立身流立合目録之巻陰五个口伝より(その1)

立身流第22代宗家 加藤 紘
平成27年11月3日
佐倉市文化祭剣道大会 祝辞
於 佐倉市民体育館
[平成29年2月4日掲載/平成29年4月10日改訂(禁転載)]

大会開催、おめでとうございます。
以前、立身流の「心の術」についてお話したことがあります。試合でどうすれば落着くことができるか、集中できるかの話でした。
その関連の話ですが、立身流に立合目録之巻(たちあいもくろくのまき)という伝書があります。
「立合目録での立合」と言うのは剣術、剣道のことです。
その中に「陰五个口伝(かげごかくでん)」というのがあります。代々口で伝える五つの事柄という意味です。
その一つに「小用(しょうよう)」といわれるものがあります。「小用」とはトイレに行けということです。
古文書に次のような記載があります。

「小用ヲスル事呼吸之為ナリ 戦場平日共(せんじょうへいじつとも)」

小用をするのは呼吸を整えるためである。戦場でも日常でも心得ておきなさい、ということです。
トイレに行って呼吸が整えば気持ちが落ち着きます。
500年以上前から言い伝えられている立身流の教えです。

今日は頑張ってください。


[佐倉市文化祭剣道大会講話録]
平成25年11月3日 立身流門を主とした佐倉藩士と警視庁
平成24年11月3日 立身流に於る「心の術」
平成23年11月3日 立身流に於る、師、弟子、行儀、と、剣道の「一本」

2017年2月4日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る「観取稽古」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市民体育大会剣道大会講話録
平成26年6月1日
於 佐倉市民体育館
(本稿は表記の講話録を大幅に加筆したものです)
[平成26年6月16日掲載/平成26年11月6日改訂(禁転載)]

第一、観取(みとり)稽古の意義

観取稽古とは、文字通り、観て自分に取り入れて自分の稽古とすることです。
その観取稽古のめざすところは通常の稽古と全く同様です。観取稽古はあくまでも通常の稽古の補充にすぎませんが、通常の稽古と異なり自分の体を使ってないため、又、目で比較対照できるため、客観的に認識判断でき、冷静に考察して本質に迫りうる利点があります。
ところで、観取稽古では、何をどのように観て、何をどのように取り入れるのでしょうか。

第二、稽古場での観取稽古

1、師匠を観取る
(1)道場で、自分が身体を動かしてないときに、同僚や後輩の人たちと雑談に興じているひとがいます。もったいない話です。芸の稽古は、本来、師と弟子が一対一でなされるべきものです。しかし時間的制約があります。これを補うのが師匠を観取る稽古です。師匠を観取ることにより、師匠の動きが自分に映りこんできます。ここで注意しなければならないのは、師匠の悪いところ、欠点ほど、増幅してうつりやすいということです。少しでも油断すると、師匠の悪いところだけ真似するようになりかねません。良い点は真似ます。悪い点は意識的に排除しなければなりません。師匠としては、自分の欠点や、その欠点の出る理由を弟子の程度により徹底して教えておかなければいけません。それが弟子の「観取る目」を育てることになります。

(2)師匠の他の人への指導は集中して見守らなければいけません。他の人の欠点は自分の欠点です。長所は取り入れます。

(3)そして、考えます。いわゆる科学的考察としての、帰納と演繹をくりかえします。より高次の基本の動き、より高次の理合を求め、自らの動きは、可能な限り高次な基本の動きと、可能な限り高次な理合から導きだされるようにします。基本的な動きについてのあるべき姿(目標)や形の意味、形との関係を探るのです。
立身流で言えば、どのような微細な動きでも向圓から導き出されるのでして、それを頭と体で理解しうるように努力します。微細な動きは、個々の動きをその動きごとに分断して覚えるのでなく、他の動きとの共通性を探り、どうしてそういう動きになるのかの原則を探ります。原則を探り当てたら、更にその上、高次の原則を探ります。その探求の積み重ねが大切なので、その人の到達程度により、その人の基本とする動きや理合の次元が異なってきます。
例えば、手之内についてみると、立ちあるいは座っているとき、歩いているとき、走るとき、武具を持つとき、提刀のとき、帯刀動作のとき、抜刀のとき、斬撃打突のとき、納刀のとき、俰において等、全てに通ずる原則があります。ただ、具体的な動作が異なるため、手之内の現れ方が異なるにすぎません。その人の微細な動作は、その人の到達程度を如実に示します。微細な動作は、習得された基本の現れです。

