「気攻め、術攻めで敵を守勢に立たしめる」

立身流第21代宗家 加藤 高
  初出 月刊剣道日本 1983年11月号
(昭和58年11月1日 発行)
[平成28年11月19日掲載(禁転載)]

立身流は居合、剣術を表芸とし、それに甲冑組討の際の俰(やわら)、あるいは槍術、棒術、捕縄など各種武術を併せたもので、戦場において、いかなる場面に遭遇しても決して不覚をとらぬように、きわめて実践的な総合武術に仕上げられている。

その形は他流に比較して虚飾なく、地味ではあるが、剛直壮烈な剣さばき、体さばきはきわめて実理的であり、江戸時代以前の戦国武道の古格をしのばせるものである。

流祖立身三京は幼少より武術に傾倒し、いくさや真剣での試合は数知れず、一度も不覚をとらなかったが、未だ安心の境に達するを得ず、妻山大明神に祈願してついに無我の心境に到達するを得、勝機を未撃に知る必勝の原理を会得したと伝えられている。

すなわち、気攻め、術攻めによって敵を守勢に立たしめ、敵が苦痛にたえかねて無理に撃突しようとするその箇所が、おのずから自分の胸に匂ってくる。そして敵がその業をおこそうとする瞬間、無意識のうちに機先を制してこちらから撃突を加えて勝つ方法で、先(“匂の先”ともいう)による勝ちである。

立身流伝書の道歌に、つぎのように記されている。

先を取れ先を取らるな先を取れ 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

先先の先こそあれば後の先も 後の先として先先の勝ち

『史記』に「先んずれば人を制し、後るれば則ち人に制せらる」とあるが、同じ趣向であろう。

さらに立身流伝書口伝によれば、事前に敵を制圧せずに無闇に最初から一撃を加えるのは危険な行為であり、これこそ主義と手段を混同したものとして厳しく戒めている。

要するに伝書に説かれている”匂の先”というのは、外界からの刺戟に対し、なんらの意志の作用もなくしてする一種の反射運動といってよいと思われる。

反射運動はもちろん、敵の刃先を避ける退避の時にもおこるが、その時のみならず敵を撃突する時に用いているところが大変重要な点である。『孫子』の兵法に「勝兵は勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」とあり、その解釈もさまざまに分かれているようだが、私は個人武と集団武との差こそあれ、当流でいう”先(匂いの先)”と共通の発想だと考えたい。

なお、現今の各流居合は、おおむね坐って抜く業を主とし、立って抜く業を従とするものが多いが、当流はこれと反対に立って抜く業をきわめて重視し、坐って抜く業(当流では”居組”という)を従としている。

また、抜刀時の最初の一太刀も他流では片手切りの場合が多いが、当流では両手切りが主である。帯刀時も他流では大体、左手拇指を鍔にかけるが、当流では左手人差指をかけている。抜刀法は立身流独特の発達をとげ、さまざまな抜き方がとられている。

斬撃時の刀の振り下ろし方についていえば、当流では自分の頭上で半円を描くように、遠心力を利用する場合が大変多い。この振り方を”豪撃(こわうち)”という。この振り方をもってすれば、南北朝時代の長大な太刀もたやすく扱えるし、斬撃力もきわめて強力である。

序、破、急という言葉は各種芸道でよく使われるが、当流では居合、剣術、槍術ともに一本の形を同様に三段階に分けて修練を重ねている。これを書道にたとえていうと、序は楷書、破は行書、急は草書に該当する。通常の演武は「破」であるが、「序」は基本的な動作で、初心者はこれが仕上がってから「破」に進む。「急」は応用動作で、実践即応の変化技ということになる。

ちなみに当流の数ある伝書中の一巻は、野戦攻域、陣地構築、築城の場合を想定して、距離測定法、測量法が記されている。すなわち、集団戦法を加味して研修したのである。

 

2016年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流からみた警視(庁)流の各種形及び体系

立身流第22代宗家 加藤 紘
[平成27年11月23日掲載/令和4年9月4日改訂(禁転載)]

一、はじめに

立身流は警視流の居合(全5本)、剣術(木太刀之形、全10本)、柔術(捕縄、活法を含む)の全てに採用された、そして併せると4本を採用された、唯一の流儀です。表題の「各種」とはこの3種(捕縄を別に数えると4種)を示します。
本稿は、警視流に採用された立身流本来の形と警視流の形との異同および両流の全体的関係を探るものです。
しかし、この作業には困難が伴います。
立身流の形の内容は確定していて問題ありません。
問題は警視流の内容についてで、文献の記述、ひいては演武者や解説者毎に大きい違いが見受けられることです。警視流の形が制定される際、既に元の流儀の形からの変容と各流を併せたことから来る曖昧さがあり、文字化される際にそれが引き継がれ、更にその後の文字に基づく研究復元による演武や、度重なる文字化が誤解を拡大している様相が見受けられます。制定後百数十年の間、流派としての伝承の中核がないまま経過し、特に居合については裾野が拡散した影響もあるようです。
警視流居合を源にして他の流名が付されている例もいくつか見受けられます。
警視流柔術は文献上だけの存在です。
このような状況の下、本稿は立身流の見地からすればこうなのだ、という視点のものです。

二、警視流に採用された立身流各種形の演武映像

警視流に採用された立身流居合四方、立身流剣術巻落、立身流俰(やわら)柄搦の3本の形の演武映像はユーチューブ動画「特集 伝統を受け継ぐ総合武術 立身流」(佐倉市制作・平成27年3月12日撮影 同年3月広報番組放映)をご覧下さい。
説明を要するいくつかの注意点はありますが、流門にとって教科書的な映像です。特に私の演武のスローモーション映像をよくみて研究して下さい。
但し、この画像で「分かった」と思わないで下さい。画像で感得できるのは大まかな雰囲気だけにすぎません。

三、居合

(一) 警視流居合に関する資料
私の知る限り、最も古い文献は、後記資料(一)の警視廰本署撃劍世話掛による明治19年(1886年)6月付「警視廰劍術組大刀之方書 全」(以下、本文では方書と略称)です。
そして、後記資料(十)の「剣道の歴史」(2003年(平成15年))に、方書の記載に句読点をいれた同一の文(一部に誤植があります)が転載されています。
そこで、以下では「方書」の記載を基に警視流居合の内容を理解し、必要な都度、後記資料(三)の「立身流第19代宗家加藤久自筆ノート」(以下、ノートという)等を引用します。

(二) 立身流居合と警視流居合との体系を含む関係全般については、拙稿『立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味』に記したとおりです。
立身流の見地からすれば、警視流居合の一本目から四本目は立身流居合の陰之形立合(本伝)を応用して簡略化したものであり、五本目は立身流居合の表之形立合 (破)八本目四方を応用して簡略化したものです。
警視流居合五本の体系の基本は立身流と同一です。
立身流居合の陰之形立合の内容については、拙稿「立身流居合に於る鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~」を参照して下さい。

(三) 立身流居合四方(しほう)と警視流居合の五本目四方(しほう)との相違
1、立身流居合の表之形立合破の八本目四方が、警視流居合五本目四方となっています。
立身流居合には向と圓があり、例えば後の敵に対しては後向(左回り)と後圓(右回り)があります。八本の最後が四方(圓)でまとめられています。

2、立身流居合の四方については、前記の動画「特集 伝統を受け継ぐ総合武術 立身流」及び、後記資料(九)の拙著「立身流之形 第一巻」を参照して下さい。

3、警視流居合五本目四方の内容。
方書の記載は次のとおりです。

敵四方ヨリ囲ムトキ我カ頭上ヲ凌ギナカラ右足ヲ蹈込前ノ敵ヲ抜打頭上ヘ切込足ハ其侭ニテ後ロノ敵ヲ切右足ヲ蹈込ナカラ太刀ヲ左リヘ巻キ又一ㇳ太刀切又右足ヲ右跡ヘ開キ太刀ヲ右ヘ巻キ左ノ敵ヲ切リ又右足ヲ蹈込ナカラ太刀ヲ左リヘ巻キ一ㇳ太刀切足ハ其侭ニテ後ロノ敵ヲ切又右足ヲ蹈込ナカラ太刀ヲ左リヘ巻キ又一ㇳ太刀切是ニテ四方ノ敵ヲ折留ルナリ

