立身流居合に於る 鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~

立身流第22代宗家 加藤紘
平成26年度立身流秋合宿資料
平成26年10月18日-19日
[平成26年9月2日掲載/平成26年12月11日改訂(禁転載)]

第一、鞘引と鞘の戻し

1、抜掛と抜放
(1) 抜掛(ぬきがかり)
立身流直之巻第四条には「抜掛」とあり、その第一段は「上」、第二段は「中」、第三段は「下」となっています。
「抜掛」とは、抜刀で刀身が敵を撃突する瞬間とその個所を意味します。
(2) 抜放(ぬきはなし)
立身流直之巻第五条には「抜放」とあり、その第一段は「左」、第二段は「諸」、第三段は「右」となっています。
「抜放」とは、抜刀で刀身と鞘が離れる瞬間(いわゆる鞘離れ)とその方向を意味します。
(3) 立身流では擁刀してから抜放を経て抜掛までを一歩一拍子で行います。向系では左足を進めつつ(間合によっては右足を退きつつ)、圓系では右足を進めつつ(間合によっては左足を退きつつ)です。

2、鞘引

(1) 鞘引(さやびき)は、擁刀のうえ鯉口を切って刀を抜き始めてから抜放までの間に行われます。
立身流の鞘引はいわゆる鞘離れの後にはありません。
立身流では鯉口を切る際、両手を胸腹部にし、刀の反りを返し刃を斜め下方向にして右手で柄を握ります(擁刀)。鯉口を切り、そこから右手は上方または前方へ移動し、左手は鞘を握ったまま下方や後方へ移動し、同時に体を開いて半身になりつつ抜放します。
この左手で鞘を十分に下方や後方へ引くことを「鞘引」といいます。
(2) 鞘引は、鞘を鯉口方向から鐺方向へ押し沈めつつ下方後方へ引く動作です。鯉口を帯と並行方向に後ろへ単に動かす動作ではありません。

3、鞘(の)(し)

鞘の戻しは、立身流では抜放から抜掛までの間に行われます。
(1) 意味
立身流では、刀身が鞘から抜放たれるほぼその瞬間に、後足(右足でも左足でも)を前に進めます(立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の次期宗家加藤敦の写真参照。右足が進んだ瞬間です)。同時に、半身の姿勢が正対の姿勢に戻りつつ後方へ引かれた左手が前に出はじめ、表之形では抜掛るまでには左手が柄を握っています。体を一歩前に出しながら敵を真向うにして両手で斬りつけ(陰は片手斬)、あるいは受ける(向の表)わけです。圓は右足を進めつつ向は左足を進めつつ、です。
左手が前に出るとき、引いた鞘の刃の方向を下から上へ角度を直し、また、鞘を帯刀時の位置近くに戻します。
これが「鞘(の)戻し」です。
(2) 直接の目的
鞘を安定させ、鞘での自傷を避け、居合に続く剣術で動きやすく、戦いやすくするためです。
鞘の位置によっては、鯉口で左腕を傷つけたり、鐺が足に絡まったり、万一倒れた場合に自分の鞘の鯉口で自分の体、特に左脇腹を痛めたりしかねません。納刀の準備でもあります。
(3) 態様
どこまでどのように戻すかは上記の趣旨を全うすればよいので、通常の帯刀歩行時の鞘の位置まで正確に戻そうとしてはいけません。立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤貞雄第20代宗家の写真を参照してください。
大切なのは鞘の角度や位置をいつ戻すかです。
(4) 鞘戻の要領
鞘を戻すには、左手が前に出はじめようとする瞬間に、左小指をほんの少々締めればいいのです。
問題は、小指を一瞬締めるだけで鞘を戻せるような握り方、手の内ができているかどうかです。

第二、立身流居合表之形(単に表ともいう)での鞘引と鞘の戻し

1、向
立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤髙先代宗家の写真を参照してください。
この写真は、居合の表及び剣術の表之形(勿論、提刀を含みます)それぞれの序ないし破における向受の手本です。

(1) 右足を進めつつ擁刀し、鯉口を切って半身となりながら左手で鞘引き、右手で抜放し、半身の姿勢が正対の姿勢に戻りつつ後方へ引かれた左手が前に出て鞘を戻し、同時に左足を進めて体を出しながら両手での向受に至ります。写真はこの瞬間です。

身体の全体及び身体の各部の前進するエネルギーが全て刀に集中し、そのスピードと強さと体勢で敵の刀などに応じます。
(2) 左足を前にしてその爪先を敵に向け、敵に正対して敵の攻撃を真向に鎬ぐ、正に鉄壁の受です。次いで、この姿勢を崩すことなく真正面から斬り下ろします。
(3) 向受には、左手が前に出る鞘の戻しに伴う右回りの円運動の勢いをも利用します。左足を進める勢いにこれが加わります。
それが後述するように陰之形において、「めり込むような」と表現される威力を発揮することになります。

2、圓

立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤敦次期宗家の写真を参照してください。
この写真は、居合表之形の立合前後における抜放の手本です。

(1) 前の敵に向かって走っている際、左足を進めつつ擁刀し、鯉口を切り、正対の姿勢から体を開いて半身になりつつ左手で鞘引き、右足を進めつつ右手で抜放します。写真はこの瞬間です。そして半身から正対の姿勢に戻りつつ左手で鞘を戻し、進めた右足を強く蹈んで、体を出しながら、柄に掛けられた敵の右腕(面または左右の袈裟の場合もある)を真上から我両手で切り落とします。写真は鞘引いて鞘の戻しに入る瞬間ともいえます。

(2) 写真で、右足の爪先が前の敵に向かずに左向きになっているのは、左回りに後へ振り向く準備です。前後では二の太刀で後から追ってくる敵を斬ります。
(3) 写真は半身になっていますが、左手が出て両手で斬る瞬間には正対(真向)となります。
(4) 立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の加藤久第19代宗家の写真を参照してください。
圓の袈裟斬りですが、前足は正確に敵に向き、体は敵に正対しています。
後足は軽く浮いています。刀術特に居合は、常の歩み、社会生活上の歩みや走りの上に乗っています(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」第五、足蹈(実演)参照)。そして、居着いたり、体の姿勢を崩したりしてはいけません。

なお、加藤久の両手および両手首に注目してください。これが武道の手です。刀に限らず武器を持つ両手および両手首は、このようでなければいけません。斬った瞬間もこの通りです。拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』に掲載した持田盛二先生および加藤髙先代宗家の写真と併せ手本にしてください。
又、加藤久第19代宗家の写真で左手の握りの位置及び柄頭の方向を確認してください。体幹からはずれていません。
(5) 敵の状況によっては小さい動きで敵の小手を斬るときもあります。日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある加藤髙先代宗家「居合 立合 表 前後」の写真をごらん下さい。その手本です。
大きく斬る稽古を積めば小さく斬ることも容易ですが、小さく斬る稽古ばかりをしていても大きく斬ることはできません。
鞘の戻しについては、小さい斬も大きい斬も同じです。

第三、立身流居合陰之形(単に「陰」ともいう)

1、陰は破
陰には初伝、本伝、別伝があり、又それぞれに立合と居組がありますが、全て表でいう破之形(破)にあたります。ですから納刀は逆手でします。全て実戦の形ということです。本数はそれぞれ表と同じ名称の八本です。

2、
陰の向は、表の向と同じく下から抜放して、柄にかけた敵の右腕(ないし耳)に我が右手で抜掛ります。敵の右下から左上に、いわゆる逆袈裟に斬上げることになります。

陰の圓は、表の圓が真上から抜放つのに対し、ほぼ真横に抜放し、基本としては敵右手の肩下臂上(こめかみから足までよい)に我が右手で抜掛ります。ほぼ横に薙ぐことになります。

3、
したがって陰之形の抜掛は、両手でなく右手だけで斬りつけることになります。


4、
初伝では、前後と四方のほかは、抜掛の後、一旦、中段にとってから二之太刀に入ります。二之太刀は表と同じです。

前後および四方では、抜掛のあと後や左の敵の左袈裟を斬り、あとは表と同じです。

5、
本伝では、中段にとることなく、前後と四方のほかは、抜掛った刀がそのまま左旋回して正面斬にはいります。

前後および四方では、後や左の敵への二之太刀が右旋回となります。

6、
別伝では、前後と四方のほかは、抜掛った刀は旋回することなく直ちに上段となり、あとは同じです。

前後および四方でも、後や左の敵の左袈裟を斬りますが、同じ敵に対する二之太刀は旋回することなく直ちに上段となり、あとは同じです。

第四、陰之形(陰)での鞘引と鞘の戻し

1、圓
まず圓をみてみます。
立身流公式ホームページ「立身流の歴史」の私の写真を参照してください。
この写真は合車の表の前後の一太刀目ですが、居合陰之形の前後の一太刀目と同じですから、圓の陰の手本としてください。

(1) 前の敵に向かって走っている際、左足を進めつつ擁刀し、鯉口を切り、正対の姿勢から体を開いて半身になりつつ左手で鞘引き、右足を進めつつ右手で横に抜放します。そして正対の姿勢に戻りつつ左手で鞘を戻し、進めた右足を強く蹈んで、体を出しながら、敵の上腕部に横から右手で抜掛ります。写真はこの寸前の瞬間です。左手は鯉口にあります。

