古武道に学ぶ心身の自由(一)

日本古武道振興会会長 立身流第21代宗家 加藤 高
初出 月刊柏樹1995年2月号(No.143) 平成7年2月10日株式会社柏樹社発行
令和2年(2020年)5月22日 掲載(禁転載)

戦乱時代に発生した日本古武道の各流派は、生死をかけた戦場の真剣勝負において、如何なる強敵に遭遇しても、必ず勝って武門としての責務を果し、一門の名誉を保持しなければならなかったので、何はともあれ、絶対に不覚をとることのない、必勝の原理を体得するために、四六時中、常に刻苦して、古武道の練磨に最大限の努力を傾注した。

その手段方法は、各流各派によって多少異同があるようだが、私は下総旧佐倉藩に古くから伝承されてきた古武道立身流宗家第二十一代を継承しているので、立身流の伝書に記載されている奥義と口伝を基にして、これを中心にして記述することにする。

なお立身流は四百数十年前の、永正年間の武将、立身三京が創始したもので、時代が古いので語句が難解であるばかりでなく、その含蓄を深くするために、わざと字句を簡略化した部分が少なくないので、ここでは立身流を学んでいない者にも理解してもらえるように、これを分かりやすい現代語に書きなおして記述した。

立身流伝書に説かれている必勝の原理を詳細に説明するとはてしがないが、大きく分けると大要、次の三つである。
(一) 敵の動静を明らかに把握し、敵が動作を起こす前に、敵の意志を察知して、機先を制すること。これを立身法では「匂の先」という。
(二) 自分の心身の働きが自由自在になって、最大限の機能を発揮すること。
(三) 敵には全然こちらの意志を察知することができない状態にすること。

(一)の解説。
月が水中に影を映すとき、水面が静かであればはっきりと映るが、波立ってるとその形が歪み砕けて正しく映らない。これと同様に、心に少しのわだかまりも動揺もなく澄みきった精神状態であれば、敵の為すこと、思うことが、さながら明鏡に映るようにわかってくるものである。この心境を立身流では「水月の位 (すいげつのくらい)」ともいう。そして敵のわざの起こりをとらえて撃突して勝っ方法である。道歌に、

  うつるとも月も思はずうつすとも
       水も思はぬ猿澤の池

(二)の解説。
生死をはなれて、勝敗を全然念頭におかず、心を惑わす何ものもなければ、一刀忽ち萬化し、萬変に応じ得てとどこおることなく、尽きることもない。

(三)の解説。
心に思うことがあれば、何時とはなしに外に現われて、それを敵にさとられるものであるが、無心であれば、入るに跡なく、出づるに形なく、色もなく、香もない精神状態であるから、他人にも窺い知られることもない。

以上の三つの条件を満たすために、立身流修行者は、心法(心のはたらき)、技法(わざのはたらき)の最大限の機能を発揮できるように鋭意、多年稽古に励み、心身の修練を重ねる次第である。

立身流は剣術、居合を表芸にした武術であるが、如何なる事態に直面しても即応できるように、その他、俰(柔術)、鎗術、薙刀術、棒術、半棒術、四寸鉄刀(手裏剣)、捕繩術、集団戦闘法、物見にわたって一通り演練をつむ総合武術であって、各種武術の技法(わざのはたらき)はそれぞれ異なるが、奥義の三つの必勝の原理は、各種武術とも全く共通しており、同一である。集団戦闘法もその通りである。

二天一流の宮本武蔵の『兵法三十五條』にも、「此道大分兵法(このみちたいぶのへいほう) (集団戦闘法)、一身之兵法(いっしんのへいほう) (狭義の兵法で武術をさす)に至迄、同意なるべし」と明記している。

特に注目すべきことは、立身流流祖、立身三京は、この三つの必勝の原理を、単に生死を争う場合にのみにとどめずに、広く活社会にこの原理を活用して、世のため、人のために大いに貢献すべきことを強調していることである。

なお、心法、技法といっても、これは全く表裏一体の不可分の関係にあるので、いわゆる一にして二ならざるものであるが、最初に順序として、最も重視されている心法について述べることにする。

心身の自由自在な働きをするためには、事に臨んで、ある一つの事にこだわって、その事に注意力が奪われることがあってはならない。これを立身流では「止心 (ししん)」といって、古来から深く戒められている。

或る一つのことに心を止めると、その事にこだわって、心身の自由な働きができなくなり、臨機応変の処置がとれなくなるものであって、生死をかけた戦場、真剣勝負では大きな妨げとなり、判断を誤らせるものである。勝負に関係のない仏教でもこれを「執着 (しゅうちゃく)」といって嫌っているようである。

あたかも、山に木々の葉が茂っているのを、遠くから離れて全体を見れば、青葉や紅葉に彩られた山の美しさは分かるが、近よってその美しさを構成している一つ一つの木々の葉を細かく注目すると、全山を包んでいる彩色の美しさは分からないようなもので、相手に対しても、その一箇所に心を止めれば、敵の全体の動静は分からなくなるものである。

着眼でも一箇所に止まることは、甚だよくないことである。電車の中で外の電柱にのみに注目すると、電車の進行しているのが分からずに、電柱が動いているような錯覚をおこすようなもので、常に相手の全体が見透せるようにしなければならない。