4、方書の記載による警視流の四方と立身流の四方との相違は次のとおりです。

①警視流では、前の敵への抜刀の際「我カ頭上ヲ凌キナカラ・・・前ノ敵ヲ抜打頭上ヘ切込」として、自らの頭を守りながら抜きます。
立身流居合では原則としてそのようなことはありません。
なお、四方は圓の系統ですが、「我カ頭上ヲ凌キナカラ」圓を使うのは剣術表之形においてです(拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』参照)。
居合では足使いが異なり、敵の刀に関係なく強打(こわうち)がなされます(後記③参照)。

②警視流では、順次、前の敵の正面、後の敵の正面及び正面、右の敵の正面及び正面、左の敵の正面及び正面を切る、とされています。
立身流では、前の敵の右小手、後の敵の右小手及び正面、右の敵の右小手及び正面、左の敵の右小手及び正面を斬るのが基本です。小手面の連続技が基調ということです。立身流には面面と斬る変化もあります(敵には、小手にくるのか面にくるのか、わかりません)が、少なくも立身流の基本の形とは異なります。
立身流の小手斬は、柄にかけた敵の右小手を斬落すものです。
明治の警視流制定時には、このような想定をする必要がなくなり、小手斬は面斬に変えられたものと考えられます。

③警視流では、「太刀ヲ左リヘ巻キ」「太刀ヲ右ヘ巻キ」とされています。
立身流についてもその動作を表す言葉としては、一応「巻く」と表現されてもいいでしょう。
しかし、その「巻キ」は、単に調子を整える為だけのものではありません。
その実質的な意味合は強打(こわうち)です。前記動画および拙稿『立身流変働之巻に於る「躰用者則刀抜出体抜」』を参照して下さい。

④警視流につき、方書では、最後の左の敵に対し「右足ヲ蹈込ナカラ・・・又一ト太刀切」となっています。すなわち、最後の一振は右足を出しつつ斬るわけで、かつ、左足を継ぐとは記載されていません。
現今行われている警視流演武では右足を出したうえ更に左足を継いでいるようです。
いずれにしても立身流では、右の敵を斬った足はそのまま振り返りつつ左の敵の小手を斬り、さらに足はそのまま、前のめりになる敵の面を斬ります。そして右足を出しつつ正眼にとって残心となります。最後の一振の際は足を出しません。

⑤方書には残心の記載がありませんが、立身流居合では必ず最後に正眼をとり残心を示します。上記④に記した通りです。

5、現今の警視流居合四方の演武と立身流居合四方とを対比した相違を示します。番号は通し番号です。

⑥警視流では、直立から歩き始めるときは右足からとなっています(ノート)。
立身流では左足からです(右足前の状態からの場合の歩み始めは前足の右足からですが)。後記「六、柔術(一) 柄搦 4、」を参照して下さい。
なお、警視流でも近時、左足から歩み始める演武がされているようです。

⑦警視流では、前の敵への抜き付けを右片手だけでなすことが多いようです。
立身流での前の敵への抜き付けは、小手や正面あるいは袈裟いずれであっても諸手斬です。

⑧警視流での前の敵への抜き付けが横に薙ぐようにされているときがあります。
立身流居合の表之形の四方が警視流となっているのですから、横に薙ぐ抜き付けはないはずです。
立身流四方の表は真上より諸手で斬り下ろします。
立身流居合の陰之形では右手のみで横にも薙ぎますが、これが警視流の五本目に採用されたのではありません。

⑨警視流では、振り返って切る際、左足を踏み替えて演武されています。
立身流では後方へ振り返る際、右回りでも左回りでも、序之形以外では足を踏み替えません。実戦形である破之形が警視流に採用されているのですから足は踏み変えないところです。
方書でも「足ハ其侭」となっていて踏み替えるとはされていません。

⑩警視流では切る際、左足を継ぐ人が多いようです。
立身流居合では、斬る際、足を継ぎません。立身流居合は通常の歩みの上に乗っています。右足でも左足でも、後足を継がないでも斬れる間合と態勢をはじめからとっていなければいけません。
方書でも、前記の最後の左の敵に対しての場合を含め、「右足ヲ蹈込ナカラ」とだけになっていて左足を継いでいません。

⑪警視流としての演武で、後右左の敵に対してもそれぞれ一太刀しか斬らない演武をなさる人がいるとのことです。
実戦の現場でそのような場合もありうるでしょうが、立身流の基本の形ではありません。

⑫警視流としての演武で、最初に右の敵に斬りつける動作をなさる人がいるとのことです。
これも立身流四方の基本の形ではありません。

6、「四方」以外も含めた立身流居合と警視流居合の相違を示します。番号は通し番号です

⑬警視流の警礼、佩刀、終止の場合及び脱刀の礼法は立身流と異なります(ノート)。
立身流礼法については拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」を参照して下さい。

⑭警視流の鯉口の切り方は左親指でなされているようで、これも立身流と異なります。立身流では、擁刀の上、胸腹部および両手の作用と力で鯉口を切ります。拙稿「立身流居合に於る 鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~」及び前掲動画を参照して下さい。

⑮警視流では血流(血振)がされていますが、立身流に血流はありません。

⑯警視流の納刀
立身流居合での急以外の納刀と同様逆手納刀ですが、立身流のように鍔を右掌でくるまずに、柄だけを握る演武がされているようです。ノートでは「無念流ト同シ」となっています。無念流とは神道無念流のことです。そして、ノートに「無念流立居合(十二本)」が記されています。その中の「刀ノ収メ方」の第二、に、「・・・右手ノ拇指ハ縁頭付近ヲ其他ノ指ハ下方ヨリ鍔及ヒ柄ヲ持ツ」との記載があります。この記載通りとすると立身流と同じことになると思われます。

⑰現今行われている警視流居合には様々な形態があるようですが、いずれも、その動作の性質や足捌き体捌きの態様に、立身流とは相当の相違があります。例えば拙稿「立身流居合に於る 鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~」を参照して下さい。

四、剣術

(一) 警視流剣術に関する資料
剣術についても、最も古い文献は方書です。
そして、後記資料(十)の「剣道の歴史」に同一の文が転載されていることも同様です。
ノートでの警視流木太刀形の記載内容、および後記資料(二)「剣法至極詳伝 全」(大正2年。以下、詳伝という。)での警視流木太刀形の記載の内容は方書と同一で、文章表現まで似ます。方書がノート及び詳伝の底本と判断できます。
そこで本論考では、他の箇所の引用などの便宜上、詳伝の記載を基本に警視流剣術の内容を理解し、必要な都度、他の資料を引用します。
特に、現今行われている警視流剣術に大きな影響を与えたと思われる後記資料(六)の昭和10年に発行された陸軍戸山学校剣術科著「剣術教範詳解」(以下、教範という)をも重要資料とします。

(二) 立身流剣術表之形破五本目巻落
拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』に詳述しました。
参照して下さい。

(三) 警視流剣術四本目巻落
1、初期の文献の内容と現今の演武内容との間には大きな差異があります。その差異によって立身流の巻落と警視流の巻落の相違が更に大きくなっています。

2、警視流剣術四本目巻落の内容。
詳伝の記載を要約すると次のとおりです。

双方正眼から受、左上段へ、仕、中段へ。受が打込み頭上へ來る太刀を、仕は巻き直に胸部へ突込む。
受、右足を引きながら上段にとる。仕、敵上段に取るを見て右足を跡へ引きながら太刀を後ろ斜に取る。受が右足を踏込んで頭上目掛て打込むのに対し、仕は右足を踏み横腹を切り左足を踏込み後を向き居敷き正眼に構え圍む。

