立身流に於る「・・・圓抜者則自之手本柔二他之打處強之理・・・」(立身流變働之巻)

立身流第22代宗家 加藤紘
平成24年度立身流秋合宿資料
平成24年10月20-21日
[平成24年9月10日掲載/平成26年6月16日改訂(禁転載)]

第一、はじめに

古人はあらゆることを考究実践のうえ体系を打ち立てています。背景もない現代人の軽薄な思いつきや思い込みとは次元が違います。立身流について言えば、武士への武道指導者、専門家、実務家、研究者として500年来の思索と実践の蓄積があります。この500年の間に全てがなしつくされています。

例えば、立身流には次のような道歌があります。

  • 先々の先こそ阿連ば後の先も 後の先としてせんせんの勝 [立身流立合目録之巻]

逸見宗助源信髙が本人の字で、本人の制作で「以先戒為寶」(せんのいましめをもってたからとなす)と扁額に記した、その戒の歌です(加藤高論稿「以先戒為寶」参照)。

武道における「先」は勿論「後の先」とか「先先の先」という語句も古くからあり、代々、研究に研究を重ねられて現在にいたっているのです。決して、現代武道に始まるものではありません。又、これらの語は一部の武技だけでの用語ではなく、武道全般に関わる言葉です。

「手(之)内」(てのうち)という言葉もそのひとつです。

第二、「手(之)内」(てのうち)

1、堅(ひきしまってつよい)と緩(ひきしまってない)

立身流直(ちょく)之巻は、「十一ヶ条三十三段之分」を中心に構成されていますが、その第八条は次のようになっています。

   手     内

堅     諸     緩

この条を含む直之巻の内容は、立身新流 序之軸にも記されています。新流は1590年代に分流し、江戸時代以降本流との交流はありませんでしたから、これだけでもその以前から「手内」という語があったことがわかります。

手之内には、堅い(ひきしまってつよい)のと、緩い(ひきしまってない)のと、堅くも緩くもないのとがある。どれが良くてどれが悪いというものではありません。しかし、堅いだけではいけない、緩いだけでもいけない。堅くなければいけない場合もあり、緩くなければいけないときもある。しかも手指は常に柔らかくしなやかでなくてはいけません。

特に難しいのは、緩でも堅でもない手之内から緩や堅へ、緩から堅へ、堅から緩へ、そして緩でも堅でもない手之内へ、と、一挙動のうちに、場合によっては何回も、瞬時に、なだらかに、変化しなければならないことです。「諸」とは、この自由自在な、しかも微妙な、変化を意味します。

手之内については、刀術、特に剣術で主に研究されてきました。剣術では敵の刀等を我刀で制御しつつ斬撃打突する場合等が多く、そのためには、左手と右手の手之内の相違などを含め、剣先や鎬の活用法をはじめとする精妙さが特に必要とされるからです。刀術の手之内が他の武技に応用されます。

2、身のこなれ

この動きを可能にするものは何か。

それが立身流にいう「身のこなれ」です。

手之内は、体全体の「こなれ」を前提としたうえで、手、指で握る際のこなれの現れ方です。手で武器を持つ、手を武器とする、手を守る、等、種々の場合における特殊情況に応じられるのは、「こなれ」た身体全体のおかげです。

「身のこなれ」は、立身流變働之巻では、「手本柔」と表現されています。

第三、「・・・まるいぬきは すなわち みずからの てのもと しなやかに たのうつところ つよきの ことわり なり。・・・」(たつみりゅう へんどうのまき)

1、柔(しなやか)と固(まわりがかたい)

手本(手之本)とは、手元からはじまる身体全体のことです。自分の手、手元は勿論、身体まで柔(やわ)らかくしなやかにすれば、斬撃打突等を強くできる。自分の手之本が柔(しな)やかでなければ、強く冴えのある斬撃打突等はできない。常に凝り固まらず、力まずに柔やかで、手之本が柔らかい。こなれた身、それが武道の身体です。

「柔(しなやかなこと)」の対語は「固(まわりがかたいこと)」です。

「緩(ひきしまらないこと)」の対語は「堅(ひきしまってつよいこと)」です。

「柔」と「緩」は異なります。「固」と「堅」は異なります。

手之内に関していえば、手をふくむ身体全体が常に固まらず、柔(しなや)かな状態を獲得できて初めて「堅」も「緩」も自在となります。

固いのはいけません。ところが、ほとんど全ての人が、特に右手が、程度の差こそあれ、固いのです。柄を握った右手の凝り固まっているのが、見ただけでわかる方がよくいます。特に、古武道修行者や居合を稽古する人に右手のゴチゴチの人がめだちます。立身流門も例外ではありません。これでは刀の操作もままなりません。

右手を含む「こなれた身」ができて、はじめて「我体自由自在」(立身流秘伝之書)が可能になります。

2、身のこなれと向(むこう)、圓(まるい)

そのような身体が武道の必須要件として要求されるのですが、特に立身流の圓抜で顕著に必要とされるのです。見た目、格好だけできても圓ではありません。

他方、向は手本(身体全体)の勁(つよ)さ、明確さを志向しているといえます。

圓、そして向の正しい修練を重ねるのが身体のこなれの質を高めていく近道です。

  • 日々夜々に向圓を抜ならば 心のままに太刀やふられん [立身流理談之巻]

向圓は立身流の基本中の基本であり、かつ秘事です。

3、身のこなれの質と程度

「身のこなれ」の質と程度は一見してわかるものです。流派の異同、武道種目の異同を問いません。静止していてもですが、動作に顕著です。例えば、立身流での歩みや走りの一歩目は、左足からが原則ですが、その一歩にすべてが示されます(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」の第五参照)。

4、身のこなれの現れ

「身のこなれ」は気品、品格にも通じます。

「形は人によって良くなる。良い形も人によって悪くなる。要は人だ。流儀の良し悪しも人によって決まってくる。」とは、先代宗家父加藤高の言です。一見難しいことを見事にこなしていたり、社会的評価が高く著名な先生方について、先代宗家加藤高は、間合などの問題点のほか「身体が、本当でない。まだ本物でない」と内々評することがよくありました。「実戦だったら・・・」の例え話つきです。

他方、中山博道先生の杖(立身流の半棒に対応する)での一突につき「その、真直ぐにすっと伸びるすばらしさ、美しさは表現し難いものだった」と、しばしば口にしていました。

逸見宗助は萬延2年(1861年)正月18日に、まず千葉栄次郎の下での稽古に入りましたが(後、桃井春蔵門)、坂本龍馬と接触があり、「龍馬の剣は、大きく、のびのびした、立派な稽古であった。」と語っていました。

俰の、電返(いなずまがえし)之事の稽古で父は、「電の如く、電光石火、敵の懐にとびこむのが要諦。国士舘の柔道の同僚で巴投の見事な者がいた」とのことでした。電返は柔道の巴投に対応します。ただ、初めから組んではいないことや、キンを中(あ)てたり、受身をとれないよう頭から敵を落とすなどの違いがあります(拙稿「立身流に学ぶ~礼法から術技へ~」の第四、構の1、及び2、参照)。

戦後剣道が解禁された頃、父が持田盛二先生と日本剣道形を撃った際、質問する父に対し、持田先生は「あなたぐらいになれば、自分の解釈にしたがうのが一番良く、それで十分です。」と述べられました(写真)。

持田盛二と加藤高の演武 /於 佐倉第二高等学校講堂(右が加藤高)

持田盛二と加藤高の演武 /於 佐倉第二高等学校講堂(右が加藤高) [立身流所有]

