立身流第22代宗家 加藤 紘
令和元年(2019年)7月1日
[令和元年7月11日掲載/令和2年12月27日改訂(禁転載)]
第一、はじめに
立身流は1500年代の初頭、永正年間に創始された古い流派です。その傳書や古文書、歴代の研究などは、それぞれの時代の感覚や常識を背景に、その時々の先端知識を反映させています。 そして、その時々の研究成果の表現方法は、それぞれの時代のいわゆる時代的制約の下にあります。
そのため、現代人が一読しただけでは、現代知識や現代感覚上ありえないだろうと即断しかねない記述もあります。
しかし、その即断は現代人の浅はかな思いつきです。
古人はあらゆることを合理的に考え、実践し、体系づけています。とくに勝敗という明快な結果をきたす武術武道においては、その利合(理合)を徹底的に追究せざるをえません。その追究方法はその時代時代の下での合理的知識感覚手法によります。
例えば理数関係を見ても、立身流三四五曲尺之巻の解釈理解にピタゴラスの定理が応用されてその図が示されていたり、距離測定に数学の相似形が利用されたり、松明や火薬の原料、薬の化学的調合法が事細かに記されていたりしています。
武道武術に、たまたまの勝ということがあっても摩訶不思議で理解不能な勝というものはありません。「曰く言い難し」というような技はありません。摩訶不思議にみえる勝があっても、それは心法を含めた意味での技(業)によるものであり、正確な技の錬度の違いによるものです。その技(業)は、つきつめれば単純なものですが、それは鍛錬しなければわからず、見えず、できません。これが武術武道の技(業)です。摩訶不思議で人が理解できない技(業)というものはありません。
立身流に於て「理」は「利」であり、「理合」と「利合」は漢字でのニュアンスの違いはありますが意味は同一です。 現実的合理的に利合(理合)をつきつめた結果の合理的な内容を説明するとき、古人はその表現方法を時代的制約の下に置かざるをえず、一見不合理にみえるだけです。 我々は、武道関係の古文書等で、一見あり得ないような表現、一見矛盾するような表現に遭遇した場合には、その表現で何が意味されようとしているのかを慎重に探らなければなりません。単なる迷信と簡単に片付けてしまってはいけません。 他方、無理に理屈をつけ、未熟で浅はかな現代的思いつきをこねくり回して仕立て上げた「理論」をとうとうと述べる方がいらっしゃいますが、それも論外です。
以下では立身流関係文書で一見不合理とみえる表現の具体例をいくつかみてみます。
なお、私の論考自体、時代的制約のもとにあるものです。
世磐広し折によりても替るへし 我知る計りよしと思ふな [立身流理談之巻]
第二、立身流傳書や古文書での具体例
1、「夢の裡に体得」
立身流の古文書や関係傳書によると、流祖立身三京は必勝の事理を求めて濃州妻山大明神に祈念して37日目の暁、夢の裡に分明し向圓の秘術を得た、とされます。後に第7代宗家大石千助も同様に参籠修行しています。 流祖の前に妻山大明神そのものが現れたわけではありませんが、いわゆる神傳流儀のひとつです。
これを「こんなことはありえない」と切捨ててしまう人がますが、それは誤りです。仮に、妻山大明神そのものが現れた記述があったとしても誤りではありません。 これは現実そのものを意味します。自らを精神的心理的身体的に長期間に亘りぎりぎりまで追いつめて術理を求めた結果、幻覚をも含めた現実の瞑想状態下で、精神的心理的身体的に開眼したのです。 心法も技法も、疲れ果てた状態下で更に求め続けなければ本物は得られません(拙稿「立身流に於る「…圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理…」」参照)が、その結果の、神の啓示の形をとった一種の宗教体験とも言えるかもしれません。 立身流第18代宗家半澤成恒先生の立身流への絶対的態度や信頼の思いは信仰そのものでした。
2、立身流立合目録之巻の「陰 五个 有口伝」(拙稿「立身流傳書と允許」参照)の中から挙げてみます。拙稿「立身流に於る精神統一法」で既に触れたものもあります。
(1)その第一項は「小用」あるいは「小スイ」といわれるものです。 これは体験的にも多くの人に理解しやすいでしょう。 その内容は拙稿「立身流に於る精神統一法」や「立身流立合目録之巻陰五个口傳より(その1)」に記しました。「山坂登リ下リノトキ」を一例とするので「山坂」とも称されます。
(2)その第二項に「サムケ」というものがあります。