立身流入堂訓 第二条
常に向上の念を失わず、先達者に就いて、絶えず個癖の矯正に心がけ、正しき立身流の形及び理合並びに慣行知識の修得と伝承に心がけよ。

(4)観取稽古は普段の稽古でのそれが一番重要です。

  • 利(理)合をは(ば) 心に留めて尋ねずは(ば) 人にほと(ど)こす時そ(ぞ)かなしき [立身流理談之巻]

2、師匠以外の人を観取る
例え未熟な人でも、馬鹿にしてはいけません。見習うべき長所は必ずあるもので、しかも未熟な人の長所ほどその人の天性ともいえ、純粋です。それを見抜けない人こそ未熟です。

  • 下手(へた)こそは 上手の上の上手なれ 返す返すもそしることなし [立身流理談之巻]

第三、試合場や演武会等での観取稽古

1、自分の師匠が出場するとき
自分の師匠が出場するときは可能な限り拝見しなければならないのは当然です。ところが、その当然なことをしないのを当たり前と思っている人が多いのです。師の演武は師が勝手にやってるので自分は関係ないという態度では上達しません。師から教えを受ける姿勢から正さねばいけません。
父は「口でうるさく言わなくても技はうつる。」と、よく言ってました。しかし、うつるかうつらないかは、教える側の心持によるのでなく、教わる側の心持によって決まります。

2、他流を観取る稽古
江戸時代は閉鎖社会であったとの認識が蔓延していますが、そんなことはありません。交流は自由で活発でした。立身流には「針谷夕雲無住心剣傳法嫡子 小田切一雲誌焉」の写本が伝来しています。廻国修業がなされ、幕末に特にこれが多くなってから以降、現在まで、他流との交流が盛んです。佐倉藩関係では、嘉永3年正月から明治3年10月までに佐倉新町油屋に宿泊したその宿帳による「諸藩御修行者姓名録」が有名です。

(1)流儀自体を拝見する
その流儀や集団(以下、「流儀」とまとめて言います)に共通する動き様を把握します。
それぞれの流儀にはそれぞれ特有の形や動き様があります。修業の結果「我が体自由自在」(立身流用語)の境地に達すればそのようなものも消えるはずですが、皆さんも私もそのような名人ではありません。
そこで、他流を拝見する時は、その流派の形の意味や動きの特徴をしっかり理解して把握するのです。
その際、特に初心者が注意しなければいけないのは、「この流派は常にこういう動きをするのだ、こういう動きしかないのだ」と決めつけないことです。また、その場での思い付きでの恣意的な解釈で結論を出さず、疑問があれば何度でも拝見し、或いは教えを乞うことです。

  • 問ひ来たる人を粗略にすべからす 誠あらねは朋も信せす [立身流居合目録之巻]
  • 与(よ)の中尓(に) 我より外(ほか)のもの奈(な)しと 井尓住むかはつ(かわず)音越(を)のみそ(ぞ)奈く [立身流理談之巻]

(2)立身流ならどうするかを考える
次に、その流儀の形や動きと同じことを立身流の形や動きで行なったらどうなるのか、を考える。又、実践する。言わば、立身流の形試合と同じような事のシミュレイションです。