3、詳伝の記載する警視流四本目巻落と立身流巻落との相違
詳伝の記載による限り、警視流巻落と立身流巻落の間にそれほど大きな相違はないといえます。

①詳伝記載の、仕の「中段」の意味
詳伝では、受の左上段に対し仕は正眼(方書では、「正眼」は全て「清眼」と記載されます)から中段の構に直す、とされます。詳伝(勿論、ノート及び方書も同じ)の警視流木太刀形の中に中段の語はここにしか出てきません。これは立身流でいう平正眼(ひらせいがん)を意味すると考えられます。
立身流では、上段に対し平正眼をとるのが通常です。上段の態様により平正眼の態様も変わります。また、立身流では平正眼を単に中段とも呼称します。同じ中段でも、敵が正眼の場合、左上段の場合、右上段の場合その他敵に応じて変化するのは当然です。立身流で中段と正眼(立身流では「清眼」と記す場合が多い)とはほぼ同じ意味で使われる語ですが平中段という語はありません。
後記の参考を参照して下さい。

②詳伝記載の、突かれた後の受の上段
警視流でとられる突かれた後の受の上段は、立身流では肩上段です。八相に似ますが、八相よりも高く刀が上がった構です。肩上段は、左拳が口あるいはそれ以上の高さに位置し、我左手の上から敵を見ます。
詳伝の上段は右足を引く上段ですから、我左手の下から敵を見る左上段と思われ、そうだとすると厳密には立身流と相違します。

③詳伝で仕が「太刀を後ろ斜に取る」とされるのは、脇構をとる意味でしょう。
立身流と同一です。

④詳伝では、受が上段に取り、また、仕が脇構にとるとき、その後へ引く足はいずれも一歩、その後の受仕双方の打込みの足も一歩です。
立身流では受仕とも退く距離を大きくとります。従って撃込む足も双方とも三歩になります。

⑤詳伝では、仕は居敷きながら後ろを向くとされています。
立身流では、仕は逆胴を強く斬り、その結果、目は敵を見ていますが居敷いたときに身体は後を向かず、正眼にも構えません。立ち上がったとき正眼をとります。

4、現今行われる警視流四本目巻落は一見して立身流巻落と相当異なります。
これは、教範の記載の影響によるものと思われます。
私の知る限り、教範に初めて「一文字ノ構」という立身流にはない名称の、立身流にはない構え方が記され、その後の文献例えば、後記資料(八)の昭和46年発行「警視庁剣道教本」などに踏襲されています。現今の演武はこの「一文字の構」でなされているようです。
しかし平成15年発行の資料(十)では、方書の記述が収録された結果、正しく「中段ノ構」とされています。

5、教範の記載する警視流四本目巻落と立身流巻落との相違を示します。番号は通し番号です。

⑥教範では、「打上段」となっています。右か左か不明です。
立身流では左上段です。なお、後記⑩を参照して下さい。

⑦教範では、「仕一文字」、『仕太刀「眞一文字」ノ構トナル(右手ヲ肩ト水平ノ處ニ伸ハシ太刀ヲ水平ニス)』となっています。前述のとおり立身流にはこのような名称も、このような構え方もありません。
立身流では平正眼です。
なぜこのような誤解が生じたのかは不明ですが、平正眼という微妙な構が、構だけの態様として、心理学上にいわゆる「強調化」された結果かもしれません。

平成27年10月3日、鹿島神宮武徳殿に於て、天道流薙刀木村恭子宗家から、実技を含め御教示を受ける機会を得ました。
天道流の一本目の形名は「一文字の乱れ」であり、「一文字の構え」という基本の構えから始まるとのことです。或いはこの天道流の薙刀による構と技が形を変えて混じり込んだのかもしれません。
立身流長刀には、「一文字の構」という名称の構はありません。

平成28年4月1日、禮樂堂に於て、小野派一刀流笹森建美宗家から、実技を含め御教示を受ける機会を得ました。
後記資料(七)の293ページに「一文字」とあり、又、詰座抜刀の解説中の295ページに「横一文字」とあります。詰座抜刀には「縦(たて)一文字」というものもあるとのことです。しかし、いずれも現在行われている警視流の「一文字」「眞一文字」とは異なる技や構です。
ところが、同書559ページに「真剣」とある写真の構は、正に警視流の「一文字」の構のようです。笹森先生によりますと、この写真は、真剣(信剣)(同書253ページ)の一つの形態ともいえる「大正眼」だとのことです。真剣には上、中、下とありますが、その「上」よりも高く刀が位置するのが大正眼だそうです。

以上、警視流で行われる一文字の構の実態は、一刀流の大正眼である可能性が強いと思われます。

⑧一文字の構という立身流にない構をとった結果、その構えのままでは立身流の巻落の技を使うのは難しくなります。
仕が「右手ヲ肩ト水平ノ處ニ伸ハシ」ている状態での間合の下、受はどのように攻撃するか、受にとって適切な間合がとれた上で受の打があったとしても、仕が「右手ヲ肩ト水平ノ處ニ伸ハシ」たままで打太刀(受方、受)の刀を受けたのでは、仕の受ける動作自体不自然にならざるを得ません。
また、摺り込みが難しく、敵の鍔元にくい込む巻は困難です。敵の鍔元にくい込む巻をするためには、ゆるんで余裕のある肘を伸ばす動作が必要です。
その結果、警視流では刀と刀の摺り合わせがなく、仕太刀(仕方、仕)は、自分の刀の一点で打太刀の刀の一点を押し回すことになると思われ、現にそのような演武がされているようです。
摺り技は双方の刀身の相当部分が摺りあうものです。
前掲拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』を参照して下さい。

⑨教範では、立身流を立心流と誤って記載しています。

⑩教範では、「仕太刀カ上段ヨリ右足ヨリ進ミ」となっていますが、打太刀(受)を「仕太刀」と誤植しています。
また立身流では、右上段の場合に前足の右足より進むのが原則なので、ここでいう上段は右上段を示すかと思われます。とすると、立身流では打太刀は最初は左上段をとりますので、立身流とは異なることになります。前記⑥を参照して下さい。
教範の記載は、他にも打と仕が混同されていて、意味の通らない箇所がいくつかあります。

⑪教範では「太刀ヲ大キク・・・正面ヲ・・・打チ・・・上體ヲ前ニ屈メ・・・」となっています。
立身流ではこのようなことはありません。常に「竪1横一」の姿勢です(拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ」参照)。
立身流で打突後に上体を屈めることはありません。

6、他方、教範の記載する警視流巻落と立身流巻落とで共通する点もあります。

A 教範には「物打ヲ鍔際刀腹ニテ受ケ、「エイ」ニテ巻キ落シ」と記載されます。
言葉だけで言えばまさにそのようになるでしょう(ただし、『「エイ」ニテ』は異なります)。
問題は、「受ケ」までの経過態様、「受ケ」の態様、「巻落シ」の内容態様等で、それら肝心なところが記されていません。
そもそも言葉や文字で形を完全に表現するのは不可能です。その結果、当然、復元には限界があり、肝心なところ、しかも至極の段階での武芸の微妙さを復元することはできません。完全な復元はまずありえないということです。

B 「右足ヲ大キク引キ・・・脇構トシ」
これについては前述(④)しました。

C 二太刀目に、仕太刀が「左右左ト三歩」、打太刀が「肩上段ヨリ右左右ト三歩」進む。
同じく前述(④)しました。

7、立身流巻落と現今の警視流巻落の演武とを対比したその他の相違を示します。番号は通し番号です。

⑫受が肩上段でなく上段でもなく、八相しかも相当低い位置にとられていることがあるようです。「脇構に対するのだから八相」という理解かもしれません。
仮に八相をとる場合、その八相に体格などにより相違がでるのは当然ですが、極端は避けるべきでしょう。