国士舘での父の後輩、二天一流今井正之先生については「今井は良いから真似するといい」と教えられました。

一突、一振、一足の中に全てがあり、全てが示されます。

第四、「手之本柔(しなやか)ニ」なるための稽古

1、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)と切返し

かつて立身流では、初心者には、三年間は、桁打(すなわち、向)、旋打(すなわち、圓)、廻打(すなわち、向と圓)しか許されませんでした。袋撓(ふくろじない)を用います。

戦前、先代宗家加藤高が在学した国士舘専門学校や、武道専門学校でも、新入生は一年間、稽古は切返しだけでした。今の高校三年生くらいの、それまで鍛えに鍛えられてきた猛者たちが、です。切返しは、立身流の桁打、旋打、廻打に対応します。

「みんな、死ぬ思いの稽古を繰り返したからな」との父の述懐でした。在学中の四年間のほとんどは基本稽古に費やされたのです。

これはすべて、「手之本柔(しなやか)二」し、こなれた身体を創り、同時に、技の基本を身につけさせるためでした。

武道の習得には、このようにした方が結局ははやいのです。というよりも、こうしなければ武道を本当には習得できません。基本が習得され、その結果どのような場面にも対応できる応用力が備わっている、それが専門家です。

但し、正しい桁打、旋打、廻打、切り返しでなければ、取り返しのつかないことになります。

2、稽古方法

「手本柔(しなやか)」になるには、疲れに疲れ、力を入れようとしても入れられない状況まで廻打等を稽古し、その情況下で更に、師匠の指導の下、正しい廻打等を繰り返すのが一番です。

当初は、ゆっくり、右手は勿論全身の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理のない、動きでです。

これを何年かかけて、速く、右手は勿論全身の力を抜き、大きく、のびやかに、真直ぐに、無理のない動きにしてゆき、さらにこれらを繰り返します。上達しても、稽古の最初と最後に行います。可能な限りゆっくりした動きから、可能な限り速い動きを繰り返します。

数を重ねていくと、次の歌が肌でわかるようになります。

  • 遅くなく疾(はや)くはあらじ重くなく かるきことをばあしきとぞしれ [立身流理談之巻]

このようにして、どのような事態にも対応し得る、こなれた身がつくられてゆきます。

本当の速度や冴えや鋭さや強さや美しさや品格はこうして身につきます。立身流や、戦前の武道家養成校はこれを実践したのです。

疲れ果てるまでの時間と機会がないばあいは、疲れ果てたとの想定の下で稽古します。

数をかけないで先へ進もうとする(速くしようとする、強くしようとする、冴えを出そうとする、等)と、崩れ、拗(こじ)れます。

3、子供の稽古と大人の稽古

子供時代からの稽古が有益なのは、単に稽古期間を長くとれるからではありません。子供の柔らかい身体と素直な心の下、身体の柔やかさとその感覚を維持しつつ、筋力をつけ、正しい技と力を身につけながら、大人になる迄たっぷり数と時間をかけて熟成し、柔やかにこなれた身体を創りあげる稽古ができるからです。子供にだけ可能な、大人には不可能な、質の高い稽古ができるのです。

その子供には無理な重い武器(刀等)を持たせたり、速く振らせようとしたり、強く打たせようとしたり、意図的にメリハリをつけさせたりしてはいけません。折角の子供の資質をそぎ取り、悪癖をつけさせるだけです。

大人はまず身体をほぐして柔らかくすることから始めなければなりません(その意味では女性の方が武道に入りやすい、と言えるでしょう)。そのうえで、自分の筋力を生かしながらも柔やかさを得る方法を探り、正しい技を身につけ、なおも筋力等の強さを身につけ、身のこなれをもとめていかねばなりません。

4、初心者の稽古

初心者は、武器を手にする場合は成るべく軽いものにする。軽いものを重く正しくのびやかに振ります。それを続けていけば重いものをも軽く正しくのびやかに振れるようになります。身体がこなれないうちは重い武器を手に稽古しないことです。袋撓(割竹の受方用でなく丸竹の仕方用を選ぶこと)が有効です。

立身流刀術の動きは、重く、長い刀にも適しています。抜打に斬る瞬間には既に両手で柄を握っているのが原則ですし、勿論、刀の重さ、長さ、反り、刃筋、鎬の存在等を生かし、これらに逆らわない自然な動きだからです。ちなみに、私の居合刀(真刀)は刃渡り2尺6寸3分、鞘を払った重量1.4キロです。息子の敦のそれは、2尺5寸5分、1.6キロです。敦の刀は、台湾に持参した全ての刀剣を残して戦後引き揚げて以降の、先代宗家加藤高の愛刀でした。

しかし、身のこなれと技が相当程度達成され、かつ、正しい稽古を続けるならば悪影響はない、と判断されるまでは、重い刀、長い刀は避けねばなりません。手之内等には思いもいたらず、刀を反りのある鉄棒と同視するような、抜いて振り回すだけの、不器用なだけの稽古になってしまいます。器用なだけというのはいけませんし、不器用なだけというのもいけません。

  • 不器用も器用も鈍も発明も 終りの末ハみちハ一寿(す)じ [立身流立合目録之巻]

身体がこなれないうちは、力の要る技(場合により、張、巻落など)の稽古をしてはならない、ということにもなります。

5、数抜(かずぬき)

立身流の数抜(拙稿「福澤先生と立身新流居合」参照)の数の多いものは、原則、相当に身のこなれた者がすべきです。その主眼は、身のこなれを向上させると共に、向圓の居合の表(おもて)の立合を、刀を用いて正しく身にしみ込ませ、矯正し、向上させ続けることにあります。しかし、個癖(こへき)を身につけてしまうことにもなりかねません。特に見てくれる人のいない一人抜は要注意です。

  • 不器用も器用もいらず数抜を 年を積りてする人ぞよき [立身流歌]
  • 怠らず数を抜いても工夫をも せずば稽古のいかで上がらむ [立身流歌]

福澤諭吉はこれらの歌に従い、数抜を続けていました。(拙稿「福澤先生と立身新流居合」参照)

6、個癖と個人的特性

  • あまり身に過ぎたる技を好まずに 進み退くことを覚えよ [立身流立合目録之巻]

色々な形の所作を覚えて、いくら数を重ねても、格好だけで、あるべき形から離れるだけ、理想の方向へ向かわず、究極の目標とは方角違い、ということがよくあります。ただ手なれていて小さく迅いだけでは、また、ただ力まかせに強いだけでは大成しません。そのような稽古を続けていても固癖に陥るだけです。武道は対人関係から始まるのでして、只物理的に速かったり強かったりすればいいものではありません。

そして、修復しがたい個癖におちいらないためには、よい師匠が必要です(拙稿『立身流に於る、師、弟子、行儀と剣道の「一本」』参照)。個性(個人的特性)と個癖は異なります。自分では個性だと思っていても、そのほとんどは個癖にすぎません。一人稽古だけを続ける場合は特に要注意です。

すべきでない稽古や運動を重ねて個癖が身についてしまった時は最初に戻らなければなりません。ところが、それが困難なのです。拗らせてしまった時はなおさらです。

矯正には、素直さを取り戻した上で、尋常でない覚悟と努力が必要です。しかし、個癖を正しいものだと、個癖をすばらしい個性だと、身体と意識下に刷り込まれてしまっています。そのため、説明を受けて仮に頭では一応理解でき、その場では一旦矯正されたとしても、身体が納得しません。潜在意識も変化せず、従って、正しいものを見ても、それを正しいものと真に認識できないのです。