(3)その人(の技)を観る
その次は、流儀を離れて、その人個人の長所、欠点、錬度など、個人的属性(個人的特性すなわち個性を含む)を拝見する。

(4)自分ならどうするかを考える
流儀と人を観取り、立身流としての動きを考えたうえで、さて自分だったらどうするのか、を考察研究しなければなりません。言わば、立身流剣術の乱打、立身流俰の乱合と同じような事のシミュレイションです。

(5)どう勝つかを考える
観取稽古の最終段階は、この人と立合って自分は勝てるのか、勝てそうもないならば勝つためにはどうしたらいいか、を考えます。勝てる人には、自分の修業に役立つ勝ち方を考えます。要するに、どう勝つかです。現実に立合うわけでなく頭の中で思うだけですから、自由な発想ができ、楽しいものです(現実に立ち会うときは無心の境地で向かわなければなりません)。勿論、だまし討ちや裏をかいたり、フェイントかけたりする方法を探るのは有害無益です。

  • 切合に 表裏の業は無き物そ(ぞ) 太刀の誠の道をつくせよ [立身流立合目録之巻]

第四、その他の場での観取稽古

観取稽古の対象は武技に限りません。
例えば、立身流礼法の見取稽古は術技そのものの稽古にほかなりません(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」参照)し、立身流礼法と他流の礼法との対比は、その相違の背景や理由を探ることにより、立身流自体や武道全体への理解を深めます。そして、剣道、柔道をはじめとする所謂現代武道は勿論、スポーツや芸術ひいては世の中の全てが観取稽古の対象であり、立身流の心技の資となります。

  • 草毛(も)木も 薬なりとは聞きぬれ登(ど) 病ひによりて 用ふるとしれ [立身流理談之巻]

以上

2014年6月16日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流門を主とした佐倉藩士と警視庁

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成25年11月3日
於 佐倉市立体育館
[平成25年11月22日掲載/平成26年3月4日改訂(禁転載)]

1.
幕末の佐倉藩領は現在の千葉県佐倉市の他、八街市、酒々井町、富里市、成田市、香取市、印西市、八千代市、四街道市、そして千葉市で江戸湾に通じ、更に山形その他に飛地領がありました。この広大な地域を背景に武道関係でも多くの人材が輩出し、明治期に活躍しました。

2.
佐倉藩で公式に教えられていた剣術流儀は、立身流、今川流、無滞体心(無停滞心、むていたいしん)流(実質は柳生新陰流)、浅山一傳流、中和(ちゅうか)流、の佐倉五流と言われた5つの流派です。立身流以外の4流派は、残念ながらすべて絶えてしまっています。

3.
立身流第19代宗家 加藤久の手による記録によりますと、立身流第17代宗家(藩の役職名としては「刀術師範」。以下同じ)逸見忠蔵源信嚴の主な弟子として次の名が記されています。

半澤成恒(立身流第18代宗家)、逸見宗助(忠蔵の長男)、小川茂(忠蔵の二男)、兼松直廉、村井光智、逸見濃夫(忠蔵の三男、号は無学)、下村国治(忠蔵の四男)、山崎小太郎、細川儀などです。他に、逸見宗助の子として、逸見三郎(中野町住)、逸見四郎(京都市住)の名が見られます。

4.
又、同じく加藤久の記録によりますと、佐倉十人士(正確には「十人衆」)として次の名が記されています。

半澤成恒、逸見宗助、兼松直廉、山崎小太郎、細川儀(以上、立身流)、勝間田彌太郎(今川流宗家)、夏見又之進(無滞体心流宗家 夏見(千吉)巌の係累)、浅井剛勇(画家 浅井忠の叔父)、浅羽成徳(共に、浅山一傳流。宗家は石川左内)、岡隣次郎(流名不明)の10人です。

「十人衆」とは安政2年5月佐倉藩に設置された要人警護の役職です。

5.
明治に入り、警視庁は日本の武道の中枢でした。その警視庁では、逸見宗助等の審査で最高位を2級とする剣術の等級をつけました。加藤久の記録では、2級から7級まであり、さらに2級は上下、3級から7級までは上中下に分けられたとされています。
木下壽徳の名著「剣法至極詳伝」によると、「6級5級4級には各上中下あり3級2級に至りては上下なし」とされています。