(四) ここで摺り技での要諦を確認します。
それは、我が刀の鎬の相当部分を敵の刀の相当部分に擦り合わせる技で、しかも我剣先で敵の鍔元を攻めることが肝要です。
前掲拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』を参照して下さい。

(五) 警視流に於る摺り技
警視流剣術全10本のうち、摺り技と思われる技を含むものは5本に及びます。
詳伝の記述を挙げたうえ、その内容につき触れてみます。
私は立身流以外の流派については門外漢ですので、巻落以外の警視流剣術の内容についての記述は、詳伝等の資料の記載のみを前提とし、立身流の見地から可能な限り理解しようとしたものにすぎません。

第一 八相 (直心影流)

「気合にて太刀を摺合す」(詳伝)

いわゆる「気あたり」としての相上段からの摺合せかと思われます。

第二 変化 (鞍馬流)

「頭上へ打込まれし太刀を受留め摺落し直に敵の胸部へ突込む」(詳伝)

先代鞍馬流宗家柴田鐵雄先生から、「へんげ」ではなく「へんか」と読むとお教えを受けました。
詳伝に使われる「摺落し」の語が、まさに立身流の張を意味していることは拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』に記載したとおりです。
日本剣道形小太刀三本目にも「摺落し」の語が使われています(後記資料(四)及び資料(五)参照)。その動きは小太刀で立身流の張落をするにほかなりません。
警視流の変化の形は立身流の張の動きを含むものです。
立身流では、上段からの撃を張落しての突は立身流剣術表之形の序之形で修練されます。突を張落しての突は破之形に含まれます。この時の突は受方仕方双方とも小走りの状況下で繰り出されます。拙著「立身流之形第一巻」(後記資料(九))を参照して下さい。又、後記の第五を対比して下さい。

第三 巻落 (立身流)

「頭上へ來る太刀を巻き直ちに胸部へ突込む」(詳伝)

拙稿『立身流剣術表之形破と「手本柔」(立身流變働之巻)』に詳述したとおりです。張と併せて参照して下さい。

第五 下段の突 (北辰一刀流)

「敵突来る太刀を鎬を以て殺し其儘胸部を突く」(詳伝)

詳伝の記述122ぺージより引用します。

「すり上げて面を打つのは至極なり
すり落しからつきも亦妙

・・・すり落しとは敵の突き来る太刀を殺し我が太刀を生かして突くを謂う・・・」

即ち、この技も張です。
立身流と対比すると、立身流の破之形(乃至急之形)では、まず受方仕方の双方が走ります。そして受方(打太刀)が八相から中段に代わって繰り出す突を、仕方は脇構から下段(立身流の下段は刀がほぼ水平)に変えてから張落し突返します。それも、間合によっては、一歩退くことなく受け、張り、突返す技を一瞬で使います。後記資料(八)を参照して下さい。又、前記第二を対比して下さい。
只、詳伝でもノートでも、この形についての表現は「鎬を以て殺し」とだけあって、「摺」の語が書いてありません。「摺」の語が使われてないのは方書でも同じです。
この点から考えますと、この技は、あるいは摺技でなく、萎(なやし)技であるかとも思われます。

第十 位詰 (鏡心明智流)

「受、(仕が)頭へ打込み来る時左り足を引き太刀を打合す力足らずして太刀を摺落さるゝなり」(詳伝)

この位詰は、仕の攻撃と同時に、受も摺技を掛けつつ同時に攻撃する技のようです。
としますと、敵我双方が同時に面を斬っていく立身流五合之形二之太刀と同じです。
ただ、立身流では摺技を仕掛けた仕方の技が成功し、敵の動きに併せて面を撃つ仕方が勝ちます。後記資料(九)を参照して下さい。
これに対し、警視流では摺技を仕掛けた受の技は不成功に終り、受の「力足らずして太刀を摺落さ」れ、受が負けます。受が「左り足を引」く故と思われます。拙稿『立身流変働之巻に於る「躰用者則刀抜出体抜」』を参照して下さい。

(六) 立身流から見た警視流木太刀之形の体系の一端

1、このようにみてきますと、摺技のみに関してでも、立身流の形の体系と警視流の形の体系との間に親近性がみられます。
警視流の前記5本の形を、立身流の表之形の前斜、張、巻落、そして立身流五合之形二之太刀と対応させてみます。

第一 八相
「摺り」の基本を示すものとしてみれば立身流表三本目の前斜に対応させることができます。

但し警視流八相は摺上技にまでは至っていません。

第二 變化
立身流表四本目の張に対応します。但し、突に対しての張でなく面撃に対しての張である点からすると厳密には立身流序之形の張に対応することになります。

立身流の視点からは、立身流の張落と同一です。

第三 巻落
立身流表破之形五本目巻落そのものです。

第五 下段の突
突に対する張落し突で、立身流表之形破の張と同一です。

但し、この形は前記のとおり、萎技であるかもしれません。

第十 位詰
立身流五合之形二之太刀に対応します。

しかし、前記の通り、摺技を掛けようとした側が逆に摺落される、という意味では立身流と結果が逆になります。

2、警視流は正に、当時の最先端をいく剣術諸流儀の奥義を抽出したものです。
摺技だけをみても、秘伝中の秘伝の粋を集め、体系化されています。
その配列は、基本的なものから、より微妙精妙な技に移行する順序となっているといえます。
立身流と対照しますと、摺技の面だけでも、警視流剣術全10本のうちの5本が、立身流剣術表之形破全8本のうちの3本および立身流剣術五合之形5本のうちの1本の計4本と対応させることができ、その配列順序の体系もほぼ同一思想に立脚しています。
警視流を組んだ先人の修業、力量、見識の程が偲ばれます。

五、柔術

(一) 柄搦
1、警視流柔術の資料
後記資料(十一)及び資料(十二)によります。
資料(十一)の序に、資料(十)の著者が「・・・拳法圖解・・・井ノ口氏ト會シ二三ノ修正ヲナシ其好意ノ在ル處ニ任ス・・・」と記しています。
又、同じ資料(十一)に、その著者井口松之助が編者名下での諸言として「・・・久富先生・・・ノ望ミノ儘ニ綴リ・・・」としています。
このように両書は、文章や図は異なっても内容はほぼ同一で、柄搦に関しても同様です。

2、警視流柔術柄搦の内容
資料(十一)及び資料(十二)を参照して下さい。

敵が我剣を引き抜こうとして我剣の柄を握ったその敵の両手を、我も両手で柄もろとも握り込んで固定し、まず右上方向に柄を突きあげて敵両手の逆をとって痛めつける。更に、敵の右手を確保したまま、柄を我からみて敵右手の下、左、上、右、下と回して敵右手首を捻って極め、敵を俯せに地に固める。

3、対応する立身流俰(やわら)での形の内容および名称
(1)内容
上記警視流柄搦と同一です。

(2)名称および立身流俰(やわら)での位置
「柄搦」の名称は立身流俰目録之巻の中にありません。
しかし、立身流第17代宗家逸見忠蔵の「立身流之秘」(安政5年戌午10月吉日筆)の中の記載に「柔術表形居組」として「右位 首位 胸痛 寄壁 自故 額倒 柄取三」とあります。
立身流俰目録之巻の居組は前記の右位から額倒(かくとう)までの六ヶ条なのですが、これに「柄取三」が加えられた形です。
この柄取三の内の一つが「柄搦」として警視流に採用されたものです。
警視流柄搦は立身流俰(やわら)の体系からすると、立身流俰目録之巻第一条右位、第二十一条小手折之事の系に連なり、直接には第六条額倒の応用です。従って、上記逸見忠蔵は上記のように記載したものと思われます。
本来ならば立身流俰目録第四十一条乱合之事(拙稿『立身流に於る 形・向・圓・傳技・一心圓光剣・目録「外」(いわゆる「とのもの」)の意味』参照)に括られるものに名称をつけたわけです。