武道では、自分の体得した質、量の範囲でしか理解できず、正しい目標も設定できません。

7、最高のほめ言葉

「そのまま数を重ねればいい」という言葉は、先代宗家加藤高の、その時点毎の最高のほめ言葉でした。

第五、「心目體用一致」(立身流俰極意之巻)における「體用(たいよう)

「用」は「はたらき」を意味します。すなわち、心用、目用、体用はすべて一致しなければならないという意味です。

「心」は、七戒の下、空の状態の心です。その「用(はたらき)」は、意識作用のない無念無想の下で環境への最適な対応の仕方を判断します。(拙稿「立身流について」及び「立身流に於る『心の術』」参照)

「目」は、間合など直接認識できるもののほか、その背後にあるものに感応します。その「用(はたらき)」は、他の感覚器官と併せて環境を的確に把握します。

「體」は、こなれています。その「用(はたらき、すなわち技)」は、環境変化への対応を実現します。

「一致」は「一体」と同義です。

心を軸として、環境とその変化の把握からこれへの対応行動が一瞬でなしうる、その要件のひとつが、身のこなれです。

  • 心こそ両輪軸とおなじなれ とまるものなら廻るまじきぞ [立身流理談之巻]

武道では、武道の心、目、體を練りあげ、その各々のはたらきが理(曲尺: かね)にかない、しかもその全ての一致(曲尺合: かねあい)が求められます。

立身流三四五曲尺合之巻(たつみりゅう さんしご かねあいのまき 立身流曲尺之巻とも標される)はここから始まり、ピタゴラスの定理なども考察しつつ、天、地,人、自然、生死へと思索を深めてゆきます。

立身流は「動く禅」とも称されます。

第六、身のこなれ、手之内、の形への現れ方

これについては別稿の「『手本柔』」(立身流變働之巻)の立身流刀術形への現れ」に記します。

個々の刀術の形(表之形<居合・剣術>、陰之形、五合之形、五合之形詰合等)への現れとともに、刀術全体を通じての注意点例(桁打・旋打・廻打の種類・内容、一刀・二刀・抜刀での手之内、剣先の厳しさ、刃筋の正しさ、擁刀、鎬の用法、抜刀の際の鞘の戻し、残心等)につき述べ、「立身流刀術極意集」(立身流第11代宗家逸見柳芳筆)や「立身流之秘」(立身流第17代宗家逸見忠蔵筆 安政5年戌午(1858年)10月)の一部にもふれます。

第七、武道に於る「必勝の原理」

流祖立身三京が濃州妻山大明神に参籠し、37日目の暁、夢のうちに開眼して会得した武道全体に通ずる必勝の原理は、向、圓の形を介して授けられました。

本稿で述べたところはこの原理の表れのほんの一端です。

形の上では、向、圓がそれぞれ独自に変化するばかりでなく、向と圓あるいは向の変化と圓の変化が無限に組み合わされていきます。

俰でいうと、向、圓の体系が俰の居組、特にその初の3本の右位、首位、胸位(胸痛)となり(なかでも、1本目の右位の重要性がきわだちます)、中(あて)、逆(ぎゃく)、絞(しめ)、解(ほどき)等が加わり、立合及び組合(甲冑技)を含む全45カ条と、受身や活法を含む多数の口伝(くでん)につらなっていくことになります。

他方、向と圓が統合され、昇華したのが「一心圓光剣」(立身流免之巻。立身新流免之巻には「一心圓明剣」と表記される)です。

第八、術と道

今までの記述で私は「武道」の語を使ってきました。

私は、武術すなわち武道、武道すなわち武術、と認識しています。古武術すなわち古武道、古武道すなわち古武術です。

術すなわち道、道すなわち術です。

立身流は、世間的には古武術、ないし古武道だとされるかもしれませんが、その内容は、単に武道という語を使ってもいいものです。

【参考】諸橋轍次 大漢和辞典(修訂版) 巻十 153頁

術・・・㊀みち。㋑とほりみち。邑中の通路。・・・㋺心のよるところ。心術。・・・㋩のり。おきて。法則。・・・㋥てだて。手段。・・・㊁わざ。㋑学問技芸。・・・

第九、道歌

< >内は、関係する特に重要な事項を示します。

  • いかほどに太刀はするどに振るとても 手の内さとり備へく寿す奈 [立身流立合目録之巻]

<剣先の厳しさ>

  • 我身なる手元の非をば知らずして 敵を切らんとするぞはかなき [立身流立合目録之巻]

<手之内の基本稽古>

  • 敵の打太刀の切先引しめて たぐり行くなる心なれかし [立身流立合目録之巻]

<剣術・表之形 陰之形>

  • 本の身は行くも留るも飛(ひく、退く)は猶 心にまかせ叶ふ身と知れ [立身流直之巻]

<剣術・五合之形>

第十、「立身流秘伝之書」(第17代宗家逸見忠蔵編)中、「剣術抜合理談」(明和元年甲申(1764年)晩秋 一鏡堂源水跋(いっきょうどう みなもとの すいばつ・第11代宗家逸見柳芳)筆)より三か所引用(読下し)

一、「夫(そ)レ太刀ハ其ノ人ノ心ノ如ク動クト云(い)ヘリ。假初(かりそめ)ニモ敵ヲ欺クコト莫(ナカ)レト云フ。・・・柄(つか)鞘(さや)手付(てつけ)ニ習ヒ有リ。強ニ非ズ、弱ニ非ズ。是(こ)レ手之内ノ陰陽也。弱ノ中ニ強有リ、又、強ノ中ニ弱有リ。是ヲ第一ノ習ヒト為ス也。弓矢剣鎗、共ニ皆等シ。陰中陽、陽中陰也。諸流共ニ同ジク之ヲ秘ス。卵合セノ場也。卵ハ強ク握ル時ハ潰レテ失有リ。又、豫メ弱ク捉エテ打落サル時ハ破レテ失有リ。故ニ亡ビテ夫(そ)レ止ム事ヲ得ズ。然ラバ則チ柄ハ惟(これ)、卵ニ添テ握ルガ如シ。弓鎗ノ握モ同ジ。弣(ゆづか)ヲ強ク握レバ弓(ゆ)ガエリナシ。鎗モ左ノ手強雄ノ時ハ突ク事カタシ。是レ卵ヲ握ルガゴトシ。・・・」

二、「・・・右ノ手ノ力強ク左手ノ力弱キハ人ノ常也。力強クシテ手足堅ク氷ノゴトク成ルトキ用ヲ闕(か)ク也。身體ハ水ノ如ク水ハ方圓ノ器ニ随フ。抜ク者ハ敵ニ因リ轉化(てんげ)ス。・・・」