(2) 表と異なり、左手を鯉口に置いたまま鞘を戻します。
写真では既に、鞘の角度(刃の方向)が下から上へ帯刀時のそれに戻っています。また、鞘の位置が帯刀時近くまで戻っています。
(3) そして写真は、鞘の戻しに伴う体の右回りの円運動の最中です。右足を蹈込む勢いに加え、この円運動が「刀が敵の身体にめり込むのが見えるような」と表現される(剣道日本2013年4月号 鈴木智也氏)威力を発揮しているのです。
(4) 写真で、右足の爪先が前の敵に向かずに左向きになっているのは、左回りに後へ振り向く準備です。前述のとおり前後では二の太刀で後から追ってくる敵を斬ります。
(5) 写真ではまだ軽い半身になっていますが、斬る瞬間には正対(真向)となっています。

2、向
陰の向は既に説明したとおりの動きです。
鞘引、鞘の戻しについては陰の圓に準じます。違いは、下から小手を斬り上げること、及び、右足を進めつつ擁刀、鯉口を切り、左足を進めつつ抜掛ることです(表の向を参照)。

第五、立身流に於る鞘引と鞘(の)(し)の意義

1、鞘引は刀の円運動の基で、抜放の内容を決めるものです。
(1)一拍子の斬(両手斬を例にして)
圓の表をみてみます。
圓の表には
 ①右手で刀を抜く
 ②左手を柄にかけて振りかぶる
 ③正面から真直ぐに斬りおろす
の三つの要素があります。

抜刀で正面を両手で切る場合普通考えられるのは

 ①右足を出しつつ刀を抜き(鞘引)
 ②左足を出しつつ鞘を戻し左手を柄にかけて振りかぶり
 ③右足を出しつつ正面から真直ぐに斬りおろす
という三段階三歩の動作でしょう。
或いは、これを一歩で行うとしても
 ①右足を出しつつ刀を抜き(鞘引)
 ②右足を出したまま鞘を戻し左手を柄にかけて振りかぶり
 ③さらに右足を出したまま正面から真直ぐに斬りおろす
という三段階一歩でしょう。

しかし、立身流ではその全てを、右足を進める一歩で、段階なしに行います。

立身流の動作には区切りがありません。一歩一拍子で全てがなされます。
仮に一歩でなされていても動作が三つに区分されているのは立身流ではありません。

(2)一歩一拍子で全てをなし、区切りなしに抜払い抜掛るには、刀の動きを円運動とする必要があります。そのためには、真上から斬り下ろす圓の表の抜放はほぼ真上方向にしなければなりません。鞘引は逆に下方にすることになります(敦の写真参照)。鞘引は刀の反りに合わせて抜放し刀を円運動に乗せる基となる動きです。

2、鞘の戻しは刀の円運動を強化し、抜掛の威力を増します。抜放で予定された刀の円運動を抜掛にむけて完結します。
(1)圓の表で左手が柄に行くこと自体刀の威力を増すためです。柄を両手でとった時点で剣術に移行した、ともいえます。剣居はまさに一体です。両手で柄をとってから以降の動きは剣術そのものでして、上段からの斬や中段から振りかぶっての斬と区別がつきません。

(2)圓の陰をみますと、右足を進める勢いに加え、半身から正対姿勢への体幹の円運動が片手斬の威力を増すことになります。向の陰は左足を進めますが、半身から正対姿勢への体幹の円運動が片手斬の威力を更に増すことになる点は同じです。

第六、「為使打處強之義」

立身流変働之巻には次のようにあります。

「刀抜時有両个之秘事一圓抜二躰用也圓抜若則自之手本柔他之打處強之理躰用者則刀抜出躰抜後鞘柄共有心用是又為使打處強之義也・・・」

「かたなぬくときに、りょうかのひじあり。いつにまるいぬき、ふたつにたいようなり。まるいぬきはすなわち、みずからのてのもとしなやかに、たのうつところつよきのことわりなり。たいようはすなわち、かたなぬくときは、たいをいだしてぬくなり。あと、さやつかともにしんようあり。これまた、うつところ、これをつよからしむるためのぎなり」

本論考に述べたところはその一部、特に「鞘柄共有心用」に関係してです。
「手本柔」については、『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』に述べました。
「刀抜出躰抜」については、いずれ別の論考にまとめる予定です。

第七、稽古上の注意

立身流居合では、鞘の戻しの際に左手を切ることのないよう気をつけねばなりません。特に刀身を追いかけるように左手が前方へ出る表では十全の注意が必要です(日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある加藤髙先代宗家「居合 立合 表 前後」の写真参照)。

第八、納刀の鞘引と鞘(の)(し)

納刀では、鞘引いて剣先を鞘に入れ、鞘を戻しつつ納刀するわけですが、進行としては抜刀の時のほぼ逆の動きです。
重要なのは、刀は刀自身の意思で自然に鞘に納まってもらわなければいけないことです。人が無理に押し込んではいけません。
これは抜刀の際も全く同じです。
本論考はそのための条件整備の仕方を述べたものであるといっても過言ではありません。

第九、他の宗家写真について

1、日本古武道協会ホームページの立身流兵法欄にある父加藤髙と私の五合之形詰合三之太刀の写真をご覧ください。
我(父。仕方)が敵(私。受方)の攻撃の匂いを感じ、「匂いの先」(先先の先)をとって振りかぶり一歩蹈込み小手を斬った後、即、裏突きした瞬間です。
父の体の姿勢、重心、腰、足の蹈様、手の伸び、手の内など、全てが突の手本です。
受方は、仕方のこのような突を導き出すように動かなければなりません。

2、同じ欄にある父と私の一心圓光剣の写真をご覧ください。
一心圓光剣の最後の場面です。
我(父。仕方)は敵(私。受方)の右手を極めて、敵を固め又は地に落すことになります。これは俰の姿勢ですので、我は腰を落とし、足は鼎(かなえ)の如くなります。

(参考)「立身流秘傳之書」中、「心持修業之傳」より
「・・・手足如舟・・・眼手足如鼎・・・」

第十、竪Ⅰ横一 (拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)」参照)

以上に挙げた歴代宗家写真の全てに共通しているのは、姿勢が崩れていないことです。
斬る前も、斬っている最中も、斬った後も、竪Ⅰ横一の姿勢を維持します。
これは残心の前提でもあります。

崩れた姿勢で構えてはいけません。
そうせざるを得ない場合を除き、斬っている最中も竪Ⅰ横一を崩してはいけません。
斬った後も意図的に崩れた格好をしたりしてはいけません。

武道は物が切れればいいのではありません。武道は対人関係から始まります。
また、武道は結果的に美しさが表現され、人に感動を与える芸ですが、表現の為の芸ではありません。
武道は人に感動を与えるための表現の芸術ではありません。

以上

立身流に於る 一重身

立身流第22代宗家 加藤紘
平成27年2月15日
立身流第82回特別講習会資料
[平成26年6月21日公開/平成26年7月1日改訂]

第一、「一重身」(ひとえのみ、ひとえみ、いちじゅうしん)の意味

1、「一重身」とは、一般的に、壁などに正対しながらも左右の敵に対応せざるをえない場合などの体の状況を示し、現象としては、(強い)半身をとること等を意味します。敵を真向(まむこう)にとることができない、あるいは、しない状況です。

2、立身流の「一重身」の語は、このような場合の体のありようを示す言葉であって、このような場合にも姿勢を崩すことなく、安定した体勢にあるべきことを意味します。

3、拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ」で私は、姿勢から武道(俰 やわら)の構、更に刀術中段の構えへの移行につき記しました。立身流での構の基本についての記載は次のとおりです。

第二、構

1、構について
立身流では、正しい姿勢をとることがすなわち、基本の構です。

•身構は横も一なり竪もⅠ 十の文字こそ曲尺合としれ [立身流俰極意之巻]

2、構の動作
立身流俰(やわら)目録第四十二条の「身構之事」では次のように説かれます(実演)。

前:
左足を約半歩(概ね肩巾)側方に開き、足先の方向を自然に保つ。
膝を軽く伸ばし、上体は垂直にして腰の上に落着け、下腹部に力を溜め精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

このように、敵と正対するのが出発点でそれが様々に変化していきます。構えの基本は正対です。
そして左(表、陰)、右(表、陰)と続き、刀術の中段の構に至るのでした。

第三、一重身の語の意図するところ

肩越しに敵を把握するような場合、竪Ⅰ横一が崩れ、重心、中心がぶれやすいものです。立身流ではこれを良しとしません。このような場合でも、竪Ⅰ横一に姿勢をとり、その姿勢を崩さず、重心、中心がぶれないようにしなければなりません。

  • 「体ハ真向二シテ鉄壁ノ如ク少シモ寄ルコトナシ」 「形容ヲ拵フルニ及ハスシテ体ヲ成スナリ」 (後記「立身流秘伝之書」)