4、立身流俰(やわら)と警視流柔術における他の共通点
資料(十一)には「左足ヨリ踏出スヲ法トス」、資料(十二)には「・・・直立・・・常ニ歩行スル時モ稽古ヲナス時モ左リ足ヨリ徐々ト進出ルベシ」と記載されています。
まさに立身流礼法、立身流術技全般と同じです(拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』、及び、前述居合の④参照)。

(二) 早縄(はやなわ)
1、資料(十一)及び資料(十二)によれば、警視流柔術には捕縄(ほじょう)、活法(かっぽう)が付加され、早縄の一に立身流が採用されています。

2、内容
敵を俯(うつぶせ)に組伏せて右手を捻り上げ、捕縄の蛇口(拙稿「立身流に於る下緒の取扱」参照)を敵の右手首に掛け、敵の首に右巻に一巻したうえ、敵の左手首に結びつける。
敵が暴れるほど自分の首を絞めることになります。
さらに暴れたり逃走の気配のあるときは、足の親指一本に縄の残りを結いつけます。

3、立身流には捕縄として早縄7筋(すじ)本縄(ほんなわ)14筋の併せて21筋の捕縄があります。
しかし、加藤久第19代宗家宅の倉の火災で縄人形が全て焼失し、その詳細は不明となってしまいました。
捕縄の各流の内容には似通ったものが多いと伝えられていますが、上記警視流早縄は立身流逸見宗助によることが資料(十一)及び資料(十二)(これにのみ立見流と誤記されている)に記されています。
資料(十二)80ページに記載される「武藤廸夫先生」は立身流門です(拙稿「立身流門を主とした佐倉藩士と警視庁」参照)。
立身流でも本縄の掛け様は掛けられる者の身分によって異なっていました。
半澤成恒立身流第18代宗家は加藤久に教伝の際、「間違えてしまっても『てまえ、ご流儀でござる』といえばいいのだ」と述べています。
加藤髙立身流第22代宗家の少年時代(大正期)の立身流門に捕縄の名手がおり、暴れる者をグリッ、グリッとたちまちきれいに縛り上げ、見事だったそうです。


資  料 (通し番号で示す)

一、居合および剣術関係
(一)、「警視廰劍術組大刀之方書 全」(本文では方書(かたがき)と略称) (立身流所蔵の写(コピー))警視廰本署 撃劍世話掛 明治19年6月
(二)、「剣法至極詳伝 全」(本文では詳伝と略称) 木下壽徳著 大正2年6月25日発行
(三)、加藤久立身流第19代宗家自筆ノート(本文ではノートと略称) 大正初期記載分より
(四)、「剣道」 高野佐三郎著 大正4年2月11日発行
(五)、「日本剣道教範」 高野佐三郎著 大正9年1月15日発行
(六)、「剣術教範詳解」(本文では教範と略称) 陸軍戸山学校剣術科著 昭和10年12月20日発行 昭和14年2月15日4版発行
(七)、「一刀流極意」 笹森順造著 昭和40年11月15日発行
(八)、「警視庁剣道教本」 昭和46年11月30日発行 編集者 警視庁剣道指導室 発行者 警視庁警務部教養課
(九)、「立身流之形 第一巻」 発行日 平成9年12月14日 著作者 加藤 高 加藤 紘
(十)、「剣道の歴史」 2003年(平成15年)1月18日 第1刷発行 編集・発行 財団法人日本剣道連盟

524ページ以下に、八戸図書館が所蔵する方書筆写の文に句読点を付して転載(警視流の居合および木太刀之形)

二、柔術関係
(十一)、「拳法圖解 完」 明治21年1月出版 著者 東京府士族 久富鐡太郎
(十二)、「早縄活法 拳法教範圖解 全」 明治31年5月17日発行 著述者兼発行者 井口松之助


参  考

立身流秘伝之書より(明和元甲申晩秋一鏡堂源水跋(立身流第11代宗家逸見柳芳、1764年)筆)

太刀構常三ケ之傳

常     無備     心備
上段構   中段構    下段構
直偽撃   清眼詰    前斜寄

夫太刀之構 如備 分而不別 用動常也 呂望曰 用莫大於玄點・・・

たちのかまえつねなるさんこのでん

つね        むび        しんび
じょうだんがまえ  ちゅうだんがまえ  げだんがまえ
ちょくぎのうち   せいがんづめ    まえじゃより

それ、たちのかまえは、そなえのごとし。わけてわけず、もちいてうごくはつねのことなり。りょぼういわく、もちいるにげんてんよりだいなるはなし・・・


追  補

警視流の剣術と居合につき、「史料 近代剣道史」(著者 中村民雄、発行所 株式会社島津書房、昭和六十年四月三十日 発行)304頁以下に、「警視流形(室井秋治解説)」が、「(室井秋治偏『警視流』。昭和五年四月ガリ刷)として掲載されています。
その304頁に、剣術四本目巻落について、「仕中段(一文字構)」「一文字構巻キ落シ気當斜構引キ胴」との記載があります。
また、308頁には「仕太刀、眞一文字ノ構トナル。眞一文字トハ右手ヲ肩ト平行ノ処ニ伸バシ太刀ヲ水平ニス。」と記載されています。
なお、「…仕方ノ突ク時右足ヲ左足ノ後方ニ引キ肩上段トナリ…」と記されていて、立身流独特の用語である「肩上段」の語を見ることができます。

以上

立身流剣術表(之形)に於る足どり

立身流第22代宗家 加藤 紘
[平成27年11月1日掲載(禁転載)]

第一、立身流剣術表(之形)での足どりの態様

1、はじめに
ここで言う「足どり」とは、立身流剣術表(之形)に於て、斬撃突などの前及び後の足蹈のことで、主にその速さの面での態様の種類を意味します。
この足どりが、剣術表(之形)以外の形や他の武技の足蹈に応用されます。
武道の技は斬撃突極(きめ)中(あて)投(なげ)等の行為のみで成立するのではありません。その前後の行為と一体をなし、一連となって初めて意味を持ちます。ひいては戦場ばかりでなく、日常の行為と関連し、礼法(立身流礼法)へと連なることにもなります。

2、立身流剣術表(之形)での足どりの態様の種類
足どりは次の5種類に分類されます。

① 静歩(せいほ)
 通常よりもゆっくりした歩みです。可能な限りゆっくりした動きもここに含まれます。
② 常歩(じょうほ)
 通常の速さの歩みです。
③ 速歩(そくほ)
 通常より速く、しかし走るには至らない歩みです。
小走り
 いわゆる小走りと同じで、帯刀しての通常の走り方です。
走り
 できる限り速い走りを含む走りです。この走りは帯刀の取扱いに難があり、しかも武道での走りはスピードを競うわけでなく、速ければいいというものではないので、通常は行われません。

3、足どりの種類間の相違点は速度(及びこれに関連する体勢)だけです。
したがって、足どりの種類にかかわらず、常に足蹈の原則をみたしてなければいけません。
その内容は、拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」及び「立身流に於る足蹈と刀の指様」に述べたとおりです。

4、立身流剣術表之形の修行や演武の場合、足どりの種類を明確に判別して動かなければなりません。実戦や応用でこれが崩れるときもありますが、基本となる形のうえではその違いを崩してはいけません。
小さい差異でもその差異をはっきり認識でき動きをすることで初めて稽古と言えます。違いをはっきりさせない稽古は、はっきりさせるだけの力量のない者がごまかして曖昧にしているだけで、稽古とは言えません。そしてその違いが全体としての動きに冴えを生じ、かつ美を生ずることになります。