三、「ソレ兵ハ詐(いつわり)ヲ厭(いと)ワズト言ヘドモ、剣術ノ修業ヲ専ニスル者、之ヲ好ム所ニ非ズ。武ヲ用フル者ハ威ヲ先ンズ、威ハ変ラズ於(に)在リ。・・・兵法ハ偽ヲ嫌フ。偽ヲ以テ勝ツ事ハ勝ニ非ズト云リ。敵ヲ唆(さ、そそのかす)リ欺キ打ツ事莫(なか)レ。夫レ人ノ氣ニ虚実有リ。敵ニ向ヒテ打ヲ發シ欲スル時ニ吾(わ)ガ見込タル所ヲ打外サヌ様ニ打ツコト肝要也。打勝ト雖(いえど)モ猶(なお)、打チ始メノゴトシ。突キモ又同ジ。打ハ手ヲ以テ撃ッテ、手ニテ撃ツニ非ズ、躰(たい)ヲ以テ打ツ也。又躰ニテモ打ツニ非ズ、呼吸ヲ以テ打ツ也。是(こ)レ皆、体用一致ノ所也。突ク物モ等シ。弓射ル者モ此レニ同ジ。手ニテ彎(ひ)キテ射ルニアラズ躰ニテ張ッテ射ル也。躰ニテ張ッテ発スニアラズ呼吸ニテ射テ放ツ也。太刀突モ鎗ニテ突クモ同ジ事也。・・・太刀ニ打在リ,打ノ中ニ突有。鎗ニ突アリ、突ノ中ニ弾(はじき)アリ。・・・目付三段九ヶノ内、身体ヲ打ツ所ハ只一ヶ所ニ止マル。此ノ打ヲ打損ゼヌ様ニ相討(あいうち)ニ打ツ可(べ)シ。是、直(ちょく)ノ打也。唆シ打タント欲シ、打タ不(ず)シテ敵ノ氣ヲ欺ク、是、偽ノ打也。・・・心、凝(こ)リ固リ、則(すなわち)、業(わざ)モ固リ、手足共ニ岩木ノゴトクニ凝リテ身体自由ニ成ラ不(ず)、故ニ利ヲ得ル事甚(はなはだ)難(かた)シ。心ハ両輪軸ノ如シ。留ル時ハ旋(まわら)不。・・・」

第十一、「立身流聞書」(第21代宗家加藤高筆)より三か所引用

「一、・・・柄の握りは刀の死活に影響するところ極めて大なるを以て、手のかけ様は廣からず、狭からず、力を以て強く握らず、柔かく、肚(はら)にて握る心持ち肝要なり。

手の裡の心持は、両手首を軽く折り、左右の小指及び無名指を絞り込み、中指の基部を締め、食指は軽く屈め、拇指の基部にて柄の上より僅か押す心持にて柄を握ること(所謂、茶巾を絞る要領にてなす)。而して斬撃する時は、その斬りつけたる瞬間両手の力をひとしく十分握りしめておこなひ、斬撃の後、刀を復する時、又は刀を構えたる時は、手の裡やわらかに、力を入れる事なく、所謂左手は傘をさしたる心、右手は卵を握りたる心にて柄をとる事。

柄の握り様は鍔(つば)に拳の觸(ふ)れざる様、縁金(ふちがね)の部を避けてかけ、・・・左手は柄頭の金具を握りこまず(小指を金具にかけぬ)、即ち八寸くらいの柄に於いては小指の基部関節の外部が柄表の柄糸の巻き納めの結ひ節に小指先は柄裏の柄糸巻き留めの結び節にかけて握るを最も適当とす(彼の左小指の半ばを柄頭にかけて握る時は金具ゆるみて柄を損傷し、手の作用十分なり難し)。」

「一、居合は剣道に伴ひ之に並行して発達し来れる刀法にして、元より剣道を離れて居合なく、居合を離れて剣道なく、両者全く一体不離の関係たり。・・・」

第十二、「立身流秘伝之書」(第17代宗家逸見忠蔵編)中、「立身流戦場動幷着具之心得」(たつみりゅうせんじょうばたらき ならびに ちゃくぐのこころえ) (安政5年戊午(1858年)9月吉辰 逸見忠蔵筆)より三か所引用

「陣大小事・・・」

刀長短ハソノ人具足(ぐそく)ヲ着テ能(よく)振ル程ヲ吉(よし)ト言 平日ト違 小手ヲ差テ抜兼ルモノナリ・・・」

「持鎗之事・・・」

鎗ノ柄ハ二間程迠(まで)ハ好ミニ依ベキ也 長キハ余リ好マ不ル事也。柄ヲカンナ(鉋)目ニ削タルガ吉。塗柄アシ・・・」

鎗合之事

敵味方歩立(かちだち)ニテ鎗ヲ合スル時ハ・・・トカク胸板刀諸臑(すね)ヲナグル 則(のっとれ)バ必ス敵タヲルゝ物ナリ・・・」

第十三、「立身流入堂訓」(昭和62年1月27日 第21代宗家加藤高 全十ヶ条)より5ヶ条引用

第一条 立身流を学ぶ者は、流租神伝以来、歴代先師が、尊き実地試練の苦業を経て完成されし形、その他、古来より伝承されし当流の内容に聊かも私見を加え、私意を挟み、之を改変すべからず。

第二条 常に向上の念を失わず、先達者に就いて、絶えず個癖の矯正に心がけ、正しき立身流の形及び理合並びに慣行知識の修得と伝承に心がけよ。

第三条 個癖と個人的特性とを混同する勿れ。

第四条 立身流修業中、不知不識の間に、往々にして或る種の不正過誤に陷ること有り。拗れざるうちに宗家の指導を受けよ。

第九条 立身流古文書類の研究解明は必ず実技修得後に於いて、実技に照らしてなすこと。実技と理合の対応なき研究解讀は、判断を誤る場合少なからず。注意すべし。

以上

註 印は朱

立身流に於る、師、弟子、行儀、と、剣道の「一本」

立身流第22代宗家 加藤紘
佐倉市文化祭剣道大会講話録
平成23年11月3日
於 佐倉市民体育館
[平成24年3月4日掲載(禁転載)]

この6月の佐倉市民体育大会剣道大会で、佐倉剣道連盟名誉会長安藤平造先生の講演がありました。そのテーマは「師匠を敬え」という内容でした。そこで、立身流で師匠と弟子の関係がどうとらえられているかをみてみます。

まず第1首目、

  • 習うへき師には細かに尋ぬへし 問わぬ心はいかて知らせん [立身流居合目録之巻]

師には、どんな細かいことでも尋ねなさい。疑問をもって質問してこなければ教えようがありませんよ」という歌です。
師になる人は誰でもいい訳ではありません。「習うべき師」です。習うに値する師です。真摯な質問には、どんな質問でもこれを正面から受けとめ、わからなければ一緒に考えてくれる師匠、そのような師匠に対して、

第2首目、

  • 師の恩を忘る々人は月と日の 光り失ふことくなる遍し [立身流立合目録之巻]

師匠への思を忘れた人は、月光も日光も失ったと同じで、真暗闇の中で、立ちすくむだけですよ、という意味です。昔は、ガス灯も、蛍光灯も、ネオンもLEDもありませんでした。月光と日光だけが頼りでした。
このような師を敬うのは当然の常識です。行儀です。ですが、常識、行儀は忘れやすいものです。では、忘れない為にはどうしたらいいか。

そこで第3首目、

  • 己が身を正しくするは行儀なり 人の正しきことにしたがへ [立身流立合目録之巻]

自分の身、からだと心を正しくするのがすなわち行儀だ、というのです。師を敬うということは、行儀、すなわち正しい身の働きの一場面です。
では、自分の身を正しくするにはどうしたらいいのか。

第4首目、

  • 十の字を我身の曲尺と心得えて 竪も1なり横も一なり [立身流立合目録之巻]

漢字の十の字のように自分の身体をとる、どこからみても、身体を、竪に真直、横に真直の姿勢をとる、これが自分の身を正しくする方法(曲尺=かね)です。
ここで重要なのは、この竪1横一の姿勢が行儀の面だけでなく、剣道の基本でもあることです。

第5首目、

  • 身構は横も一なり竪も1 十の文字こそ曲尺合と知れ [立身流俰極意之巻]