つまり、一重身というカタチを殊更に作ろうとしてはいけない。体は、敵を正面にした場合の真向の姿勢、姿勢の基本、構えの基本に沿ってなければなりません。その基本がその状況に応じてその状況下での形容・かたちに現れるだけです。世に言われる一重身も、その現れの一場合にすぎない、と立身流では理解します。

基本は「真向」すなわち正対です。
半身をとる理由がなく、半身をとることが不自然な場合には半身をとってはいけません。
逆に、半身をとるべき場合に不自然に半身にとらず、わざわざ姿勢や動きをぎごちなくする人がいます。「真直ぐに」という言葉にとらわれ、頭だけで考えて整合性を求めるからです。具体的にいえば、体幹で武具を持たず、体幹で打突せず、手先の掌だけでこれらを行うからです。構でいうと、左上段、八相、肩上段、脇構、小太刀などに目立ちます。

立身流での一重身の語についての視点は、一重身というカタチにでなく、武道の体はどうあるべきか、にあります。あくまでも基本の具体化の一場合であって、これを特別視して独特の意味を付与したり重要視することはありません。

第四、一重身の現れ方

立身流傳書及び古文書の記載を引用します。

1、弓、鑓、長刀、太刀などはその武具や武具の持ち方に応じた姿勢で武具を手にします。

立身流秘傳之書中の「当流秘傳書」(安政三丙辰四月吉辰 立身流第17代宗家 逸見忠蔵筆)より抜粋。

「・・・太刀使 射弓 撚鎗者 体以 習初 教之 体 雖有様々形 体 真向而如鉄壁 少莫寄 是則常也 一重身云 用之体根元也 故此体以 弓鎗長刀何之物取 体別直非構 以其体取其物 不有其体云事無 射弓時 左手弓弣 右手弦矢ツカエテ 左方首回 的見込左右和合 彎之矢放寸 則矢己見込タル的ノ方エ行中也 形容拵不及成体也 鎗遣 則左手鑓柄中程握 右手鐏上握 両手一致 左敵斜眼見 則此鎗体 又太刀取握 上頭上被 左手臂下ヨリ敵見込 是則 一重身也 諸流共傳云 四寸之體ト云所ナルヘシ・・・」

「・・・たちをつかい ゆみをい やりをひねるもの たいをもって ならいのはじめとす。 これをおしうるに たい さまざまかたちありといえども たいは まむこうにして てっぺきのごとし。 すこしもよることなかれ。 これすなわちつねのことなり。 ひとえのみ(ひとえみ、いちじゅうしん)というも これをもちうるはたいのこんげんなり。 ゆえにこのたいをもって ゆみやりなぎなたいずれのものをとるとも たいをべつになおしてかまゆるにあらず。 そのたいをもってそのものをとり そのたいにあらずということなし。 ゆみをいるときに ひだりて ゆみをゆずかけ みぎて つるにやをつがえて ひだりのかたへくびをまわし まとをみこんでさゆうわごう これをひきてやをはなつとき すなわちやはおのれのみこみたるまとのほうへゆきてあたるなり。 かたちをこしらうるにおよばずして たいをなすなり。 やりをつかう すなわちひだりてやりづかのなかほどをにぎり みぎていしづきのうえをにぎり りょうていっちし ひだりのてきをしゃがんにみる すなわちこれやりのたいなり。  またたちをとりてにぎり あげてあたまのうえにかむり ひだりてのひじしたよりてきをみこむは これすなわち ひとえのみなり。 しょりゅうともにつたえいう よんすんのたいというところなるべし・・・」

2、鎧勝身(よろいかちみ) 立身流變働之巻
「鎧勝身 左右  是ハ太刀中段ニ致シ 敵打時 身ヲ 一トエ(一重)ニカエテ 敵ノ ノド 又 脇ノ下 ヲ突也」 (立身流第11代宗家 逸見柳芳筆「立身流刀術極意集 完」より)

3、壁添勝様之事 (立身流立合目録 外 より)
是ハ後ヨリ壁ヘツキツケラルル時 柄頭ニテトメオキテ 我ハ壁ヘスリヨリナカラ ヒトエ身ニ成リナカラ 直チニ サカテニ 抜突ク也」 (立身流刀術極意集より)

4、壁添勝様之事 (立身流居合目録 外 より)
状況設定は立身流立合目録とほぼ同じですが、川端の状況が加わります。
鐺で撥ねつけ、順手に抜き、斬または突きます。

第五、立身流に於る袈裟斬との関係

一重身とは異なります。
立身流公式ホームページ(立身流の歴史)掲載の、立身流第19代宗家加藤久の試斬の写真をご覧ください。

以上

立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味

立身流第22代宗家 加藤紘
平成26年8月3日
立身流第81回特別講習会資料
[平成26年6月19日掲載/平成27年8月31日改訂(禁転載)]

1、形

「闘いでは、あらゆる事態に対応し、敵のどのような動きも制しなければならない。その種々雑多な動きから、すべての動きの素となる基本の動きが抽出され、純化される。これが形である。」 (拙稿「立身流について」)
そして「形は、動作の決め事で、闘いの経過を技毎に類型化したものである。」 (同) のですが、その内には基本の動きと理合が凝縮しています。
闘いの経過の類型化自体が、個々の技の動きをより基本的により高次に凝縮し、原理化することにほかなりません。同時に動きの手順と理合も高次化されています。

2、向と圓

(1) 向と圓の意味
立身流でいうと、心法(無念無想)を含め最高次元まで行きつき、公理化した形が向と圓です。
逆にいうと、向、圓から全てが導きだされます。向、圓が基本であり、かつ秘剣であるゆえんです。そして、向と圓という対極にある二つの形があってこそ「形の上では、向、圓がそれぞれ独自に変化するばかりでなく、向と圓あるいは向の変化と圓の変化が無限に組み合わされていきます。」 (拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』)

(2) 向と圓を対比すると大要次のようになります。
①向は後の先(又は先先の先)の技であり、圓は先(又は先先の先)の技である。

②向は抜放し敵刀を請流してから斬り(表)、圓は抜付けて斬り二の太刀で更に斬る。
③向受は右鎬で剣先側より鍔元方向へ敵刀をすべらし、圓受(剣術)は左鎬で鍔元側より剣先方向へ敵刀をすべらす。
④向は左足を出しつつ(間合によっては右足を退きつつ)抜き、圓は右足を出しつつ(間合によっては左足を退きつつ)抜く。
⑤向では終結が予想されていますが、圓では継続が予想されています。

(3) 向と圓という対極に位置する二つの原理があるからこそ、そこから全てが導きだされます。
向と圓は一対一組です。ですから稽古の場では、向があるときは必ず圓もあり、圓があるときは必ず向もあります。
居合でも剣術表之形でも鎗合(やりあわせ)でも一本目二本目は向圓です。剣術表之形の破と急の七本目と八本目には提刀(居合)の向圓として再現します。数抜は、向、圓、向、圓、・・・と抜き続けます。

  • 日々夜々に向圓を抜くならば 心のままに太刀や振られん [立身流理談之巻]

 3、形の本数と各種形の関係

(1) 形の本数
一般的に、それぞれの流儀が創流された当初の形の本数は少なかったといわれています。特に神伝の古い流儀に顕著です。それぞれの流祖は、それだけ厳しく突き詰めて考究していたのです。
形の数が増えたのには様々な原因が考えられます。形に教育体系としての意味が加わったり、町道場など門弟の数が増えて免許の段階を増やしその段階毎に異種の形を配置したり、中間手代養成の速成予備校化しカリキュラムが細分化して対応する形が増えたり、教授料を教授する形と対応させたり、等です。応用形や、本来は形として扱われるべきでないもの(後記6、参照)が形としての地位を獲得していったわけです。

(2) 立身流刀術に於る各種形の関係
①修行課程(カリキュラム)
<1>表之形(剣術、居合)の、序から破へ、破から急へ。

<2>剣術の表之形及び陰之形から五合之形(及び詰合)へ。

②応用の原理の表現
<1>破から急へ。
<2>居合陰の、初伝から本伝へ、本伝から別伝へ。
  居合の陰は全て、表の破に対応します。ですから、例えば納刀は破の納刀です。
  初伝の前後と本伝の前後の相違は、初伝は左旋回、本伝は右旋回であることです。
<3>二刀之形の右上段から左上段へ。

③立身流居合の体系
立身流居合目録之巻には
    向
    前 
    後 
    左
    右
    圓
とあります。
これは、向と圓を前後左右に抜く、という意味です。向と圓の技を前後左右に体をさばき、前後左右の敵に対処するわけです。形の変化、特に居合の変化の基本をなすもので、①②に前述した形の数が増える場合の前の段階にある要素です。
居合において立合だけでなく居組の形が組まれているのも同様に考えられます。
古流の居合には、一つの技を前後左右に抜くという形の体系をもつ流派が多くみられます。これに敵の数が増えていった場合の対処が加って形の数が増えていくことになります。