いずれにしても1級は空位です。逸見宗助自身には級位がありません。

6.
「剣法至極詳伝」記載の等級姓名表(明治21年頃のものと思われます)によりますと、佐倉藩外の人としては、2級に得能関四郎、坂部大作、真貝忠篤、下江秀太郎、三橋鑑一郎など、3級に千葉之胤、柴田衛守、富山圓など、4級に川崎善三郎、門奈正、内藤高治などがいます。

4級には、新撰組隊士、撃剣師範として名をはせ、戊辰戦争に参加し、明治になって警視庁に入り、明治10年の西南の役で警視庁抜刀隊員として奮戦した、齋藤一の別名の藤田五郎の名がみえます。

7.
佐倉藩から警視庁に入った人たちの級位は、有名な逸見宗助(明治21年当時44才前後。以下同じ)は別格の級外、2級にこれも有名な兼松直廉(50歳前後)や夏見又之進(40歳前後)、3級に村井光智(38歳前後)や勝間田彌太郎(49歳前後)、4級に町田光儀や武藤廸夫、上妻隆行(この3名は立身流)などです。

武藤廸夫は立身流俰の達人であり、逸見宗助と共に警視流柔術の制定に参画しています。なお、級位は不明ですが逸見濃夫も警視庁に入っています。4級に記載されている岡隣太郎は、前記 岡隣次郎の兄かあるいは同一人物かもしれません。
同じく4級に記載されている浅井四郎は、前記 浅井剛勇と関係があるかもしれません。

8.
明治21年当時、警視庁の武道は日本を代表するものでした。このように、佐倉出身武道家は、剣道をはじめとする現代武道の源となったのです。皆さんはその後輩です。この伝統の下、本日は立派な剣道、立派な試合を期待いたします。

(本稿の調査には、佐倉市文化課 宍戸信氏及び佐倉市総務課 市史編纂担当 土佐博文氏のご協力を得ました。有難うございました。)


【参考文献】

  • 「拳法図解 完」 久富鐵太郎著 明治21年1月
  • 「早縄活法拳法教範図解 全」 井口松之助著 明治31年
  • 「剣法至極詳伝 全」 木下壽徳著 大正2年
  • 「警視庁武道九十年史」 警視庁警務部教養課 昭和40年
  • 「立身流之形 第一巻」 加藤高 加藤紘 共著 平成9年
  • 「剣道の歴史」 財団法人日本剣道連盟 2003年
2013年11月22日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る 精神統一法

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市民体育大会剣道大会講話録
平成25年6月2日
於 佐倉市民体育館
[平成25年7月30日掲載(禁転載)]

  1. 昨年の佐倉市文化祭剣道大会で立身流の「心の術」についてお話ししました。
    その際、簡単にいってしまえば「全てを忘れなさい。頭の中を「から」にしなさい。そして気持ちと身体を充実させなさい。」ということになるでしょう、と述べました。
    ですが、そうなる為にはどうしたらいいのでしょう。
  2. 立身流には七戒というものがあります。
    驚(キョウ・おどろく)、懼(ク・おそれる)、疑(ギ・うたがう)、惑(ワク・まどう)、緩(カン・ゆるむ)、怒(ヌ・いかる)、焦(ショウ・あせる)の七の戒です。これらを生じることなく、無念無想すなわち、立身流という「空(くう)」の境地に達した人は名人です。しかし、簡単に名人にはなれません。また、例え名人でも「深夜聞霜」[立身流居合目録之巻、深夜に霜が降る音が聞こえる程の無我の心境]の状態を常に保持するのは難しいでしょう。
    そこで、自らの心身を「空」の状態に導入する精神統一法が研究されています。
  3. 立身流には、九字十字之巻の一巻があります。
    そのうちの兵法九字之大事(へいほうくじのたいじ)では、臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前(りん・ぴょう・とう・じゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)の九字(くじ)を唱(とな)えつつそれぞれの印を結び、五ヶの消除行から選んだ行を行ったり、四堅五横(しけんごおう)に九字を切ったり、梵語を発しつつ四明(しみょう)、拍掌(はくしよう)、弾指(だんし)等をする儀式を行って精神を統一させます。更に、十字之大事(じゅうじのたいじ)としては、勝:鬼:天:虎:水:大:命:會:龍:行の十字のうち一字を九字に加えることも出来ます。
    そのうちの「勝」(しょう)は次のようになっています。