竪1横一の姿勢そのものが身の構えなのです。竪1横一の姿勢で構え、その姿勢のまま打っていくと一本になります。

今日は、自分の姿勢を竪1横一に正しくとることが、師匠を敬うことにつながり、又、剣道の一本につながるという立身流の教えを聞いて頂きました。

本日の試合は、竪1横一の姿勢で構え、打ってください。

終わります。

【参考 立身流歌】

  • 問ひ来たる人を粗略にすべからす 誠あらねは朋も信せす [立身流居合目録之巻]
  • 下手こそは上手の上の上手なれ 返す返すもそしる事なし [立身流理談之巻]
  • 世磐広し折によりても替るへし 我知る計りよしと思ふな [立身流理談之巻]
  • 我か術を多くの人のそしるなら 鼻に聞かせてそしられてゐよ [立身流理談之巻]
  • 利合をは心に留て尋ねすは 人にほとこす時そかなしき [立身流立合目録之巻]
  • 残さしと弟子には云てかくすまし 心のことはなにとはらさん [立身流直之巻]
  • いたらぬに免好(ゆるしごのみ)をするひとは 武術の恥や我とかくらん [立身流理談之巻]
  • 太刀や抜く人も願の深きゆへに われも極意を伝へうれしき [立身流極意之巻]
2013年 | カテゴリー : 宗家講話 | 投稿者 : 立身流総本部

震災後の状況を受けて (平成23年3月)

※公式ホームページ移設にあたり、当時掲載されたものを再掲載するものです。


 

各位
評議会だけでなく、稽古にも電気事情等により影響が出ています。
集合稽古の機会がないとしても、下記道歌に則り、努力してください。

【参考】

  • 日々夜々に 向 圓を抜ならは 心のままに太刀やふられむ
  • 鬼にても 負けじと思ふ心にて わが身の術を 獨りみがかむ

以上、理談之巻

平成23年3月
加藤 紘

立身流居合(下書き) 未完

立身流第十九代宗家 加藤久 論文
(転載不可)


立身流第十九代宗家 加藤久

居合の直接の目的は鞘離れの勝負に於いて敵を制するにある。此の為には如何なる突発の場合の際會しても動せず決して外界に支配されざる精神即ち平常心を養う事は根本である。

かくて敵の精神を察知する事も出来、それに對處する臨機の處置も誤るなし。居合の究局は刀を用ひずして敵を屈し自己の正道貫徹するに至るべきは左の道歌に依っても明らかなり。

  • 鯉口の離れ際こそ大事なれ 抜かずに切れよ 抜いて切るまじ

進んでは大悟徹底して爭心を去り仁者に敵なきの境地も至るべきかとも思はるれど常人の望み得べき處にあらず。

殊に社會國家の一員としては尚更然りとす。

此の精神の修養は至極困難なる事なれど..

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

居合刀の拵、元結切り、大豆切り、小豆切り、篠竹切り

立身流第十九代宗家 加藤久 遺稿
(転載不可)


立身流第十九代宗家 加藤久

一. 昔の居合刀

作りは質素で丈夫と安全とに意を用ひました。堀田正睦公の用刀でさへ銅作り(尤普通の銅では無いさうです)です。握りは栗形の下までも一帯に飾りなく厚板で巻き栗形までも被ってあります。握内の刃部の木質の損ぜぬ様に口金に接して細幅の銅板を曲下して一つには安全を期したそうです。刃で鯉口を斬る事は禁物ですが抜くにも納めるにも摺れあふ音のしますのは意に介しませんでした。半澤先生の居合刀は空鞘のかかりました総てが至って粗末な物、逸見忠蔵先生の弟脇谷啓之助先生はやはり名人と稱されました。 居合刀は四寸餘と覚しく幅廣の大分重いものを用ひられました。

一. 元結切り

どんな場合にも抜損じの無き様に正しき抜方と抜く力をつける為に練習しました.まづ鍔の小柄穴から栗形の穴へ通して良質の元結を結びて抜きながら引き切ります。二本なら廻して結へるので四本になります。漸次数を増して五本にも至ります。普通の栗形ではもぎとれてしまひます。握りの銅板を打ち出して栗形を被ひます。細工は困難ですから鉄の胴輪へ仝じ栗形をとり付けてはめ込みました。柄を胸に近くして右手で引き抜く力と左手を強く握りつつ押す力との一致がなくては四、五本に及びますと仲々切れません。

一. 大豆切り

切臺の上へ大豆を一粒づつのせて抜き打ちに切ります。体の備へと共にぢっと見詰めました時に定まります。抜いてからねらっても及びません。あまり強く切付けますとくるひ勝ちです。長大な刀では幾分困難の様です。切損じて心の平静を欠いては最早いけません。もう切れません。何も豆のような小さな物を切る必要は無いわけですが刀は眼でねらって切るものでは無いといふ事を知らしめると共に心を修めさせるためでせう。私は苛って切り付けて刀をいため、刀をすて居合もやめようなどゝ其際は思ひました。

一. 小豆切り

大豆が十に七、八の修練に達しますと小豆を切る事に移ります。

一. 篠竹割り

篠竹を地上に立てて抜き打ちに割りさく、指ほどのものでもさくっと下まではむつかしく思はれました。古人はこれをさっと割りましたでせうか。

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流第19代宗家加藤久の成瀬関次根岸流第3代宗家への返信 下書

立身流第十九代宗家 加藤久 論稿
昭和15年 (転載不可)
[]内は加藤紘による加註


立身流第十九代宗家 加藤久

謹啓

春色日々かはりました。先生には愈愈御健勝にて大非常時下各方面に御盡瘁遊ばされ慶賀奉ります。すっかり御無沙汰に過ぎましたが、私は一昨年冬から健康を損じまして未引籠って居ります。相済まぬやうに存じますが致方ありません。次男が南支に御奉公を励み居ります事と長男が教務の餘暇は居合に出精しまして同志と稽古を致しますのをせめてもの心やりとも楽しみとも致して居ります。

扨、御高著「戦ふ日本刀」および「刀と剣道」誌上切れ味の神秘拝読仕り先生の古今に精通され、事実を極め盡され犀利なる御観察と明確なる御断定唯々敬服拝読仕りました。唯未熟の拙技御嘉褒に過ぎました丈は、恐縮慙愧に堪えません。厚く御礼申述べます。

御意見悉く思ひ当たる所がありまして御尤もと存じます。弊流の恩師より伺ひおきました点御参考に相なりますまいが記します。

佐倉藩には五流の剣道場がありましたが居合を剣道と併んで重視しましたのは立身流でありました。刀の様[ため]しは大体ここで行はれました。とりわけ藩士の刀工の細川 遠藤の両家が門下でありました関係上鍛刀は一々様[ため]されました。

一、棒様[ぼうだめし] 焼きを入れました黒打ちのままのを中心[なかご]に柔い布を巻きて前に立てて持ちこれを半棒を振って力一杯横から打ちます。 折れるか否かを第一とするのであります。 曲がるのを厭ひません(否、一振りでも曲がらぬものはありません)。 このために生ずるしなへも意としません。 先生の御意見と全く一致であります。
二、鍛冶とぎの上、切柄[きりづか]をかけ米俵の内俵に外俵と青竹を心として捲藁を作り切味を試みます。八分以上斬れば両側に下り口を開け良しとします。基本姿勢は真っ向から両足を八文字に踏み刀を冠って切下します。かくして始めて依頼者に渡されます。
三、外装を終わっての様しは佩用者の意に任せます。依頼に應じて各種の様しを致します。

先生の申されますやうに眞の刀の釣合柄の作り方等に依って利鈍の差も現はれますのでありませう。逸見宗助先生の父忠蔵先生は居合の名手でありまして脇差しの片手斬は右の大巻藁を両断されました。