④警視(庁)流居合の体系
ちなみに、立身流第19代宗家加藤久の自筆ノートに「警視流居合」の項があります。
そこに記載された警視流居合の形によれば、警視(庁)流居合の形全5本の体系はこのような古流の形式を忠実に踏襲しており、体系の基本としては立身流と同じです。
まず4流儀から、ほぼ同一内容で抜く方向の異なる4本の形を採用します。この4本を一本目から前後左右に抜くように順序立てます。最後に前後左右を囲む敵への対処として立身流の四方で締めくくります。
立身流の見地からすれば、一本目から四本目は立身流居合の立合陰之形(本伝)を応用して簡略化したものであり、五本目は立身流居合の立合表之形(破)八本目四方を応用して簡略化したものです。

⑤立身流剣術の体系と警視(庁)流木太刀之形の体系については後日別に記します。

(3) 形の応用原理の延長
①形試合
袋撓で行う刀術の約束稽古。現代合気道に似た稽古方法である。
<1>立身流立合目録之巻の分 15本

<2>立身流居合目録之巻の分 15本

②乱(みだれ)
自由に技を掛けあう。名称のない変化技は全てここに含まれる。

<1>乱合(みだれあい・みだれあわせ)
・立身流俰(やわら)目録之巻第41条乱合之事

・俰(やわら)での地稽古(じげいこ)
・短刀を腰にする
<2>乱打(みだれうち)
・刀術、特に剣術での地稽古
・袋撓を使用する
・頭には笊(ざる)のような防具を被(かむ)っていた、との伝承がある

③私が柳生延春先生にお尋ねしたところ、「柳生新陰流にも袋撓で自由に打合う地稽古が昔からあるのだけれど、それは最終段階での稽古方法だから、中々そこまで行きつかず、結局あまり行われなくなってしまった。」とのことでした。
先日、柳生耕一先生も同じことを述べられており、柳生新陰流におかれては未だその辺の改善まで行き着いてない、「形が身についていないのに地稽古をしては、ただのチャンバラになってしまう。」とのことでした。
立身流も同様です。
いずれにしても、袋撓(ふくろじない)は、旧くからあったものです。

4、傳技(でんぎ)

傳書の技、すなわち各傳書などに単独に示される技、形です。その傳書毎の理念を表現します。
その内のいくつかをあげてみます。

「立身流變働之巻」
・鎧抜
・勢眼詰
・二刀詰 など

「立身流別傳之巻」
・長短口
・妙剣
・一圓相
・鎗脇
・鎗下
・鎗脇詰 など

「立身流眼光利之巻」
・斬切
・合車
・水月 など

「立身流極意之巻」
・半月
・満月
・三光之勝 (月之太刀、日之太刀、星之太刀) など

5、一心圓光剣

「向と圓が統合され、昇華したのが「一心圓光剣」(立身流免之巻。立身新流免之巻には「一心圓明剣」と表記される)です。」(拙稿、同)
一心圓光剣は象徴的に最高極意を表した形といえます。立身流免之巻の傳技です。立身流極意之巻と立身流俰(やわら)極意之巻の二巻は立身流の奥秘伝免許で免之巻の補巻に位置し、これらが授けられて皆済となります。

6、立身流に於る「外」(そと) (所謂「外のもの」・「とのもの」)

特殊状況を設定し、その特殊状況下でなされるべき動きをまとめたものは形ではありません。そのような事態に遭遇しても慌てないための、単なる心得にすぎません。いわゆる「外のもの」(とのもの)です。
立身流でいうと、立身流立合目録之巻の「外」(そと)二十五ヶ条(他に四ヶ条)、立身流居合目録之巻の「外」(そと)十三ヶ条などがそれです。いうならば、普通の動きの外側にある稀な動きで、形のように基本として集約されたものとは異なるものです。
特殊状況の設定とその場合の特殊な動きを研究することは、普遍的な基本原理を探る方向とは反対の逆方向です。ですから、特殊状況下での動きの稽古を重視してはいけません。却って乱れた稽古になり、悪癖が身につきます。
これを避けるためには、常に形との関連性を意識した稽古をすることです。闘いではあらゆることが起こりうるのでして、そのすべての状況設定をしようとしても際限ありません。

7、上記のすべてをふまえ、最終的には、立身流そのものにとらわれない動きができるように努力しなければいけません。それが立身流です。

  • 戦は 物になす(ず)ます(ず)(泥む=拘泥)師の伝ふ 術(すべ)をわすれて用(つかい)こそすれ [立身流歌]
  • 世盤(は)廣し 折によりても替(る)べし ワ連(れ)しる斗(ばかり)よしとおもふな [立身流理談之巻]

以上

立身流に於る「観取稽古」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市民体育大会剣道大会講話録
平成26年6月1日
於 佐倉市民体育館
(本稿は表記の講話録を大幅に加筆したものです)
[平成26年6月16日掲載/平成26年11月6日改訂(禁転載)]

第一、観取(みとり)稽古の意義

観取稽古とは、文字通り、観て自分に取り入れて自分の稽古とすることです。
その観取稽古のめざすところは通常の稽古と全く同様です。観取稽古はあくまでも通常の稽古の補充にすぎませんが、通常の稽古と異なり自分の体を使ってないため、又、目で比較対照できるため、客観的に認識判断でき、冷静に考察して本質に迫りうる利点があります。
ところで、観取稽古では、何をどのように観て、何をどのように取り入れるのでしょうか。

第二、稽古場での観取稽古

1、師匠を観取る
(1)道場で、自分が身体を動かしてないときに、同僚や後輩の人たちと雑談に興じているひとがいます。もったいない話です。芸の稽古は、本来、師と弟子が一対一でなされるべきものです。しかし時間的制約があります。これを補うのが師匠を観取る稽古です。師匠を観取ることにより、師匠の動きが自分に映りこんできます。ここで注意しなければならないのは、師匠の悪いところ、欠点ほど、増幅してうつりやすいということです。少しでも油断すると、師匠の悪いところだけ真似するようになりかねません。良い点は真似ます。悪い点は意識的に排除しなければなりません。師匠としては、自分の欠点や、その欠点の出る理由を弟子の程度により徹底して教えておかなければいけません。それが弟子の「観取る目」を育てることになります。

(2)師匠の他の人への指導は集中して見守らなければいけません。他の人の欠点は自分の欠点です。長所は取り入れます。

(3)そして、考えます。いわゆる科学的考察としての、帰納と演繹をくりかえします。より高次の基本の動き、より高次の理合を求め、自らの動きは、可能な限り高次な基本の動きと、可能な限り高次な理合から導きだされるようにします。基本的な動きについてのあるべき姿(目標)や形の意味、形との関係を探るのです。
立身流で言えば、どのような微細な動きでも向圓から導き出されるのでして、それを頭と体で理解しうるように努力します。微細な動きは、個々の動きをその動きごとに分断して覚えるのでなく、他の動きとの共通性を探り、どうしてそういう動きになるのかの原則を探ります。原則を探り当てたら、更にその上、高次の原則を探ります。その探求の積み重ねが大切なので、その人の到達程度により、その人の基本とする動きや理合の次元が異なってきます。
例えば、手之内についてみると、立ちあるいは座っているとき、歩いているとき、走るとき、武具を持つとき、提刀のとき、帯刀動作のとき、抜刀のとき、斬撃打突のとき、納刀のとき、俰において等、全てに通ずる原則があります。ただ、具体的な動作が異なるため、手之内の現れ方が異なるにすぎません。その人の微細な動作は、その人の到達程度を如実に示します。微細な動作は、習得された基本の現れです。

立身流入堂訓 第二条
常に向上の念を失わず、先達者に就いて、絶えず個癖の矯正に心がけ、正しき立身流の形及び理合並びに慣行知識の修得と伝承に心がけよ。

(4)観取稽古は普段の稽古でのそれが一番重要です。

  • 利(理)合をは(ば) 心に留めて尋ねずは(ば) 人にほと(ど)こす時そ(ぞ)かなしき [立身流理談之巻]

2、師匠以外の人を観取る
例え未熟な人でも、馬鹿にしてはいけません。見習うべき長所は必ずあるもので、しかも未熟な人の長所ほどその人の天性ともいえ、純粋です。それを見抜けない人こそ未熟です。

  • 下手(へた)こそは 上手の上の上手なれ 返す返すもそしることなし [立身流理談之巻]

第三、試合場や演武会等での観取稽古

1、自分の師匠が出場するとき
自分の師匠が出場するときは可能な限り拝見しなければならないのは当然です。ところが、その当然なことをしないのを当たり前と思っている人が多いのです。師の演武は師が勝手にやってるので自分は関係ないという態度では上達しません。師から教えを受ける姿勢から正さねばいけません。
父は「口でうるさく言わなくても技はうつる。」と、よく言ってました。しかし、うつるかうつらないかは、教える側の心持によるのでなく、教わる側の心持によって決まります。

2、他流を観取る稽古
江戸時代は閉鎖社会であったとの認識が蔓延していますが、そんなことはありません。交流は自由で活発でした。立身流には「針谷夕雲無住心剣傳法嫡子 小田切一雲誌焉」の写本が伝来しています。廻国修業がなされ、幕末に特にこれが多くなってから以降、現在まで、他流との交流が盛んです。佐倉藩関係では、嘉永3年正月から明治3年10月までに佐倉新町油屋に宿泊したその宿帳による「諸藩御修行者姓名録」が有名です。