     軍陣出時(ぐんじんいずるとき)
     昼夜観念同(ちゅうやかんねんおなじ)


    軍陣其他一切勝負㕝出時可切加比字又左手内持必得勝利・・・
    (ぐんじんそのたいっさいのしょうぶのこといずるとき、このじをくわへてきるべし。また、ひだりてのうちにもつ。かならずしょうりをうるなり。・・・)左の掌(てのひら)に「勝」と書けば、勝を得ることができるというのです。
  4. 立身流立合目録之巻の中に「陰 五个 有 口伝」(かげ・ごか・くでんあり)というのがありますが、その最初の口伝が「小スイ」と言われるものです。
    小水をすると呼吸が整えられ落ち着きます。
  5. 立身流居合目録の「陰 五个 有 口伝」の中の一つは、「目ヲトチ(閉じ)(ホウ(頬)ヲナデナガラ)呼吸ヲ一ツツヽカゾヘル也。自然ト心気治也(ヲサマルナリ)」とされています。
    目をとじて、呼吸を一つずつ、数えるのが肝要です。
  6. 「三呼吸の教え」
    立身流に伝わる「三呼吸の教え」では、一連の動作と他の一連の動作の間には、三呼吸の間(ま)をとるのが良いと言われています。例えば、居合演武の際の一本毎の間は、着坐し、静かに二呼吸の後、三度目の息を吸い終わった頃、刀を抜きかける位の間が最も適当とされます。
  7. このようにみてきますと、正座し、目を閉じ、自分の呼吸を数え、三度目の息を吸い終わった頃、静かに立ち始めるのが、今、この場でも出来る最も良い精神統一の方法といえるでしょう。

重要なのは
呼吸を、数を数えながら三回することです。
一、二、三、です。深呼吸でなくてもいいのです。
これをすると、戦いの前に落ち着くことが出来る。
これをすると、戦いの最中にも気を取り直すことが出来る。
これをすると、戦い終わって次の戦いに備えることが出来る。

一、二、三、です。

ぜひ試してください。頑張ってください。


【参考】

一、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家逸見柳芳筆)中、「立身流傳受」より

  1. 「立合目録之分」中
    五个 有口傳
    山坂上り下り之時小便呼吸之為戰場平日共可心得(やまさかのぼりくだりのとき、しょうべんすること、こきゅうのためなり。せんじょうへいじつともこころうべし。)
    平日心掛小便アワ立様アワ無之時凶之あわ多クトモ凶我影移ル逆ナレハ凶也(へいじつのこころがけ、しょうべんあわだちよう、あわこれなきときはきょうなり。あわおおくともきょうなるは、わがかげうつる、さかさなればきょうなり。)
  2. 「居合目録之分」中
    五个 有口傳
    戰場平日共気付用心無之時戰ツカレ目マイ立クラミスル時刀ヲ杖ニツキ腰ヲ掛目ヲトチホウヲナデナカラ呼吸ヲ一ツツゝカゾエル也自然ト心気治也可心得(せんじょうへいじつとも、きつけのようじん、これなきとき、たたかいつかれ、めまい、たちくらみするとき、かたなをつえにつき、こしをかけ、めをとじ、ほほをなでながらこきゅうをひとつずつ、かぞえるなり。しぜんとしんきなおるなり。こころうべし。)