物斬りは膽でと申されます先生の御説の通り力で腕で全身で眼で氣力で膽力でとも申しませうか何物にも支配されない境地に立ちますには膽が据わりませんでは叶ひません。ここに至りませんでは如何様なる妙技もまさかの時には役にたたなくなりませう。

物を斬るに見当を誤ると申されました事に就いて刃引きの居合刀で大豆斬り小豆斬り篠竹割と申す修行があります。これは切台に大豆を一粒載せて抜打に切割ます。一旦じっと見詰めますれば後はねらひも何にもありません。心の平静が肝要で動揺を起こしましては最早切れません。小豆に至っては一層困難が加はります。大筆程の篠竹を地に立て同じく抜打に割りますには眞に刃筋の正しさも加はらなくてはなりません。この修業は弓道も手裏剣も同じ事となりませうか。眼をたよるははじめの間の事で眼で見るは方便体にあり心にあると存じます。私はいら立った氣力に任せて刀を物打から前屈みに曲げてしまった事もあります。

刀の折れる箇所。私は現代刀では強い様を致しませんので一度も折った事はありません。本鍛えの刀でありますと一振りだけ堅物を斬って折りましたが刃まちからでありました。それも半だけで飛びませんでした。

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

居合術の目的と其の修行

立身流第19代宗家 加藤久 論稿

昭和11年2月25日
(転載不可)


剣道教士、居合術教士 加藤久

招魂祭や人出の場所に口上も面白く小手先鮮やかな小刀の扱ひからするりと抜き放つ野太刀の冴えで蟇の油を売る居合抜の面白さも今は思出の種とはなつた。居合とはかうしたものかと好奇心をそそつたがこれは単なる曲芸に止まるものであつたのだ。後に大家の技を拝見して其の真剣味と崇厳さと端麗なのに感嘆した。

余が立身流の居合術を半澤成恒先生に学んだのは12歳の時である。厳格な儀礼の下に刀を扱ひ毫末も敵に乗ずるの機会を与えず鞘離れの一瞬に斬倒すものであるが兜も割るの刀法は剣道にも必要である。何につけ未熟な自分は唯希望に燃え真心こめて正しく、遠く、強くと朝夕に稽古をつんだ。勤めて止まずんば奥妙に達せられないこともあるまい。

  • 深山にも開くや花の頃あらん 春のこころのよし遅くとも

畳は幾度となく擦り切った柄巻さへ何回か巻き換へた。元結止めの鯉口もふつと切り、抜打に大豆も二つに割るといふ様な事も試みた。寒夜を徹しての数抜きは昔語りの記録も凌ぐに至つた。

  • 鬼にても負けじと思ふ心にて 我が身の術をひとりみがかん

抜く手も見せずという早業も大事だが早いばかりが能ではない。静中に動あるべきを忘れてはならない。

  • 遅くなく疾くはあらじ重くなく 軽きことをばあしきとぞ知れ

技術は心のわざを待つて始めて精妙を発揮する。行住坐臥にも油断なく、七戒を去つて無意無我に入り暗夜に霜を聞くという心境にも達したいと精進をつづけた。

  • 不器用も器用も鈍も発明も 修行の末のみちは一すじ

業の進むにつれて幾分か心のゆとりもついた。求めて危地に入る憑河の勇も消えて平常心を保ち得るに至れるかしら。斬る事のみが目的でない事も分かつて来た。

  • 敵うたばただ受留めて平らかに 人をも斬らず勝つは抜合

武は戈を止むるにある。修練を積み実力を蓄え戦うの要なきに至るべきだ。

  • こひ口のはなぎわこそ大事なれ 抜かずにきれよ抜いてきるまじ

歳月は流れて不惑を過ぎた。進むにつれて彼岸は遠い。されど今ははや問ふべき恩師亡く学ぶべき先人もない。伝書を繙くも至らねば解し難い。流儀は異なるも心術に変りはない。

中山博道先生に随身した。

  • わけ登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月をこそ見れ

斯術の真髄は卑近にして高遠である。終生志すも到達し難い。他なしわざを通して人格を陶冶し、人倫の大道をふむにあるのだ。克己礼譲仁愛和順を旨としつとめて心中の敵を去って外敵を作らず、大道を全うせんことを希ふべきである。

  • 居合とは人に斬られず人きらず おのれをせめてたひらかの道

(立身流歌等を借る)

※原文の旧字体を新字体に修正した。加藤久は、半澤成恒の勧めにより師事した高野佐三郎豊正より、大正4年1月吉辰付で一刀流兵法十二箇条目録を相伝されている。持田盛二、斎藤五郎等とも親交があった。数抜きは3万本を通している。

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

立身流に学ぶ ~礼法から術技へ~ (国際武道文化セミナー講義録)

第23回国際武道文化セミナー講義録(平成23年3月7日)

立身流第22代宗家 加藤紘
主催: 財団法人日本武道館
後援: 文部科学省 日本武道協議会
協力: 国際武道大学
通訳者: アレキサンダー・ベネット
[平成23年11月12日掲載/令和3年8月20日改訂(禁転載)]

第一、はじめに

立身流での演武や稽古は、流祖神妻山大明神や、稽古相手への礼から始まります。
神との一体化を目指し、稽古相手への敬意の念を表します。その為には、先ず、自分の心身を正しくしなければいけません。その正しい心身がそのまま、武術の基本です。

  • 己が身を正しくするは行儀也 人の正しきことにしたかへ [立身流立合目録之巻]

第二、姿勢

1、姿勢について
自らの身を正しくする第一歩は姿勢です。これが武術の出発点でもあります。

  • 我が体は曲がれるものと心得て 人の形に気をつけて志礼 [立身流俰極意之巻]
  • 十の字を我か身の曲尺と心得て竪も1なり横も一なり [立身流立合目録之巻]

曲尺(かね)とは法則の意味です。身体は、どこからみても、竪に真直、横に真直でなければいけません。竪1横一です。その姿は、杉の木が天に向かって伸びていく姿にも例えられています。

  • 思ひなく巧むことなくするすると身は若杉の立てる姿に [立身流歌]

2、立姿(実演)
力を抜き、身体の弾力性を保ち、足巾は狭くして何度か飛びはねた後の巾、足の重心は指の後ろ辺り、関節は突張らない程度に伸び、肱は体側に軽く接するか瞬時に接する事が出来るようにします(肱の逆をとられない)。手の指同士も同様です(同)。力を抜くのも、瞬時に変に応ずることができるようにするためです。

3、正座(実演)
力を抜き、両腿を拳一つ分位あけ、足の親指は重なるか接します。手は力を抜いたまま、股上に持ってきます。肩から下の腕の重心の影響で上腕部は垂直でなく、肘は少々後寄りの体側に位置し、手の平はほぼ大腿元にきて、両手首が両脇腹に軽く接するごとくになります。その他の肱、指は前同様です。肱を張ってはいけません。腕を組むのもいけません。立身流では腕を組むことを「腕あぐら」といいます。

第三、礼

1、礼について
礼は頭を下げるのではありません。腰を屈します。他は立った姿勢のままです。視線は顔の動きのままに動きます。

2、礼の動作
ここで初めて動作に入ることになります。もう、武術動作の段階に入っています。動作で重要なのは、呼吸との一致です。息を吐きながら屈体し、一呼吸置き、息を吸いながら上体を戻します。また、一拳動の中での序・破・急(冴え)が重要です。その為には力を抜いて弾力性を持った身体を作る必要があります。

