものにそありける [立身流居合目録之巻]
  • 餘り身に過たる業を好ますに 進み退く事を覚えよ [立身流立合目録之巻]
  • 本の身は行くも留るもひくは猶 心にまかせ叶ふ身としれ [立身流直之巻]

以上