第二、立身流剣術表(之形)での足どりの方法

1、立身流剣術表(之形)序(之形)(6本。陰を含めて8本)での足どり
受方仕方ともに(以下、指定のない場合は同じ)、常に静歩を原則とする。仕方の位詰により受方が後退するときは常歩でもよい。

2、立身流剣術表(之形)破(之形)(提刀の向と圓を含む8本)での足どり
張以外は打間に入るまでは常歩。張で打間に入るまでは小走り。
打突の後、位詰する仕方は静歩、後退する受方は急歩。
中央に戻るのは小走り。
開始の位置に戻るのは常歩(又は静歩)。提刀の二本は納刀してから開始の位置へ戻り始める。

3、立身流剣術表(之形)急(之形)(提刀の向と圓を含む8本)での足どり
打間に入るまで、全て小走り。張は破の場合と同じになる。
その他は全て破と同様。

以上

立身流変働之巻に於る「躰用者則刀抜出体抜」

立身流第22代宗家 加藤 紘
[平成27年11月1日掲載(禁転載)]

第一、本稿は拙稿『立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)』及び『立身流居合に於る 鞘引と鞘(の)戻(し) ~立身流歴代宗家の演武写真を参考にして~』の続編です。

「刀抜時有両个之秘事 一圓抜 二躰用也 圓抜者則自之手本柔 他之打處強之理 躰用者則 刀抜出体抜 ・・・是又為使打處強之義也・・・」

(かたなぬくときにりょうかのひじあり ひとつにまるいぬき ふたつにたいようなり まるいぬきはすなわちみずからのてのもとやわらかに たのうつところつよきのことわりなり たいようはすなわち かたなぬくときはたいをいだしてぬくなり・・・これまたうつところつよからしむるためのぎなり)

第二、「躰用者則 刀抜出体抜・・・是又為使打處強之義也」(立身流變働之巻)

1、意味
刀の位置全体が前方へ移動する勢いを利用して強く速く撃ち、斬り、請流し、技をかけます。
そして、その勢いは身体全体が前へ移動することから発生するものが一番重要です。すなわち、刀を抜くときは身体を前に出しながら抜く、これが体の用い方の原則です。
その為には、抜刀は歩きや走りに乗っていなければいけません。前に歩きながら、あるいは走りながら抜く、言いかえれば、蹈出しながら抜くわけです。
左右への転身の場合も同様で、左右へ蹈出しながら、そして少しでも敵に近づきながら刀を抜いて斬ります。

2、刀の位置全体を前方に移動するにはどのような方法があるのかまとめてみます。
①前に蹈出す。

上記のとおりです。本稿で述べます。
②蹈出し以外の体幹の動きによる。

別稿「立身流居合に於る鞘引と鞘(の)戻(し)」で説明したとおりです。
③柄を握り込む指、(特に左手の)小指薬指を締め始めることからはじまり、手首のスナップから肘、肩の伸びなど、そして体幹全体の鞭のような柔かさ(しなやかさ)の利用(動画「伝統を受け継ぐ総合武術 立身流」での私の四方の演武参照)。
④他方、刀を前方に伸ばすため足蹈がないまま上半身だけを前に傾けたりして、姿勢を崩してはいけません。竪1横一に反します。

第三、間合との関係

武道では間合が絶対と言っていいほど重要です。
刀術で最も良い間合は刀の物打で斬撃し得る間合(向と圓で少々異なります)ですから、これより近い間合に入ってしまっている場合は、原則として敵に近づくのでなく逆に退かなければなりません。
その場合、居合の向では左足を進めるのでなく右足を退きます。居合の圓では右足を進めるのでなく左足を退きます。
しかしこれでは「刀抜出体抜」に反します。
そこで、大切なことは、はじめから「刀抜出体抜」けるように間合をもっていくことです。
退きながら刀を抜くのはそれが不可能だったり、その余裕がなかったり、万やむを得ない場合のみに限られます。

第四、斬撃の際の「前に蹈出す」(前記第二、2、①)の稽古方法

立身流居合の表之形の立合の序の残心動作の中に「蹈足」という動作があります。「足蹈」のなかでも特殊な意味を持つ用語です。
これにつきましては、拙稿「立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~」及び「立身流に於る 足蹈(あしぶみ)と刀の指様(さしよう)」並びに前記動画を参照してください。
刀を抜く際、すなわち斬撃受流しの際の、地球を蹈み、地面を貫くような強く厚い足蹈を自得する稽古方法です。

第五、「為使打處強」の他の方法

1、強打(豪撃・こわうち)
立身流居合の表の序および破では強打という斬り方をします。
前記動画での私の演武を参照して下さい。

2、その動画のように大きく左旋回させるのが基本(左<之>圓)ですが、右旋回させる場合(右<之>圓)もあります。
大きく左旋回させて敵の左袈裟に斬る場合や、大きく右旋回させて敵の右袈裟に斬る場合もあります。
居合では正面を斬り下げるのが基本ですが、立合にしても居組にしても、左右の袈裟斬もしなければいけません。
又、小さく左旋回させて敵をその右袈裟に斬ったり、小さく右旋回させて敵をその左袈裟に斬ることもあります。
剣術での強打は、同時に敵の刀を鎬ぐ意味合いもありますから、袈裟斬になるのが通常です。
なお、袈裟斬には上、中、下とあり、いわゆる横面、袈裟、上腕部や胴まで含まれます。

3、立身流居合の表の急では強打を用いませんし、振り上げた刀の剣先が手より下の位置にくることはありません。
しかし、旋打から始まる履修過程で身に着けた強打の技、柔(しな)やかさがそのまま急の斬撃に発現し、強打と同じ威力を発揮することになります。
前記動画での私の演武(向の序破急)で対照して下さい。

以上

2015年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

以先戒為宝

立身流第21代宗家 加藤高
月刊「武道」2001年12月号 pp.10-11
[平成24年10月30日掲載/平成26年1月30日改訂]

以先戒為宝

「以先戒為宝」(先の戒めを以て宝と為す)という不肖の座右の銘の由来は甚だ古く、嘗て幕末から明治時代における旧佐倉藩出身の立身流の名剣士逸見宗助の創案によるもので、逸見の自書自刻の扁額を立身流18代宗家半沢成恒に贈呈し、半沢より19代宗家加藤久に伝承され、20代加藤貞雄を経て小生に伝来されたものである。

「先」とは勿論「三つの先」、即ち(一)先々の先 (二)先 (三)後の先 を指向しているもので、就中立身流では「先々の先」を最も重要視しており、立身流立合目録之巻にも

  • 先々の先こそあれば後の先も後の先として先々の勝

と明記されている。

なお『三つの先』の定義については、流派により多少難解の箇所もあるやに見受けられ、論議もあったようであるが、立身流では左記の如く定義されており、戦前の陸軍戸山学校でもこれを定説としてそのまま採用されていた。即ち、先の位(気分)とは機先と同意義で常に攻勢の気分にあることを謂い、「先々の先」とは敵が撃突を実行する以前、まだ計画、考慮の状態にあるとき、これを撃突することを謂う。「先」とは敵が撃突してきた場合にこれに関せず、撃突することを謂う。「後の先」とは敵が我に先んじて撃突してきた場合に、撃払または抜いて撃突することを謂う。

但し特例として注意すべきことは、一見して外観上いかにも「後の先」のように見えても、当方が完全に主導権を確保して終始充実した気分と気位により敵を制圧して、引きまわし、敵が苦しまぎれに余儀なく撃突してきたのを外して勝った場合は、外見上の技法にはこだわらずに、内面の心法を重視して、立身流では「先々の先」としている。