3、立礼(実演)
力を入れない為、手が前方よりに下がりますので、そのまま軽く身体に寄せます。

4、坐り方(実演)
上半身直立したまま、両膝を同時につき、いつ停まったかわからない程静かに腰をおろします。

5、坐礼(実演)
腰が屈する時に身体につられて両手が前に出て床に着き、両手の人さし指先を接触させ、無理がなければ両手の親指先も接触させます。しかし、右手左手それぞれの人さし指と親指の間は開けません。両手の人さし指と親指先で小さく正三角形に近い形が描かれることになります。その位置は下げた顔のほぼ中央部にきます。上体は、ほぼ水平になるようにします。礼のとき、視線が顔と共に動くのは同様です。

6、立ち方(実演)
腰を上げ両膝をつくと同時に両足指を立てて活かし、上半身直立のまま立ち上ります。反動をつけてはいけません。膝が床につく時、足指が活きていることが、武術では必要です。

7、提刀、帯刀(実演)
立っているとき、刀は右手で、肱を張らず、指に力を入れずに栗形の辺りを掌、指でくるむように提げます。自然に刃が上になります。踵をやや開いた自然体です。下緒は三折りにして一緒に持ちます。

立礼の際、刀が上下に動いてはいけません。 刀が動くのは余計な力が入っているか、固まってしまっている為です。
坐礼の際、刀は右側に、刃を内側にして、鍔が膝頭に来るように静かに置きます。

立っての帯刀は、右足を少々前へ出すと同時に右人差指を鍔にかけながら右手も前に水平に出して半身となり、左手を補助として左腰の帯に鐺を差込み、滞らない動きで差し、刀身の三分の一位が後ろへ出たとき左手を鞘に添え、柄頭が身体の中央にくるようにします。大刀は左腰骨の上に乗せるようにして落着かせます。帯は大刀を腰骨上に乗せやすい位置に締めることになります。左手人差指を鍔にかけ、下緒を刀の後に垂らすか、袴の右前の紐に挟みます。右手を下げると同時に左足を右足に寄せ、最後に左手を下ろします。

冴えのある動きや、手の内、体勢など、武術の基本通りの動きになっている必要があります。動きは体幹側から始まり指先まで連動します。

第四、構

1、構について
立身流では、正しい姿勢をとることがすなわち、基本の構です。

  • 身構は横も一なり竪も1 十の文字こそ曲尺合としれ [立身流俰極意之巻]

2、構の動作
立身流俰目録第四十二条の「身構之事」では次のように説かれます(実演)。

前:
左足を約半歩(概ね肩巾)側方に開き、足先の方向を自然に保つ。膝を軽く伸ばし、上体は垂直にして腰の上に落着け、下腹部に力を溜め精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

左(表):
左足を半歩前方へ出し、その足尖を正面に向け、右足尖を自然の方向に向けて踵を僅かに上げ、上体は自然の方向を保ち腰の上に落着け、下腹部に力を溜め、精神を平静にし、眼を敵に注ぐ。

左(陰):
両肱を張ることなく、左拳を左肩の前方に出し、その肱を僅かに屈し、敵の顎に向く如くし、右拳は我みぞおちまたは顎の前方7~8寸に位置せしめ、両拳は軽く握り、掌を内側方に向かわしむ。

右(表・陰):
右(表・陰)も同様です。

3、刀術 中段の構(実演)
立身流刀術の構は中段が基本です。居合でも剣術でも必ず最後に中段に戻します。
上記身構之事をふまえ、その人の体格にもよりますが、左拳が身体の中央部に位置します。それに従い、身体全体も修正されます。

  • 居合とは俰の上に居合あり 居合のうちに俰あるなり [立身流居合目録之巻]

第五、足蹈(実演)

足の蹈み方には、大きくわけて、歩んだり走ったりする場合(方向転換を含む)と斬撃する場合とに分かれます。
立姿から、眼に見えない程少々重心が前に移り、足がこれについてきて、歩み始めます。両足は成可く平行となります(甲冑を着用しているときはやや異なる)。また、無理に足を上げません。後の足の踵は歩むとき軽く浮きます。

  • 足蹈は常の歩みの如くして おくれし足はかかと浮へよ [立身流歌]

身体の上下動、左右動、前後の揺れ、身体の捻じれ等がない自然の歩み、常の歩みをします。竪1横一を歩みや走りでも維持するのです。左への転回、右への転回、左回り後への転回、右回り後への転回、四方への転回等でも同様です。更に後進、左への後進、右への後進、左回り後進、右回り後進等でも同様です。

  • 行水の淀まぬ程をみても猶 わが足蹈をおもいあはせよ [立身流立合目録之巻]

居合や剣術は、この歩みあるいは走りの上に乗っています。

  • 敵は波 我は浮きたる水鳥の 馴れてなれぬる足蹈をしれ [立身流立合目録之巻]
  • 足蹈は大方物の始めにて いえの土台の曲尺と知るへし [立身流俰極意之巻]

第六、発声(実演)

通常の呼吸から始まり、次の段階を経ます。

1、桁打、旋打、廻打の発声(無声)

2.序之形の発声

(受方)イャイ~~~~~イャイー
(仕方)イェイ~~~~~イェイー

3、破之形の発声(居合の数抜も同様)

(受方)ヤーー
(仕方)エーイ

4、急之形の発声

(受方)イャイーー
(仕方)イェイーー

5、無声(居合)
「無声は有声に勝る」といわれます。有声を経た上での無声のことです。上記1、の無声とは異なる無声です。

第七、斬撃打突(実演、上段よりの斬、居合の円)

竪1横一を崩さず、斬撃打突します。斬撃の後も体を崩しません。
立身流では、身体の安定、大きく冴えのある動きを重視し、これが美しさを伴うことになります。大きな動き方が身につけば、同じ動き方を小さくすることもできますが、小さい動き方ができたからといって大きい動き方までできるものではありません。


【参考】 立身流歌

  • 息合を水入筒と打ちかへて 腰に附希へきものにそありける [立身流居合目録之巻]
  • 餘り身に過たる業を好ますに 進み退く事を覚えよ [立身流立合目録之巻]
  • 本の身は行くも留るもひくは猶 心にまかせ叶ふ身としれ [立身流直之巻]

以上

立身流について

立身流第22代宗家 加藤紘
千葉県芸術文化団体協議会会報
平成17年9月1日 初出

立身流は永正年間(16世紀初頭)伊予(愛媛県)の人、立身三京に興り、千葉県佐倉堀田藩の藩士教育の重要部分を担ってきた総合武術である。刀術(居合と剣術)が表芸である。千葉県無形文化財に指定されている。分流が中津藩、忍藩、出羽松山藩等に幕末まで続いていた。

現代に伝わる古武道は、戦国時代の戦闘の体系化から始まるものが多い。戦闘は、準備段階での物見(測量、和算)、作戦(兵学)から始まる。馬に乗り、弓、鎗(やり)、長刀(なぎなた、→現代なぎなたへ)、刀術(居合→現代居合へ、剣術→現代剣道へ)、短刀、四寸鉄刀(しゅりけん)等、すべての得物を使いこなさなければならない。得物を失えば、落ちている棒(約6尺)、半棒(はんぼう、約4尺)を拾って闘い、それも失えば素手の俰(やわら、→現代柔道へ)で闘う。立身流には、そのすべてが包含されている。

実技の習得は、主に形(かた)の錬磨によりなされる。形は、動作の決め事で、闘いの経過を技毎に類型化したものである。師が撃ちかかり、門人がこれを対処する形式をとる場合が多い。一般的に、流儀の違いは形の違いに基づく面が大きい。