(1)流儀自体を拝見する
その流儀や集団(以下、「流儀」とまとめて言います)に共通する動き様を把握します。
それぞれの流儀にはそれぞれ特有の形や動き様があります。修業の結果「我が体自由自在」(立身流用語)の境地に達すればそのようなものも消えるはずですが、皆さんも私もそのような名人ではありません。
そこで、他流を拝見する時は、その流派の形の意味や動きの特徴をしっかり理解して把握するのです。
その際、特に初心者が注意しなければいけないのは、「この流派は常にこういう動きをするのだ、こういう動きしかないのだ」と決めつけないことです。また、その場での思い付きでの恣意的な解釈で結論を出さず、疑問があれば何度でも拝見し、或いは教えを乞うことです。

  • 問ひ来たる人を粗略にすべからす 誠あらねは朋も信せす [立身流居合目録之巻]
  • 与(よ)の中尓(に) 我より外(ほか)のもの奈(な)しと 井尓住むかはつ(かわず)音越(を)のみそ(ぞ)奈く [立身流理談之巻]

(2)立身流ならどうするかを考える
次に、その流儀の形や動きと同じことを立身流の形や動きで行なったらどうなるのか、を考える。又、実践する。言わば、立身流の形試合と同じような事のシミュレイションです。

(3)その人(の技)を観る
その次は、流儀を離れて、その人個人の長所、欠点、錬度など、個人的属性(個人的特性すなわち個性を含む)を拝見する。

(4)自分ならどうするかを考える
流儀と人を観取り、立身流としての動きを考えたうえで、さて自分だったらどうするのか、を考察研究しなければなりません。言わば、立身流剣術の乱打、立身流俰の乱合と同じような事のシミュレイションです。

(5)どう勝つかを考える
観取稽古の最終段階は、この人と立合って自分は勝てるのか、勝てそうもないならば勝つためにはどうしたらいいか、を考えます。勝てる人には、自分の修業に役立つ勝ち方を考えます。要するに、どう勝つかです。現実に立合うわけでなく頭の中で思うだけですから、自由な発想ができ、楽しいものです(現実に立ち会うときは無心の境地で向かわなければなりません)。勿論、だまし討ちや裏をかいたり、フェイントかけたりする方法を探るのは有害無益です。

  • 切合に 表裏の業は無き物そ(ぞ) 太刀の誠の道をつくせよ [立身流立合目録之巻]

第四、その他の場での観取稽古

観取稽古の対象は武技に限りません。
例えば、立身流礼法の見取稽古は術技そのものの稽古にほかなりません(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」参照)し、立身流礼法と他流の礼法との対比は、その相違の背景や理由を探ることにより、立身流自体や武道全体への理解を深めます。そして、剣道、柔道をはじめとする所謂現代武道は勿論、スポーツや芸術ひいては世の中の全てが観取稽古の対象であり、立身流の心技の資となります。

  • 草毛(も)木も 薬なりとは聞きぬれ登(ど) 病ひによりて 用ふるとしれ [立身流理談之巻]

以上

2014年 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る 下緒の取扱

立身流第22代宗家 加藤紘
第80回立身流特別講習会資料
平成26年2月23日
於 佐倉市佐倉中央公民館大ホール
[平成26年2月10日掲載/平成26年6月16日改訂(禁転載)]

第一、下緒(さげお)の用途例

1、立身流立合目録之巻 外(そと)より

(1)門戸出入之事(もんこしゅつにゅうのこと)
門や戸口を出入する時、特に夜の心得である。門戸の上や脇からの攻撃に備える。
門前へ行って、静かにして、姿勢を低くして様子を探り、安全と思われるならば、直ちに刀を背負う。刀を襟元より首の後へ差入れ、着物の内に入れる場合もある。脇差を擁刀して通り抜ける。大刀を抜刀して鞘だけを背負い、あるいは襟元から差込む場合もある。
いずれも、下緒を口に咥え、刀や鞘の位置は下緒の長さで調節する。

(2)夜之捜様之事(よるのさがしようのこと)
闇夜で何も分からないので、刀で敵を探る。
刀身を鞘から完全には抜かないで、剣先近くに鞘を掛けて、敵に当たれば 鞘が落ちるようにし、我は両手又は片手で柄を持ち、静かに刀を左右に動かし、鞘が敵に触れて落ちたら直ちに蹈込んで斬る。間合は刀二振分の内側となり丁度良い。余裕あれば、一度刀を抜き放ち鞘の反りを逆にして差込んだ方が鞘が落ちやすい。我は屈(かが)んで歩くか、膝行(しっこう)する。
下緒の端を指に掛けるか、片手で握って操作する。

(3)戸陰為居者知様之事(とかげにいたるものしりようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

(4)仕込者捜様之事(しこみのものさがしようのこと)
上記(2)の応用で、下緒の操作については全く同様です。

2、立身流立合目録之巻 陰 五个 有口伝(かげ・ごか・くでんあり)の中に「塀乗越」というものがあります(後記【参考】を参照)
塀や、城攻めの際の崖、石垣に、刀を立掛け、鍔に足をかけて乗り越えます。
下緒は口に咥えるか、腰に縛り付けます。

3、縄の代用
立身流には、早縄七筋(すじ) 本縄十四筋併せて二十一筋の捕縄があります。
戦国時代には敵を生捕ることも重要でした。その技が俰、特にその組合と連動した捕縄です。縄の片端には蛇口(じゃぐち)という輪があって、そこから固定して縛り始めます。
しかし下緒を代用する時はまず蛇口をその場で作らねばなりません。

4、襷(たすき)代わりに使われることはよくしられています。

第二、下緒の長さ

大刀の下緒の長さはその用法目的や時代によって異なります。
塀乗越などには短くては役に立ちません。短いものは本縄用としては勿論、早縄用としても掛様が限られ、不十分です。他の用途としても同じことがいえます。
剣道を含む日本武道の最盛時は幕末ですが、立身流も同様です。当時は実戦の必要にせまられて下緒は長いものが多くなりました。

第三、提刀時の下緒

立身流の提刀は、右手で栗形の辺りを掌と指でくるむようにして大刀を提げ、栗形(くりがた)に通されて二重になった下緒は、さらに三等分に三折りにして一緒に持ちます(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」参照)。
従って、長い下緒でも、その端が地面に着いたり、足の邪魔になったりはしません。

第四、帯刀時の下緒

1、大刀
立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書(ききがき)」記載(参考として後記)のとおり、古来から概ね三通りの方法があります。
帯刀して歩く、或いは走る場合につき、下緒の長さとの関係で言えば、次のような整理が一応できます。

①短い場合は鞘に巻きつける。
②地面に下緒の端が触れず、また、足の邪魔にならないならば、後ろへ垂らす。
③長い下緒で上記②のような支障があるときは、右前の袴紐に挟む。

幕末に長い下緒が使用されるようになってからは、③の右前に挟む方法が多くなりました。その前は②の後ろへ垂らすことが多かったようです。①の方法は、咄嗟(とっさ)の刀の操作に不都合な為あまり行われませんでした。
拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」の、「7、提刀、帯刀」で「下緒を刀の後に垂らすか、袴の右前の紐に挟みます。」と記したのは上記をふまえてのことです。この二法のどちらとるべきかを敢(あ)えていえば、右前に挟む法と考えます。

理由は、

  1. 武道、剣道は発達してきたのでして(後記「剣道の発達」参照)、それぞれの時代の最先端を行く流派は、その流儀の根幹を崩さずに保持したうえで、時代に合わせて進化し、深化してきました(後記 立身流歌 参照)。立身流の500年もそうです(拙稿「立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)」「立身流に於る「心の術」」参照)。
    その最盛時は実戦との関係でも幕末と言え、流派武道の古流としての形態の踏襲は幕末が基準になります。立身流草創の戦国時代以来の形態は幕末時の形態にすべて包摂(ほうせつ)されています(後記「入堂訓」第一条参照)。時代を遡(さかのぼ)らせた形態を基本とすることはこの発達の歴史を無視することに外ならず一般的に無益有害です。
  2. 少なくも幕末以降、右前に挟む法が主流で現在にいたっている歴史的継続性があります。私は父から「どちらでも良い。」と言葉では聞いていましたが、実際に父が下緒を後へ垂らした姿は、演武中に解けた時以外にみたことはありません。
  3. 現今の下緒は長めで、垂らすと地についてしまうものもある状況です。
  4. 居合の居組の場合に下緒が最も邪魔にならない法です。
  5. 提刀時に三等分して持った下緒をそのまま右腰前にもっていけばいいので、動作に無駄がありません。

なお、原則として「挟む」のでして結いません。結ってしまって自然に解けないのでは掛けにくい技があるからです。緊急時に脱刀もできません(刀を半棒代りに使う場合など)。勿論、状況次第で結うこともあります。