 

二、「立身流聞書」(立身流第21代宗家加藤高筆)より

 居合の鍛錬に於いて呼吸は最も注意肝要なり・即ち古来より所謂「三呼吸」の教へある所以にして業と業との時間的の間の伸びたるも、又、急ぎ過ぎたるも、共に良しからず。私見によれば、概ね、先ず、定位置に立つか着坐し、静かに二呼吸の後、三度目の息を吸い終わった頃、刀を抜きかける位の間を最も適当と思考す。然れでも只一人稽古の時は、心境が十分整ふ迄正坐を続け、明鏡止水の心境を得るに努むる事を肝要とす。而して、始めと終了後は坐礼の前にその正坐のまま眼を閉て、現前の一切を忘れ、瞑想をなすのも一方法なり(約二分位)。

2013年8月30日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る「心の術」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成24年11月3日
於 佐倉市民体育館
[平成25年3月23日掲載(禁転載)]

今年六月の佐倉市民体育大会剣道大会で、佐倉剣道連盟名誉会長安藤平造先生の講話がございました。宮本武蔵の「兵法三十五箇条」の「心持之事」を引用してのお話でした。

この兵法三十五箇条は、立身流が創流されてから、百数十年後に書かれたものです。

「心持之事」を立身流の言葉でいうと、「心の術」の問題となります。

これは、立身流の500年の歴史の相当部分、少なくも半分の250年以上がその研究に費やされていると言っても過言でない、大問題です。これを短時間でふれることは不可能ですが、関係する立身流の歌を何首かあげ、端緒を探ってみます。

まず、武道では心の持ち方が一番重要なのだという歌です。

  • いかほどに道具や業や有りとても 心の術にまさるべきかな [立身流居合目録之巻]

たとえば、実戦での心得として、二首目、

  • 兎や角と おもう心のうたがひに 我身の勝を敵にとらるる [立身流居合目録之巻]

あれやこれや思い疑っていると、勝てる勝負にも負けてしますよ、ということです。

そしてフェイントをかける敵や、だましてくる敵に乗せられない為には、これに動じない、常の心で、稽古のときと同じ動きをすればよいのです。

それが三首目、

  • 突か打 だますは敵の得手としれ おもわぬ外は常の働き [立身流立合目録之巻]

この「常の働き」が可能となる為の心と身体の状態を立身流では「空(くう)」といいます。

  • 人も空 打るる我も空なれば 打つ手も空よ 打つ太刀も空 [立身流理談之巻]

本日これからの試合に即して簡単にいってしまいますと、「全てを忘れなさい。頭の中を「から」にしなさい。そして、気持と身体を充実させなさい。」ということになるでしょう。

これは、いつも皆さんが教えられていることだと思います。

今日は、先生方のいつもの教え通り、すべてを忘れ、しかも充実した気持と充実した身体で試合してください。

終わります。

【参考】

  1. 立身流第21代宗家 加藤高 論稿「以先戒為寶」
  2. 拙稿「立身流について」 (七戒、半月、満月等)
  3. 「深夜聞霜」 (立身流居合目録之巻)
  4. 立身流歌
  • 一方に思ひつもるは邪心なり かたよらざるを本(もと)の気と知れ [立身流理談之巻]
  • つり合は 張弓弦と心得て 本の心を引かずゆるさず [立身流居合目録之巻]
  • 心をば直なる物を心得て しめゆるめなば曲るとぞしれ [立身流居合目録之巻]
  • 心をば曲れるものと心得て 常の常にも正直(せいちょく)にせよ [立身流居合目録之巻]
  • 心をば身のあるじとぞ聞くなれば 放たれたるを尋ね求めよ [立身流理談之巻]
  • 本の気に こころを当て尋ねずば 直な心にもどるまじきぞ [立身流居合目録之巻]
  • 敵を見て心の月に雲あらば 死出の旅路の道に迷はむ [立身流理談之巻]
  • 切るとなく 切らぬともなきこの刀 きるとは更に思はざりけり [立身流理談之巻]
  • 敵もなく我もなきこそこの勝身 とる敵もなく とる人もなし [立身流俰極意之巻]
2013年8月23日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る、師、弟子、行儀、と、剣道の「一本」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成23年11月3日
於 佐倉市民体育館
[平成24年3月4日掲載(禁転載)]