闘いでは、あらゆる事態に対応し、敵のどのような動きも制しなければならない。その種々雑多な動きから、すべての動きの素となる基本の動きが抽出され、純化される。これが形である。形は単純の中に千変万化を含んでいる。簡素の中に絢爛を包含している。そして、その洗練された動きが様式美を生み出す。

しかし、その美は、技だけでは全うできない。技を修得しても、いざという時にすくんでしまって動けないのでは意味をなさない。  そこで心法の裏付けが必要となる。技法と心法は表裏一体である。立身流俰極意之巻には「心目躰用一致」とある。心法での窮極の精神状態を立身流では「空(くう)」という。

  • 人も空 打たるる我も空なれば 打つ手も空よ 打つ太刀(たち)も空 [立身流理談之巻]

立身流では、驚(キョウ=おどろく)、懼(ク=おそれる)、疑(ギ=うたがう)、惑(ワク=まどう)、緩(カン=ゆるむ)、怒(ヌ=いかる)、焦(ショウ=あせる)を七戒という。これらの生じることなく、しかも満たされた精神状態が空である。立身流極意之巻には「満月之事」とある。

敵を含む環境が、満たされている我に合一化、一体化し、自然化する。そして、我は敵の心を知り、敵に近くなる。敵は我の心を知らず、我より遠い。我は敵を引き廻すことが可能となる。

形には教育課程としての意義もある。芸の習得には時間と数をかけねばならない。できれば心身の柔かい子どもの頃から正しい基本を身につけさせたい。立身流には、一つの形に序(じょ)、破(は)、急(きゅう)の三種がある。序は修行の為の形、破は実戦の形、急は崩しの形、といえる。

序の形に入る前に基本稽古がある。刀術でいうと、桁打(けたうち)、旋打(まわしうち)、廻打(まわりうち)である。入門後三年間はこれら種々の基本稽古だけをするのが常法であった。姿勢、手之内、足蹈(あしぶみ)、発声法などなど、礎となる技を身につける為である。

また、現代合気道に似た形試合、現代剣道の稽古や試合に似た乱打(みだれうち)、現代柔道の乱取に似た乱合(みだれあい)等がある。

【参考】

1. 歌集「黒檜」所収 北原白秋(昭和13年9月15日)

立身流居合   

  • 真竹(またけ)を立身(たちみ)の居合抜く手見せずすぱりずんとぞ切りはなちける
  • 見たりけり斎庭(ゆには)に立つる青竹の試し切りこそうべなーと太刀

 

2. 心得「外(そと)」 (居合目録之巻、立合目録之巻、立身流刀術極意集)

  • (例) 立合目録之巻─門戸出入之事、気遣成所出入仕様之事、気遣成者行違時心得之事、主人召仕極時心得之事、主人エ急成時御刀上様之事 など全25カ条
  • 居合目録之巻─気遣成座敷居様立様之事、殿中提刀 など全13 カ条

(転載不可)

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部

福澤先生と立身新流居合

立身流第22代宗家 加藤紘
「三田評論」No.1123(2009年5月号),pp5–7,初出
[平成21年10月8日掲載/平成25年7月26日改訂]

福澤先生が立身新流の居合を嗜んでおられ、「ずいぶん好きであった」(『福翁自伝』)ことは有名である。明治26~8年の間に3回程いわゆる千本抜をされた居合数抜記録が残っている。

「数抜」とは立身流居合修行の独特の方法であり立身流独自の用語である。

立身流では「向」「圓」という二つの太刀筋から稽古が始まりかつこれが極意とされる。居合、剣術、鎗の基本の形の名でもある。俰、長刀、棒、半棒、四寸鉄刀などの総合武術である立身流の動きの根本をなし、この二つが源となって千変万化する。心法、思想、宇宙観まで、この二元をもって理解、鍛錬の拠り所とする。

向は「後の先」の技である。敵の我が面への斬撃に対し、我が刀を抜き放ち立身流独特の技法で鎬ぎ、逆に敵の面を斬る。圓は「先」又は「先々の先」の技である。柄にかけた敵の手を抜打に我が両手で斬り、さらに面を斬る。

向と圓にはそれぞれ序(基本)、破(実戦)、急(応用)の形があり、更にそれぞれに、歩きながら、あるいは走りながら抜く「立合」と、坐して抜く「居組」とがある。

数抜はこの向、圓の立合の破を二人相対して「ヤー、エーイ」と発声しつつ抜き続けるのだが、先生の記録は一人抜きのようである。

先生が「四尺ばかりもある重い刀を取って庭に降りて、かねて少し覚えおる居合の技で二、三本抜いてみせ」た(『福翁自伝』)のも、立合の向、圓であろう。

数抜は現在も行われ、一日三千本、三日で一万本を通す。基本の技、動きを身にしみこませ同時に体力をつけるのが目的であるが、個癖が矯正不能ともなるので、基本を習得した者のみに許される稽古方法である。見分役は形が崩れたとみると直ちに中止させる。

また、『福翁自伝』に「しじゅう居合刀を所持して、大阪の藩の蔵屋敷にいるとき、また緒方の塾でも、おりふしはドタバタやっていました。」とある。このドタバタにも意味がある。

居組の序の向の形は、正座から、右膝を床に突き腰を立てながら左足を前に強く蹈み出し(その音をドタとする)同時に刀を抜いて敵の面撃を鎬ぎ、直ちに左右の足を蹈み違え(その音をバタとする)ながら敵の正面を斬る。

圓は、正座から、左膝を床に突き腰を立てながら右足を蹈出し(ドタ)同時に柄にかけた敵の手を抜き打ちに斬り、足はそのまま二之太刀で面を斬る。

立身流の居合は8本が一組だから、向(ドタバタ)、圓(ドタ)、後向(ドタバタ)、後圓(ドタ)、前後(ドタ、バタ)、左(ドタバタ)、右(ドタ)、四方(ドタ、バタ、バタ、バタ)の8本を通して一区切りとなる。先生の稽古風景が目に浮かぶようである。

立身流は約500年前の永正年間に、妻山大明神に参籠して開眼した伊予国の人立身三京を流祖とする。三京は稲葉一鐵の別名だとの説もあるが定かではない。立身三代をかけて完成したとされ、第六代桑島太左衛門(将監)の弟子 木村権右衛門が1590年代に分流して立身新流を名乗り 奥平家に仕えた。後に桑島も仕えている。伝書や文献には、「立身新流抜合」ともある。中津藩で新流といえば、立身新流抜合のことである。

先生愛用の居合刀として、刃渡り2尺4寸5分(約74.3cm)、重量310匁(約1162g)の一振が残されている。

先生の師については『福翁自伝』に「中村庄兵衛という居合の先生について少しけいこした」とある。中津藩の中村姓は十一家だが、この名は「奥平藩臣略譜集録」や、「幕末中津藩士人名録」等の諸文献に見当たらない。庄兵衛は生田保の弟子との説もあるが(立身流之形第一巻等)、私は「中津藩史」に「中村庄米」と記されている生田保の師がその人であると今は考えている。とすれば先生は流祖を初代として12代目になる。

なお、塾長等を歴任した小幡篤次郎の父 小幡篤蔵(録高200石)は、その師 衣川惣助より立身新流の免之巻(免許)を許されている。これも流祖を初代として12代目となる。

立身本流は下総佐倉藩に伝わり、現在、千葉県無形文化財に指定されている。

(転載不可)

2013年 | カテゴリー : 宗家論考 | 投稿者 : 立身流総本部