間合(敵と我との相対峙する時の相互の距離)をとる場合も、間合が大事だからといって、間合だけにとらわれて心を止めると、かえって敵に撃突されることになる。又、敵の刀の動きだけに注目して心を止めると、十分な活動ができなくなり、相手に引きまわされてしまうような結果になる。真剣勝負においては一つ事に注目して心を奪われると、他の活動は全くお留守になって、結局は相手に撃突されてしまうのである。勝負の際には、自分の気分は常に相手の機先を制していなければならない。相手がこう来たら、こう防ぐ、ああすれば、こう行くなどと考えては、相手の刀に心を止めているからそういう気持が起きるのであって、いつも相手の後ばかり追って、最後には相手にやられてしまうのである。

古武道においては、一事物に心を奪われると、他は全然活動を休止しなければならないので、あたかも山全部の景色を眺めて、一葉一葉を見ないのと同じ事になるので、一事物に心を止めることを深く戒めている。

  ただ見ればなんの苦もなき水鳥の
     足にひまなきわが思ひかな

という古歌があるが、水鳥は一見すれば、ただ水上にぽっかり浮んで、何事もないように見えるが、水中の見えないところで活動している足は、たえず前後左右に巧みに動かして、寸刻も休んでいない。これと同様に、敵のやり方に応じて、一瞬のうちに絶え間なく、適切敏捷に処置することを、古武道では重視しているのである。

具体的な例をあげれば、敵の打ちこんでくる剣を此方が受けとめたら敵はすかさず退いたので、此方は直ちに追いこんで行き、相手が体当りでくれば此方はこれをかわし、敵が受けとめられたのに心を止めて、あっけにとられていたら、此方はそこをすかさず撃突して勝つのである。

但しこの場合、自分が受け止めたことに心を止めるようなことは絶対にあってはならない。そうなると反対に敵に主動権を握られてしまうことになる。

千手観音に千の手があるのは、一つのことに心をとめなければ、千の手はそれぞれ活動して、皆役に立つが、もしその内の一つだけに心を止めるときは、残りの九百九十九の手は役にたたないということを教えたもので、いわゆる「止心」の戒にあてはまるものである。

一つのことに心を止めずに、次から次へと変転自由自在に、少しも全体の調子にこだわりや無理がなくなると、千変万化に応ずる古武道の妙味が、十二分に発揮されるものである。立身流の免許皆伝に説かれている奥義には、「深夜聞霜」(深夜霜ヲ聞ク)ロ伝とあり、さらに「満月之事」、「半月之事」とあり、口伝として「満月を撃突すべからず」、「半月を撃突すべし」と教えられている。深夜に霜を聞くとは、換言すれば無我の心境、無念無想の境地に悟入することを指しているので、多年にわたり刻苦洗練された修行の結果、最後に到達した最高度の心身の機能の活用であって、事物に心を止めるなというのも、必勝の原理というのも、つまりは見方を換えて同じことを言いあらわしたにすぎないのである。立身流道歌に、

  深き夜に霜を聞くべき心こそ
     敵にあひての勝をとるなれ

さらに詳述すれば無我の心境、無念無想の境地とは、驚・懼・疑・惑・緩・怒・焦 (きょう・く・ぎ・わく・かん・ど・しょう)の七つがまったく消滅した「空」の精神状態をいうのである。

驚(きょう)とはびくっとして心がぐらつくこと。懼(く)とはおそれてすくむこと。疑(ぎ)とは意外なことに直面してうたがうこと。惑(わく)とは疑ってどう対応したらよいか分からず処置に迷うこと。緩(かん)とは緊張した気分がゆるむこと。怒(ど)とはむっとして腹をたてること。焦(しょう)とはあせっていらいらすることである。

「満月之事」とは以上の七つが、まったく起こらない心の活動状態を言うのである。

「半月之事」とは以上の七つのうちの、どれかが発生した心の状態を指している。勿論、いくつか同時に発生する場合もあり得るはずである。

もし敵が「満月」の精神状態にあるときは、これを「半月」の状態に知らず識らずのうちに巧みに誘導して撃突すべきことを教えている。

宮本武蔵などは、相手が強敵の場合には、しばしばこの方法をとって勝っている。かの有名な佐々木小次郎との試合の時も、小次郎に対して、武蔵はわざと約束した試合時間に数時間遅れて行って、小次郎をいらいらさせ、やがて小次郎と直面した際に、なぜ遅刻したかという小次郎の詰問に対しては返答せず、小次郎が怒髪天を突いて、いきなり切りかかったその出はなを、機先を制して例の大木刀で一撃のもとに打ち倒して勝利を得ている。つまり若き小次郎が、武蔵の 焦 と 怒 の誘導戦略に完全に乗せられて一命を失ったのである。余談であるが、医学者・歌人で有名な斎藤茂吉は、若くして武蔵に敗れて一命を失った天才剣士・佐々木小次郎に対していたく同情して、大正十年十一月二日、二人が試合した厳流島を訪れて、次の一首を詠んだ。

  わが心いたく悲しみこの島に
    命おとしし人をしぞおもふ

その後も斎藤茂吉は昭和五年八月、『文藝春秋』に「厳流島」という随筆を発表した。さらにまた、昭和二十四年、「厳流島後記」を発表している。

なお立身流では、心身の機能の最大限に自由自在な活用を体得させる手段として、古来から居合数抜き三千本、剣術立ちきり三千本の猛稽古を実施し、それを通した者には、さらに一万本の荒修行を課して、如何なる困難苦境にも堪え得る剛強な剣士を育成したのである。

立身流の深夜霜を聞くの心境、即ち無我、無念無想の境地を二天一流の宮本武蔵は、兵法三十五箇条の最後の項に、「萬理一空の事」という語句で表現している。そして註に、「萬理一空の所、書きあらはしがたく候えば、おのづから御工夫なさるべきものなり」と結んでいる。まことに傾聴すべき至言である。