この6月の佐倉市民体育大会剣道大会で、佐倉剣道連盟名誉会長安藤平造先生の講演がありました。そのテーマは「師匠を敬え」という内容でした。そこで、立身流で師匠と弟子の関係がどうとらえられているかをみてみます。

まず第1首目、

  • 習うへき師には細かに尋ぬへし 問わぬ心はいかて知らせん [立身流居合目録之巻]

師には、どんな細かいことでも尋ねなさい。疑問をもって質問してこなければ教えようがありませんよ」という歌です。
師になる人は誰でもいい訳ではありません。「習うべき師」です。習うに値する師です。真摯な質問には、どんな質問でもこれを正面から受けとめ、わからなければ一緒に考えてくれる師匠、そのような師匠に対して、

第2首目、

  • 師の恩を忘る々人は月と日の 光り失ふことくなる遍し [立身流立合目録之巻]

師匠への思を忘れた人は、月光も日光も失ったと同じで、真暗闇の中で、立ちすくむだけですよ、という意味です。昔は、ガス灯も、蛍光灯も、ネオンもLEDもありませんでした。月光と日光だけが頼りでした。
このような師を敬うのは当然の常識です。行儀です。ですが、常識、行儀は忘れやすいものです。では、忘れない為にはどうしたらいいか。

そこで第3首目、

  • 己が身を正しくするは行儀なり 人の正しきことにしたがへ [立身流立合目録之巻]

自分の身、からだと心を正しくするのがすなわち行儀だ、というのです。師を敬うということは、行儀、すなわち正しい身の働きの一場面です。
では、自分の身を正しくするにはどうしたらいいのか。

第4首目、

  • 十の字を我身の曲尺と心得えて 竪も1なり横も一なり [立身流立合目録之巻]

漢字の十の字のように自分の身体をとる、どこからみても、身体を、竪に真直、横に真直の姿勢をとる、これが自分の身を正しくする方法(曲尺=かね)です。
ここで重要なのは、この竪1横一の姿勢が行儀の面だけでなく、剣道の基本でもあることです。

第5首目、

  • 身構は横も一なり竪も1 十の文字こそ曲尺合と知れ [立身流俰極意之巻]

竪1横一の姿勢そのものが身の構えなのです。竪1横一の姿勢で構え、その姿勢のまま打っていくと一本になります。

今日は、自分の姿勢を竪1横一に正しくとることが、師匠を敬うことにつながり、又、剣道の一本につながるという立身流の教えを聞いて頂きました。

本日の試合は、竪1横一の姿勢で構え、打ってください。

終わります。

【参考 立身流歌】

  • 問ひ来たる人を粗略にすべからす 誠あらねは朋も信せす [立身流居合目録之巻]
  • 下手こそは上手の上の上手なれ 返す返すもそしる事なし [立身流理談之巻]
  • 世磐広し折によりても替るへし 我知る計りよしと思ふな [立身流理談之巻]
  • 我か術を多くの人のそしるなら 鼻に聞かせてそしられてゐよ [立身流理談之巻]
  • 利合をは心に留て尋ねすは 人にほとこす時そかなしき [立身流立合目録之巻]
  • 残さしと弟子には云てかくすまし 心のことはなにとはらさん [立身流直之巻]
  • いたらぬに免好(ゆるしごのみ)をするひとは 武術の恥や我とかくらん [立身流理談之巻]
  • 太刀や抜く人も願の深きゆへに われも極意を伝へうれしき [立身流極意之巻]
2013年7月30日 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部