逸見宗助の剣風は一世を風靡し、無刀流の山岡鉄舟も「剣客は澤山あるが逸見だけは真の剣を遣う」(堀正平著『大日本剣道史』51頁記載)と賞賛しておられる。

近世あまねく剣道界周知の達人、高野佐三郎先生は青年時代警視庁師範の頃、逸見宗助とは格別昵懇の間柄であり、雄渾無比の高野の上段の神髄は、この逸見より会得するところが多かったと述壊されている。晩年半澤成恒は中風を病み剣を執らず、加藤久の稽古を高野佐三郎に依頼した。

後年高野先生はこの逸見宗助の座右の銘の記載された扁額を見ていたく感嘆してやまず、自作の漢文の賛を加藤久に贈られた。

蓋し高野先生の卓越せる漢学の素養にも感銘せざるを得ないので、ここに原文のまま転載する。

門弟加藤氏下總人也傅
於先師逸見宗助先生所
刻扁額來示余讀之所
言剣之至理而所述達人
味到之眞諦也即應求
賛之賛曰

樂而不忘今思茲
懐而不盡今煥規

昭和甲申季夏
高野佐三郎 

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流居合(下書き) 未完

立身流第十九代宗家 加藤久 論文
(転載不可)


立身流第十九代宗家 加藤久

居合の直接の目的は鞘離れの勝負に於いて敵を制するにある。此の為には如何なる突発の場合の際會しても動せず決して外界に支配されざる精神即ち平常心を養う事は根本である。

かくて敵の精神を察知する事も出来、それに對處する臨機の處置も誤るなし。居合の究局は刀を用ひずして敵を屈し自己の正道貫徹するに至るべきは左の道歌に依っても明らかなり。

  • 鯉口の離れ際こそ大事なれ 抜かずに切れよ 抜いて切るまじ

進んでは大悟徹底して爭心を去り仁者に敵なきの境地も至るべきかとも思はるれど常人の望み得べき處にあらず。

殊に社會國家の一員としては尚更然りとす。

此の精神の修養は至極困難なる事なれど..

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

居合刀の拵、元結切り、大豆切り、小豆切り、篠竹切り

立身流第十九代宗家 加藤久 遺稿
(転載不可)


立身流第十九代宗家 加藤久

一. 昔の居合刀

作りは質素で丈夫と安全とに意を用ひました。堀田正睦公の用刀でさへ銅作り(尤普通の銅では無いさうです)です。握りは栗形の下までも一帯に飾りなく厚板で巻き栗形までも被ってあります。握内の刃部の木質の損ぜぬ様に口金に接して細幅の銅板を曲下して一つには安全を期したそうです。刃で鯉口を斬る事は禁物ですが抜くにも納めるにも摺れあふ音のしますのは意に介しませんでした。半澤先生の居合刀は空鞘のかかりました総てが至って粗末な物、逸見忠蔵先生の弟脇谷啓之助先生はやはり名人と稱されました。 居合刀は四寸餘と覚しく幅廣の大分重いものを用ひられました。

一. 元結切り

どんな場合にも抜損じの無き様に正しき抜方と抜く力をつける為に練習しました.まづ鍔の小柄穴から栗形の穴へ通して良質の元結を結びて抜きながら引き切ります。二本なら廻して結へるので四本になります。漸次数を増して五本にも至ります。普通の栗形ではもぎとれてしまひます。握りの銅板を打ち出して栗形を被ひます。細工は困難ですから鉄の胴輪へ仝じ栗形をとり付けてはめ込みました。柄を胸に近くして右手で引き抜く力と左手を強く握りつつ押す力との一致がなくては四、五本に及びますと仲々切れません。

一. 大豆切り

切臺の上へ大豆を一粒づつのせて抜き打ちに切ります。体の備へと共にぢっと見詰めました時に定まります。抜いてからねらっても及びません。あまり強く切付けますとくるひ勝ちです。長大な刀では幾分困難の様です。切損じて心の平静を欠いては最早いけません。もう切れません。何も豆のような小さな物を切る必要は無いわけですが刀は眼でねらって切るものでは無いといふ事を知らしめると共に心を修めさせるためでせう。私は苛って切り付けて刀をいため、刀をすて居合もやめようなどゝ其際は思ひました。

一. 小豆切り

大豆が十に七、八の修練に達しますと小豆を切る事に移ります。

一. 篠竹割り

篠竹を地上に立てて抜き打ちに割りさく、指ほどのものでもさくっと下まではむつかしく思はれました。古人はこれをさっと割りましたでせうか。

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流第19代宗家加藤久の成瀬関次根岸流第3代宗家への返信 下書

立身流第十九代宗家 加藤久 論稿
昭和15年 (転載不可)
[]内は加藤紘による加註


立身流第十九代宗家 加藤久

謹啓

春色日々かはりました。先生には愈愈御健勝にて大非常時下各方面に御盡瘁遊ばされ慶賀奉ります。すっかり御無沙汰に過ぎましたが、私は一昨年冬から健康を損じまして未引籠って居ります。相済まぬやうに存じますが致方ありません。次男が南支に御奉公を励み居ります事と長男が教務の餘暇は居合に出精しまして同志と稽古を致しますのをせめてもの心やりとも楽しみとも致して居ります。

扨、御高著「戦ふ日本刀」および「刀と剣道」誌上切れ味の神秘拝読仕り先生の古今に精通され、事実を極め盡され犀利なる御観察と明確なる御断定唯々敬服拝読仕りました。唯未熟の拙技御嘉褒に過ぎました丈は、恐縮慙愧に堪えません。厚く御礼申述べます。

御意見悉く思ひ当たる所がありまして御尤もと存じます。弊流の恩師より伺ひおきました点御参考に相なりますまいが記します。

佐倉藩には五流の剣道場がありましたが居合を剣道と併んで重視しましたのは立身流でありました。刀の様[ため]しは大体ここで行はれました。とりわけ藩士の刀工の細川 遠藤の両家が門下でありました関係上鍛刀は一々様[ため]されました。

一、棒様[ぼうだめし] 焼きを入れました黒打ちのままのを中心[なかご]に柔い布を巻きて前に立てて持ちこれを半棒を振って力一杯横から打ちます。 折れるか否かを第一とするのであります。 曲がるのを厭ひません(否、一振りでも曲がらぬものはありません)。 このために生ずるしなへも意としません。 先生の御意見と全く一致であります。
二、鍛冶とぎの上、切柄[きりづか]をかけ米俵の内俵に外俵と青竹を心として捲藁を作り切味を試みます。八分以上斬れば両側に下り口を開け良しとします。基本姿勢は真っ向から両足を八文字に踏み刀を冠って切下します。かくして始めて依頼者に渡されます。
三、外装を終わっての様しは佩用者の意に任せます。依頼に應じて各種の様しを致します。

先生の申されますやうに眞の刀の釣合柄の作り方等に依って利鈍の差も現はれますのでありませう。逸見宗助先生の父忠蔵先生は居合の名手でありまして脇差しの片手斬は右の大巻藁を両断されました。

物斬りは膽でと申されます先生の御説の通り力で腕で全身で眼で氣力で膽力でとも申しませうか何物にも支配されない境地に立ちますには膽が据わりませんでは叶ひません。ここに至りませんでは如何様なる妙技もまさかの時には役にたたなくなりませう。

物を斬るに見当を誤ると申されました事に就いて刃引きの居合刀で大豆斬り小豆斬り篠竹割と申す修行があります。これは切台に大豆を一粒載せて抜打に切割ます。一旦じっと見詰めますれば後はねらひも何にもありません。心の平静が肝要で動揺を起こしましては最早切れません。小豆に至っては一層困難が加はります。大筆程の篠竹を地に立て同じく抜打に割りますには眞に刃筋の正しさも加はらなくてはなりません。この修業は弓道も手裏剣も同じ事となりませうか。眼をたよるははじめの間の事で眼で見るは方便体にあり心にあると存じます。私はいら立った氣力に任せて刀を物打から前屈みに曲げてしまった事もあります。