2、脇差
後記 立身流第21代宗家 加藤髙筆「立身流聞書」記載のとおりです。何もせず、そのまま垂らす法もあります。

3、短刀
短刀を差す場合は、括(くく)り付けるのが原則です。短刀の利用は俰での場面が多く、左手で敵を制して右手のみで、それも逆手で、抜くことが多い為です。ほぼ真横にして差します。


【参考】

1、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家 逸見柳芳筆)中、「立身流傳受 立合目録之分」中、「●五个 有口傳 陰五个口傳之分」より
「塀ヲ越ユル時手掛無之節刀鍔下緒ヲ用可心得是則城乗リ也」
(へいをこゆるとき、てがかりこれなきせつ、とうがくさげおをもちゆ。こころうべし。これすなわち、しろのりなり。)

2、「立身流聞書」(第21代宗家 加藤高筆)より引用
「一、・・・帯刀と下緒について
・・・武士は概ね角帯をなし、その上に袴を着用するを習ひとせしを以て、大小の帯刀は、先ず小刀を着物と帯の間に鍔が体の中央にある程に差し(前半に)、大刀は小刀の接触す帯の一重を隔てて小刀の上より柄頭が体の中央にある程に差すを通例とし、刀の下緒は、小刀はその端を固く結びて鞘(栗形の上)の下より刀裏の方へ一重廻して栗形の處にて下緒の基部に引き通して下に垂らし、大刀は帯刀して帯を隔てて鞘の上より後にかけて垂らすか、又は必要に応じ解き良き様に栗形を中心として鞘に巻きつけるか、或は下緒を前より廻はし腰部の袴紐にはさむ(結ぶ場合もあり)。戦陣などにて鞘の抜け落ちざる用意のため、小刀下緒の下方に垂らしたる下緒の端へ、大刀の下緒を通して腰部の後に廻し、前にとりて、前に結ぶ場合もあり。」

3、「剣道の発達」  故文学士 下川潮 大正14年

4、立身流歌
「我が術を多くの人のそしるなら 鼻に聞かせてそしられてゐよ」 [立身流 理談之巻]
「世は広し折によりても替わるべし 我知るばかりよしと思ふな」 [立身流 理談之巻]

5、「立身流入堂訓」(昭和62年1月27日 第21代宗家加藤高 全十ヶ条)より1ヶ条引用
第一条 立身流を学ぶ者は、流租神伝以来、歴代先師が、尊き実地試練の苦業を経て完成されし形、その他、古来より伝承されし当流の内容に聊かも私見を加え、私意を挟み、之を改変すべからず。

立身流門を主とした佐倉藩士と警視庁

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成25年11月3日
於 佐倉市立体育館
[平成25年11月22日掲載/平成26年3月4日改訂(禁転載)]

1.
幕末の佐倉藩領は現在の千葉県佐倉市の他、八街市、酒々井町、富里市、成田市、香取市、印西市、八千代市、四街道市、そして千葉市で江戸湾に通じ、更に山形その他に飛地領がありました。この広大な地域を背景に武道関係でも多くの人材が輩出し、明治期に活躍しました。

2.
佐倉藩で公式に教えられていた剣術流儀は、立身流、今川流、無滞体心(無停滞心、むていたいしん)流(実質は柳生新陰流)、浅山一傳流、中和(ちゅうか)流、の佐倉五流と言われた5つの流派です。立身流以外の4流派は、残念ながらすべて絶えてしまっています。

3.
立身流第19代宗家 加藤久の手による記録によりますと、立身流第17代宗家(藩の役職名としては「刀術師範」。以下同じ)逸見忠蔵源信嚴の主な弟子として次の名が記されています。

半澤成恒(立身流第18代宗家)、逸見宗助(忠蔵の長男)、小川茂(忠蔵の二男)、兼松直廉、村井光智、逸見濃夫(忠蔵の三男、号は無学)、下村国治(忠蔵の四男)、山崎小太郎、細川儀などです。他に、逸見宗助の子として、逸見三郎(中野町住)、逸見四郎(京都市住)の名が見られます。

4.
又、同じく加藤久の記録によりますと、佐倉十人士(正確には「十人衆」)として次の名が記されています。

半澤成恒、逸見宗助、兼松直廉、山崎小太郎、細川儀(以上、立身流)、勝間田彌太郎(今川流宗家)、夏見又之進(無滞体心流宗家 夏見(千吉)巌の係累)、浅井剛勇(画家 浅井忠の叔父)、浅羽成徳(共に、浅山一傳流。宗家は石川左内)、岡隣次郎(流名不明)の10人です。

「十人衆」とは安政2年5月佐倉藩に設置された要人警護の役職です。

5.
明治に入り、警視庁は日本の武道の中枢でした。その警視庁では、逸見宗助等の審査で最高位を2級とする剣術の等級をつけました。加藤久の記録では、2級から7級まであり、さらに2級は上下、3級から7級までは上中下に分けられたとされています。
木下壽徳の名著「剣法至極詳伝」によると、「6級5級4級には各上中下あり3級2級に至りては上下なし」とされています。

いずれにしても1級は空位です。逸見宗助自身には級位がありません。

6.
「剣法至極詳伝」記載の等級姓名表(明治21年頃のものと思われます)によりますと、佐倉藩外の人としては、2級に得能関四郎、坂部大作、真貝忠篤、下江秀太郎、三橋鑑一郎など、3級に千葉之胤、柴田衛守、富山圓など、4級に川崎善三郎、門奈正、内藤高治などがいます。

4級には、新撰組隊士、撃剣師範として名をはせ、戊辰戦争に参加し、明治になって警視庁に入り、明治10年の西南の役で警視庁抜刀隊員として奮戦した、齋藤一の別名の藤田五郎の名がみえます。

7.
佐倉藩から警視庁に入った人たちの級位は、有名な逸見宗助(明治21年当時44才前後。以下同じ)は別格の級外、2級にこれも有名な兼松直廉(50歳前後)や夏見又之進(40歳前後)、3級に村井光智(38歳前後)や勝間田彌太郎(49歳前後)、4級に町田光儀や武藤廸夫、上妻隆行(この3名は立身流)などです。

武藤廸夫は立身流俰の達人であり、逸見宗助と共に警視流柔術の制定に参画しています。なお、級位は不明ですが逸見濃夫も警視庁に入っています。4級に記載されている岡隣太郎は、前記 岡隣次郎の兄かあるいは同一人物かもしれません。
同じく4級に記載されている浅井四郎は、前記 浅井剛勇と関係があるかもしれません。

8.
明治21年当時、警視庁の武道は日本を代表するものでした。このように、佐倉出身武道家は、剣道をはじめとする現代武道の源となったのです。皆さんはその後輩です。この伝統の下、本日は立派な剣道、立派な試合を期待いたします。

(本稿の調査には、佐倉市文化課 宍戸信氏及び佐倉市総務課 市史編纂担当 土佐博文氏のご協力を得ました。有難うございました。)


【参考文献】

  • 「拳法図解 完」 久富鐵太郎著 明治21年1月
  • 「早縄活法拳法教範図解 全」 井口松之助著 明治31年
  • 「剣法至極詳伝 全」 木下壽徳著 大正2年
  • 「警視庁武道九十年史」 警視庁警務部教養課 昭和40年
  • 「立身流之形 第一巻」 加藤高 加藤紘 共著 平成9年
  • 「剣道の歴史」 財団法人日本剣道連盟 2003年
2013年 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る 桁打、旋打、廻打

立身流第22代宗家 加藤紘
平成25年度立身流秋合宿資料
平成25年10月19日-20日
[平成25年10月9日掲載/平成27年8月31日改訂(禁転載)]

第一、意義

一、古来、立身流修業に入った者は当初の3年間、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)のみの稽古を許された。上達してもこれを繰返した。
武道の基礎となる身体を錬成する為の立身流独自の基礎的稽古方法である。
戦前の剣道に於る切り返しに対応する。

二、用具には袋竹刀を使う。立身流袋竹刀には鹿革あるいは牛革を使い、これで丸竹をくるんだものと、これに割竹を詰めてあるものと二種類ある。
丸竹をくるんだ袋竹刀は軽く、また、撓(たわ)みが少ないので技をかけやすく、仕方用(弟子用)とされる。物打部分が割れても厭(いと)わない。
割竹をくるんだ袋竹刀は重く、撓みが強いが、弾(はじ)く力が弱いので相手の手の内などの習得に適しており、受方用(師匠用)とされる。仕方に重量、撓みへの対応を心得させ、かつ、仕方に当たってしまっても被害が少ない。
双方が丸竹の袋竹刀を使用してもよい。

三、桁打等は師と弟子が一組となって行うのが原則である。師と弟子が同じ動作を繰り返し、師の技を弟子に写し込んでいく。

四、桁打等は、休みなく長時間継続し、疲れ果て、足が動かず、手が上がらないようになってからが本当の稽古である。その状態になる迄は準備段階にすぎない。

第二、通則

一、常に姿勢を崩さない。身体の重心は常に両足の間の中央付近にある。

二、全身(特に右手)の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理なく動く。

三、
(1)「常の歩み」の足である。
(2)前足は敵に真直ぐ向け、踵を地につける。
(3)後足は自然の方向を向き、踵は浮く。後足膝は突っ張らない程度に伸びる。
(4)受(うけ)、撃(うち)それぞれに右足前の場合と左足前の場合の双方があるのが原則である。