「陰五个口伝之分」(逸見柳芳書「立身流刀術極意集」)によると、これは 「敵人我ヲ討タント道筋伏勢有之時ハ裾ヨリサムケ立狐狸之為ニサムケ立ル 類ハエリモトヨリ立也若主用ニテ不得止事時ハ其心得ニテ通ル事私用ニテハ 通ル不可也可心得(てきびと われをうたんと みちすじ ふせぜい これ あるときは すそより さむけだつ。こりのために さむけたつる たぐい は えりもとより たつなり。もし しゅようにて やむことをえざるときは そのこころえにて とおること。しようにては とおるべからざるなり。こころうべし。)となっています。
これを「狐狸」の語が使われているからと言って、即「迷言」などと言っ てはいけません。着物の裾から寒気立ってくるのは、我が五感で身を低くし ている伏勢の気配を感ずるのだから実害がある。しかし、襟元からぞくぞく するのは狐狸の所為、すなわち気のせいで実害はないから放っておけばよい、 ということなのです。
頭上からの攻撃の可能性がある場合については、拙稿「立身流に於る下緒 の取扱」に記した「立身流立合目録之巻 外 門戸出入之事」の項を参照し て下さい。
(3)その第四項は「アワ」といわれます。
「…小便アワ立様アワ無之時凶也アワ多クトモ凶我影移逆ナレハ凶也(…しょうべん あわだちよう あわ これなきときは きょうなり。あわ おおくともきょうなるは わがかげ うつる さかさなれば きょうなり)」(立身流刀術極意集)
私のような田舎育ちの者には当たり前のことですが、屋外の堅い普通の土への小便は泡立ちます。すなわち、これは当たり前のことを言っています。「泡がたった、だから大丈夫だよ」と心を落着かせているのです。
さらに念を入れて「太陽光で地面にうつる自分の影が逆さに見えるようでは、逆上して正気を失っているから、うまくいく筈がありませんよ。落着きなさい。」というのです。自分の影が逆さに見えるなどということは通常ありません。ですからこれも、「だから、安全無事ですよ」と気持を安心安定させているのです。
3、立身流居合目録之巻の「陰 五个 有口伝」の中から挙げます。
(1)その第二項は「呼吸」といわれるものです。拙稿「立身流に於る精神統一法」に説明しました。 そこに揚げた文章の前の部分は、「刀術極意集」によれば次のとおりです。
「戦場平日共気付用心無之時戦ツカレ目マイ立クラミスル時刀ヲ杖ニツキ腰ヲ掛(せんじょう へいじつ とも、 きつけ(薬)のようじん これなきとき、たたかいつかれ めまいたちくらみするとき、かたなをつえにつき こしをかけ、)」となっています。その後に、「「目ヲトチ(閉じ)ホウ(頬)ヲナデナガラ呼吸ヲ一ツツヽカゾヘル也。自然ト心気治也(シンキヲサマルナリ)」と続きます。
(2)その第四は「錫杖(しゃくじょう)」といわれます。
逸見忠蔵筆「立身流之秘」によると、「深山奥山…錫杖ヲツカイ入ルへシ…(みやま おくやま …しゃくじょう を つかい いるべし…)」となっています。
錫杖から出る音で人間の存在を知らせ、猛獣や毒蛇を寄せつけないわけです。ひいては「ノフスマト云者有是ハコフモリノ大キナル有ノ如シ…(のぶすま と いうものあり。これは こうもり の おおきなる あるのごとし)」の「のぶすま」(立身流秘傳之書)や、さらには「変化(へんげ)」(立身流之秘)を寄せ付けずに獣害などを避けることができます。
それでも害獣に襲われた場合は、その害獣の「面目鼻ノ間ニツキ息ヲ留ル(面や目と鼻のあいだを錫杖で突いて息の根をとめる)」わけです。
錫杖から出る音が悪霊を追払う力があるとされるのは、このような意味あいでしょう。
(3)その第五は「息」といわれます。
「門出スル時息キヲカク事其ノ息キ鼻之内ニ入レハアシ」(立身流之秘)
寒い朝など吐息が白くなります。立身流第9代宗家竹河九兵衛から第18代宗家半澤成恒の明治まで、永きにわたり立身流と縁の深かった山形(拙稿「千葉の立身流」参照)の冬には殊更でしょう。
家を出る時、白い吐息が鼻の内に逆流するときは、良いことがない、というのです。
空気には流れがありますから通常このようなことはありえず、だから「平穏で大丈夫ですよ」と気持を安定させ、安心させているのです。
4、このようにみてきますと、立身流立合目録之巻と居合目録之巻の2巻で口伝とされるうちの上記した部分は、どれも気の動顚を防ぎ、心を安定させ、平常心を保つための記載です。武道武術にとって心・気持の制御がいかに大切か、目録の段階から示され、先ずは簡単なその方法が示されているのです。
そしてこれらが、「立身流に於る「心の術」」「立身流に於る精神統一法」(いずれも拙稿)に連なっていくことになります。
第三、東北弁表記の影響
立身流は山形と縁が深く、そのため東北弁表記、例えば「イ」と「エ」の混同による誤解や誤記が文書等にみられることがあります。
これについては、別稿「立身流古文書等での東北弁表記」に記します。
以上