刀の折れる箇所。私は現代刀では強い様を致しませんので一度も折った事はありません。本鍛えの刀でありますと一振りだけ堅物を斬って折りましたが刃まちからでありました。それも半だけで飛びませんでした。

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

居合術の目的と其の修行

立身流第19代宗家 加藤久 論稿

昭和11年2月25日
(転載不可)


剣道教士、居合術教士 加藤久

招魂祭や人出の場所に口上も面白く小手先鮮やかな小刀の扱ひからするりと抜き放つ野太刀の冴えで蟇の油を売る居合抜の面白さも今は思出の種とはなつた。居合とはかうしたものかと好奇心をそそつたがこれは単なる曲芸に止まるものであつたのだ。後に大家の技を拝見して其の真剣味と崇厳さと端麗なのに感嘆した。

余が立身流の居合術を半澤成恒先生に学んだのは12歳の時である。厳格な儀礼の下に刀を扱ひ毫末も敵に乗ずるの機会を与えず鞘離れの一瞬に斬倒すものであるが兜も割るの刀法は剣道にも必要である。何につけ未熟な自分は唯希望に燃え真心こめて正しく、遠く、強くと朝夕に稽古をつんだ。勤めて止まずんば奥妙に達せられないこともあるまい。

  • 深山にも開くや花の頃あらん 春のこころのよし遅くとも

畳は幾度となく擦り切った柄巻さへ何回か巻き換へた。元結止めの鯉口もふつと切り、抜打に大豆も二つに割るといふ様な事も試みた。寒夜を徹しての数抜きは昔語りの記録も凌ぐに至つた。

  • 鬼にても負けじと思ふ心にて 我が身の術をひとりみがかん

抜く手も見せずという早業も大事だが早いばかりが能ではない。静中に動あるべきを忘れてはならない。

  • 遅くなく疾くはあらじ重くなく 軽きことをばあしきとぞ知れ

技術は心のわざを待つて始めて精妙を発揮する。行住坐臥にも油断なく、七戒を去つて無意無我に入り暗夜に霜を聞くという心境にも達したいと精進をつづけた。

  • 不器用も器用も鈍も発明も 修行の末のみちは一すじ

業の進むにつれて幾分か心のゆとりもついた。求めて危地に入る憑河の勇も消えて平常心を保ち得るに至れるかしら。斬る事のみが目的でない事も分かつて来た。

  • 敵うたばただ受留めて平らかに 人をも斬らず勝つは抜合

武は戈を止むるにある。修練を積み実力を蓄え戦うの要なきに至るべきだ。

  • こひ口のはなぎわこそ大事なれ 抜かずにきれよ抜いてきるまじ

歳月は流れて不惑を過ぎた。進むにつれて彼岸は遠い。されど今ははや問ふべき恩師亡く学ぶべき先人もない。伝書を繙くも至らねば解し難い。流儀は異なるも心術に変りはない。

中山博道先生に随身した。

  • わけ登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ

斯術の真髄は卑近にして高遠である。終生志すも到達し難い。他なしわざを通して人格を陶冶し、人倫の大道をふむにあるのだ。克己礼譲仁愛和順を旨としつとめて心中の敵を去って外敵を作らず、大道を全うせんことを希ふべきである。

  • 居合とは人に斬られず人きらず おのれをせめてたひらかの道

(立身流歌等を借る)

※原文の旧字体を新字体に修正した。加藤久は、半澤成恒の勧めにより師事した高野佐三郎豊正より、大正4年1月吉辰付で一刀流兵法十二箇条目録を相伝されている。持田盛二、斎藤五郎等とも親交があった。数抜きは3万本を通している。

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立身流について

立身流第22代宗家 加藤紘
千葉県芸術文化団体協議会会報
平成17年9月1日 初出

立身流は永正年間(16世紀初頭)伊予(愛媛県)の人、立身三京に興り、千葉県佐倉堀田藩の藩士教育の重要部分を担ってきた総合武術である。刀術(居合と剣術)が表芸である。千葉県無形文化財に指定されている。分流が中津藩、忍藩、出羽松山藩等に幕末まで続いていた。

現代に伝わる古武道は、戦国時代の戦闘の体系化から始まるものが多い。戦闘は、準備段階での物見(測量、和算)、作戦(兵学)から始まる。馬に乗り、弓、鎗(やり)、長刀(なぎなた、→現代なぎなたへ)、刀術(居合→現代居合へ、剣術→現代剣道へ)、短刀、四寸鉄刀(しゅりけん)等、すべての得物を使いこなさなければならない。得物を失えば、落ちている棒(約6尺)、半棒(はんぼう、約4尺)を拾って闘い、それも失えば素手の俰(やわら、→現代柔道へ)で闘う。立身流には、そのすべてが包含されている。

実技の習得は、主に形(かた)の錬磨によりなされる。形は、動作の決め事で、闘いの経過を技毎に類型化したものである。師が撃ちかかり、門人がこれを対処する形式をとる場合が多い。一般的に、流儀の違いは形の違いに基づく面が大きい。

闘いでは、あらゆる事態に対応し、敵のどのような動きも制しなければならない。その種々雑多な動きから、すべての動きの素となる基本の動きが抽出され、純化される。これが形である。形は単純の中に千変万化を含んでいる。簡素の中に絢爛を包含している。そして、その洗練された動きが様式美を生み出す。

しかし、その美は、技だけでは全うできない。技を修得しても、いざという時にすくんでしまって動けないのでは意味をなさない。  そこで心法の裏付けが必要となる。技法と心法は表裏一体である。立身流俰極意之巻には「心目躰用一致」とある。心法での窮極の精神状態を立身流では「空(くう)」という。

  • 人も空 打たるる我も空なれば 打つ手も空よ 打つ太刀(たち)も空 [立身流理談之巻]

立身流では、驚(キョウ=おどろく)、懼(ク=おそれる)、疑(ギ=うたがう)、惑(ワク=まどう)、緩(カン=ゆるむ)、怒(ヌ=いかる)、焦(ショウ=あせる)を七戒という。これらの生じることなく、しかも満たされた精神状態が空である。立身流極意之巻には「満月之事」とある。

敵を含む環境が、満たされている我に合一化、一体化し、自然化する。そして、我は敵の心を知り、敵に近くなる。敵は我の心を知らず、我より遠い。我は敵を引き廻すことが可能となる。

形には教育課程としての意義もある。芸の習得には時間と数をかけねばならない。できれば心身の柔かい子どもの頃から正しい基本を身につけさせたい。立身流には、一つの形に序(じょ)、破(は)、急(きゅう)の三種がある。序は修行の為の形、破は実戦の形、急は崩しの形、といえる。

序の形に入る前に基本稽古がある。刀術でいうと、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)である。入門後三年間はこれら種々の基本稽古だけをするのが常法であった。姿勢、手之内、足蹈(あしぶみ)、発声法などなど、礎となる技を身につける為である。

また、現代合気道に似た形試合、現代剣道の稽古や試合に似た乱打(みだれうち)、現代柔道の乱取に似た乱合(みだれあい)等がある。

【参考】

1. 歌集「黒檜」所収 北原白秋(昭和13年9月15日)

立身流居合   

  • 真竹(またけ)を立身(たちみ)の居合抜く手見せずすぱりずんとぞ切りはなちける
  • 見たりけり斎庭(ゆには)に立つる青竹の試し切りこそうべなーと太刀

 

2. 心得「外(そと)」 (居合目録之巻、立合目録之巻、立身流刀術極意集)

  • (例) 立合目録之巻─門戸出入之事、気遣成所出入仕様之事、気遣成者行違時心得之事、主人召仕極時心得之事、主人エ急成時御刀上様之事 など全25カ条
  • 居合目録之巻─気遣成座敷居様立様之事、殿中提刀 など全13 カ条

(転載不可)

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