四、体幹はなるべく敵に正対する。

五、撃つ部位は敵の正面。左右の袈裟もあるが、刃筋を通す稽古としては、正面撃が最も良いとされており、正面撃を基本とする。

六、
(1)打った瞬間、右手はのびやかに、右肘を突っ張らない程度に前方ほぼ水平に伸ばす。
(2)袋竹刀は全て旋回させる(強打、豪撃・こわうち)。桁打は左旋回。旋打は左旋回(左圓・ひだりのまるい)と右旋回(右圓・みぎのまるい)の双方がある。

七、向受(むこううけ)と圓受(まるいうけ)は、ただ受けるだけではない。鎬を使って敵の刀を請け流す。

八、受と体さばき
(1)桁打及び次の(2)以外の旋打(いずれも廻打を含む)では、しっかりと請流して撃つ。
(2)旋打の其3と廻打の旋打は
<1>初心者段階ではしっかり請流して撃つ。
<2>熟練者は、敵の太刀筋に応じ、運足により敵の刀をかわす。圓受は補助的になる。

九、運足の足の横幅
廻打及び旋打の其3での体の横へかわす幅は、自分の身幅の半分の距離を原則とする。
正面からまっすぐに撃つ敵の刀を足さばきでかわすにはこれで十分であり、それ以上は不要かつ有害である。
足幅が広すぎると、自らの姿勢が崩れ、隙ができ、その瞬間に撃たれる。居付くことにもなり、動作に時間もかかる。他方、自分からは攻撃できず、受と攻撃を一拍子でできない。

十、呼吸
無声である。
気管、喉、口を限界まで広げ、体内の空気の全てを一瞬に爆発させるように吐き出すと共に撃つ。
その際、「ハッ」という音が出るが、これは声帯を震わせる発声ではなく、空気が爆発的に体外に出る爆発音である。

十一、吐く呼吸に合わせ、受から撃までの一連を、一つの動作で行う。

十二、始める前に必ず間合を確認して双方の足位置を定める。間合は稽古を受ける側の間合とする。

第三、種類

一、桁打  向である。基本方法は、後記の其2、1、(2)。

其1、片足位置を固定する法
1、左足位置を固定させる法
(1)左足前の位置で向受、右足を出して右足前で面撃、右足を退いて向受。
(2)左足後の位置で向受、右足を退いて右足後で面撃、右足を出して向受。

2、右足位置を固定する法
(1)右足前の位置で向受、左足を出して左足前で面撃、左足を退いて向受。
(2)右足後の位置で向受、左足を退いて左足後で面撃、左足をだして向受。

其2、両足で一歩前進と一歩後退を繰り返す法
1、左足前

(1)左足前で向受、右足より一歩退いて面撃、左足より一歩出て向受。
(2)左足前で向受、左足より一歩出て面撃、右足より一歩退いて向受。
これが桁打の基本方法である。

2、右足前
(1)右足前で向受、左足より一歩退いて面撃、右足より一歩出て向受。
(2)右足前で向受、右足より一歩出て面撃、左足より一歩退いて向受。

二、旋打  圓である。基本方法は、後記の其2、2、(2)。

其1、片足位置を固定する法(全てに左旋回と右旋回双方がある)
1、左足位置を固定する法
(1)左足前の位置で圓受、右足を出して右足前で面撃、右足を退いて圓受。

(2)左足後ろの位置で圓受、右足を退いて右足後で面撃、右足を出して圓受。

2、右足位置を固定する法
(1)右足前の位置で圓受、左足を出して左足前で面撃、左足を退いて圓受。
(2)右足後の位置で圓受、左足を退いて左足後で面撃、左足を出して圓受。

其2、両足で一歩前進と一歩後退を繰り返す法(全てに左旋回と右旋回双方がある)
1、左足前
(1)左足前で圓受、右足より一歩退いて面撃、左足より一歩出て圓受。
(2)左足前で圓受、左足より一歩出て面撃、右足より一歩退いて圓受。

2、右足前
(1)右足前で圓受、左足より一歩退いて面撃、右足より一歩出て圓受。
(2)右足前で圓受、右足より一歩出て面撃、左足より一歩退いて圓受。
これが旋打の基本方法である。

其3、左圓と右圓を併せ行う法
1、右前、左前、右後、左後と移動する法
(1)左足前で剣先を左にして圓受
(2)右足を右前方に送り、左足を継いで面撃
(3)足はそのまま剣先を右にして圓受
(4)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃
(5)足はそのまま、剣先を左にして圓受
(6)右足を右に開き、左足を右足の左後に継いで面撃
(7)足はそのまま、剣先を右にして圓受
(8)左足を左に開き、右足を左足の右後に継いで面撃

2、左前、右前、左後、右後と移動する法(具体的な動きは1、に準ずる)

三、廻打  向と圓である。双方が地上に円を描く如く動く。

桁打(左廻り)
(1)左足前で向受

(2)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃

旋打(其2が基本方法である)
其1、左廻
(1)左足前で剣先を右にして圓受
(2)左足を左前方に送り、右足を継いで面撃

其2、右廻 これが「廻打の旋打」の基本方法である
(1)右足前で剣先を左にして圓受
(2)右足を右前方に送り、左足を継いで面撃


【参考】

一、第22代宗家 加藤紘 論稿 参照
1、「立身流について」
2、「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」
3、「立身流に於る『・・・圓抜者則自之手本柔ニ他之打處強之理・・・』」

一、五之間之事(立身流秘傳之言 安政5年9月 逸見忠蔵筆)
進因間(すすみよるま)
退反間(ひきかえるま)
死間(しのま)
生間(せいのま)
變間(へんのま)
(は赤丸)

立身流に於る 精神統一法

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市民体育大会剣道大会講話録
平成25年6月2日
於 佐倉市民体育館
[平成25年7月30日掲載(禁転載)]

  1. 昨年の佐倉市文化祭剣道大会で立身流の「心の術」についてお話ししました。
    その際、簡単にいってしまえば「全てを忘れなさい。頭の中を「から」にしなさい。そして気持ちと身体を充実させなさい。」ということになるでしょう、と述べました。
    ですが、そうなる為にはどうしたらいいのでしょう。
  2. 立身流には七戒というものがあります。
    驚(キョウ・おどろく)、懼(ク・おそれる)、疑(ギ・うたがう)、惑(ワク・まどう)、緩(カン・ゆるむ)、怒(ヌ・いかる)、焦(ショウ・あせる)の七の戒です。これらを生じることなく、無念無想すなわち、立身流という「空(くう)」の境地に達した人は名人です。しかし、簡単に名人にはなれません。また、例え名人でも「深夜聞霜」[立身流居合目録之巻、深夜に霜が降る音が聞こえる程の無我の心境]の状態を常に保持するのは難しいでしょう。
    そこで、自らの心身を「空」の状態に導入する精神統一法が研究されています。
  3. 立身流には、九字十字之巻の一巻があります。
    そのうちの兵法九字之大事(へいほうくじのたいじ)では、臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前(りん・ぴょう・とう・じゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)の九字(くじ)を唱(とな)えつつそれぞれの印を結び、五ヶの消除行から選んだ行を行ったり、四堅五横(しけんごおう)に九字を切ったり、梵語を発しつつ四明(しみょう)、拍掌(はくしよう)、弾指(だんし)等をする儀式を行って精神を統一させます。更に、十字之大事(じゅうじのたいじ)としては、勝:鬼:天:虎:水:大:命:會:龍:行の十字のうち一字を九字に加えることも出来ます。
    そのうちの「勝」(しょう)は次のようになっています。


     軍陣出時(ぐんじんいずるとき)
     昼夜観念同(ちゅうやかんねんおなじ)


    軍陣其他一切勝負㕝出時可切加比字又左手内持必得勝利・・・
    (ぐんじんそのたいっさいのしょうぶのこといずるとき、このじをくわへてきるべし。また、ひだりてのうちにもつ。かならずしょうりをうるなり。・・・)左の掌(てのひら)に「勝」と書けば、勝を得ることができるというのです。
  4. 立身流立合目録之巻の中に「陰 五个 有 口伝」(かげ・ごか・くでんあり)というのがありますが、その最初の口伝が「小スイ」と言われるものです。
    小水をすると呼吸が整えられ落ち着きます。
  5. 立身流居合目録の「陰 五个 有 口伝」の中の一つは、「目ヲトチ(閉じ)(ホウ(頬)ヲナデナガラ)呼吸ヲ一ツツヽカゾヘル也。自然ト心気治也(ヲサマルナリ)」とされています。
    目をとじて、呼吸を一つずつ、数えるのが肝要です。
  6. 「三呼吸の教え」
    立身流に伝わる「三呼吸の教え」では、一連の動作と他の一連の動作の間には、三呼吸の間(ま)をとるのが良いと言われています。例えば、居合演武の際の一本毎の間は、着坐し、静かに二呼吸の後、三度目の息を吸い終わった頃、刀を抜きかける位の間が最も適当とされます。
  7. このようにみてきますと、正座し、目を閉じ、自分の呼吸を数え、三度目の息を吸い終わった頃、静かに立ち始めるのが、今、この場でも出来る最も良い精神統一の方法といえるでしょう。

重要なのは
呼吸を、数を数えながら三回することです。
一、二、三、です。深呼吸でなくてもいいのです。
これをすると、戦いの前に落ち着くことが出来る。
これをすると、戦いの最中にも気を取り直すことが出来る。
これをすると、戦い終わって次の戦いに備えることが出来る。

一、二、三、です。

ぜひ試してください。頑張ってください。


【参考】

一、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家逸見柳芳筆)中、「立身流傳受」より

  1. 「立合目録之分」中
    五个 有口傳
    山坂上り下り之時小便呼吸之為戰場平日共可心得(やまさかのぼりくだりのとき、しょうべんすること、こきゅうのためなり。せんじょうへいじつともこころうべし。)
    平日心掛小便アワ立様アワ無之時凶之あわ多クトモ凶我影移ル逆ナレハ凶也(へいじつのこころがけ、しょうべんあわだちよう、あわこれなきときはきょうなり。あわおおくともきょうなるは、わがかげうつる、さかさなればきょうなり。)
  2. 「居合目録之分」中
    五个 有口傳
    戰場平日共気付用心無之時戰ツカレ目マイ立クラミスル時刀ヲ杖ニツキ腰ヲ掛目ヲトチホウヲナデナカラ呼吸ヲ一ツツゝカゾエル也自然ト心気治也可心得(せんじょうへいじつとも、きつけのようじん、これなきとき、たたかいつかれ、めまい、たちくらみするとき、かたなをつえにつき、こしをかけ、めをとじ、ほほをなでながらこきゅうをひとつずつ、かぞえるなり。しぜんとしんきなおるなり。こころうべし。)

 

二、「立身流聞書」(立身流第21代宗家加藤高筆)より

 居合の鍛錬に於いて呼吸は最も注意肝要なり・即ち古来より所謂「三呼吸」の教へある所以にして業と業との時間的の間の伸びたるも、又、急ぎ過ぎたるも、共に良しからず。私見によれば、概ね、先ず、定位置に立つか着坐し、静かに二呼吸の後、三度目の息を吸い終わった頃、刀を抜きかける位の間を最も適当と思考す。然れでも只一人稽古の時は、心境が十分整ふ迄正坐を続け、明鏡止水の心境を得るに努むる事を肝要とす。而して、始めと終了後は坐礼の前にその正坐のまま眼を閉て、現前の一切を忘れ、瞑想をなすのも一方法なり(約二分位)。

2013年 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に於る「心の術」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成24年11月3日
於 佐倉市民体育館
[平成25年3月23日掲載(禁転載)]

今年六月の佐倉市民体育大会剣道大会で、佐倉剣道連盟名誉会長安藤平造先生の講話がございました。宮本武蔵の「兵法三十五箇条」の「心持之事」を引用してのお話でした。

この兵法三十五箇条は、立身流が創流されてから、百数十年後に書かれたものです。

「心持之事」を立身流の言葉でいうと、「心の術」の問題となります。

これは、立身流の500年の歴史の相当部分、少なくも半分の250年以上がその研究に費やされていると言っても過言でない、大問題です。これを短時間でふれることは不可能ですが、関係する立身流の歌を何首かあげ、端緒を探ってみます。

まず、武道では心の持ち方が一番重要なのだという歌です。

  • いかほどに道具や業や有りとても 心の術にまさるべきかな [立身流居合目録之巻]

たとえば、実戦での心得として、二首目、

  • 兎や角と おもう心のうたがひに 我身の勝を敵にとらるる [立身流居合目録之巻]

あれやこれや思い疑っていると、勝てる勝負にも負けてしますよ、ということです。

そしてフェイントをかける敵や、だましてくる敵に乗せられない為には、これに動じない、常の心で、稽古のときと同じ動きをすればよいのです。

それが三首目、

  • 突か打 だますは敵の得手としれ おもわぬ外は常の働き [立身流立合目録之巻]

この「常の働き」が可能となる為の心と身体の状態を立身流では「空(くう)」といいます。

  • 人も空 打るる我も空なれば 打つ手も空よ 打つ太刀も空 [立身流理談之巻]

本日これからの試合に即して簡単にいってしまいますと、「全てを忘れなさい。頭の中を「から」にしなさい。そして、気持と身体を充実させなさい。」ということになるでしょう。

これは、いつも皆さんが教えられていることだと思います。

今日は、先生方のいつもの教え通り、すべてを忘れ、しかも充実した気持と充実した身体で試合してください。

終わります。

【参考】

  1. 立身流第21代宗家 加藤高 論稿「以先戒為寶」
  2. 拙稿「立身流について」 (七戒、半月、満月等)
  3. 「深夜聞霜」 (立身流居合目録之巻)
  4. 立身流歌
  • 一方に思ひつもるは邪心なり かたよらざるを本(もと)の気と知れ [立身流理談之巻]
  • つり合は 張弓弦と心得て 本の心を引かずゆるさず [立身流居合目録之巻]
  • 心をば直なる物を心得て しめゆるめなば曲るとぞしれ [立身流居合目録之巻]
  • 心をば曲れるものと心得て 常の常にも正直(せいちょく)にせよ [立身流居合目録之巻]
  • 心をば身のあるじとぞ聞くなれば 放たれたるを尋ね求めよ [立身流理談之巻]
  • 本の気に こころを当て尋ねずば 直な心にもどるまじきぞ [立身流居合目録之巻]
  • 敵を見て心の月に雲あらば 死出の旅路の道に迷はむ [立身流理談之巻]
  • 切るとなく 切らぬともなきこの刀 きるとは更に思はざりけり [立身流理談之巻]
  • 敵もなく我もなきこそこの勝身 とる敵もなく とる人もなし [立身流俰極意之巻]
2013年 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

以先戒為宝

立身流第21代宗家 加藤高
月刊「武道」2001年12月号 pp.10-11
[平成24年10月30日掲載/平成26年1月30日改訂]

以先戒為宝

「以先戒為宝」(先の戒めを以て宝と為す)という不肖の座右の銘の由来は甚だ古く、嘗て幕末から明治時代における旧佐倉藩出身の立身流の名剣士逸見宗助の創案によるもので、逸見の自書自刻の扁額を立身流18代宗家半沢成恒に贈呈し、半沢より19代宗家加藤久に伝承され、20代加藤貞雄を経て小生に伝来されたものである。

「先」とは勿論「三つの先」、即ち(一)先々の先 (二)先 (三)後の先 を指向しているもので、就中立身流では「先々の先」を最も重要視しており、立身流立合目録之巻にも

  • 先々の先こそあれば後の先も後の先として先々の勝

と明記されている。

なお『三つの先』の定義については、流派により多少難解の箇所もあるやに見受けられ、論議もあったようであるが、立身流では左記の如く定義されており、戦前の陸軍戸山学校でもこれを定説としてそのまま採用されていた。即ち、先の位(気分)とは機先と同意義で常に攻勢の気分にあることを謂い、「先々の先」とは敵が撃突を実行する以前、まだ計画、考慮の状態にあるとき、これを撃突することを謂う。「先」とは敵が撃突してきた場合にこれに関せず、撃突することを謂う。「後の先」とは敵が我に先んじて撃突してきた場合に、撃払または抜いて撃突することを謂う。

但し特例として注意すべきことは、一見して外観上いかにも「後の先」のように見えても、当方が完全に主導権を確保して終始充実した気分と気位により敵を制圧して、引きまわし、敵が苦しまぎれに余儀なく撃突してきたのを外して勝った場合は、外見上の技法にはこだわらずに、内面の心法を重視して、立身流では「先々の先」としている。

逸見宗助の剣風は一世を風靡し、無刀流の山岡鉄舟も「剣客は澤山あるが逸見だけは真の剣を遣う」(堀正平著『大日本剣道史』51頁記載)と賞賛しておられる。

近世あまねく剣道界周知の達人、高野佐三郎先生は青年時代警視庁師範の頃、逸見宗助とは格別昵懇の間柄であり、雄渾無比の高野の上段の神髄は、この逸見より会得するところが多かったと述壊されている。晩年半澤成恒は中風を病み剣を執らず、加藤久の稽古を高野佐三郎に依頼した。

後年高野先生はこの逸見宗助の座右の銘の記載された扁額を見ていたく感嘆してやまず、自作の漢文の賛を加藤久に贈られた。

蓋し高野先生の卓越せる漢学の素養にも感銘せざるを得ないので、ここに原文のまま転載する。

門弟加藤氏下總人也傅
於先師逸見宗助先生所
刻扁額來示余讀之所
言剣之至理而所述達人
味到之眞諦也即應求
賛之賛曰

樂而不忘今思茲
懐而不盡今煥規

昭和甲申季夏
高野佐三郎 

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部